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だからどうした、ということはないんですが、「目的のない時間」のあいだ、何をやっているかのメモです。
いまぼくは、2002年4月12日、午後12時ボストン発ワシントン行きの、アムトラックという電車に乗っています。ワシントンまでは行かないで、途中フィラデルフィアで降りて、しばらく滞在、しごとというより、マルセル・デュシャンの作品を、フィラデルフィア美術館まで観にいく。
2日間、ボストンのユースホステルにいました。6人部屋に寝て、この部屋のドアが開きにくいので少し困りましたが、いい場所でした。部屋で寝て、近所のスーパーでサンドウィッチなどを調達して、台所で食べる。喫煙、吸う人は玄関の外。夜、オランダから来たという老婦人の滞在者が喫煙タイムで、となりでぼくも吸って、さて、椅子もテーブルもあるが灰皿がない。老婦人に訊いたら
「On the street(道路よ).」
つまりポイ捨てだ。ひどくありませんかぁ?後始末をどーするのか、と思っていたら、ホステル直属の「路上清掃員(street cleaner)」が、毎朝掃き掃除をする。
この旅行の終わりに、またこのホステルに戻ってくるので、ボストン見学はごくざっとやった。地下鉄と公園と下町。たぶん、のっけからボストン美術館などを観るとくたびれる、と思いましたから。BIGであることをひたすら目指したあげく、広いが、テクスチュアの薄い街、という印象がある。かつては欧米人の「東洋趣味」が言われた。もうそういうことはない、という感じがする。ぼくがアメリカ東海岸に旅行するのだって、「欧米趣味」とはあまり言われないけれど要するにそういうもので、どっちからどっちへのベクトルが優先する、というようなことは、まあないと考えたらよいのではないか。
アメリカといわず、いろんな国や地域への旅行のための手引書を本屋で売っている。そこに書いてあることは、かの地の住民が、たいてい、考えて、日々暮らしていることである。異邦人がそこに入って、彼らと同じマナーであるわけがない。「郷に入らば郷に従え」ということわざは便利だが、誤解も招く。
ぼくは、英語が初級で、自分のいいたいことをどうにか言い、人がしゃべってくることの主題をどうにか拾い上げ、関連項目をつなげて会話に及ぶ。言い回しのこまかいところはわからない。英語だから、と思いがちだが、じつは母国語の場合も同じらしい。
それなら苦労はない、ようなもの、ではなくて、やっぱり民族が違うと習慣の違いや考え方の
基本的な違いがあって、理解が困難なこともあるが、理解するのもおもしろいのだ。
(このたびの旅行では、アメリカのホステルというものを知らなくて、そこへ投げ込まれた形で始まった。一例、インターネットサーヴィスはあるが、個人のパソコンは接続できない。で、このインターネットサーヴィスだが、ホットメールで日本の友達に連絡を取ろうと思ったが、うまく稼動しなかった。ビジーになっちゃったり。結果、数ドルの損になりました。ちなみに、5分で1ドル。)
午後3時半。New Rochelle(アナウンスによれば、"ニュー・ロシェル")駅に着いた。こっちは雨だ。ぼくがいま履いている靴は、接着剤か何かで修理する必要がある。左のほうは、つま先の覆いがはがれて(自慢しているわけではありません)、雨に降られたらひとたまりもない。こっちで新しいのを買うか。ボストンの地下鉄駅構内で「その靴は頭痛の原因になる」と、ホントかウソかわからんことを話しかけてきた黒人の夫人がいました。
東海道線の各駅停車で東京から名古屋まで行ったことがある。かかる時間から言うと、ボストンからフィラデルフィアまでと似たようなもの、ですが、これは比較にならない。
ニューヨークに着いた。しばらく停車した後、発車したが、車内は立ち乗り客も出て、混雑している。エコノミーだからか。ニューヨーク州のニューヨークなんだろうが、停車駅は「ペンシルヴァニア駅」だ。理由があるのか、よくわかんない。
ぼくが、長い乗車に疲れたのか、単に環境のせいなのか、だんだん車内がおしゃべりでうるさくなっている。
