駅の、わりあい人がいないところで、旅程の始まり、とかなんとかいってDVカメラを回していたら、左から不機嫌なおっさんが現れ、おれを写すなと大声を出してからんできた。こちらが成田空港に向かっていることと、このおじさんの不機嫌とは、全く無関係、おっさんの様子を少し見てから黙って遠くに去ったが、何が気に食わないんだか。このおっさん、脚でぼくを軽く蹴ったから、エスカレートするようならJR駅員か警察に通報しようと思ったが、こっちが遠くに去ったら、別に追っかけてはこなかった。「いったい、何が不満でぷりぷりしているのかわからぬ人間ほど、軽蔑に値するものはない。どうせたいした理由はないのである。」(河盛好蔵)通勤ラッシュでみんな面白くない気分なのはわかるような気がするが、おっさん、つまんないことで怒るなよ。かっこ悪いよ。
空港の出国っていうのは、検査する係の人が慎重なだけに、決して楽しいものではないが、いやなものかというとそうでもないよ、それなりの面白みもあるみたいです。んな、しょうがないですよ、こちらはユーモアで切り抜ける!ズボンのベルトが金属探知機に引っかかり、ベルトを外してもう一度検査を受けた。まあ、いいでしょう。
ここでバッテリーが切れ、いま機内に移って、コンセントってあるかなと探したら、110ボルトの電源がありました。あと15分ほどで出発。45Aという窓側の席です。離陸して安定したら、また書くね。
そういうわけでただいま飛行中。とてもいい天気で、太陽が熱いくらいです。ほとんど揺れずに飛んでいる。かねがね思ってるんだけど、地上を走る電車のほうが揺れるし危ないんじゃないのか。日本時間で午前11時45分。窓から見える空や雲が面白い。離陸するや否や機内食がどっさり出てくることがあるが、今回はオレンジジュースとピーナッツがとりあえず配られた。しかしなんか、メモを書いてるよりも、のんびり雲を眺めたい気分です。気が向いたときにまた書くことにする。ちなみに、機内ではさすがに Wi-Fi はつながらない。
機内食は味は良かったんですけれど、魚料理(たぶんフライをさらに加工したもの)と日本そばとパン、以上3種類が一緒に出てきて、まあ順番に食べたよ。これが「多文化」というものか。前回のフライトが2010年の韓国旅行で、今回はそれ以来。この飛行機、揺れないほうだし、座席が窮屈なのも飛行機揺れとともにだんだん慣れてきたが、ぼくたち日本人は東日本大震災のひどい揺れを経験して以来、「揺れ」に対して、やはり少々過敏になっていたのかな、と思う。しかし、安全圏内で飛んでる飛行機の揺れを、妄想着想のようなもので拡大するのも、いいかげんにしたほうがいいみたい。
座席ベルトを締めてください、というから締めて、2度ほどガタガタ揺れたが、気分的には成田空港を定刻に出発してから2時間ちょっと経っていて(あ、座席ベルトを外してよろしいそうです)、座りづくめでやや退屈。退屈しのぎにこれを書いている。ぼくのとなりの席の青年はネパールの方だそうで、これからネパールまで帰るんだとか。どうも寡黙な方らしく、雑談するよりは静かに過ごしていたいような雰囲気なので、日本語でも英語でも、あえてこっちからは話しかけない。それにしてもこの飛行機、いったいに揺れませんね。ぼくの座席のすぐ下にエンジンがあるらしく、少々音がうるさいが、迷惑になるような騒音でもない。
ぼくはこの7年間の自分の活動を、振り返ってみてるんですよ。7年前、2010年というと、『四角い4つの楽章』や『うたって』、『書かれた即興』を作曲した年で、2013年初夏まで、自分がピアノを受け持つ室内楽を多く書いて、コンサートで演奏した。クラシック音楽や現代音楽のピアノ奏法を見直して、どうすれば自分が弾きたいように弾けるか、試してみた。いきおい、作業量が多くなった。それはそれとして評価して、洋楽をやるアジア人の位置づけみたいなことが、今後、徐々に見えてくるのかもね。
