目次

作曲や演奏で江村が実践していること
(何を考えてやっているか)
[書き始め;2001年11月14日]

江村夏樹

1.

 ぼくの考えでは、

 a.音楽は特定の環境の中で行われる。
 b.聴いたことがない音は音楽の材料にはならない。
 c.音楽は言語ではない。

 この3つが、あらゆる音楽に共通する属性だと思います。少なくとも現時点での考えをまとめると、上のようになる。のですが、なんか当たり前すぎるようにも読めるし、見かけが少し抽象的すぎて、何を言っているのかつかみにくい。  そういうわけでこのページでは、ぼくがどういう姿勢で作曲なりピアノなりをやっているか、うまくお伝えできるかどうかわかりませんが、書いてみましょう。ちょっと個人的な体験談も混じりますが、この際、止むを得ない。

 この記事の書き始めは平成13年11月14日(水)です。

*  *  *

   少し原体験をしゃべらせて下さい。

 ずっと以前から、日本の伝統的な演劇や人形劇に興味があった。とりわけ能、神楽、佐渡に伝わる「のろま人形」「文弥人形」。音楽は、そういう舞台や状況の中の一部だという考えが、漠然とですが、たいへん強かった。これは幼稚園のころの話です。小学生になって、学校に「竹田人形座」(重要無形文化財、糸操り人形の一座)がやってきて、「獅子舞」などの公演がありましたが、その技術と、かもし出される効果や雰囲気にびっくりした。

 音楽のほうは、こういう状況に寄り添うかたちで、物心つく前のぼくの記憶に入ってきました。 かなり民謡を聴いた覚えがあるのは、新潟県長岡市という地方都市に育って得をしたのかもしれない。

 一方で、洋楽の普及が勢いづいてきていたから、ヨーロッパの近代クラシックが、ぼくの順番ではあとから入ってきた。両親は18世紀クラシックのファンだった。しかし、20世紀初頭から中葉の、フランスやソヴィエト(今のロシア)やハンガリーのいわゆる「バーバリズム音楽」が、小学校4年生のぼくの好奇心をくすぐりました。これが昭和50年前後。当時の首都圏の音楽事情と比較してみるとおもしろいと思う。プロコフィエフを聴くというだけで騒がれました。

 首都圏の現代音楽の情報なんか知らなかった。ケージ、ベリオ、ブーレーズ、シュトックハウゼンを知ったのは中学生になってからです。同じ時期にYMOとかクラフトワークとかのいわゆるテクノがブームになり、片方ではローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなんかが同級生のあいだでもてはやされ、少しずつ情報が増えた。

2.

 原体験の話をしているときりがない。雑談になってしまう。(長岡市には大花火があって、今では観光名所になっている、毎年あの豪快な炸裂音と閃光が夏の始まりを告げ、記憶に刻み込まれたに違いないとか、こういうものだって原体験ですが、いちいち書いていたのでは論旨が破綻するでしょう。)

 あたらしい音楽を作るとき、伝統音楽と違うのは、作ったものの置き場所を、作った当事者が決めなければならないということです。本格的に作曲を始めた1985年以降の数年、この問題をどうにかしようと躍起になっていた。
 あらかじめ場所が用意されていて、そこに音楽を置くのなら、話はそれほど難しくない。逆もまた真なり、出来合いの音楽が手元にあり、それに見合った場所を作るのも、そんなに面倒なことではない。現在コンサートホールやライヴハウスで行われている音楽の多くはそういうふうに成り立っているし、趣味でやる音楽もおなじです。伝統音楽だって、発展継続していくものであるのなら、ホールやライヴハウスでの商業音楽に似てくる可能性がある。

 もちろん、作った音楽を聴いてもらうためには、社会の地面に作物を仕込む必要があって、これをやらないと作った意味が薄れてしまうのは事実だろう。しかし、食品や日用雑貨とちがって、音楽は社会に絶対に必要なものではないから、音楽が社会に置き場所を得た場合、どうしてもその実用的な面に対する需要が増える。結果として、本来は想像や空想や連想や、場合によっては妄想やの所産で、だからこそ聴いて遊べる、楽しめる、面白がれる、文句のつけようもあれば研究の対象にもなる音楽、というもうひとつの大事な側面がだんだんに失われてくる。