コミュニケーションの問題を、車内でこねくり回すつもりはないが、ぼくが聞き取れない現地の英語を「うるさい」と思うということは、こっちに感応する要素が、このおしゃべりにはあるということだ。さしあたり、「声調」の問題、と、簡単にまとめておくことにする。
誰かに「フィラデルフィアに行くんです」と言ったら、「あー、あそこは工場ばかりで、長くいる場所じゃないみたいですよ」なんて、…ウソをつけ。ここのダウンタウンに工場なんかあるものか。
親しみのわく街。ボストンはきたない街だったが、ここではタバコを売っている店を見つけるのもむつかしく、吸う人は(ボストンと違って)さりげなくやっている。夜になると酒場が繁盛し、深夜になると楽しげな老若男女がタクシーをひろっている。寂れた感じはないが、銀座や新宿が襟を正したようで、エンジョイもリラックスもいいんだけれど、これからどうなるのさ、というような、先が見えないような印象がある。そのへんは日本のどこへ行っても、およそ同じだが、12日の夜着いて、今日、14日まで(このあとニューヨークに行って、また戻ってきます)街を歩いて、自由な街なんだな、みんなこれで充足しているの、か、な。
その12日の晩、8時ごろ、8部屋という、電話予約しておいた小さなホテルに着いたが、オーナーが留守で、入れません。窓を覗くとそこは客間で、ソファにもたれて読書中の女の人がいる。窓をノックして、予約客ですが、入れないんです、と訴えると、彼女(ハリウッド映画の美人女優のような人だ)は建物に人がいないか探して、いない。私にはなすすべがないわ、と肩をすくめる。外から電話をかけると留守電になっている。メインストリートまで戻って、地下鉄駅の入り口に立っていたお巡りさんに事情を話すと、「外出中か、そんなような、また電話してみなさい、もし連絡が取れなかったら、中国人街にホテルがある」。
重い荷物を2時間も引きずって、オーナー氏、ビルさんに会えた、小太り、60歳ぐらい、んで、日本から来た作曲家・ピアニスト・ピアノ教師ですと挨拶すると、ビルさんは感嘆の声をあげ、客間にピアノがある、弾いてください。
この、年代もののスタインウェイはアクションがかなりおかしくなっていたが、バルトークを弾いたら、このホテルの滞在者が集まってきて、イタリアの建築家が「バルトークとガーシュウィンは似ている」というので、『ラプソディ・イン・ブルー』をうろ覚えで全部弾いた。汗。こっちはボストンから移動したあと2時間も待たされ、すぐピアノを弾いている。みんな美男美女が集まっているから、まあいいや。
土曜日(13日)のこの街はすごくにぎわうが、今日、日曜日は教会の礼拝があったりするけれど、地下鉄構内に客がいない。
フィラデルフィア美術館の入場料、平日は7ドルだが、日曜日は「好きなだけ払ってください(Pay what amount you wish、かな)」、ウソだろ、と思って1ドル出したら、ホントに入れてくれた。この美術館が重んじているのは、あらゆる美術の中でのアメリカ美術の位置づけ、ではないだろうか。 美術とはよく言ったもので、ルネサンスから近代までのヨーロッパ美術、アジアの美術の中でいちばん「美」術なのは、神様のはだか、である。日活ロマンポルノには、いいものがあった。 今のヴィデオ業界はどうだろうか。 近代以降、この原則が崩れたんだな。そして、マルセル・デュシャンは「やる気がなかった」。 愚説でございます。
この移動は短い。1時間ぐらいだろう。ボストンへ戻るアムトラックに乗っています。15日月曜日、12時56分フィラデルフィア、30th street 駅発。
フィラデルフィアに着いたときとは反対に地下鉄を乗り継いで、アムトラックの駅に着くのだが、この「反対に」というのが曲者で、フィラデルフィアの地下鉄は「南路線」と「北路線」とがあるのだが、アムトラックの駅に行く方角は「西」らしいんです。わけがわからなくなる。来たときとは、概念を全部逆転せねばならず、こういうことが飲み込めるまでには、それなりの時間がいる。これは、ジャン・ピアジェの認識心理学で、彼が詳しくやっているはずだが、認識心理学もくそもない。アメリカの街、というのは紛れもない現実で、しかし、だいぶ歩きこなした単純な一本道の場合を取ってみても、確かここらへんにあったはずのスーパーが消えていたりするから、まだよく知らない街の地理には不思議が伏在している。
