目次

作曲や演奏で江村夏樹が実践していること
(何を考えてやっているか)
その III

江村夏樹


25.

涼みに行こう。自然はいい。

 自分のCDが出たので、CDについて書いてみよう。このCD『江村夏樹 云々』の宣伝については別に独立したページもあるし、出版元・水牛のウェブサイトでも特集記事を組むそうだから、ここには宣伝ではなくて、もう少し粘っこく突っ込んだことを書いてみたいんですが、なんせ残暑ですので、哲学だけでがんじがらめになりたくない。

 巨大なレコード屋が都市に林立して、売れるものならなんでも、どんなばかなものでも作るのが音楽産業だ。美少女が野暮なうたを歌っていても、許される。ぼくだって許している。買わないし、受身で聞き流すだけだけれど、よほどひどくない限り、まあいいや、で済む。その程度のCDばかり作って集めて巨大なビルを建て、レコード屋ですと言っていますが、全世界的傾向だし、こんなところで革命を起こす気はないんです。自分に革命がやれるとも思わない。そういうのはあまり好きではない。

 好きではないが、日本のマスメディアで広げ散らかしている「スキャンダル」、ギャグでもストリップでも教育でもドラマでも不倫でもいいけれど、もう少しミのあるところが見たいなあ、そういうのはダメなのかなあ、ぐらいの関心はある。うちにテレビ1台持ってたら、得がしたい。電源入れない、見ない、では済ませたくない。もう少しうまく騙してよ、気持ちよく酔わせてよ、というのが、マスメディア、主としてテレビ放送に対するぼくの注文です。

 自分ではエンターテイナーとしての才覚がないと思っているので、そういうものを作らない。音楽を人の前で披露するのはサーヴィスだと思うけれど、娯楽まで提供できるかと考えると心もとないから、自分の言えることを言って、そういうものに興味を持ってくれる人がいれば自分の益にもなる、ぼくの音楽の姿勢の基本は、今言ったようなものである。で、その中で軸になっているのがコミュニケーションで、これが欠けたものだけは作りたくない。

 CDを作っていて、関係者からも自分からも意見があったのは、別に商品CDだからといって コンセプトが完結している必要はない、むしろ、へんに完結しているほうがおかしい、ということだった。例えば、ぼくは短い曲も書くが、20分を超える長い作品がいくつかある。それらは舞台上演用としては有効でも、CDに入れると、雰囲気が消し飛んでしまう。ぼくは雰囲気のない音楽がきらいで、雰囲気のないCDも作りたくなかったが、かと言って、構成・演出して娯楽CDを作るのはぼくのやることじゃないと思った。じゃあ何があるのか、について、自分では作為的な態度をとったことはないと思っている。作為で第3の出現が可能なら、もっと世の中は明るい。それに、たかが作為ではどうにもならないきびしい現実もある。ものを作ることは字義通り、ものを作ることで、そこにわけを求めてみても始まらない。作為的な作り物は、でっちあげた「わけ」を媒介にしてコミュニケーションを分かち合うようなところが偽宗教や生き甲斐サークルに似ている。そういう「わけ」をCDに封じ込めたらまずいんじゃないか、と思う。

 「わけ」というのは、具体的に言うとサウンドイメージのことである。「何々らしさ」ということ。臨場感とか、構造とか、なんでもいいけれど、そういうことよりも、ぼくはむしろ「伝達」を重んじたかった。このことは、実は、今回のCD制作の関係者の人たちにもあまりしゃべっていない。ぼくは自分の音楽を他の人に伝えるCDを作りたかった。そのためには、特定のサウンドイメージがあると、伝達という目的の邪魔になるんじゃないか、という気がした。

 もちろん、CDを出すとか、作曲・演奏をやるということは自己主張・自己表現の形のありように違いないのだが、この際、そういうものを披瀝する側は、自分の伝えたい意味とか内容を他人に押し付けたら、押し付けられた人は不愉快だろうという考えが、ぼくにはある。不愉快だろうし、迷惑だと思うんですよ。だから、ものを作る人は「意味」の可能性のひとつの片割れを握っていればよいので、意味の全体を呈示することなんか不可能だよ。しかし、この考えはまだ一般的ではないようで、CDの制作途上でも、「(この曲目構成では)作曲家像がよく見えない」という反対意見に出会ったりした。

 ぼくは、例えばベートーヴェンがのしかかって来るような音楽聴体験をすることもあるけれど、自分の領域でそういう可能性を準備することには、あまり乗り気ではない。少なくともCDを準備するときに、そんなやりかたで作曲家像を呈示することには抵抗があった。これを、作曲家・江村夏樹の責任逃れととる人もいるらしいんですが、ぼくは、むしろどちらかというと作曲家像のはっきりした音楽を書く作曲家だと思っている。そのぼくがCDという伝達媒体を使うとき、これでもか、というかんじで自作をくまどるのは、責任逃れ云々の問題ではない、せいぜい趣味の問題で、どうでもよかったのである。ぼくの着眼はもう少し他のところにあった。

[2002年8月29日(木)/続きは後日]

26.

