江村夏樹
残暑厳しき折柄、夏休み終わってみんな社会に復帰して、バテてる人もいるし、小さい声で言いますがこの太鼓堂は、知ってる人は知ってるけど、知らない人はまるで知らないコンサートホストで、ぼくはこの夏はエネルギーを小出しにして猛暑をしのぎながら、あまり疲れをため込まないように動いていました。今後のために考える材料もあることだし、などといいながら、じつは惰眠をむさぼってウェブ更新は後回しにしていたのです。どさくさにまぎれて、たぶんバレてないと思います。
白状すると、クラシック音楽や現代音楽の世界に友達はいますが、ぼくのやってることは彼らのビジネスとは折り合わないことが多いので、うまく折り合ったら一緒に動くことにしています。したがって共同事業の成果は量で計ったら多くない。ぼくはべつに、ひとりで孤独に何かりっぱなことを成し遂げたくて友達と別行動をやっているわけじゃないです。そもそも集団行動が不器用ですが、集団で動いて成果があがるような計画があれば、いつでも一役買わせていただきます。現時点、ぼくが集団行動に加わらないのは、まずは時節柄、集団というものから距離を置きたいからです。集団から距離を置いて、ひとり作業で何がやれるか考えておきたい。個人の中にはその個人なりの集団のイメージという経験則があるから、自分が持っている集団のイメージを眺めてみたいと思いました。このイメージは、その気になって見てみるとものすごく茫漠としたもので、つかまえどころがない。だけど、意識するかしないかはともかく、ぼくたちはみんな、自分が持ってる「集団のイメージ」の上に立っていて、現実の集団に参画しているんだと思います。それは、集団でものを考えたら現実の処方が何かまとまってくることは確かですが、だれかひとりのわからんことを、ほかのだれかが、わかるように導くわけにもいかない。これについて考えるのは非常に現実的なことじゃないだろうか。集団でものを考えて出てくる現実の処方と同じぐらい、現実的な方便なんじゃないか。わからないことは少しずつわかってくるが、わからないことがなくなるということはない。この種のわからないことを個人個人が、異なる形で持っているということは、集団の構成原理にはならない。そんなことは個人が考えればいいんで、集団の営みとは関係がない、という合理主義はいかがなものでしょうか。現在、集団行動で求められる個人の適応能力は、おそらく、尋常な個人が維持できる適応能力の範囲をとっくに超えています。そんなありさまで集団に適応しようとすれば個人なんか壊れてしまう。これは、そもそも集団に参加する個人個人が持っている「集団のイメージ」が、現実には実現しない性質をも含んでいるのに、人が集まれば、ひとりでできないことができるようになるとみんなが思い込んで、問題を取り違えているということだと思いますが、ちがいますか。それでも社会のタテマエを維持するのが必要だというのが現実でしょうけれど、いくらなんだって、ねえ、社会のタテマエを維持する人材の心身の消耗がひどすぎるよ。というわけで、適応と不適応が問題の焦点だから集団が必要なんだということなら話は通りますが、ないものねだりで集団を作り、内内の相談で理想の個人を割り出そうとするのが上策だというなら、そういうことが成り立つ背景には、そもそものはじめから、ある絶対普遍の価値かなんかがなければならないはずです。だれがそんなものをつくるんですか。やってることが絵空事なら、そういう狂言を打ってみるのもいいかと思いますが、ことは絵空事ではないらしい。絵空事でいいんだったら、最初から「これは劇です」と宣言して、集団を作ろうじゃありませんか。そのうえで、絵空事とそうじゃないことが交錯しあうなら、いまよりおもしろい現実の展開があると思います。
飯は自分で作ってるんだというと、友達からも同業者からも意外な顔をされることが多い。とても飯なんか作れそうにないような容姿風貌だ、と言いたいんだろうか。べつにバカにして言っているわけではないんでしょうが、なに、どうせたいしたものは作っていないわけだから、作っていないような顔をしていたって不思議はない。と書いてみて、やっぱりこのロジックはおかしいよ。三度の飯を自分で煮炊きしているのは実話なんだから、少しは、自分の飯を自分で作っているような顔になっているはずである。時たま、「料理うまそうにみえますよ」という思わぬ声が飲み会なんかで聞こえてくることがあるから、ある範囲では、そういう顔をしていることがわかる程度の顔に見えているのだろう。もっとも飲み会で言われたことなんか信用したものかどうかはわからない。その店の料理があまりにまずいので、誰でもいいから代わりに何か作ってくれと言っているのかもしれない。ぜんぜん自炊できるようには見えていないが、おだてて口説きたいからお世辞を言ってきた、わけもないかもしれないが、もし口説きたかったんだったら、なにぶんぼくの自炊は自慢したものではないから、ほかの手管で攻めてきたほうが、言い寄るほう(女性とは限らないぞ)も楽しく酔えるし、実用面でも勝るでしょう。売るほどのものが作れていないというのはたいてい誰でも同じで、じつはそのときほめてくれた女性にゴーヤチャンプルーの上手な作り方を教えてくれと頼んだら、あとでメールしますよと言って、後日、近所の居酒屋の兄ちゃんから教わったとかで、その教わったレシピをメールにそのまま書いてきた。ということは、飲み会の段階ではゴーヤチャンプルーの作り方を知らなくて、ほろ酔いで、なんとなく安請け合いをしてしまったが、うちへ帰ったら猛省の念がこみ上げ、翌日、焦って近所の居酒屋へ駆け込んだという推測もできる。こういう想像は愉快ではありませんか。ぼくは彼女の上司でもなんでもないが、居酒屋の兄ちゃんに頼ったというところが話としておもしろい。検索すれば出てきますよ、なんて無粋な回答ではなかったところをみると、やはり彼女は、少しは口説くつもりがあったか、それと似たような別の何かだったか、あるいは、なんか錯覚してぼくの顔(だけじゃないかもしれないけどいちおう顔)が見かけによらない隠れ料理人に見えて対抗したくなったとか、そういうことだったかもしれないが、なんか当人の自尊心をくすぐる要素がこっちのみてくれにあったのかな。