 そういう次第で、「つまらない思いをするために」お金を払ってコンサートに行く、という妙な循環網が出来上がってしまう。これは、物理学者・寺田寅彦が数学の計算で得た結論「人は、なるべく込んだ電車に好んで乗る」原文どおりではありませんがそういう計算結果、に似ています。

 ぼくはこの不条理を軽減したいんですが、直接、音楽上の方法を使ってこれを行うことはできない、ぼくにはできない。事実のほうからいうと、太鼓堂のコンサートはせいぜい観客数50〜100人を想定してやっていますが、たいてい、もっとすいていますよ。さっきの寺田寅彦の話は、「ラッシュのときに、電車の中で座って帰るためには、すいている電車が来るまで気長く待つ」という、これも原文どおりではないけれどそういう論旨の随筆があって、途中に計算結果を出してきている。

 例えば音楽空間じたいをひとつの儀式として設定してしまえば、新婚さんを祝う音楽、死者を弔う音楽、なになに宗教の信者になるときのお祝いの音楽、新築祝いの座敷芸などの名目で行われる音楽があるだろうし、そこにはしかるべく人が集うということにもなる。

 作曲をやりだしたころ、「そんじゃあ、祭儀音楽を書けばいいわけだ」と早合点してひとつ書いたあと、人が集う場と、そこにある音楽との関係を考えて、こんどは人間の集合体が自発的にやりだす音楽を、意識的に作れないものか、試しにかかりました。

 そういう企ては成り立たないということが、結果から読み取れます。江村夏樹はひとりの日本人ですが、すべての日本人は江村夏樹ではない、ということを忘れていた。
 結果は楽譜やテープ作品や1回の舞台というかたちで残っています。7人のための『ぢぢい』、テープ音楽『どきゅめんと・グヴォおろぢ』(以上1988)、舞台『げんこやのたぬさん』(1989)。いずれも、声を使った作品ですが、誰に伝える言葉なのかがよくわからない・やや意味不明の日本語の蓄積でできています。一方で、『操作』(ヴァイオリン独奏、1985)などの、こちらは数学の確率計算や、ハプニング的な手段を使って、わざと音程や音色や合奏の調和を壊した一連の器楽作品を書いた。

 なんのことはない、戦後のヨーロッパの前衛たちのやったのと似たようなことをやっぱりやった、ということなんです。ただ、出発点がちがっている。それから、事情がわからないままやみくもに仕立てたのも事実です。

 ところが、たいへんややこしいことに、この時期うまく実現しなかった内容が、その後、手段を得て、それなりに実現している場合があります。

[2001年11月16日(金)/つづきは後日]

3.

 結局、「みんなでやる音楽」をひとりの作曲家が計画する場合、必ず、「その作曲家のやりたいことをどうやって実現するか」を実現目標の第1にあげる結果になる。それだったら「みんなでやる音楽」なんか最初から要らない。首謀者が好きなように作ればいい。
 これはある程度はしかたのないことで、世の中には音楽に興味のない人だっているわけだし、音楽の世界がもっとおもしろくなってくれればなあ、と欲張って、自分なりに面白くしてみようと考えるのは、すでに相当程度、音楽を知っている人たちです。

 ぼくがまずかったのは、首謀者として好きなように作ったのはまだいいが、人間もろとも“自分らしさ”をぶちこわして、外の世界と、音楽を通じてコミュニケーションを取ろうと企てたこと、だった。それでコミュニケーションのきっかけは作れます。2.で挙げた、声を使った一連の作品群は意思疎通の「きっかけ」にはなるかもしれなかった。でも肝心の自分が意識無意識にこうむった心理的なデメリット(自己破壊のことです)が大きすぎて、手に負えない、という結果を招いてしまった。

 自伝みたい。しかしぼくがお伝えしたいのは、あくまでも自分の活動指針、「何を考えてやっているか」です。大筋をお伝えするには、ある程度の長さは止むを得ない。誤解を招く恐れありと判断して、一筆、書き添えます。

夜の川辺、汽車が走る

[2001年11月20日(火)/つづきは後日]

  

4.