 フィンランド人の若手アコーディオン奏者、ヤンネ・ラットゥアのソロコンサートを聴いてきた(9月3日、ルーテル市ヶ谷センター、チェロの藤原真理が客演)。身近に音楽する人がいるのはいいものです。ヤンネは気負うことがない。聴いているこちらも肩がこらない。すなおで好感度が高い。高度な技術を持っていながら、それを武器にして振り回したりしない。言い換えれば、音楽の中に篭城しない。結果、コンサート会場は開放的で、風通しがよい。こういう基本的なことが例外になってしまうような今日日の楽壇(日本だけではない)はいったいどうなっているのだろうか。

 もちろん、音楽のすべてが幸福に満ち足りた顔をしているとは限らず、時代の苦悩や人間の醜態を描くものもある。ヤンネが最初に演奏したグバイドゥーリナの『深き淵より』は、アコーディオンならではの特殊音響を活用した作品だが、人工と自然とを、アコーディオンを媒体として融和させる意図があるように思える。曲の相貌はロマンチックな要素と野性的な要素の混交体で、それがグバイドゥーリナの書法なのだと観察した。ヤンネの演奏は、ここのところを完全には捉えておらず、作者の表現意図と表現手段とが乖離する瞬間があった。ところで問題はここから先なのだが、この、ヤンネの演奏の不完全さの背後には、今日日の楽壇が乗り越えたほうがよい、ある種の分裂状況が控えている。片方にはけばけばしく肥大した文明というタテマエがあり、もう片方には人間や自然本来の、優しいが貪欲な姿とかたちがある。ことは音楽の問題で、政治ではないとすると、時間と労力さえ惜しまなければ、音楽の世界ももっと豊かになると思う。

 チェロの藤原真理との共演によるピアソラの『ル・グラン・タンゴ』についても似た事情があって、このアルゼンチンの作曲家が現代に置かれている状況は、同じ南アメリカ・ブラジルのヴィラ・ロボスの場合と同じではないかと思う。異民族間の交流が可能なのは、どの民族にも普遍的な前提が敷かれているからだが、ヨーロッパ主流の商業的な音楽界では、それ以外の地域の音楽もヨーロッパの洗礼を受けないと流布しないというタテマエがあるため、この普遍性がゆがんでしまう可能性がある。フランスのメシアンがヴィラ・ロボスのオーケストレーションを高く評価したという逸話はあまり知られていないが、これは、メシアンがヴィラ・ロボスを迎合したということではない。ヨーロッパには、このメシアンのような視座も存在する。そういうヨーロッパこそ評価の対象になるべきで、現にピアソラがブームにさえなっているのは、メシアンが示したような世界観が万人の心象に息づいている証拠だろうと思う。

 ヤンネの陽気な風姿と演奏は印象的なんだから、ムード音楽で他人に成り代わって泣いて見せるような道化師は彼の本来ではない。そのことは、プログラム前半の最後に演奏した、ユッカ・ティエンスー『ファンタゴ』の、軽いかもしれないがまがい物ではない活気を聴けばすぐにわかることなのだ。

 このコンサートでは、ほかにバッハ『ゴールドベルク変奏曲』抜粋と、藤原真理独奏による、やはりバッハ『無伴奏チェロ組曲第1番』、およびシュニトケ『チェロのためのインプロヴィゼーション』を聴くことができた。バッハについてはさまざまな論議があって、ぼくの頭もまとまらないままだから、演奏について検討することはまたこんど。お二人の技量がうらやましい!

[2002年9月4日(水)/続きは後日]

27.

 お久しぶりです。しばらくのあいだ、まとまった時間をとってピアノを練習していました。ピアノを練習していると作曲の時間がなく、雑用にも手がつかない。そんなに切羽詰った心理状況であるわけがないんですが、とにかく仕方がなかった。

 あのさ、ひとりで部屋にたてこもって悩んでいること自体は、別に「戦う」ことでもなんでもない。そう思うのは手前勝手な勘違いで、そんなものを振り回していてはハタ迷惑もいいところだ。 当座の問題を乗り切りたいのではなく、問題を反故にしたくて悩んだポーズをとっているだけだ。もちろん、困りごとを人に相談するとき、ニコニコしている人はあまりいないけれど、自分に対して問題をかかえている姿勢というものはもっと「さりげないもの」なんだろう。