逆もじゅうぶん考えられるので、飲み会自体か、ぼくそのものかどちらかが退屈に見えてたまらず、業を煮やして、どうだってかまわないから時間つぶしに料理ネタなんか持ち出して気慰めにしようという魂胆だったのかもしれませんが、女の人をそこまで勘ぐっちゃかわいそうだし、べつに相手が女の人でなくても、そういう連想は被害妄想であって、酒を飲んで笑い上戸になるとか泣き上戸になるとか、からみやすいとかすぐ寝ちゃうとかいうことはあるが、被害妄想になるっていうのはあまり聞かない。しかし、なにしろ飲み会ではどんな珍事が出来するか予測がつかないって言うんなら、この女の子は利発で悪くないなんてのはこっちの完全な思い違いで、世に二人といない内容醜悪な、いわゆるバカであって、人をからかう悪趣味のためにしか口を利かないような第二の人格を有し、じっさいはそっちが専門だと言うことも考えられる。考えられるけど、世の中そこまで落ちてますか。飲み会に出たらそういうタチの悪い女や、男が必ず言い寄ってくるから、自分保護のためにも料理ぐらい作れるようにしとけ、なんて油断のならない事態では、人と会ってなにか言語を発すればもう犯罪で、などという、急を要する事態だから、ゴーヤチャンプルーの作り方をインターネットで検索しないで、飲み会に出て美人と語らうのはこの街の防犯対策で、その彼女が居酒屋の兄ちゃん以外、ゴーヤチャンプルー…。
自炊にも下手うまいがあり、パエリアのような手の込んだいためご飯(なのかな)なんか作らないが、必要で自炊しているうちに、自分の料理は少なくとも体に害はない、と言えるようにはなった。自炊の実際をもう少し突っ込んで書いてみようと思ったけど、前置きが相当長くなったのでまた今度にします。
ピエール・ブーレーズというフランスの作曲家・指揮者を知ったのは中学生のときだった。シェーンベルクの管弦楽曲を集めたLPの中で、ブーレーズはBBC交響楽団を指揮していた。当時、シェーンベルクの『ワルシャワの生き残り』が聴けるレコードはこれしか出ていなかったし、おもしろい企画だから買った。ぼくの耳にはこのLPはすごく新鮮に響いて好きになった。だが、いくつかのレコード評に、ちらほら、ブーレーズのシェーンベルク解釈をけなしている発言が出ていた。とくに政治評論家の立花隆が、ブーレーズ演奏の『ワルシャワの生き残り』について、「あんな演奏を聴いても、この作品を鑑賞したことにならない」という意味の批判を言っているのを見つけたときには、おや、と思った。立花氏は、かねて評判の高かったシェルヘンの演奏盤のような生々しさが、ブーレーズの解釈にはまったく抜け落ちていると指摘していた。
同じころ、ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが弾くブーレーズの『ピアノソナタ第2番』のレコードが出たので買って聴いた。これが、この作曲家の作品に接した1曲目だったが、30分ほどの曲なのに通して聴く気分にならない。耳が音を拒んだ。音響に隙がなくて、聴いていて始終息が抜けない。ずっと硬い音がぶつかってくる。説教を聞かされているようだ。それでいて、案外切迫感がない。切迫感に限らず、ひとの心理を掻きたてるような雰囲気がない。そういう曲じゃないことはわかってわざわざ聴いている好奇心も、だんだん薄れてくる。そもそも曲の始まりから、下世話な好奇心なんか吹っ飛ばす即物的な音の連続である。
きのう、ポリーニの初期の録音で、発売当時ずいぶん騒がれたというストラヴィンスキーの『ペトルーシュカからの3楽章』とプロコフィエフの『第7ソナタ』を初めて聴いた。ネット上で注文したCDが届いたのだが、このCDのなかに、ヴェーベルンの『変奏曲』と、さっきのブーレーズのソナタも一緒に入っていた。25年前、ポリーニの出現は一大事件で、日本で言ったら横綱・千代の富士のようなサイボーグだった。ポリーニほど内容的な技術を持ったピアニストは、それ以前には見当たらず、「前衛も弾くクラシックピアニスト」として特異な存在で、ヨーロッパの楽壇で伝統的なクラシック音楽と20世紀の前衛音楽とを1本の文脈に読み込み、舞台で実行したピアニストの筆頭に位置する。ポリーニの現代音楽への参入と挑戦は、はたの人が解説するぶんにはムリがなく、むしろ自然な成り行きだが、19世紀以前の調性音楽の伝統と、20世紀以降の音楽表現上のさまざまな変質と、二極に分裂しておさまりがつかないような音楽の世界で、両者を矛盾なく結びつける実際の作業は、なまはんかな力量でできることではない。
ということは理解しているつもりなんですが、実際のところ、ポリーニが弾く20世紀音楽の演奏でいちばんおもしろいのは、ブーレーズやシュトックハウゼンや、ノーノのような前衛ではなく、プロコフィエフやストラヴィンスキーのようなモダニズムでもなく、民族主義的な作風で知られるバルトークの場合だと思う。つまり、あらかじめ作品の側から感覚と理論の整合性が差し出されたとき、ポリーニの演奏がひときわおもしろくなるという関係があるようですよ(ただ、ポリーニ演奏のプロコフィエフ作品は、プロコフィエフが生きていたらたぶんこんな具合に弾いたのだろうと思わせる程度に、プロコフィエフのピアノ演奏の録音と同列の印象を与えている)。この意味では、バルトークという作曲家は強大な創造性の持ち主で、アナーキーな、何でも放り込んじゃいました的な書式がほとんどまったく聴こえてこないのに、聴き手を十二分に興奮させる種類の音楽の作り手だった。これを、人間バルトークのまじめで几帳面な性格のせいにするのは話が乱暴すぎると思う。バルトークという作曲家は、いわゆる20世紀音楽の系列の中で派手な人とはいえないが、これは作品の抽象度が高いせいである。乱れていない・理路整然としている。
こういうことを他人が理論で割って解釈しようと思ったって、個人の自由だけど、バルトークの高度な構築性は、東ヨーロッパの僻地の民謡という原型があって、それに対面したバルトークの感覚が研究を必要とした結果なのだから、指揮者ブーレーズのようにバルトーク作品の構造ばかり分析したっておもしろくもない。というか、ブーレーズという人は、作曲家としても演奏家としても、そもそも感覚で対象をつかみとることが極端に不得手な人なんじゃないのかねえ。感覚の中に論理的整合性を見出す態度は、じつは言語感覚の問題にかかわってくることが多く、数学的に分析してみても大して意味がない。手段としては有効な場合は多くても、それを強調する必要はない。こういうことをわざわざ強調するのは、言葉で音楽の信憑性を説明できれば大勢の人(発言者自身も含む)がそれを信じるという一種の暗示が主眼なんじゃないか。だとすれば、ドグマを信じたいために聴く音楽なんか形骸化しないほうがどうかしている。