 作曲の作業は、たいていの場合、始めたときの計画通りには進まないで、途中でどっかへ道草を食う、これはやってる本人にも意想外のことである。
 こういうことが起こった場合、ぼくはそのままにしておく。思いつく結果が気に入っても気に入らなくても、基本的に変更を加えないことにしています。

 何がきっかけで作曲が始まるか。
 多くの場合、「こんなもの…」とかなんとか言いながらメモしておいた断片を、少し時間が経って見直して、「こんなもの」でいいから先を続けてみよう、という態度の決定が作曲の始まりになることがほとんどです。以降、「思いつき」の連続で曲が出来てくる、その「思いつき」の都度、(なんじゃ、馬鹿馬鹿しい)とか、(案外いけそう)とか、書いた結果に対する主観的な評価はあるけれど、この主観的な評価は、それはそれで放っといて、先を続ける。逆に言うと、あらかじめ主観なり、美学なりをはたらかせて音を選んで書くということをやらない。結果は出まかせ、というと乱暴だから言いなおしますが、「連想」が、ぼくの作曲過程では大事です。前に出した「思いつき」という言葉と同じ意味です。

 この「連想」から得た音はほとんどの場合、楽器の音、日常音と楽音とを区別すれば「楽音」になる。自分がピアノを弾くから、人為的に作られてふだんの目的を欠いた音と、生活環境を取り巻く「日常音」=「廃棄音」「雑音」は、くりかえしますが、ほとんどの場合には、区別される。 ときどきは、楽器の音ではないような音も使うけれど、それは例外です。

 日本人が自然の音と人工の音とを区別しないで聞く、という学者の研究がよく言われる。作曲家には、楽器を演奏する人としない人がいて、楽器を弾く人の場合、その楽器の音は「日常音」と「楽音」との両方なのだと思う。江村の場合はピアノですが、要は「ピアノの音=楽音」とは限らない、というようなことなのでしょう。何かの音が日常音なのか楽音なのかを振り分ける基準が、たぶん言語というものだと思うので、こういう基準がないと音楽は成り立たないんじゃないのだろうか。

 以上はたったいま書いてみた、「まあこんなところ」というようなものです。作曲しながらものを考えているとしたら、こんなようなことを考えている。ついでながら、これで日がな暮らしたりしてるというものではない。

 ピアノの側から言うと、最低、演奏として聴くに堪えるように練習するというのは、自分が聴きたくないし他の人にも聴いてもらいたくない音の身振りは排除していくこと、だろう。速度の設定とか、ありものの楽譜に名前をつけるとか、細かいことはいろいろあるけれど、恐らく最終的にはこの段落で最初に言ったところへ収斂していくと思います。

 この文章のいちばん最初に触れた「原体験」は、作曲や演奏が成り立つ「地面」を成している。どういう地面なのかは人によって違う。いずれにせよ、万が一これがぬかるんでいると、あとがすべておかしくなってくるのは納得していただけるでしょう。

[2001年11月25日(日)/つづきは後日]

5.

 続きを期待している方がもしいらっしゃったら、ごめんなさい、現在他用にかかずらっていて、こちらに専念できません。ときどきのぞいてみてください。基本的には、週に1回ぐらい書くつもりでおりますので。ではまた…。

[2001年12月5日(水)/つづきは後日]

6.

 「道草を食う」という表現がある。学校からの帰り道、まっすぐ家に戻らないであっちに寄り道こっちに寄り道するようなこと、しごとをサボってなんか別なことをやっていること、話の本筋からそれたことに浮き身をやつして時間をつぶすこと、「道草を食う」。
 私事で申し訳ないが、この比喩を本当に実行したことがあって、つまり、小学校の帰り道、道草を食っていてはいけません、とか校長先生が朝礼で訓示を垂れた、その日の帰り道、文字通り道草を食いながら、文字通り、道草を食ってみたことがあった。田舎だったから砂利道の脇は草ボウボウで、試しに食べてみる草なんぞに不自由はしなかったんだけれど、食中毒にかからなかったのが不幸中の幸い、ぼくが摘んで口にした葉っぱは細かい棘だらけで、味も悪く(当たり前だ)、食えるものではないから吐き出そうとした。が、葉の棘が口の中にひっかかって、口先まで出ては咽喉もとまで戻る、を繰り返し、どうやらぺっと外に出すまで、数分往生した。勘違いにもほどがあるといわなければならない

 ぼくは、方法づくめの音楽が好きではないし、書こうと思ったって、どうせ理論と実践とは違うのだ。ただ、たいていの人間には、あらかじめ定めた方法で万事ことが運べば、さぞ気分がいいだろうなあ、という希望的観測がある。ぼくはこの馬鹿げたユートピアがなんとなく好きなのだ。斬って捨てるわけにはいかんでしょう?