そんなわけで、「街」のほうに気を取られていると、重要なもの、パスポートとか、とにかく荷物の管理というやつは厄介事だ。アメリカがカード社会だというのは事実ではあっても、おそらく、半分はウソ。住んでみなければわからないけれど。アムトラックの駅でタバコをすっているうちに電車を逃し、1時間待つ間、本屋で雑誌を買ったが、クレジットカードをチェックする機械が働かない。「Pay cash」と言われたって、すぐに出てくるもんか。探していたら、こんどは電車の切符がどこかへ消えてしまった。5000円ぐらいの損だが、推定10キロの荷物である、探していたらいつまでたってもニューヨークに行けない。あきらめて、もう一枚買った。
「アメリカの広大な国土を実感するためにも、飛行機より、電車での移動を勧める」と、旅行ガイドに書いてあった。不平を言うわけではないが、本当かなあ。確かに広大な国土だが、窓の外はただ、郊外の住宅地と工場ですよ。ブラジルはリオデジャネイロからサンパウロまで、10時間のバス旅行をしたときのだだっ広さとは正反対だ。…おもしろいですね。
アムトラックの駅は、電車の発着がない時刻にはひっそりとしている、と、2000版の旅行案内に書いてあったが、この2年のあいだに事情が一変したかな。どこの駅もかなり巨大で、ニューヨークも、ごった返していた。食べるもの、それから読み物を売ってる店が並んでいるが、 食べるもののほうは、どこもドーナッツかサンドウィッチかハンバーガーかで、これでニューヨークなのか。
バルトークの書簡集の中に、ニューヨークの地下鉄でさんざん迷った話が出てくる。はじめて来てみたら、確かにわけがわからんです。方角とか時間とかは、使っているうちになんとなく身につくのでしょう。こんなところに、なぜ難解なのかという理由を詮索するのは野暮だからやめることにする。とにかく、行ったり戻ったり、だいぶ苦戦した。
アメリカに住んでいる日本人のことは承知で、この旅行記を書いているんです。昔と違って、だれでも気軽に海外旅行する。ぼくは金持ちではないし、海外に演奏旅行もしないから、このたびの旅行は単なるレジャー、なんですが、飛行機でしごとの目的地だけ飛びまわっているのより、自分にはふさわしいと思って、旅先からこのページをアップロードしているんです。 率直な話、ニューヨークは過剰な街だ。「神田だよ、神田」と悪友が言っていたが、似たような目的だけを追いかける東京の街と違って、ニューヨークは“何でもあり”で、好きなものが選べる代わり、街全体がノイズの固まりみたいになっていて、収拾がつかないみたいに見えたかな。面白かったのは、夜7時ぐらいになるとほとんどの店が閉店することだった。宝石やダイヤモンドを売っている一角があるが、ショーウィンドウの商品を全部しまっちゃう。防犯はわかるし、これこそノーマルな態度だとも思う。でもなんか妙な気がした。
文句をつけるわけではないがばかでかい公園、遊園地やゲームセンターのような美術館、ひたすら豪華なミュージカル、物価は安くはない(日本よりやや高いと思う)が、値段に較べて膨大な量の食品、「ねえちゃんがきれいなこと」、その他、がんばっているなあ。さほど大きな街ではないのに巨大な感じがするのは、アメリカ自身も、ほかの国も認める「自由」のおかげだろう。造った街。
というわけで、ニューヨークに着いたその夜、飯を買い込んでいるうちに、迷子になり、1時間半、ホテルを探し歩きました。
さしあたり、ここまでアップします。
ニューヨークを一通り見て回るのには少なくとも1週間必要だ、というのが、率直な感想だが、仕事の必要もないのに1週間いて、ショッピングやなにやで街に振り回されるのはごめんだ。 などと書くと、ぼくがこの街を楽しまなかったように読めるかもしれないが、それは違う。いくらアメリカのミュージカルがおめでたくみえても、ものには外見と中身とがある。『オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)』を観た。本当はオフ・ブロードウェイでやっている『ストンプ(Stomp)』が観たかったんだけれど、ニューヨークのミッドタウンから少し離れたところに劇場があって、行くのが億劫だったからやめた。