 ハタから自分がどう見えているかをまるで考えていないから、悪友親友同僚家族がこの文章を読んだら噴飯ものかもしれませんよ。このことは、自分では承知しているつもりです。人にものを言う手前、完全無比な「自分」という理想か幻想か、そういうものは、人の迷惑にならない程度には忘れていないと、大脳がこわれる。

 いろんな専門の研究者のように着実に論を立てて書くことはぼくには出来ませんが、経験的に、コミュニケーションが成り立つ条件がどういうものなのかは少し分かってきた。それを着実に読者諸兄に伝えることが出来るかどうか、いささか怪しいのは残念ですが、例をとってお話しましょう。

 いまぼくは知人のアパートにいて、NHK・FMから流れてくるフランス近代音楽に半分耳を貸しながらこれを書いています。こう言っちゃあ何だが、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』も、プーランクのフルートソナタも、「ムード音楽として」ほどほど楽しい。これが、14年住んでいる自分の家にいると、クラシックもジャズもロックも、ほとんど聴く気にならない(いちばんの理由は“長く感じること”)し、自作のレコーディングをしごとから離れて聴くと、「楽しむ」という気分からかなりかけ離れるし、要は、音といえば戸外の自然音や騒音で、ひとりで音楽を聴く体験が、いまではほとんどない。音楽を聴くのはもっぱら生演奏の機会に接する場合に限られてきた。そういう場所に行けば、少なくともひとりで演奏を聴かなくて済む。他に誰かがいる。ついでながら、コンサートではこの願ったり適ったりの条件を活用するべきで、切磋琢磨した音楽技術を披瀝しさえすればいいものではない。

 いま書いたような音楽体験は、「純粋に音楽的」ではないかもしれない。音楽を云々するとき、ほかのあれやこれやが介入してくるのは事情の妨げであるという人もいるかと思いますが、果たしてそうか。実際問題として、音楽だけを純粋に考えることなんか出来はしないのではないか。俗に芸術音楽と言われる世界で、ジョン・ケージはどうやらこの問題を有形無形に提出した最初の人物のようである。彼が実際に発言したのは「音楽は日常生活の部分である」というようなことだった。ケージは、前の世代のストラヴィンスキーやシェーンベルクの美学からは何の有益なキノコも生じなかったと揶揄した。これは水掛け論のように思われるが、評価すべきなのはケージの勇気で、これを崇拝しちゃったらなんにもならないのに、現実には、今なお盲目的なケージ崇拝が流行しているような気がするんですが…。

[2002年9月18日(水)/続きは後日]

28.

 どうでもいいようなことだけれど、「たいへん立派に聞こえる音楽」「立派に聞こえる音楽」「あまり立派に聞こえない音楽」「全然立派に聞こえない音楽」というように、音楽の外見にはさまざまなものがあり、「全然立派に聞こえない音楽」がゴミみたいな音楽かというとそうでもないのが面白くもあり、作る側としては厄介でもある。やたらに立派にすればいいものでもなく、かと言ってわけもなくみすぼらしいのはどうかと思う。音楽家は今だって、自分で思っているよりもはるかに強く、神を恐れている。自分の「神」に背かない音楽ならば、どんな聞こえ方をしてもいいということなのか。だれでも音楽するようになったら考えてみようじゃありませんか。

[2002年9月28日(土)/続きは後日]

29.

 アルトゥール・ルービンシュタインという20世紀の世界的名ピアニストが遺した、ショパンの『ポロネーズ』の録音(1950〜51年録音の全曲盤と、1964年録音の、やはり全曲盤)を聴いているうちに、しばらく、ジャンルや時代を問わず、いろいろな名録音を集めて耳を傾けようという気になった。そんな気にさせるほど、このルービンシュタインのショパンには圧倒的な気迫がある。

 聴いていて思うのは、その気迫に、ある種、理屈を問わないところがあることだ。残酷ではないかと思うほど、聴き手の前に音が屹立する。ショパンはロマン派の作曲家の代表だといわれ、実際そうに違いはないのだが、ロマンを感じて陶酔するまえに、その主張の強さに驚く。これでは、いくら聴き応え充分といっても、少しびびりませんか、と問い返したくなる。笑えないよ、もう少し楽なものも欲しいよ、という気にもなる。

 ポロネーズはポーランドの民族舞踏の形式だが、「マズルカ」が農民の踊りであったのに対して、「ポロネーズ」は上流社会に流行した舞踏だった。民族舞踏の形式に、階級の違いが反映されているあたりがよくわからないが、とにかくそういうことだったらしい。