 先人の努力が教えることだが、これにかまけていると生活も社会も変なことになります。が、つくりものの世界に「変なこと」が全然ないのはおもしろくないのではないか。『源氏物語』に殺人シーンがひとつも出てこないことを指摘した人がいる。推理小説は、犯人を捜すのがおもしろいから読めるので、その犯人は物語の冒頭で殺人か窃盗か、とにかくなんかやっている。

 このあたりまえのことが、案外、音楽の世界で通用しにくい。これは、つくりもののことなんぞにかまけていられないほど、社会が切迫している証拠、なんでしょうが、切迫しているからこそ、人間はおもしろい作り物を求めるし、求めて満たされて、悪いことは何もないのだ。これを現実にやったら犯罪になるのです。ぼくはそう信じたいけれど。

 そういうわけで、ものをつくるときには、なにか当たり前でないものを作りたい。

 とか書いてますが、逆立ちしながらスパゲティを鼻から食うとか、そういうことではない。自分がヒトなら、論理で割り切れないものがあるのだから、それを無理に割り切るのはおかしいと言っているんです。その、割り切れないところに「あそび」や「たのしみ」を持ってきても別におかしくない、むしろ妥当な方策だと考えられる。

 個人批判は止しますが、お定まりの倫理規定で自分の「極秘」が割り切れないくせに、割り切った顔をして、その欲求不満を満足するため社会をむさぼることほど、がめつい態度はないね。みっともないから、やめたらいいのに。

[2001年12月10日(月)/つづきは後日]

晴天、山と湖

7.

 音楽がどうやら、言語ではなさそうだということを細かく論じてゆくと、頭が痛くなるので、経験に照らして考えるといいのではないでしょうか。新聞や雑誌を読んでいて音楽をやった気持になったことがあるかどうか。そらで歌えるほど親しみのわく歌謡曲からメロディーを取っちゃって、歌詞だけ暗誦したらどんな気分か。
 ぼくは音楽が国境を越えることに異論はないけれど、だからといって音楽で違う民族同士のコミュニケーションが、取れる場合もあるでしょうが、それがすべてではないはずだ。

 逆のことは、また別の考察を必要とする。言語は音楽になりえるか。

 段取りが面倒くさいから適当にしておきますが、こういう話は全部、経験のほうが先で、理論や観念はあとからついてくることに違いはない。でなければ、その音楽は現実の一部にならないか、特殊な実験になるか、どちらかであって、どちらにしても、これを「楽しむ」には、それ専用の特別な姿勢が必要になるとすれば、聴く訓練や修行が必要になる。

 必要なのはそんなことじゃないよ…。
 この話を、何回かに分けて続けようか。

[2002年12月19日(水)/つづきは後日]

8.

 ぼくは音楽にこだわるつもりはない。むしろ、音楽という枠組みが少しばかりわずらわしい。音を使って作ってあるから音楽だ、なんてのは粗雑な定義で、この論法で行くと、音楽の「作り方」というものが見えなくなってしまう。形が目に見えないからなんでも放り込めばいいということになりかねないし、しかも、「音を使ってあるから音楽」なのなら、どんな音を放り込んでも成り立ち、どうでもよいから成り立ったまま自己完結してしまう。いまの社会で、音楽にコミュニケーションが欠けているといわれているのは、音楽の責任だけではない。暗黙裡に、社会の側からは音楽の自己閉塞を要求し、音楽の側では具体的な意識が立ち上がらないまま、社会からの要求=しめつけを呑み込んでいる、という関係が動かない。

 音楽の側でできることは、この押し付けをはねつけるだけのエネルギーを持つことしかない。 だからここに、つまり音楽を作る現場には、いわばお目付け役として、ちゃんとした「言語」が成り立っていないと、音楽と言って作って提供している意味がない。