ポリーニが弾くヴェーベルンの『変奏曲』が、ブーレーズ監修のヴェーベルン全集(旧録音)の中に入っていない。ここで演奏しているのはアメリカのピアニスト、チャールズ・ローゼンである。ぼくはこのローゼンの演奏のほうが好きだなあ。目に見え、耳に聞こえる造形じたいより、その背景や成り立ちが立体的に楽しめるローゼンの演奏は、同じ曲のポリーニの演奏と比べてくだけた印象ですが、正直な話、ポリーニのこの曲の演奏を聴いていると疲れてくる。神経質過ぎやしないか。
※9月後半、執筆者の体調がよくなかったので、このページの更新が滞りました。お詫び申し上げます。
別に隣近所と絶交しているわけはない。仲たがいもしてないし、こちらが嫌われているという風評もなさそうだ。だけど、お隣さんが何をしているかなんて、ぜんぜん知らないよ。知っているのは隣近所、みんなおもしろい苗字の邸宅だというだけです。高そうださん、二枚貝さん、酒もっとさんなど。いずれもあまりお目にかからない、珍しい苗字である。特別変わったことが起こった様子もない、ときどき姿を拝見するかぎり皆さん、お元気です。朝方、どこか近くの邸宅のどなたかが入浴していたのは数年前までで、最近、この行水の音も聞こえない(行水って言ったって、もちろん湯船のお湯を浴びているんでしょう、水浴なら気合もいっしょに聞こえてくるはずなんだが)。ある夏の昼さがり、自動ピアノがややけたたましくミッキーマウスの行進曲を演奏し始めたことがあったが、ついにどこのお宅のことか突き止められないうちにこの行進曲も姿を消した。日が昇ると張り切ってショパンの『別れの曲』だったかを元気に練習する方もおられたが、飽きちゃったのかこの練習も聞こえなくなった。近所の卸問屋はずいぶんまえに廃業したので、電話のベルや社内呼び出しも正午のチャイムも響かない。なみならぬ経営努力で、新しく開店した大手スーパーと張り合っている八百屋は、大手スーパーの進出以前からずっと、軽トラックで出回って道で商いしていたが、やめたらしい。ここらへんは共産党の活動が活発で、地元議員さんが巡回カーで挨拶して回っていたひところがあったけれど、最近はこれも聞こえない。考えてみれば、ものごころつくまで育った環境ではこの程度の音密度だった。家の周りは田圃だったから、夏から秋にかけては蛙の鳴き声が盛んで、なかにはウシガエルも混じっていた。首都近郊の、宅地開発ばかりの現在の住環境に自然がないなどという論旨ではありませんで、秋の夜更け、近頃この近辺でどんな音が聞こえているか、思いつくままに書き綴りましたという、それだけの内容…ここは内容がないような異様な言いようがいよいよ無いよう。たまには芸能レポーターのように「場所を追う」(=芭蕉翁、なんちゃって)のも、スクープ(スープとクリープをあわせ練ったものではないよ)、でもなんでもないけれど、異常事態は別に起こっていない、静かだなあ、うるさいよりどれほどいいか、という報告でした。
※読み返してみたら、なんと、聞こえてこない音ばかり書いて、聞いている音のことはまったく出してないじゃないか。聞こえる音、例えばさんざん続いた秋雨とか、1匹の鈴虫とか、それなりの音風景は、いまでも耳に届いております。粗忽な作文だねえ。
どんな音楽でも、20世紀半ばまでは、レコードで聴ける演奏がミスだらけ、などということは珍しくもなんともないことだった。重大なことはそんなところにはなかった。音楽の生きた意味を伝えるのが演奏の役割だった、と過去形にするのはなぜかというと、今日のぼくたちはできのいい演奏に慣れてしまって、どれだけミスが少ないか、ソツなく歌っているか、ということばかりに反応して、レコーディングを聴くときだけでなく、生演奏の会場ででも「完成品」でなければ見向きもしないように、音楽産業に飼いならされているからだ。
クラシック音楽の場合、技術的に不完全なところのある演奏は、著名人の場合にはスキャンダルになり、そうでない人の場合には廃棄物でしかない。そう言いきれるほど、音楽の意味をしっかりつかむ演奏をするのが困難になっている。素直な感覚を公衆の面前で披露するのはほとんど不可能に近いとさえ言える。スタジオ収録の演奏は、加工していない状態の音源に説得力が乏しくても、さまざまな音響技術であとから味付けして、圧倒的な印象の大演奏にすりかえることだってかんたんに可能だ。実際には、スタジオ録音の場合だけでなく、生演奏の会場でも、そういうさまざまな効果にばかり酔い痴れて、この演奏が指し示している意味や方向が実際はなんなのか、などということは聴き手に伝わっていない場合のほうが圧倒的に多い。
音楽の演奏一般がそういう事態になったとき、どんどん滅びてゆくのは演奏の「客観性」である。ある音楽を創った作者が言いたいことがわかるのはその作者の取り巻きの人たちだけで、部外者には皆目、その音楽の意味が伝わらない。情報が広まって、有名だからという理由で聴く人が増えるのは悪いことではないにしても、いったい何のための創作行為なのだろうか。
「客観性」は、創り手から離れている人がその音楽を手にしたとき、どう思うか、どう感じるか、というところに芽生える。そこに自然なつながりが生じれば、外見がどれだけ奇矯でも、手落ちがあっても、すてきな音楽体験である。大勢の聴き手を獲得するということと、自分らしい音楽を考え出すということは、音楽産業の出現のはるか以前から、お互いに相容れない性質を持っている。しかし、自然な聴感覚というもののおおもとが、そんなに個人差のあるものなのだろうか。
もちろん、ひとつの音楽、ひとつの演奏について、さまざまな意見があるのはあたりまえのことだ。問題は、音楽の創り手が、あらかじめさまざまな解釈の余地があるような工夫を、技術的に、当事者のたくらみで、その創作に持ち込むことは筋が通っているのか、ではないだろうか。音楽の意味というものの本来が、いろいろな要素を含むひとつのかたまりである。それは複雑なものだが、だからといって、ある人はこの部分が好きで、別の人はあの部分が好き、というような異なった複数の意味を、意識しているかどうかを問わず、最初からひとつの作品や演奏の中に並列する創り手の態度は屈折していないか。この態度はさまざまな、おのおのが孤立した情報の羅列、テレビやインターネットが用意するイヴェントの陳列と、大して変わるところがない。「客観性」は、そういう色見本市場を越えたところにあって、創意工夫は本来、この領域で試されることだという気持がして仕方がない。創り手も人間なら、聴き手も人間である。創り手は技術を持っていなければならないが、音楽産業のなかでの宣伝は別物である。