 日本は実質上、多宗教の国だが、インドから伝わった仏教、ポルトガルから渡来したキリスト教などには経典があり、従って教理や戒律を持つのに対して、日本古来の土着宗教として、今の学問では祖先崇拝という名前で呼ばれているものや、『古事記』にあるような神話世界などを考えてよい。外国から伝わった宗教が日常に浸透してきているのは事実だが、穏やかに切り返す形で、自国本来の宗教観が存在をあらわにしてくる場合は少なくないように思われる。それは舶来の宗教と目に見えるかたちでは対立しないだけに、存在しているのだが正体がつかみにくいところがある。そういう存在を研究したものとして、例えば柳田民俗学のようなものを挙げることができる。そして肝心なのは、日本人の精神風土や文化は、この、とらえどころのない宗教観に深く根付いているところが大きい点だろう。

 諸外国も、事情は同じなのかもしれない。しかしその「相貌」は国によって異なる。ショパンのようなロマン派音楽の代表が、晩年になって自国の民俗音楽に関心を示したのはむしろ必然 だろうが、目下、問題にしたいのは、『ポロネーズ』のような一連の民族的な作品にみられるひたむきな暗さのようなものはなんなんだ、ということです。ちょっと、ショパンから出発して、いろんな音楽の表情を観察したいですね。

オオムラサキ(オス)

[2002年10月3日(木)/続きは後日]

30.

   ここに書くことかどうかは分かりませんけれどね、大根とひき肉の含め煮を作りながら、音楽の環境問題についてぼんやり考えていました。音楽の環境問題というのは何かというと、要するにどういうとき・ところで音楽を聴くのが楽しいか、ということです。音楽が面白く聞こえてくるような場所と時間の条件だね。例えば、誰かのライヴを観に行ったとする。それが面白くても、後日ヴィデオの記録で同じステージを観たらまるで面白くない、という経験をした方もいるでしょう。そのヴィデオを初めてみる人は面白がるかもしれない。というのは、ライヴ会場の雰囲気を知らないから、ヴィデオのリアリティに満足できることがある。大雑把に言って「音楽の環境問題」とはそういうことです。

都市の夜景

 そりゃねえ、貨幣経済をやめて、社会の一線から離れ、田舎にあって田畑を耕し自給自足することで自然と対話し、理想の空気を吸って、あるべき人間像を見出す、というのだってアリなんですが、ここではそこまで極端な話はしない。「環境」の中に、人工都市の諸問題も繰り入れなければ、進歩がない。音楽で食べられなければ農業をやればいい、とか実際に言うアンポンタンもいますが、そういう意見は問題のありかをまちがえたご都合主義で、かく言うご自身はそんなこと絶対にやらない。人にさせるからこういうことが言えるんでしょうね。

 別に音楽がなくてもいいことになったのはテクノロジーの副産物ではないだろうか。比較的最近のことだ。けれども、音楽に限らず、人生を面白くしようと思ったら職業と収入以外に、必ず何か余計なものが必要なはずで、一方では、この「余計なもの」の本職などもいて、だから、社会全体が物々交換の経済体制にでもならない限り、薄汚れているかもしれない人工の都市や国、崩壊寸前の自我やコミュニケーションと「余計なもの」、例えば音楽のようなものとは、無関係どころか、逆に親密な整合性を求めたほうが生産的なのじゃないか。

 尻切れトンボだけれど今日はここでおしまい。

[2002年10月9日(水)/ 続きは後日]

31.

 何かを見聞きしたときに気持が動くことは大事なことです。

 と、書いておいて、イメージについてここにメモしておきましょう。
 イメージというのは、その「何か」を体験するぼくら人間の頭の中に出来上がるというか、浮かび上がるものです。それはさまざまな連想を含み、記号で書き表されない内容を持っている。このことに異論はないと思いますが、世界の中のいろんな「しるし」の中には、強烈なイメージを誘発するものとそうでないもの、あるいは全くイメージを引き起こさないものがある。感受性の個人差を言っているのではない。イメージは、必ず現実の中の何らかの要素と結びついているはずだ、ということが言いたいのです。大脳の中で独自に発生するイメージというものは、おそらく、ない。幻覚だって個人の体験の産物だと考えられます。もちろん、無意識の構造は結局わからないところがある、という話をすれば、ぼくの論点は初めからずれていることになるのでしょうが、ここではそういう見解を採らない。

 ものが、すべて等しい属性の記号だということになってしまえば、人間の体験全般が意味を為さなくなります。さまざまな記号がたいへん小さくなって、いちいち調べるのがイヤになったようなときというのは、これに似ている。この状態はアタマの疲れとでも言うべきもので、疲れたら休むのが原則で、疲れてもまだ情報を追いまわして絶望したようなことを言うのは、おきのどくな場合は病気だし、病気でない場合には単なる気取りだ。