 一方で、社会で使われている言語、「言語」「言語」とうるさくきこえるなら単に「ことば」でも構わないけれど、ことばは動いて、次々に更新されてゆくでしょう。社会と、その内側のこうした変化は建設的なものとは限らない。だから、ある時代の風流にその時代の音楽が逆らってみて、その逆らったことが、たまたま、そのときの社会に取り入れられた例には、決まって、誰にでも受け入れられる身振りやメッセージが見られます。

 こういう、いわば「腐れ縁」みたいな社会と音楽との関係は好きになれない。音楽が社会そのものでないことは、落ち着いて考えればわかる話で、順序としては社会のほうが先にあり、音楽はそのあとに位置する。この稿のいちばん最初のところで「音楽は言語ではない」と断ったのは、いま書いたように音楽は社会の中にあり、社会は言葉とともに、次々に更新されてゆくという前提があるからです。ここを踏まえていない感覚の持ち主が作った音楽は、どこか孤立した現象だと思います。

 だから、音楽をやるひとがいわゆる「音楽」の枠組みの中で満足しないで、ことばや身振り手振り、置き場所の設定にまで表現の範囲を広げることはとても好ましいこと、なんですが、この考え方は、人間が抱えている基本的な「つじつまの合わないところ」をそのまま持ち出してきたようなもので、現実がうまくいっていないからといって、それを解決するとかしないとかいう話に役立つようなものではない。

 以下はぼくの素人考えです。

 「つじつまの合わないこと」を、ざっと簡単に体験したければ、例えば、各地に残っている《踊り》のどれかひとつに参加してみることではないでしょうか。

 民族文化の研究は大事です。しかし今まで、ぼくがいくつかの文献に触れてみて素朴に考えるのは、「文化」の研究は科学ではない、つまり物理学のようなものではない、研究したからもとの文化が発展する、という具合には必ずしもなっていない、ということです。「文化」の研究は、本来文化の担い手が直接行うことが、たぶん望ましいのだけれど、なにぶん「つじつまの合わないこと」だから、それには限度があるし、必要かどうかもわからない。研究者による研究は、文化を説明して、そのおよその型を明らかにすることだと思います。

[2001年12月25日(火)/つづきは後日]

9.

 あけましておめでとうございます。2002年になりました。

 なんだかな、新年からしかつめらしい論もどうかと思うけれど、構わず続けるッ。
 民族音楽、サブカルチャーまで含めた広い意味での音楽と言語との関係について、少し具体的に書いてみたところで年が暮れた、というところです。

 丸谷才一の日本語論の中に、「文章は省略の連続」だ、ということが書いてあった。いま原文が手元にないので、違っていたら申し訳ないけれど、要は、文章というものが巷の事物を描写するとき、単語ひとつをとっても、そこに多くの省略が見られる、という趣旨でした。
 これは、ごくあっさりした論理演算みたいな見かけをしていますが、実際にはかなり重みのある発言だと思う。というのは、ぼくたちが生活しながら、常に交換し合っている「意味」の本質が語られている一節だと思うからである。人は、人を取り巻く環境のすべてを描くことはできない、というふうに置き換えても、間違いにはならないだろうと思います。

 で、問題はこの先で、ぼくはここで日本語論を展開したいのではなく、音楽をやっている自分を説明するのが目的で、しかし、究極のところ、音楽行為のためにはたらいている「言語」のしくみがどういうものなのかはわかりそうにない、という見通しがある。非常に漠とした言い方でバツが悪いが、どうもこのあたりは当たっていそうな気がするので、このまま先へ進みます。

 あのー、まえまえから変だな、と思っていることのひとつに、音楽の「楽曲分析」なる手段がある。対位法とか和声とか、12音技法とか、確率音楽とか、そういう技術でもって曲を作るのは正当な場合もあるけれど、逆戻りして、分析すればその曲の意味がわかる、という前提で音楽を考える人がいる。
 このやりかたはひとつの方便になることもあるが、音楽の構造だけ純粋に抽出することなんかできないんだ。なんでかというと、その音楽を聴いているこちら側の人々が聴き取った「構造」とおぼしきものは、すべて彼・彼女の趣味を反映しているからで、ここで「趣味」と言っているものは、プラモデルや盆栽や、湘南海岸で銛を持ってうろうろしたり、浦佐スキー場でホンモノのスキーの技術を身につける、というような趣味ではありません。そうではなく、その人の実人生の拠り所、という意味でこの言葉を使っている。

 面倒だから、つづきは後日ということにしましょう。  今年もどうぞよろしくお願いします。

大雪、赤い汽車が走る

[2002年1月8日(火)/つづきは後日]

10.

