2017年3月12日(日)



 いま夕方5時08分です。アユタヤ遺跡への1日ツアーから帰って、ホテルに着いたら、ご病気のお客さんが救急車で病院へ運ばれるところだった。どうも心臓が弱って、心臓マッサージを施したが、意識がない、という状態らしい。女の警察官さんは来ていたが、ホテルのスタッフさんは特に事情を訊かれていなかったから、死亡事故などではなさそうだった。ご病人の様子は、いま書いたところまでしかわからない。ドイツ人とみえる男のお客さんが英語で「患者の国籍はどこですか」と訊いてきたが、ぼくがわかるはずもない。

 アユタヤ1日ツアーのバスの中で知り合った広島の男子学生さんと、ぼくのホテルのフロントでアイスコーヒーを飲んでいたら、いま書いたようなご病気の方が出て、周囲もぼくも緊張した気持になった。この学生さんと話していたら、じつは香港から同じ飛行機に乗っていたことがわかった。

 午前7時過ぎにワゴン車に乗って出発、という早い朝で、このツアーは昨日600バーツ支払って成立したものですが、ツアーを利用してよかったですよ。日本の自宅で地図を眺めながら、タイの国鉄に2時間乗ってアユタヤ駅で降りて、あとは歩けばいいようなことを考えていた。しかし、実際に行ってみたら、仮に歩くとしたら、相当くたばることは覚悟のうえでなければならないことがわかりました。ワット・マハータートだけ見る、ということなら電車でもいいと思いますが、ツアーを利用したら、めぼしいポイントを拾ってワゴンカーでだいたいまわってくれた。まあ、現地に09時に着いてから、昼食をはさんで2時までの間に、えーと、「ワット(寺院)」を何ヵ所見たかな、途中10分だけ立ち寄るとか、1時間ぐらいなら余裕があるとか、つまりだいぶインスタントな見方をしてきたんだけど、それでも、最低何か所かは見たほうがいいんじゃないかな。ちなみに、このワゴン車には11人ほどの乗客が乗りました。

 「寝釈迦」が2ヶ所にあって、2番目の寝釈迦様の前に立ったら、横から「キンパク、キンパク」という女性の声がした。「金箔」。背の低い若い女性が、2センチ平方ぐらいの正方形の金箔を持ってきた。続いて別の女性が、長さ50センチほどの線香をぼくに手渡す。寝釈迦様はたぶん10メートル以上あるんですが、その手前に1メートル程度の縮小レプリカがあり、花や線香をささげる場がある。この縮小レプリカ寝釈迦様に「金箔」をはりつけ、線香をともしてお祈りすると、金箔を張り付けた部位の病気がなおるそうで、ぼくはレプリカ寝釈迦様のアタマにはりつけました。これでアタマの病気が治る。それで、お守り持っててくださいと、楕円形のちいさな、硬貨のような「お守り」をぼくに渡して、トータル200バーツ。お守りを、家族のために3つ買うと500バーツになる、なんて言ってんのはセールスだからお断りしたが、全体、感じは良かった。

 1300年代にタイの古都だった、というのがアユタヤ遺跡だそうだから、歴史的にそんなに古い遺跡ではない。資料によればこちらが栄えたのは1351-1767年。ワット・プララムが作られたのが1369年。奈良県の法隆寺や當麻寺(たいまでら)のほうがずっと古い。しかし例えば音楽の世界で1300年、14世紀と言ったら、ルネッサンス(文芸復興)よりもかなり前で、つまりここは新しい遺跡ではない。そういうものを見てきましたが、どう言ったらいいかなあ、実におおらか、と言えばいいのかな。「異国情緒」のような違和感を感じない。これは、ぼくがタイ人ではないからか。ぼくは日本の仏像とか、何か自分の国の「宗教」にかかわることにぶつかると、ゾクゾクするんです。そのカンジは、アユタヤの寺院のあちこちで行われていた礼拝の儀式のようなことをただ見ているだけでも、いくらか伝わってきた。ただ、日本の寺院の印象として定着しているような「険しさ」までは感じないのは、やっぱりぼくは日本人で、タイ人ではないということに由来しているのかなあ。