 音楽というものは一連の音のマナーだから、そこには当然「気取り」も同居しているはずだが、ものは程度が肝心で、ちょっと気取るくらいで、あとはどうでもいいんだと思う。そのくらいでないと音楽のコミュニケーションは成り立たない。ここで自分の好みをぶっちゃけてしまえば、トータルセリエリズム(総音列主義)の音楽は気取り過ぎていたのではないか。1950年代のヨーロッパの新しい音楽のあるものはみんな似たように聞こえて、ぼくには苦手だ。そもそもヨーロッパにそういう傾向・風土・基盤があったのだと言い切ることができるのか、ぼくはまだ判断材料を揃えていません。しかし、ヨーロッパとは異質の文化土壌が地球上にいくつも存在しうるのに、いまだにヨーロッパの語法でなんでも片付けたい風潮は、いいかげんどうにかなりませんですか、と言いたくなっちゃったりして。

[2002年10月15日(火)/続きは後日]
32.

 数年前自殺したフランスの画家、ベルナール・ビュッフェの追悼展が横浜そごう美術館で開催されたとき、観に行って、「この絵とこの絵を持って帰りたいな」と思った。それほどにビュッフェの作品はイメージが豊かで完成度が高かったということが言いたいので、自分が泥棒になりたかったことを言いたいのではない。しかし、もしもあの展覧会を観に行ったほとんどの人がぼくと同じように、「家に持ち帰りたい」と思ったのだったとしたら、その人たちはみな伏在的な泥棒で、絵を観て知的好奇心や美的願望を満足させることに失敗している。きっと家に帰ってビュッフェの画集をカラーコピーして額に入れて飾っているだろう。いや、そういう風に犯罪の傾向をうまく処理できればいいが、なにしろイメージというものは実際の役には立たないから、カラーコピーした途端、なんだか拍子抜けして、あるいは馬鹿らしくなって、きれいな印刷をメモ用紙に使ったり、放っておいてコーヒーをこぼしてダメにしたりするかもしれない。自分の「好み」も、時と場合によっては自分で壊すことがあり、あちこちで展覧会などの催し物が開かれ、そこへ出かけるのは、自分自分の性向をだめにしないためにはよいことだ。つまりひとりの画家、一枚の絵、一群の絵から発したさまざまな連想が、結局人間の犯罪性を、もっと高次の心的体験に昇華させるということは、芸術的だとか高級だとか言う以上に日常的なものである。

 CDを買って聴いて楽しむということは、展覧会と違って私的な場で行われるから、変に取り違えると自宅のオーディオの前で孤立した人間に変貌するかも知れず、たいてい、そういうのはいまひとつおもしろくないから音楽仲間を作って情報交換したり、ということで交際の輪が広がることもあろうかと思う。しかし、何人集まっても ひとりひとりの趣味じたいが孤立していては発展性がない。CDの音楽をどう聴くかは好き好きだけれど、音楽の担い手の心得違いが人間の孤立を促すようなら、ぼくはそういう傾向には反対だ。それは音楽の創作過程そのものにかかわる問題で、音楽ファンが体験するコンサートやCDの成り立ちが、その音楽を体験した人を孤立させるような結果を招くようなら、あまり望ましい事態とは思えない。

[2002年10月25日(金)/続きは後日]

33.

 アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテットというオランダのリコーダー四重奏団があって、いつかNHKで流していた、この団体の演奏するフレスコバルディのカプリッチョが好きだったから、これが入ったCDを一枚買った。このCDには宗教音楽や交響曲や、世界の民謡のようなものすごさはないが、嗜好品としてけっこう有益だ。というのも、個人的に、小学校の高学年時代、リコーダー合奏を本式にやるクラブに所属していたから、リコーダーに対する思い入れが深い。ぼくはバスリコーダーか、ソプラニーノを吹いていた。

 まったく悔しい話、この楽器は発音原理がわかりやすくて誰でも音が出せるのに、ホンモノらしい音が出るようになるまで相当時間がかかる。楽器はなんでもそうだと言っても、もっと「誰でも出来る」楽器は世の中にたくさんある。ただ、リコーダーは音色がたいへん繊細で親しみやすいと言う理由で、この楽器に通暁するのは、シンセサイザーを扱う技術に長けているよりも(もちろんこれだってむつかしいのだが)ありがたみがあるような気がする。ある程度まではうまくいったんだけれど、何番目かの難関で頓挫しちゃったらしい。小学校を出てから、思い出したときに吹くことはある。この行動が相当ノスタルジックなのは、同じクラブに好きな女の子がいたからやむをえないことなのだが、肝心のリコーダーの音は安定を欠き、早いパッセージが吹けないからゆっくりうたうプレリュードなんかをやることになる。これは欲張って長く続けていると、夜風に演歌が流れているようでうら悲しく馬鹿馬鹿しい。

 パレストリーナの2曲のリチェルカーレは、小学校時代のクラブのレパートリーだった。その後、スタジオコンサートをやるようになって、MIDIキーボードのポジティヴ・オルガンの音で弾くようになった。一個人の音楽のルーツはそんなに大それたものではない。しかし、記憶の持続のエネルギーがしばしば一個人を飛び越えて多くの人を感動させるということを信じることが出来るようになったのは、ぼくの場合、この2曲のパレストリーナが何役も買っている。

[2002年11月2日/続きは後日]

34.