では、新しい音楽の営みを多くの人に知ってもらうにはどうしたらよいか。この問題はいつも音楽の創り手を悩ませる。しかし現実の問題は、宣伝に見合う音楽をつくるのは順序の転倒で、不自然で、ダメだということだ。すでにある音楽や、音楽のアイデアに対する突き放した姿勢というものが、そのまま、創り手の技術になるような音楽のあり方は不可能ではないはずだ。日本のように、自国の文化を豊富に持っていながら、外来文化にも寛容な環境では、両者を短絡しようとすればどうしても無理が生じる。この無理が、欧米化社会の道理で割れないということは、吟味する価値と必要のあることだと思う。
※この原稿は、公開を検討しているあいだに、管理人がぼんやりしていたため、いつのまにか掲載されていたものです。
ヴィヴァルディというイタリア・バロックの作曲家・ヴァイオリニスト。女学校の音楽教師で、この女学校の楽団が演奏するための協奏曲や声楽曲をたくさん書いたというのだが、この記事から、ヴィヴァルディも、花恥らう女学生に取り囲まれて大変だっただろうなあと想像するのは、ぼくのエロ趣味のせいか。ブスばっかりの女学校だったというようなゴシップが、あるいはどこかに書いてあるかもしれないが、ヴィヴァルディを学的に研究するつもりも、用意もないのでよく知りません。ブスといえば、話は飛ぶけれども『枕草子』の作者、清少納言という女性の肖像画はすべてうしろ向きで、このことから、彼女は文章が上手だったが、美人ではなかったのではないかと推測する国語の教師もいるし、ブスとは関係ないけれど、哲学者ヘーゲルは、じつは宿屋の女将と通じていたそうですが、学校の哲学の教科書にはそんな記述は見当たらないから、哲学の教科書の執筆者は、勉強に関係がなさそうな史実を隠して、現実の全体性を損ねているなどとここでわめいてみてもしょうがないじゃないか。最近は外来語のDの発音を尊重して「ヴィヴァルディ」とか、「ヴァイオリン協奏曲」とか表記する。「ビバルディ」「バイオリン」と、書かないことはないが、声に出して読んでみるとつばが飛びそうであまりきれいとはいえない。試してみますか?「ビバルディ作曲、バイオリン協奏曲」。
ファビオ・ビオンディというイタリアのヴァイオリン奏者が組織したアンサンブルの演奏でヴィヴァルディの協奏曲を聴いて、まず感じるのは、ある種の喧騒、それから調性の飛躍がかもし出す光と影の極端な対比である。ときどき、この演奏のようなアプローチがうるさく感じられることがあるが、そういうときはムリに聴かなければいいだけで、全体的にぼくはこのビオンディのやりかたが好きだ。古楽のアンサンブルでは、トレヴァー・ピノックが率いるイングリッシュ・コンサートのファンで、この団体が結成20周年の1995年ごろに録音したモーツァルトの交響曲を聴くと、どうやってこういう造形ができるのか、びっくりする。しかし、イングリッシュ・コンサートにも苦手、あるいは向き不向きはあるように見え、この人たちが演奏するヴィヴァルディの協奏曲は、均整が取れすぎて、なんかもう少しはじけてもらいたいという気持になる。一方で、1960年生まれの新しい担い手であるビオンディのやることは、ちょっと下品な要素がどこかに聴こえるのかもしれませんが、あれは破調の魅力と言っても間違いにはならないと思う。少し話がずれるっぽいけど、一時期(1980年代の半ばからしばらくのあいだ、かな)のピノックの楽団は、実演では全員、常軌を逸して熱っぽいあまり、ヴァイオリン(サイモン・スタンデイジ)の音程がはずれたり、オーボエがひっくり返ったり、チェンバロ(ピノック)がミスタッチを連発したり、テンポがどんどん速くなったり、とにかく脱線して、それがそれなりにおもしろかった時期があった。あの、スリルともちょっと違う一種の不条理は、ピノックがあえて遂行した実験行為だったんじゃないだろうか。その時期に、かれがNHKのテレビ(大江健三郎的に表記を統一すれば“テレヴィ”となるんですが…)でバッハの『イタリア協奏曲』を弾いたときも、チェンバリストとしては珍しくミスタッチが多くて、世に言う美しさとはかなりちがう、でも何か非常に印象的な光景でしたね。あれに較べるとビオンディのアンサンブルは出発点からすごく達者だが、同類の印象である。
『イタリア協奏曲』なんて、鍵盤の初学者が弾く練習曲で、名人は弾かない、などとしたり顔で演説している人がいるが、とんでもない思い違いですよ。この曲は調性の起承転結が建設的で、段取りにそれほど飛躍がない。そういう見てくれが、バッハの意図した「イタリア」的な音楽内容とどこか矛盾してるんじゃないでしょうか。それが『イタリア協奏曲』である。これを作ったバッハがどういう顔をしていたか、どういう気持で作曲したかが非常に連想しにくい作品である。ヴィヴァルディの協奏曲や、ドイツのテレマンの器楽曲や、イギリスのヘンデルや、フランスのクープラン親子の例えばクラヴサン音楽の場合と異なって、なにか叙事的な、あるいはロマンティックな連想が抑圧されるんだと言ってもいいような曲で、そのせいかどうかはしばらく措くとしても、よく聴けば、面倒だから名前は挙げませんが現代の鍵盤奏者の大家は、おおかた、この曲の調理法には手を焼いている(ぼくが体験したCD録音で、徹底的に考えているなあと思ったのは、例のロザリン・テュレック女史がピアノを使った演奏である。ワンダ・ランドフスカと対照的に、そもそも学究肌の人で、チェンバロも弾くのにピアノを使っているあたりがひとつの芸ではないか)。
ヴィヴァルディの音楽は、さっと通り過ぎるぶんには甘美で親しみやすいから、女学校の教師でしたという記事と短絡すればエロティックな妄想をかきたてられることもありがちだ。ぼくだけじゃないはずです。この作曲家・ヴァイオリニストはどうやらプライドが高いいやなやつで、イタリアの楽壇では嫌われていたらしいけど、女学校での評判や言動は、一般に考えれば、楽壇の中での付き合いとは別のことだろう。そんな気がするんだが、ヴィヴァルディの場合についてはまだ実証していないのでよく知りません。どなたか詳しい方はこちらからご一報ください。