あと1時間ちょっとで香港に着くそうです。トイレに入って水を流そうとして、「赤いボタン」と「青いボタン」があり、「赤いボタン」は搭乗員呼び出し用で、なんか困りごとがあったら押す、というようなものなのだろう、間違って押しちゃった!「青いボタン」を押して、初めて水が流れるのです。搭乗員のお兄さんが来てくれましたが、まちがえました、ごめんなさい、で笑い話で済んだ。
香港空港でメモ書いたんだけど消しちゃった。ただいまタイ・スワンナプーミ空港行きの飛行機の中です。今度はすぐ機内食(チキンが主体)、2時間かそこらでタイに着く。入国カードも書かねばならず、簡単な英語の機内コミュニケーションとかさあ、やることが多くてアタマ使いました。
香港空港の喫煙エリアでタバコを1本吸ったが、周りにいるのがアジアの人たちだということはわかるが、どこの国の人なのかぜんぜんわからない。1時間もすれば、次の飛行機が飛び立つ時間だった。香港時間で16時10分発。キャセイ・パシフィック航空のスタッフさんたちは過剰なサーヴィスがなくて親切だ。香港までの飛行機は混んでいたが、香港からは空いている。しかし、この飛行機も、いったいに揺れないね。上空を安定して飛んでるときは、さっきも書いたけど静かな感じです。
香港は曇り、24度で空港内はかなり暑かった。成田を飛び立って4時間飛んだ飛行機は、雲の上でたいして揺れないで飛んでいた。香港に着陸しますというアナウンスが機内に流れて、20分ぐらい雲の上で静かに飛んでいて、なんか、空に浮かんでいるようなイメージですよ。それもいいけれども、いずれ香港空港に降りるわけだ。高度が下がってくると、ぼくは耳がおかしくなるタチで、こんども右耳の奥がツンと軽く痛む。いつ着陸するのかと思っていたら、窓の外が雲だらけで何も見えなくなり、この光景はいつまで続くことやらと思っていたら、眼下に突然、船が見えた。急に海面が現れたわけで、まもなく着陸だった。
なんか、バンコクに着くらしいアナウンスだな。また書くね。
それで、いまバンコクのカオサン通り付近のゲストハウスにいるんですが、空港鉄道に乗ってバンコクの中心に来てみたら、文字通り右も左もわからないんだ。空港ではかろうじて英語が通じた。バンコク市街地に向かう空港鉄道の駅員のお兄ちゃんは日本の富山を知っていた。が、電車に乗って30分でパヤタイ駅に着いたあと、文字通り右も左もわからず、駐車場があったから、そこの係のおじさんやお兄さんに英語で道を訊いてみたが、そもそも英語が通じない。タイ語だけ。こっちはほとんど日本語。それでも「さあ、知りませんねえ」という顔はせずに、タクシーで行きなさいよと、流しのタクシーを拾ってくれた。バンコクのタクシーは高値を吹っ掛ける運転手がいるとガイドブックに書いてあるが、今夜の運転手さんは簡単な英語が話せる好人物で、こちらが支払いに100バーツ紙幣を出したら、几帳面かつ正確にお釣りを返してくれた。
パヤタイ駅からカオサン通りまで、ガイドブックによれば4キロ弱で、歩けない距離ではないが、日本の国道そっくりの、車だらけの1本道が伸びてるだけで、商店もなく、これを歩いたら涙が出るでしょう。
なにしろ「サワディー・クラッ」「コッ・クン・クラッ」「マイ・ペン・ライ・クラッ」「イープン」ぐらいしかタイ語はわからないんですよ。しかし…だから前もってしっかり予習しておけ、ということになるのかどうか。今夜のぼくにはわからない。ぼくの田舎の長岡弁もそうだが、一時滞在者がカタカナのニュアンスで真似をしても通じないということは、よくある現実だ。
まあ、人に手伝ってもらってゲストハウスまで着いた。昼飯と夕飯は飛行機の機内食で大体足りている。出発が日本の早朝で、昼間のフライトだったから、お酒は飲まずにオレンジジュースとかソフト・ドリンクを飲んだ。無事着いたから、セブンイレブンで45バーツの缶ビール(500ml)を買って飲んで、いま、いちおう酔ってます。寝ますか、もう少し起きてますか。
明日はこのホテル周辺をぶらぶらしようか。カオサン通り周辺をざっと見て回って、明日1日は終わりそうな感じです。