『オペラ座の怪人』について、なにしろ語学が追いつかないから、そっちのほうはあきらめて舞台の作りを観て楽しんでいた。オペラ座に白いマスクをつけた怪人がいて、ヒロインを誘惑したり、あれこれ状況が混乱する。台本の良し悪しはわかんないけど筋は単純だ。俳優の発声の仕方はヨーロッパを基盤にして、アメリカの何かを加えたもの。アメリカらしさ、とかいうようなものとはちょっと違う気がする。さしずめ、日本の歌舞伎や寄席である。それが連日、昼も夜も盛況だというのは、事情はどうあれ、うらやましい。好き嫌いは別として、自分の街にある楽しみ、と、言い切れるじゃないですか。
もちろん日本にだって、独自の楽しみがある。ただ、ニューヨークは屈託がないです。さばさばしている。ぼくには好ましかった。
前にも書いたかもしれないが、ニュ−ヨークは何かがものすごくめまぐるしい。それがなんなのか、首を突っ込みかけたときには、もうこの街を去らなければならなかった。(いま、フィラデルフィアからボストンへ戻るアムトラックの中でこれを書いていますが、ちょうど、ニューヨークに停車中です。)
再びフィラデルフィアに戻ってどーするのか、決めてなかった。ニューヨークから移ったら、人口が極端に減った。すーすーしてました。今回のたびの口実は美術館めぐり、だったが、フィラデルフィア美術館にまた行こう、という気にならなかった。疲れもあるし退屈してきたこともあるが、いちばん大きいのは、美術館に行ってできるのは作品を見ることで、気に入ったのを持って帰ることはできない、ということだった。考えてごらん、自宅にゴッホやルソーの実物があったら、素敵じゃない?
そういえば、ニューヨークの商業画廊にいったら、ミッシェル・ドラクロワの実物があった。お、と思っていたら、店主が来て、日本語で「こんにちわ」と言った。きのう日本から帰った、みずほ銀行で商売して来た。このドラクロワは…忘れたけれど吃驚仰天する値段だった。
大上段に構えて、今回の旅の教訓を書きましょうか。
語学が得意な人もいます。旅慣れている人もいます。そういう人には不要な心得かもしれないが、今回の私の場合。
傷むものがあるということ。いくら注意していても不可抗力でこわれるものがある。ぼくは自分のパソコンを持って来ていますが、ニューヨークのホテルで、このノートコンピュータのキーボード部分にビールがかかっちゃった。幸い軽症で済んだようだが、いくつかのキーの動きが鈍い。機能に問題はなくて、ひたすらキーボードを打っているうちに、だんだんスムーズになってきた。
語学の不足などから、買い物には1万円や2万円の無駄が出る可能性があるということ。
同じくお金の話、フィラデルフィアでのことだが、クレジットカードが使えなくなる状況があるらしい。ホテルのオーナーに話したら解決してくれた(つまりクレジットカードで会計ができた)のだから、…まさかただにしてくれたんじゃないだろうな…。んなこと、ないよね。
もっと本質的なことになるが、疲れてくると現実的なことに手が回らなくなる。ぼくの場合、普段は難なく聞ける英語が耳に入らなかったりする。聞こえていても頭が回らなかったりする。
フィラデルフィアで時間があったから、作曲した。こういうときには現実的な判断が散漫になっているもので、だから作曲なんかができるのだ。ひまなんです、ひま。しかし、ひとつの曲を一生懸命やるのがぼくのしごとだから、今回の旅行の収穫の中には自分の曲もはいったことになり、単なる慰安旅行ではなくなった。
やはりフィラデルフィアのホテルで、ピアノを弾いてくれと求められた。こうなったら「お仕事」
だ。暗譜で弾けるレパートリーを10曲でも持っていると、こういうときは役に立つ。
くたびれているときに限って、必要が出る。ニューヨークから移動して、夜、2時間待たされてホテル(個人宅を開放したような、小さな、だけどちゃんとしたホテル)に入った、ピアノ弾いてください。作曲が終わった、ショパンを弾いてくれません?率直な話、話を持ちかけられるとかなり緊張するものです。