写真というものは、成り立ちを考えるとけっこう厄介なことはあるのかもしれない。油絵やパステル画を描いてみた体験から言うと、絵画の制作のためには、画材の取り扱い、制作時間の経過の性質、作品そのものの構成、つまりデッサン、という具合に、かなりいろんな考え材料が待っている。物理的な側面と心理的な側面とを往復しながら対象をとらえる過程は、ただ楽しいというばかりではない。そういう煩わしさが写真だったら回避できる、まったくないなどと高をくくっているつもりはありませんが、油彩画1枚の制作のたびに、大きな画布を買い、たくさんの絵の具を買い、性質が適当な油を選び、まぎらわしい筆をそろえ、複数のバケツを用意し、なによりも絵が描ける按配のある条件がそろった部屋が必要で、そういう準備は、写真の場合にはカメラとフィルムがあればいいわけだ。その代わりにどういう技術的な困難があるのかということは、少なくとも物理的な方面のことは、自分で現像するような本式のやり方をするのでなければひとがやってくれる。それを受け持つ専門職があるぐらいだからその人たちの苦労はあるに違いない。だから技術的にも美学的にも、やはりむつかしいことはいろいろあって成り立っているのでしょう。
しかし、「写真は被写体である人物を死ぬべきものとしてとらえ、われわれに差出す」と言ったのはアメリカのスーザン・ソンタグという女流作家だそうですが、そんなことをいつも言っていたら新聞は読めないし、ロイ・スチュアートのエッチいポルノグラフも楽しく見られないし、自分の生い立ちが写真に写るのは気分が悪いし、深刻な現実ばかりが残っておもしろいことはなくなってしまう。「シャッターを押すときの自己欺瞞が楽しいのだ」というようなことを安部公房という作家が書いていますが、シャッターを押すときにどれだけ考えても「自己欺瞞」ということばに行き当たりそうにない。なにが自己欺瞞なのだろうか。どこが自己欺瞞なのだろうか。この稿を書きながらいま考えていますが、かなり考えていますが、自己欺瞞という四文字熟語はひらめかない。敢えて、この安部さんのコンセプトに似たことで心当たりがあるのは、写真は現実の代用品としての性質があるというような実用上の、マイナスじゃないかもしれないけれど、実景そのものではないという側面ですが、これは当たり前のことではないか。ソンタグさんや安部さんが言っているのはもっと当たり前でないことなのでしょう。いや、当たり前のことを、もう少し掘り下げてみると、ちょっとわかりづらいことが出てくることはよくあるから、この2人はそういうことを言っているのでしょう、ぐらいで写真の哲学はストップしてしまい、外出時には近所のスーパーで買ったフィルムつきレンズというものを携帯して、おや、と立ち止まるような印象的な風物があると、外套のポケットから出してきて写してくる(安部公房氏が言うのは、この、写す瞬間にちらとかすめる「自意識」のようなもののことだと思いますが、それをわざわざ分析するのですかね)。ほんとうに、なんのことはないそのへんの街頭や路地、近所の公園だ。別に写してくる行為が楽しいということではなさそうだから、「シャッターを押すときの自己欺瞞」があるかどうか、よくわかりません。ぼくがいつも考えるのは、目の前の風物は、なにが、どこがおもしろくて自分に訴えてくるのか、ということで、写真という表現の形式や媒体の性質について本式に構えたことがない。というわけで印象的な風景に出くわしたときには、構成要素をよーく眺めてみるのだが、通行人や建物になにかものすごく特徴があるとかいうようなことはあまり、ない。というより、そういう何気ない風景の中に、案外いろいろおもしろいこともあるものだ、と、あるとき思ったから、フィルムつきレンズを携帯するようになった、というのが話の順序で、写真を撮り出したら現実がおもしろくなったわけではない。わけではないが、何気ない日常の風景をいろいろ観察するのはけっこうおもしろいものです。
問題はそのおもしろく見えた現実を写真に撮ろうという魂胆なのでしょうが、おもしろく見えたからこそ、写真に撮りたいわけだし、それに、現実を切り取ってはがきサイズの紙1枚のイメージにする想像力とか、写真という表現の形式や媒体の性質だけが写真を構成しているというばかりでもないようだ。というか、マン・レイやデュシャンや瑛九が試みた抽象写真のような構図は普通一般の現実にはないわけで、ないからやってみた、というのが、あのたぐいの実験なのでしょう。まあ、音楽の世界で言ったらテープ音楽や電子音楽のようなものである。表現媒体と表現内容が不可分な表現、つまり、表現することが表現であるようなある世界を考えてみた、という観念の産物で、考えてみるだけなら誰でも思いつくけれど、それが実現するかどうかやってみるのは、理解しにくいところもあるが、作ってみるぐらいはいいでしょう、という側面が積極的に張り出している点は、いわば例外なのだろう。しかし、ひとつの現実として、20世紀以降、この種の例外が増えたことは事実である。絵画の世界で画材を研究することは必要ではあっても、その研究行為そのもの、あるいは画材そのものが表現になる、とは考えにくいのではないか。ポンペイや高松塚の遺跡に残っている壁画は画材を使って描いた人物や動物の絵であって、画材が残っているかどうか、なんか紛らわしい現実ですが、伝統的な画材というのは岩や土から作られ、使われるものである。壁になにかイメージが描いてあって、そのシンボルが読み取れるなら、いちおう残っているのは絵と言えましょう。
余談ですが、子供がブランコに乗る、というようなことは、別にほかの目的があって乗っているんじゃなくて、ブランコに乗るのが楽しくてブランコに乗る。ディズニーランドのアトラクションに周富徳の中華料理を求めないようなものである。まあ、リビドーとか性衝動に結び付けてブランコを語る場合はある。平安朝の貴族女性は、性的快楽のためにブランコに乗った可能性があることを誰かが書いていました。これは、「なぜ楽しいか」とか考えたら、心当たるところはあるような、まあそういうものですが、それはともかくこういう遊戯の性格は、もちろん表現全般についてまわる、不可分の性格ですが、遊戯というものはいつまでもやっているとばかばかしくなってくることがある。遊戯自体は表現ではないから、表現力を身につけた結果、その表現力で遊戯をやることも可能であるというようなことだが、ともかく、抽象写真とか電子音楽の形をしたもので、ある種ばかばかしいところのある表現ないし表現行為(なんか、回りくどく、理屈っぽいお話ですね)は、よく見れば案外巷にあふれていたりします。原理はブランコ研究に似たようなことかもしれないが、この話題はどうでもいいような気がしてきたのでこのさい放っておく。