 先日、知り合いの音響技師に会ったとき、「体験したことがない音は音楽の素材にはならない」という、このページの一番最初に書いた「b.」の項目を引いてしゃべっていたら、
 「逆もあるよね」
 と、その音響技師が言いました。
 一応のところ、思いがけないところから意外な音が生じることがある、という意味で、彼は言ったのだから、ぼくも別に異論はない、そうだね、とすなおに同意した。こういうところに立場の違いなんかはない、のですが、彼の発言は見たところ反論の形をしているし、興味をそそる問題も含んでいると思うので、ちょっとこのページで、「b.」について好き勝手に展開してみよう。

 思うに、音響技師の言った「逆」というのは、音の結果ではなく、音が生じる過程を指して言ったことではないか。仕組みですね。
 それはそうに違いない。こと音に関する限り、原因のないところに結果は生じない。病的な幻聴や幻覚にだって、ちゃんと成り立ちがある。

 興味があるのは、この、仕組みといったり成り立ちと言ったりしている、音が生じる「過程」それ自体を単独に取りあげるような思考の「型」は成り立つか、というところなんじゃないかなあ。

 それはあり得るし、やる人はやっている。ただ、成り立っているのかどうか。それと、一応俎板に載せておきたいのは、音とその仕組みとは全く同じものなのかどうか、ということです。

 続きを書こうと思っていたら、電話が来て中断を余儀なくされました。ここまで、とりあえずアップロードしておこうか。

[2002年1月15日(火)/つづきは後日]

11.

 ご無沙汰でした。作曲やなんかで、こちらに戻れませんでした。

 えーと、ここで、精神医学者の宮本忠雄さんにご登場願おうと思います。先年亡くなられましたが、『言語と妄想』という、非常にわかりやすくて興味深い論文を発表しておられます。一般の書店でもかんたんに手に入るので、読んでみたんですが、ぼくが考えていることをほぼ言い尽くしている箇所があるので、原文、引用します。学術書が苦手なひとも、ちょっと追っかけてみてください。

 たとえば、スイスの精神科医デュスは、セシュエー夫人のあつかった分裂病の少女ルネの病的体験が多くの点で実存主義的作家、とりわけサルトルの二、三の小説の主人公、たとえば、『嘔吐』のロカンタン、『猶予』のダニエルらにより報告される「実存的」経験と共通していることを確認し、積極的に「分裂病者における実存的経験」を指摘している。だが、アメリカのスターンのように、むしろ「実存主義者の分裂病的経験」のほうがより真実に近いと主張する見方もある。いずれにしても、人間の実存的地層における諸体験が非日常的な、というよりも、日常性のなかに埋もれた事物や事象のもっとも源初的の意味をあらわにしてくれることは確かである。
 このあと宮本氏は、分裂病の少女ルネの告白と、サルトルの『嘔吐』のロカンタンの告白とを交互に引用して比較し、ルネが「自分の実存が完全に無償であることを見いだしたときに」《嘔気》を感じたことと、ロカンタンが「事物の実存とその無償性を発見したことは」「嘔気を催すほどに恐るべきことだった」という精神状況とが、同じ状態であると述べる。
 以下、宮本氏。
 たしかに、ここでは、分裂病的体験と実存的体験との境は消え去るしかないが、しかし、それらを超えたところに新しい世界の相貌がひらけているようにみえる。
 かどうかは、宮本氏の原文からは少し汲み取りにくいのですが、
 そして、それを普遍的な創造として成立させるためには、すでに述べたとおり、共同世界への絶えざるまなざしによって導かれることが必要であり、これこそ作品の普遍的な了解性を保証するものであるが、もし、それが失われれば、実存の深化は一転して実存の衰弱ないし貧困となり、そのときには、もはやいっさいの了解を拒否する奇妙な想念の遊戯か、あるいは、浅薄な社会性・外向性をもつだけの弛緩した製作物しか生み出すことができなくなる。たとえば、あれほど深い生存層からの「叫び」をあげたムンク(引用者註、ノルウェーの画家。『叫び』という絵は、ブームになったくらい有名)も、病いから脱してからは、外界の事物を写すだけの、密度を欠いた作品が多くなる。病いの後で寛解に達してからの創造物の価値が、病のなかでのそれに比べて、かえって急に低落する例は少なくない。
 なんで宮本氏の考察をながながと引いているかというと、氏が、優秀な精神科医で、かつ、優れて一般的な芸術愛好家だと思うからです。自分の研究のために材料を取材しよう、なんていうような、「精神分析的な」構えた姿勢は、この人にはあまり見当たらない。むしろ、積極的に病的状況と係わり、親しんでいるように読めます。以下宮本氏の結語。
 このように、分裂病の場合、創造の結実は、むろん天賦の才を前提とするものではあっても、社会的現実からの離脱と実存性の深化との微妙な均衡の上に成り立つといえるが、他方、芸術的不毛に至る危険をもみずからのうちに秘めていることは、彼らの本質的な悲劇性を物語るものであろう。
(宮本忠雄『言語と妄想』平凡社ライブラリー、220〜224ページ)
 うるさくいえば、「芸術」とか「天賦の才」とか、そういうことばに引っかかりを感じないではない。ルネは精神分裂病の少女で、芸術家ではないとか、そういう枝葉末節を突付くことはいくらでもできます。しかし、宮本氏の着眼点が別のところにあるのははっきりしている。氏が「創造」と言うとき、このことばは、およそすべての「ものを作る活動」を指しているのだと考えられる。何も、偉大な「芸術家」の特殊な創作のことを指しているのではない、と読めます。