 このアユタヤ・ツアー、ワゴン車に乗り合わせた人たちはほとんど会話がなく、昼飯のときにブラジル人の団体さんとおしゃべりした程度でしたが、ぼく程度の英語でもけっこう通じたのでおもしろかった。ワゴン車は、行きも帰りも高速道路をすごい速度で走り、がたがた道での揺れは、飛行機の快適さが比較にならないほどの極端な揺れでしたが、600バーツのツアー、こういうことには慣れちゃった。

 昨日あたりからしきりに心の奥で「情報量が多い」とつぶやいている。バンコクの街をただ歩いているだけで、かなり情報を拾っている。それと同じ分ぐらい、捨ててるもの・忘れるものもあるんだろうけれど、とにかく、かなりの情報量だ。それを全部デジタル方式で数値化してしまったら、人間が生きている意味がないだろう。そんなことはできないから、世界中の民族のいろんな生きざまがあると思いたい。しかしかなりの情報量、これは現実だ。

 ぼくは決して人間付き合いの器用な男ではなく、人と話すときに照れるタチですが、そういうぼくが、今回の滞在先のタイ・バンコクで国外人と接すると、どうやらこの人たちも、いつもラフで気さくというわけでもないらしい。この程度でよいのではないか。人間は、初めて接するひとやものには、ちょっと動物的な警戒心があるものなんじゃないかな。

 夕食前に、夜のカオサン通りをちょっと歩いてみた。ケバい。ドンシャリ系のBGMのドラムがやや騒々しい。今風のかわいいおねえちゃんはいるのかもしれないが、浮かれて楽しもうぜ、みたいな気分には、どうも同調できないし、サイケデリックなネオンが幻覚を演出しているあいだに5000バーツも使うつもりもないから、ちょっと覗いて帰ってきた。

 そういうわけで、アユタヤ・ツアー基本料金600バーツは昨日払った。アユタヤで、バカ暑いから水分補給のために、梅ジュース15バーツ(だったと思う)、昼食時のコカ・コーラ15バーツ、レモン味のスポーツドリンク(確か)14バーツ、寝釈迦さま関係200バーツ、バンコクに帰ってきて、魚のヌードルスープ、70バーツ、および瓶ビール80バーツで夕食は計150バーツ、不思議なことだが、魚のヌードルスープ一品でだいたい腹がふくれるんです。こちらに来てから、毎食、基本一皿だ。本日の出費はほぼ600バーツ。

 再び、夜のカオサン通りを歩いてみた。ここで買い物や飲食をする気はないので、素通りしてきた。日本のライヴハウスでたまに聴くポップスの轟音に乗って、店の中で何人かの女性が踊っている。学園祭のようなノリで、開放的ではありますが、こういうことをお酒を飲みながら楽しむ習性はぼくにはなく、きれいなおねえさんがいればちょっとお話してくるが、悪いけど「おっ」と思う人や、気の合いそうな人は見当たらなかったから、帰ってきました。

 ランプトリ通りでマッサージをやっている女性4人ほどが机を囲んで、イナゴのから揚げなんかほおばりながら客引きをしていた。たった60バーツだよと言っている。しばらく、あちらはタイ語、こちらは日本語で全然通じてないコミュニケーションをやって笑ったあと、引き揚げてきました。おもしろかったけど、1.そもそもマッサージに興味がない。2.おねえさんたちは気立てはいいけど語調がかん高くてあんま好みじゃなかった(笑)3.ふたこと目にはお金の話になるので、うまくかわしてイナゴのから揚げを少しもらって帰りました。

 13日、03時15分、ポーランド人の男女2人、カナダ人の男性、ぼくの4人で、この真夜中にバルコニーでしゃべってました。単なる雑談だったが、爆笑でした。いままで3時間もしゃべっちゃった。英語でした。夜明けの鳥の鳴き声が聞こえたので、お開きにした。




3月13日(月)

目次

太鼓堂トップページ