焼き付けてはがきサイズの見えるイメージになった結果というものは、もとの風物よりおもしろいか、つまらないか、つまり写真として成功しているか失敗しているか、どちらかですが、どっちにしても、シャッターを切ったときに、うまくいったかどうか予測がつかないものでしょう。偶然みたいなものが、写真の出来には必ずかかわってくる。もとの風物の性質として、同じものは二度と現れませんから(少し哲学的になってきましたね)、その二度と現れない過去の被写体の性質について、「死ぬべきもの」とかいうような一種の比喩表現は出来るのかもしれないが、写真に写っているぼくの知人はいまも健在で、風邪をひいたりはするが別に変わったことはない(あまり哲学らしくないですね)。いわゆる芸術としての写真、記録としての写真のなかにはあまり楽しいとはいえない実景が写っている場合も多いけれど、それは相手取っている現実の性格がそうなのであって、写真そのものや、写真を撮る行為についてどうか、という問題は、技術的な、または審美的な見地から、もちろんあるにしても、写真を撮ったことが全然なくて研究だけということはぼくには苦手で、1枚でも2枚でも撮って眺めては勝手に楽しんでいる。表現するということは自己治癒だという心理学は信用するに足る経験原則のようである。
追記
しかし、要するに絵画制作はやりたいけれど、いろいろ面倒くさいから写真で代用して、技術のほうは専門の職人さんに任せているだけだ。絵の場合にはデッサンがどうしても必要で、人物も難しいけれど、風景画だってかなりせっせと時間や労力をかけなければおもしろくならない。そういうことはいまは煩わしいという気分なんでしょうね。道具がなんであれ、肉眼を養うことは肝要だと思います。
何のことはない、日本の古い歌集である『万葉集』の編纂は鋏と糊を使って行われた、ということです。これはどこかの本で見かけた解説の中で言っていたことだが、どこで読んだ誰の説明かは忘れてしまった。印刷の技術がない時代に、万葉集の編者たちは、ほうぼうから集めた手紙を鋏で切って、順を決めて糊で貼り付けて巻物を作っていったのだそうで、現代の用語を使えばコラージュとかモンタージュである。ぼくは万葉集全巻を順を追って読んだことはなく、続き物のような感覚で万葉集を眺めていないので、編者たちがどういう意図でいまあるような形に作っていったかというような学究的なことはよくわからない。一応、インターネットで「万葉集」を検索してみたが、物語としてこの歌集をとらえている人は見かけないし、じっさい、『古事記』のような神話世界でもなく、だれそれの伝記として成り立っているわけでもない。身分の貴賎を問わずいろんな人たちの歌をしかるべき順で羅列してあるのが『万葉集』である。かなり変則的な歌もあるようですが、そもそも「うた」とは何であったか、みたいな話はちょっと手に負えないところもありそうなので、専門家にお任せしまして、当座のぼくの興味は、繰り返しになりますが手紙を集めて鋏で切って、糊でつないで、という手順である。
山上憶良そのほかの人物が中国にわたっていろんな文化に触れて驚き、日本に帰ってから、外国に負けないような長くて立派な歌集、あるいは詩集を企んだのだ、というようなことらしい。なにか、歌の出現順序から読み取れることはあるんでしょうが、そもそも互いに関係がない手紙のたぐいを集めて鋏で切って糊で貼って、とはどういうことなんだろうか。学術的なことは、先ほどもお断りしたとおりよくわからないんです。が、想像するに、全巻を順に読んだときの調子を考慮して作業が行われたのではないか。そんなこと、あたりまえじゃないかとぼくも思う。思うけれど、そういう一続きの調子を、あちこちの書簡などから合成したというのは、少し考えるとずいぶん興味深いことではないだろうか。
『万葉集』は物語ではないから、歌の順序なんか少し違っていたっていいはずである。どういう決定論が働いて、今あるような順で糊付けしたのか。巻物というのは、横に拡げたらすごく長い。量的にもずいぶんかさむものを作ってある。ある量というもの、いろんな種類の情報をひとつところに集約したものは、百科事典がそうであるように、内容が別におもしろくなくても、研究の観点から興味の対象になることはよくあることです。『万葉集』に収録されている歌にしても駄作と言われているものは多いけれど、そういうものも、柿本人麻呂のような専門の宮廷歌人の作と一緒に並べてあるから、この歌集を手に取ればその時代の膨大な数の歌を知ることが出来る。ということなら、要するにいろんな歌が入っていればいいので、物語性とか政治性とかいうことがどうであるかは、あることかもしれないけれど『万葉集』の内容からじかに読み取れることではなさそうだ。少なくとも、そういう着眼でこの歌集を論じている意見にはぶつかりにくいようである。
ちょっと話がわき道にそれますが、だいぶまえ、ジョン・ケージの『易の音楽』全4曲を、とあるコンサートで、ぼくを含めて4人のピアニストが分担して1曲ずつ弾いたことがある。ぼくはUを弾きました。4曲の中でいちばん長くて、20分かかる。コンサートが終わって飲み会の席上で、ぼくが「この曲集は平家琵琶みたいですね」というようなことをしゃべったとき、隣に座っていた作曲家の諸井誠さんが、ちょっと間をおいて、「しかし江村君、それはちがうな」とおっしゃった。ぼくが言いたかったのは、『易の音楽』は偶発イヴェントの羅列で、それはひとつの流れを作っている、だからそこには物語性があるはずだということだったんですが、こじつけだったかもしれません。諸井さんは成立の順序の違いを指摘したのだと思う。日本国内でも、いわゆる物語とそうでないものは当然、区別される。ある長さを持っているからストーリーがあるということにはならない。偶発イヴェントなら、偶発イヴェントの時間性というものがあって、それは起承転結のある物語のようには進まないということなら理解しやすい。諸井さんが考えているのは別のことかもしれないけれど、おそらく、日本語と英語というような《言語》の違いは、この種の決定的な差異を生じることがあるのだろうと思う。