 今回はここらへんで終わりですが、ご登場願った宮本氏のように、筋の通った立論を展開することは、江村夏樹は、どちらかというと苦手です。ですが、いくら作曲家でも「音で考える」ことはできないのであって、考えるときは、言語を使う必要がある。むつかしいぞ、どうやってあとを続けるか、と、前の章で考えていたんですが、いっそ専門家に代弁してもらいましょう、ということでした。

渓流

[2002年1月31日(木)/つづきは後日]

12.

 ここ2週ほど、何かの拍子に、決まって頭に浮かぶ、ひとつのエピソードがあるので、今回はそれを書きましょうか。中学生のとき、3年ぐらい後輩の女の子から聞いた実話です。断っとくがぼくは不良ではなかった。この女子学生とよからぬ火遊びをした事実はないので、念のため。

 彼女の学年で、クラス対抗のレクリエーション、「学年会」をやった。上級生たちは、だから見そびれたんですが、このとき、この女の子の属する学級の出し物が

『越天楽』

 だったと言う。  これは、クラス全体で頭をひねっても、いいアイデアが何も浮かばない、演劇もコントも物真似も奇術も、なんにも、ピンと来る発案がなく、いいかげん皆がくたびれたころ、誰かがヤケ気味に「越天楽」と呟き、途端に他からの猛烈な反発意見、失望のため息、などが挙がったが、これしか意見がない以上、学級長は権限を行使して、このヤケ半分の提案を最終案にしてしまったのだと言う。

 「学年会」当日までの詳しい経緯は聞きそびれた。しかし、当日の『越天楽』は一大センセーションを引き起こし、記録的な成功裡に会は終了したと、女子学生は報告する。

 どうやら、雅楽の『越天楽』をそのまま、極力忠実にコピーしたらしい。「らしさ」を徹底的に追求したんですね。たいしたものである。

 太鼓は大太鼓で代用する、まあ妥当です。
 牛乳のビンの口をスプーンで叩く団体がいて、これで「鉦」の音を出した。
 鍵盤ハーモニカの一群れ、合竹なんか知らなかったでしょうから適当に弾いて、これで笙を模倣する。
 琵琶の音は、調弦を狂わせたギターをピックで引っ掻いて作った。
 琴のかわりにピアノを使った。
 ソプラノリコーダー数名のユニゾン、ただし音程がちょっとづつ違う、これが竜笛。
 篳篥だけ、吹奏楽部のトランペットの人がやった。