おかげで友達ができた。大手のコンサートツアーなんかより、ぼくはこっちのほうが好きだ。
しかし、注意しなければならないのは、「気軽に」演奏の披露なんかできないことで、「ピアノを弾いて」と頼まれたら、ピアノ用の引き出しを開けて内容を開陳するわけなんですが、これはかなり集中力がいる。結果、現実世界に対する配慮が希薄になる。
ある期間、いつもとちがう現実の中にいると、今まで自分が持っていた「概念」が「更新されはじめる」。旅行に出てみてだいぶ馴染んだ、と思った街のものや人が、ある意味、むつかしく見えてくる。これは自分の側で起きている変化で、街のものや人はべつに変化しない。自分が変化しはじめたとき、不意に「Where are you from?」「Anything else?」なんてことを、通りすがりの女の子から問いかけられたって、耳がそっちのほうを向かない。(惜しいチャンスを逃す…。)フィラデルフィアに永年在住の人たちの英語はあくが強く、訛りがあり、話す内容にもくせがあった。ボストンやニューヨークでおよそ通じるはずの言語は、聞き方に関する限り、「更新」されなければならない。(その代わり、ボストンとニューヨークはよく言えば一般的、悪く言えば無趣味で、趣きがもうちょっと欲しいなあ、と言う気がする。)
必要が生じて買ったもの、爪切りと缶切り。バカじゃないかと思われてもいいから、これは、あまり旅慣れていない江村夏樹の旅行記です。
パスポートとかお金とか、いくつかの鍵なんかを持ち歩くための、簡単で手っ取り早い方法は、信頼するに足る小さなバッグをひとつだけ用意して、全部、中に放り込んでおくことだが、バッグ自体が荷物になっちゃったら動きにくい。あまり高級なバッグを運ぶより、丈夫なビニールバッグを2重にして持ち歩くほうが、懸命だという気がする。
雨の中、ケンブリッジまで、友達(男)に会いに行った。このホテルから、地下鉄で10分ぐらい、チャールズ川をわたってすぐのところ。ハーヴァード大学のまわりに、ボストンの特徴である、物静かで醒めた空気が流れている。この友達とは、じつは初対面、ボストン在住だがバリ島に旅行中の別の友達(女)からの紹介で知り合った。この男性とコーヒーを飲みながらしゃべり近所のレコード屋でCDを買い、美術館に行った。彼は仕事があると言って、美術館には入らず、ぼくは1人で、ケンブリッジの、さーて、なに美術館だったか忘れました、ルネッサンス以前の絵画・彫刻から、アメリカの19世紀美術、アフリカの民族衣装と木彫、ジャクソン・ポロックやアルマンまでの展示で、ここは撮影禁止。
何故だか、ぼくはロマン派の「絵」が好きになれない。その理由を考えてみたけれど、釈然としないままです。逆に、同じロマン派でも彫刻や、ヨーロッパの中世以前の美術、非ヨーロッパ圏の美術、20世紀の絵やオブジェには強く惹かれる。たぶん、宗教の持ち方の違いがあって、ロマン派の場合、それがやや特殊なのだろう。
全然違う話になります。現在のアメリカは、屋内や室内ではたいてい禁煙だが、煙草を吸う人はみんな、外を歩きながら吸っている。晴れていればいいが、今日みたいに相当な雨の日にはどうするのか。寒い風だよぇ。ぼくはほんのちょっと吸う程度だが、「Smoke free」というマナーを、ここの人たちはどう思っているのだろう。タールとニコチンの含有量が書いてある煙草を見つけるのはむつかしい。ガンになる可能性があります、と警告しているけれど、1ミリタール、なんてものはないようだ。あるかもしれないが、パッケージには書いてない。
「概念の更新」に必要なのは、歯車で言えばガタ、つまり弛みや遊びだ、な。
旅行していて、奇妙なことをいくつか考えました。順不同、書けることを陳列しましょうか。
やっぱり、違う文化に接してきたのは事実なのに、「違う」という感じがしないこと。
この際、違う文化というのは次のようなこと。例えば、アメリカの3つの都市のどこでも、みんな立ち食い、立ち飲みをしている。食べているものはドーナッツとかサンドウィッチのようなもの、座って食えばいいのに。立ち飲みはわかる。乾燥しているから喉が渇くのじゃなかろうか。ぼくはそうだった。水分の補給のためにいちいちどこかの店に入る、なんてことは煩わしい。