 ご無沙汰しました。秋のピアノコンサートを終え、はや次の作曲にとりかかっています。あれこれでこのページに戻れませんでした。

 先日のコンサートでピアニストの大須賀かおりさんと、ストラヴィンスキーの『春の祭典』のピアノ連弾版をやった。これが厄介だということはかねがね承服していたから、ぼくと大須賀さんは断続的にほぼ半年、この曲の練習に取り組んだ。件のスペイン人の流行ピアニスト、ファジル・サイが最近この曲を多重録音で合成したCDをリリースしたことも知っていたし、ディックラン・アタミアンというアメリカのピアニストは、ほぼ20年前、ピアノ独奏版『春の祭典』(作曲家のサム・ラフリングが 編曲したもの)の公開演奏とレコーディングを行っている。

 ファジル・サイのCDのことですが、好き好きはともかく、こういう企てを実現したこと自体が評価されるべきだと思う。ここに聴かれるのはもはやストラヴィンスキーのスキャンダラスな『春サイ』ではなくて、ファジル・サイ自身の即興演奏のかたまりだ。着想が演奏技術と一体となって、ぼくはあまり好きではないけれど、ひとつのイメージを構築しているところは、グレン・グールドの演奏上のアプローチと酷似している。それが当人の趣味の問題に過ぎないことも両者の共通点である。しかし偶然、サイはグールドの誤りを批評することになったようだ。曲がストラヴィンスキーで、多重録音によるシミュレーションだからサイのやっていることには一理ある。ことレコーディングに関する限り、残念ながらグールドの哲学ははじめから見掛け倒しで、ストラヴィンスキーの音楽には対位法が欠けていると言ったグールドは、自分の想像力の欠如をひけらかしているようなものであった。サイは『春の祭典』を下敷きにして、自分のイメージを展開している。そのイメージ自体に価値があるかないかはこの際、あまり問題ではない。イメージが聞こえてくることが評価されるべきだ。ただ、グールドはレコーディングとイメージの関係について、まずいやり方だったように見えるが、いくつか考えさせる視座を提供している。家庭のオーディオで聴くイメージをスタジオであらかじめ作るというのがそのひとつだが、これは論理の転倒で、実際には不可能なことを彼は夢見ただけでなく、自ら夢の主人公になってしまった。こういう本末転倒を招かないためには、原曲(この場合は『春の祭典』)とそれがもたらすさまざまなイメージとの関係を完全に切ってしまうしかない。これじゃあ、『春サイ』をやってる意味がないんですが、それをやってはダメですとはだれも言わないし、個人の次元ではみんな好き勝手に考えていいわけだ。サイは、それを公共の場で行い、喝采を浴びている。

 実際にストラヴィンスキーが「作曲した」結果を検討すると、それに基づく演奏は、サイのような演奏にはならない。今回、自分達で試してみたんですが、この経過は書くと長くなるので省略します。特別なことはやっていません。

[2002年11月21日(木)/続きは後日]

35.

 いい音楽は面白いし楽しいからつい独占したくなるが、本質的に音楽は独占されることを拒むようだ。行われている音楽は現実の一部で、誰でも聴くことが出来る。音楽の意味や正体をつかむことは容易にできないが、意味や正体があることを知るのは、その音楽に対する自分の興味の持ち方を検討すればすぐ分かることだ。この「意味」や「正体」は独占・保存してもたいした意味がない。時間の流れに沿って、または現実とのかかわりようによって音楽の「意味」も「正体」も変遷するからである。それよりも、ある音楽なり音楽体験なりを「独占」しようと思ったときには、すでにもとの(音楽や音楽体験の)意味は移ろって、違うものになりはじめているというところが肝心で、こういう、森敦じゃないけど「意味の変容」があるから、ぼくらの音楽は続いていくのです。意味が変わっていくのじゃあ、「あまりに拠り所がない」などというのは、ハナから音楽を取り巻くコミュニケーションの世界を拒否しているのだ。

 音楽をひとつの出来事として見ることにすれば、気に入ったひとつの音楽に溺れっぱなし、なんて発展性のない事態から逃れることが出来る。何につけ「動かない」というのはあまり歓迎した事態ではない。かといって、しゃにむに動けばいいというものでもなく、出来事としての音楽を実践者自身が考え記述していくことは、今後どんどん必要になっていくだろう。その際、やはり現実との交わりのなかでものを考えなければ、どんな理論も言語も成り立たないだろう。作曲とピアノをやっているなら、作曲とピアノをやったなりの裏づけが次第に育つんでしょうが、これを独立に考察するのは厄介だなあと思ったから、このページに書いておくことにしましたよ。

[2002年12月1日(日)/続きは後日]

36.