 なんかすごい、いい話ではないか。専門家を志すと、いや、「大人になると」、なぜこういう工夫を忘れるのか。みっともない、とか思うのかな。

 この話で印象的なのは、当人たちがヤケになった挙句、いっそ調子に乗って凝っちゃおうと本気になったところなので、おそらくその「本気」がセンセーションの原因だったと思われます。 そこに、単なる模倣を超えて創作にまで高めてゆくエネルギーが発生した、つまりコミュニケーションの萌芽が生じたということ。

 まあ、あんまり批評しすぎてもどうかと思うので、視点を別のところに移して、この、『越天楽』 という企画のおおもとの出発点は、《いい企画が思いつかずに皆がヤケになった、その態度》を、しゃあしゃあと肯定したこと、だったんじゃあないかなあ。反発はあったにしても、取り繕うとか、余計なことを考えなかった、これは、結果として、当人たちの発意それ自体を飛び越すことになった。そこに、出し物の成功が隠れていた。

 こういうことには、恐れを知らぬ子供のこわさが見てとれる。反発意見があったのも、たぶんそのせいだ。みんながすーっと、やろうやろうと和気藹々になったとしたら、この思春期の一群40人は、中学生というより化け物に近い。彼らを救ったのは、集団の心理だと思います。「越天楽」を言い出したその男子生徒(報告による)だって、一種の倦怠におちいった皆を助けるつもりがどの程度のものだったか、あったにしても高が知れている。しかし、これは、たいへん手の込んだあそびをもたらした。

 先日、『ロス・ケーリの音楽、江村夏樹の音楽』というコンサートを終えたわけですが、その準備中、ずっと、この女子学生の報告を思い出していた。両方にまたがるような具体的な共通項は、ない。ですが、コンサートが終わって、今書いたエピソードは、今回のコンサートの結果をどう見るか、考えるとき、ある視座を与えてくれるように思います。

 ニュージーランドで買ってきた「100 NZ short short stories」という本、これは『越天楽』とは全然関係ありませんが、こいつの第1話、ジュディ・パーカー『帽子』が振るっている。ごく短いので、写しておきましょうか。なお、この本の編集者は、これら100のショートショートは「文学の盆栽(literary bonsai)」だと述べています。へたな訳文を載せるのも気が引ける、そんなに難しい英文ではないので、原文だけにしておきます。

The Hat

JUDY PARKER

   THE PRIEST LOOKED up from the psalms on the lectern, cast his eyes over the hats bowed before him. Feathered, frilled, felt hats in rows like faces. One at the end of row different. A head without hat. A cat without fur. A bird without wings. Won't fly far.
 Voices danced in song with of the window. Red light played along the aisle, blue over the white corsage of Mme Dewsbury, green on the pages of the Bible. Reflecting up on the face of the priest.
 He spoke to the young ledy afterwards: ‘You must wear a hat and gloves in the House of God. It is not seemly otherwise.’
 The lady flushed, raised her chin, strode out.
 ‘That's the last we'll see of her’ said the organist.

 The organ rang out, the priest raised his eyes to the rose window. He did not see the woman in hat and gloves advancing down the aisle as though she were a bride. The hat, enormous, such as one might wear to the races. Gloves, black lace, such as one might wear to meet a duchess. Shoes, high-heeled, such as one might wear on a catwalk in Paris.
 And nothing else.

[2002年2月14日(木)/つづきは後日]

13.

 (…結局、大人も子供も遊び足りないのかな。
 寄ってたかって何が始まるかと思えば、みんな同じこと。違うことを受け入れておもしろがる、なんか考えもしない。そんなに違うことがこわいのか。
 はぐれたら寂しいですね。なんか自分もいられる場所が欲しさに、みんな、ひとと同じ服を着て、同じマナーでしゃべり、達者でな、かい?

「社会とはそういうもんです」

 ああそうですか。

 鉄道駅構内にエレベーターを増設するのはいいことでしょ?だけど、その代わりに階段をなくしちゃうのは変だよ。

 こういうことはいつだってあった。こっちのほうがフツー、だとすれば、ぼくらのように、現実から取材し、加工して、こうにもなる、ああにもなる、かなんかやっている人種は頭がおかしい、ということに、なっちゃうのか。

 変なの…。)

青い空

[2002年2月25日(月)/つづきは後日]

14.

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