万葉集編纂の鋏と糊の作業だって、見かけは、なんとなくケージの偶然性に似たようなところがありますね。かなりの長さの中に、いろんなイヴェントが散らばっている様子が似ている、ような感じがする。もちろんケージは、人間の恣意とか意図とかいうものから出来るだけ離れようとして『易の音楽』を中国の占いを使って作曲した。同じ手法を使って、エリック・サティの『ヴェクサシオン』をもじって『安直な模倣(Cheap Imitation )』というピアノ曲を創ったりというようなことは、サティを下敷きにしてもっと極端に自分の考えを押し進めているのだろう。だから、似て見えたって、やろうとしていることの大前提が正反対なわけですが、それを受け取る側の感受性がちがうために混同が起こる、ということは往々あることで、まあ、無造作なとらえ方でもかまわない場合はともかく、もしこれが誤解というものなら、こちらの受け入れ姿勢はどうしたらいいか。とか言ってみたって、実物が現れる前にそれを研究しておくわけにもいかない。自分の国にはないもの、として感覚が受け止めればそれで済んでしまう話ですが、そんな感覚はありゃしないので、どこの国の何であれ、おもしろいものは国境を越えて訴えてくる。だから、気に入ったものならどこの国のなんだって一年中いつだって着衣だって全裸だって食事中だろうが入浴中だろうが睡眠中だろうが登山中だろうが映画鑑賞中だろうが構いはしないという無礼講もけっこうですが、最低、自分の国の産物かそうでないかということは、なんとなくだが、案外誰でも気にしていると思う。こういう区別を感覚的に行うこともあるけれど、感覚よりも理性・知性の判断が大きく働いたりすることがある、すべての場合がそうではないけれどそういうこともあると思われます。だとすれば、その場合には、つまり、いちど感覚が受け取って、それから知性・理性が理解する、という順になっており、よく考えれば、あたりまえといえばあたりまえですが、理解の仕方としては、未知のものに対する踏み込みかたがやや入り組んでいる。ところで、これが日本の特徴らしいと引っ張ってつなげちゃったら乱暴な推論だろうか。どうも日本という国にはその傾向が強いような気がするんだけれど。いいとか悪いとかを言っているのではなくて、日本人の情緒の特徴の中にそういう傾きがあるのではないだろうか。
(もちろん、一般的なことを言ったらどこの民族だって異文化や外国人に対する配慮というものはある。それはそうだが、場合を限定して自分の国の態度を言ってみたいのです。こういう民族性の相違は、臨床実験の現場ではむかしからいろいろに研究されていて、例えば聴覚生理学者の角田忠信氏なども興味深い文献を著しています。研究となると難解なことが多くて、ぼくなどの手に負えない部分も多い。それは、ぼくの頭が悪いからですが、日ごろの生活で、自分の国に特有な発想とかその傾向ということなら、誰でも気軽に意見交換が出来るでしょう。たまたまぼくは音楽をやっていて、ひょっとすると見過ごしがちだが、案外、馬鹿げた話でもなさそうな気がすることはよくあります。そういう種類のことを一般化しないで、好奇心からでも出してみたい。「未知のものに対する踏み込みかたがやや入り組んでいる」こと、なんて言い方は具体性がないし漠然としすぎていますが、実際、非常に捉まえにくい性向なのだから仕方がない。話題として面白いと思います。極端な話が、もし地球上の人種が全部日本人だったら、こういう興味は発生しない。いろいろな人種がいるから、較べてみると違いがあるのです。)
万葉集の鋏と糊の手法を知ったあとで、大江健三郎氏の制作現場の取材をテレビでたまたま見たら、同じことをやっていて、あれーと思った。大江氏は原稿用紙を切って厚紙に貼り付けて清書を完成させていた。これは小説の制作だけれど、発想は『万葉集』の場合と同じだと思いました。ちがうかな。同じだという気がするけれど。
あちゃこちゃに論旨が脱線しながら書いてきて、ついでにもう一回脱線して締めくくりましょう。ここでアルフレッド・ヒッチコックという映画監督が登場します。彼は、「あらかじめ編集された映画」というものを2本作っている。ぼくが観たのは『ロープ』のほうで、もう1本ありますが、観てないし題名は忘れちゃった。普通、映画というものは、さまざまなカットを撮っておいて編集室で順を決めてつなげることで出来上がる。万葉集の編纂の場合と違って、撮影の前提に脚本というものがあるから、その筋書きの順番に並べていく。これが映画の編集です。ところでヒッチコックが『ロープ』の撮影で採用した手法は一発撮りだった。1時間半の映像をいっぺんに撮ってしまおうというのであります。台本に沿って俳優の動きとカメラの動きを全部決めておいて、10分間撮影できるフィルムだったかロールだったかを10分おきに取り替えるときには、そのタイミングに合わせて俳優の背中や開いたドアなどがカメラの窓をふさぎ、何秒か画面が黒くなるようにしておく。この数秒の間に新しいフィルムに取り替えるというのだから、1時間半の間、全体の段取りがずれてはいけないわけ、そして、1時間半の映画を1時間半で撮ってしまおうという、つまり、かなり忙しい撮影だったはずです。こうすることで製作時間と経費の短縮をはかったというのだが、ヒッチコック自身は、馬鹿なことを考えたものだ、とかなんとか、どちらかというと否定的に述懐している。要するにスタジオで編集しないで撮影現場で編集を済ましておいてそれを撮ろうという実験である。この実験をヒッチコック以外だれも試していないし、ヒッチコックもこの試みを長くは続けなかったということは、普通に考えて映画の一発撮りがあらかじめ編集されている、などという発想は映画業界では歓迎されない手法なのかもしれない。そういう性質の現場を仕組んでそれを撮った、というのはひとつのモンタージュだが、映画製作の物理のほうでモンタージュをやらなかった。そこが画期的といえば言えるようなものだったのでしょう。想像するに、この撮影現場は、観客もいなくて需要も必要もないのに自分たちが勝手に、そして懸命にやっている単なる劇のようなことだったんじゃないか。