 ナム・ジュン・パイクがバッハの「インヴェンション」のいくつかをピアノで弾いているCDがある。これはライヴ録音かな?そうとう擦り切れたピアノを使って、工場の騒音みたいな音響群の中で、ときどき鼻で歌いながら、ミスタッチも通り過ぎていく。過激な音楽だ。『雪の降る町を』という日本の歌があるが、この歌の郷愁と寂寥をもっと拡大したような音響です。演奏自体は必ずしもバッハらしいとはいえないのに、パイクとバッハがあるところで重なって、パイクが弾いているからバッハになっている様子が、多くの「正統的な」バッハ演奏とある面通じている。医学博士アルベルト・シュヴァイツァーが遺した歴史的バッハ録音を思い出すようなCDである。

 ぼくは1989(平成元)年に最初のスタジオ・ピアノコンサートをやった。そのときバッハの『6声のリチェルカーレ』を曲目に加えましたんです。クラシックファンの人なら知っているように、この曲の楽譜は6段の5線記譜で、独奏でも合奏でもよい。(楽器編成の指定がない。)チェンバロ独奏でやっているレコードはたくさんあるが、ピアノ独奏でやっている人は当時、見かけなかった。それで挑戦して、どうにか弾けたが、ひとくちに言ってロマンティックな演奏スタイルで、ぺダルを多用し、重々しいクライマックスや夢見るようなパッセージを演出していた。結果は結果のままで自分の位置づけとして評価しようと思う。だが残念なことに、この流儀は一貫性を欠いていたようだ。すべてのバッハをこれで押し通すわけには行かない、というのが 現在の見通しです。あの演奏のマニエリスムに自分自身、疑いを持たなかったことがよくなかった。(とか言ったって、夢中で練習したんだから、ひとまずの結果だったと自分を説得しなければならないのですが。)

 無意識的に生じた結果にせよ、かつてのぼくのバッハ演奏のスタイルは前述のパイクのそれと少し似たところがありまして、別にパイクの追っかけでもないが現在、彼のアプローチに共感するところがあり、今後もバッハを続けたいのなら、ピアノ演奏でのバッハのスタイルについて、今しばらく時間をかけて自分なりの経過を報告したいと思っているところです。もちろん演奏で。

ネコ2匹

[2002年12月5日(木)/続きは後日]

37.
《芸術と芸能(1)》

 ツクリモノ、見世物の類を大きく「芸術」と「芸能」に分ける、なんてのは言語の遊戯かもしれないんです。しかしテレビの娯楽番組を「芸術」とは言わないのが普通で、あれは「商業」か「芸能」の一部門、というような区分はあるでしょう。相撲はスポーツではなくて演劇の一種だというのが、折口信夫の教えるところである。折口も、民俗学の比較研究というものは一歩間違えるとむちゃくちゃになりますと用心している。この態度に倣って、「芸術」と「芸能」を区分しておこう。

 時代と共に「芸術」の概念や意味、形式が変わることは、日本で言ったら能の歴史を見るとわかる。少なくとも形式において、室町時代の能が今日の能とずいぶん違っていたことは専門家の研究で明らかにされてきた。上演時間の拡大延長がいちばん手っ取り早い例だし、なによりも、今現在のぼくらが漠然と「芸術」と言っている意味で、当時の能楽が「芸術」にあたるとは考えにくいところがあるように思う。能はその初めには、今よりもっと簡素でわかりのいい大衆娯楽だった。「舞」といったって、初期の能のそれにはすり足なんかなくて、舞台の対角線上をさっさと横切る流儀だった。現代の創作能は単なる物語に留まらず、ぼくは実見したことはないが脳死の問題を取り扱ったりして、「現代の」問題が舞台に乗っかってくる。こんな具合で、中身はいろいろ変わったが「能」という営みは昔も今も「能」と呼ばれ、はやりすたりはあったけれど、現在、大きな「芸術」の一部門である。能に較べればはるかに歴史の浅い、ニューヨークのブロードウェイ・ミュージカルも、同じ意味で芸術と呼びうる。内容が置かれるとき・ところに即応して変化する可能性を含むような人間の創作活動全般を芸術と呼ぶことにしようか。つまり、芸術というものは、その形式が、変化する内容とのかかわりからも維持できる、という条件のもとに成り立っている。そう考えてみるわけです。