例えば、そんなようなこと。ボストンの地下鉄を「Subway」と言わず、「T(ティー)」と言うのは何故なんだろ。ダン君(前述の男友達)に訊いてくればよかったが、想像するに、明確な答えができる人は少ないんじゃないかなあ。「ボストン“T” シャツ」なんてものも売っていた。(買わなかったけれど。)
今日は、アメリカのカレンダーで2002年4月23日(火)ですが、この飛行機(トロント時間13時05分発)に乗ったら、4月21日日曜日の朝日新聞を配っていた。NHK・FMの番組表が日曜日のものだったので、あれ?と思ったんです。ともかく、その朝日新聞の1面のコラム、「天声人語」は、最近日本で話題のノーベル賞数学者、ジョン・ナッシュについて書いている。30代から精神病を患って奇跡的に回復した彼の半生を描いた映画が上映中だが、彼のことより、このコラムで関連項目として引っ張ってきている、やはり精神異常の数学者カントールの逸話はたいへん興味深い。曰く、カントールは「無限」の正体を突き止めようとして、おかしくなり、中年期には「シェークスピアは実はフランシス・ベーコンである」ことを証明するのに躍起になっていた、という。かなり想像力を逞しくしても、ここまでくるとわけがわかりませんが、この話はつらいですね。いつの時代にもこういう人物はいるようだ。はたの人が見るとこういう精神状況や体験は、ただ単に面白おかしいだけで、実感が沸かない。
「無限を考えるのは非常に異常なこと」と言った湯川秀樹は偉いし、計算言語学の世界では、「ある文章が非文(=文章になっていない文章)であるとき、それが非文であることを証明する方法はない」ことが証明されているそうです。一体にぼくはこういう話が好きだが、わりかし表面的な好奇心があるだけで、立ち入った方法なんかはわからない。音楽以外の分野で、持っている技術といったら、少し水泳ができる、ぐらいのものである。学問の領域では、どちらかというと頭が痛くなる。
飛行機に乗っていると、谷崎潤一郎の随筆を思い出す。彼は、料亭の2階の便所について書いている。便器を覗き込むと、下は川べり、土手の上で、菜の花畑が見え、蝶が飛んで、少女だか少年だかが遊んでいた。谷崎は、子供たちや地上の通行人のことを考えると、「この上に便所あり」という立て札を土手に設置したほうがよいのではないかと思案に暮れたそうな。飛行機に乗っていてトイレを使うと、同じことを考える。
地上だって、現在だからこそ、JR沿線は安泰なのだ。ぼくなんかこういうことを知っている人間としては若い方だけれど、駅に停車中は電車内の便所を使わないでください、とわざわざ国鉄が断っていた。運転中の乗客の用足しで、沿線の住民が悲鳴をあげ、デモを起こし、「人糞公害反対」なんて立て札を立てていた。
今回のアメリカ滞在で、時間の不足などから見学を断念した場所がふたつある。
ボストン美術館
ニューヨーク、国際貿易センタービル
ぼくの大好きな画家、イヴ・タンギーの絵を、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)で2作品、観ることができ、たいへんな喜びだった。ニューヨークの57番通りにある美術書専門店で、少し高かったが、タンギーの画集を手に入れたことも幸運だった。この美術館も、ニューヨーク近代美術館も、タンギーをたくさん持っている筈なのに、展示が少なかった。まあね、どこの美術館もたいてい撮影を許していた(ただし、フラッシュを焚いてはいけない)から、ほかの作家の気に入ったものはカメラに収めてきたけれど。
作曲もピアノもやったから、いつの間にか「拠点」が出来た、だから、あまり「帰国する」という実感がないのかもしれない。どこのホテル、どこの街にいても、ここがアメリカだ、こここそアメリカだ、というファクターが、あったけれど、ないような気もした。
4月24日水曜日の午後、成田に着きました。その後、しばらくばたばたしてて、このページを更新できなかったけれど、落ち着きましたので、アップします。
アメリカで書いてきた曲はピアノでも弾ける。弾けるけどすごくムツカシイ。今度の夏に出るCDに、この曲が入るかどうかは未定、ですが、入れたいと思って、けっこう一生懸命練習しています。