 この論法ではなんでもかんでも芸術になってしまいかねない。事態の混乱を避けるために、ちくいち確認したほうが良いのは、音楽とか絵画とか舞台とか文学とかいう目に見える結果の背後に従事している、それらを担う作者や演者、制作者、その他スタッフ、観客、彼らを取り巻く環境、などといった、結果に関与する過程を忘れないようにするということ。芸術は条件つきの現実世界、つまり創作と表現である。

 だから、

芸術は、ある形式や様式を保ちながら、内容が恒常的に変化するという性質を持つ。

 ところが厄介なのはこの先で、その「形式」あるいは「様式」を支えるなんらかの意味や概念、考え方は、おおもとから、たいして変化しないと考えられることだ。これが時代や場所しだいでころころ変わってしまっては、能も、ぼくがあつかっている西ヨーロッパのクラシック音楽も、全世界の民俗音楽も、どんどん滅びてしまう。どんな地域の文化基盤の上にも無条件で成り立つ芸術なんか、そもそも存在しない。「音楽だから」どこでも通じる、などというのはご都合主義なのだ。むしろ逆に、通じないことをおもしろがるほうがはるかに芸術的、かつ生産的である。

 こう考えると、特定の地域にあって特定の条件を満たして立脚しているツクリモノを、一応ね、芸術とは区別して考えることができる。これが将来性や一貫性を備えている場合に「芸能」と呼んでよい。実際には、特殊な芸能が地域を越えて芸術になることが多いだろう。芸術だから広く上等で、芸能だから狭く下等だ、などと言っているのではありません。最初に地域的で垂直な価値が発生し、その後、一定の変化の幅を身に着けて、垂直な価値を保持したまま、ある範囲で水平移動するようになれば芸術だ、と言っているに過ぎない。世界にいくら広く知れ渡ったところで、この「垂直」と「水平」の関係が成り立たなくなってしまったものは、もう、芸能でも芸術でもなく、しかるべき治療が必要な病理現象でしかない。そして、芸能や芸術の垂直的価値と水平的価値との関係は、その担い手の健康な言語活動をある程度まで反映していると言えないか。

[2002年12月19日(木)/続きは後日]

38.
《芸術と芸能(2)》

 いきなり、純金の高層ビルの話。日本は地震の多い国だから、このビルは耐震構造を備えていなければならない。窓にはガラスではなくダイヤモンドを使う。ビルのオーナーS氏は、そういう「高価な」建築物に価値を求め、誰でも知っている観光地にこれを建築する。個人宅なら近所に噂が立つぐらいだろうけれど、なにしろあそこは国立公園だから世界中から物見高い観光客が殺到している。建築代の元を取るのに何年かかるか知らない。ローンなんかで出来るシロモノではないし、資金繰りに千人の助手を動員した結果、人件費と借金でほんとうは首が廻らないはずである。でもS氏は純金とダイヤモンドの高層ビルが実現し、観光客が押しかけているだけで大満足で、このプロジェクトのせいで生活費が底をつき、毎日ろくに食うものがなく、親切な観光客の食べ残しでどうにかしのいでいても、陽光に燦然と輝く高層建築を見上げるたびに、ああ、おれはほんとうによいものを手に入れた、と、すがすがしい気持で胸がいっぱいになる。S氏の社会的貢献度は、かれ自身の発言によれば軍艦大和やコンコルドなんか軽く突破し、もはやマウント富士の域に到達している。われわれ一般大衆は彼の比喩の幼稚を笑ってはいけない。国立公園に高くそびえたつ純金ビルを世界遺産にしようという国際連合の動きが現実にあるからだ。もちろん国際連合は、純金とダイヤモンドの総額やら、観光客の動員やらを評価の基準にするほどおろかではない。じっさい国連内部でも意見は分裂し、「アンポンタンがいかにも考えそうな成金趣味」と一蹴する反対派と「利潤や実用という打算のまったくないたぐい稀なる創造精神の結集」と熱烈に評価する賛成派が激しく対立した。「成金趣味」と「打算の欠如」が国際論として対立している構図もかつて見たことがない。世の中は純金ビル賛成派と反対派に分かれてちょっと論争し始めたものの、両者共に自らのイデーに拘泥することが馬鹿馬鹿しくなり、純金ビルの社会的、歴史的価値はここに至ってもはや確立したも同然となった。

 「芸術」と「芸能」を純金のビルになぞらえて、両者の意味と価値について書いてみようと企てましたが、いつの間にかフィクションを書いてみることにはまってしまった。文学的虚構の世界の構築は思っていたよりはるかにむつかしく、フレデリック・フォーサイスのような本職がどれだけの下調べを必要とするかと思ったら気が遠くなりました。でもせっかく書いたのでアップしておきます。恥ずかしいなぁ。

[2002年12月23日(月)/続きは後日]

39.
  

 


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