一発撮りと方針を決めたら、俳優も撮影班も、もちろんヒッチコック自身も、「計画通りに映画が終わるように行動する」という、これは実験としては、少なくとも発想自体は高度にラジカルなところはあるような企てだったと思いますが、もうひとつの側面は非常にばかげた現場だったのかもしれない。憶測ですが、商業映画の製造という目標があるなら、能率よく製作して短時間で高品質を目指すとか、そういう余計なことまで考える必要も出てくるでしょうが、その結果、現場が混乱しないように、わけがわからなくならないようにやたら神経過敏になってたとしたらなんか本末転倒である。そこらのポルノ、ぼくが観た例で言えば全裸の女たちが海岸でバレーボール大会を行う、その一発撮り、なんてものだったら無茶苦茶でも構わない、ただ撮ればいい、本数さえ稼げればいいんだということにもなるけれど(ほんとうはならないと思うが、裸の女たちがやってるバレーボールについて論議しててもねえ。現場が海岸では寒くておしっこがしたくならなかっただろうか、ってか)、本格スリラー映画を同じ手段でやって完成度を期待するのは、言われてみればたしかに、計画の流れがどこかで外れているというか、必要ないことに真剣すぎるさまがなにかとぼけているよ。まちがってディレクターが写っちゃって、全編やり直した(全然、一発撮りではないじゃないか)、という失敗談には思わず噴き出してしまいました。
要するに、巻物でも音楽でも映画でも、わけのわからないことでなければいいという、まとめになっているのかいないのか知りませんが、「長いものに巻かれろ」ということわざの「長いもの」とは、巻物のことでも20分という演奏時間でも映画のフィルムでもない。くだらないことを書いていますね。年末だからまいっかー。きりがないからこのへんで終わりにしましょう。
2006年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
* * *
ジョルジュ・シャンドールが弾くプロコフィエフの『ピアノソナタ第6番“戦争”』のCDを初めて聴いたとき、このピアニストはひじょうに知的な人なのかな、と思ったものである。いったい何をやっているのだろう、という印象さえ持った。演奏マナーの一番基本のところで悪びれていないようである。屈託がない。自暴自棄でもない。冷静である。ということになると、ここに聴かれるたくさんのミスタッチや脱線はなんなのか。シャンドールはプロコフィエフのソナタ9曲を全部録音しているが、聴いたところミスが一番多いのがこの『第6番』で、これにはなにか理由があるなと思った。いわゆる超絶技巧ではないにしても、本来もっとテクニックがある人である。それは、他の8曲を聴けばわかる。
プロコフィエフのこの曲が演奏至難だということはあまねく知られていますが、そういうことじゃない。ぼくは年末にこの曲を弾いて、そのー、辛辣というか、激辛みたいな刺激のおもしろさを手なずけるのに苦心惨憺しましたが、凡庸なぼくでなくて熟練の名ピアニストもこの宿題には手を焼くようである。しかし、そういうことじゃないな。シャンドールのこの演奏の“ひどさ”みたいなものは、技術の優劣では説明がつかない。
シャンドールは要するに、この曲をよろこんでこわしているようだ。そこが魅力の演奏のようである。楽譜どおりに弾いても面白くないと思ったに違いない。これは破壊ではなく、筋の通った創造活動の所産である。つまり、ピアニスト・シャンドールの創造性が原曲の外形を飛び越えるところがあって、かれはその垣根を踏み越えてみたんだろう。まさか発奮して偶然こうなっちゃったってこともないと思いますよ。この行動は実験ではない。計画的で周到なところがある点で、それは計画的犯行に似ている。なんか、とんでもないところに出ちゃったような演奏である。見ちゃいけないもの、聴いちゃいけなさそうなものが目の前で行われている。すげえ。プロコフィエフってこんな曲書くのか。聴き手の驚きは、まあそういうことになりそうだ。シャンドールの着眼もそこにあったのではないかというのは、筆者のかってな想像である。
ベートーヴェンなどの古典を得意としたドイツのピアニスト、ルドルフ・ゼルキンが、20世紀のピアノ協奏曲を2曲録音している。バルトークの『第1番』(指揮はジョージ・セル)と、プロコフィエフの『第4番“左手のための”』(指揮はユージン・オーマンディ)で、ぼくが知る限り、このピアニストが20世紀音楽を弾いた録音はこれぐらいしかなさそうだが、両方とも抜群の演奏だ。いつかのテレビで、70歳を越えたゼルキンが、気合を入れてベートーヴェンの『告別ソナタ』を弾いている実況録画を見たことがある。そのゼルキンの逸話を、つい昨日、吉田秀和氏の随筆の中で見つけたので紹介します。来日して、日本の最新技術でベートーヴェンのピアノ曲を録音したゼルキンが、音響室でプレイバックを聴き、「これはベートーヴェンの音じゃない。この録音を市場に出すわけにはいかない」と文句をつけたんだそうです。印象深い話だと思いませんか。この大ピアニストには「ベートーヴェンの音」という確固たるカテゴリーがあるのだ。その品質管理のために、最新テクノロジーをも総動員するわけなのだろう。おそらくゼルキンは、ベートーヴェン世界の揺るぎない構築物というものを大切にしたため、録音機の特性がそれをこわすことには我慢がならなかったということなのだろう。
これはいい悪いの問題じゃなくて、ぼくたち日本人には「ベートーヴェンの音」というような、なんだろう、ガッチリした音のイメージはないと思う。ゼルキンが言うのは、成り立ちから自分で作り上げ鍛えた労作だろう。センチメンタルな風物ではないはずだ。これを単純に頑固な嗜好だなどと片付けることはできないが、だからといって日本のピアニストが軟弱だということにもならない。てゆうか、そういう問題じゃないでしょう。日本人なら日本人で、思考形式から趣味の持ち方から、全然違うところがあり、構築することは同じでも成り立ちが違うというところに着眼できるはずだ。これはゼルキンの場合でも似たことはあると思う。例えば、彼には、「ベートーヴェンの音」と言うのと同じ意味で「バルトークの音」や「プロコフィエフの音」があったかどうか。
これについてあれこれ推測するのはおもしろい。ムダかも知れないし、馬鹿げているかもしれないが想像するのは面白い。バルトークと親交のあったアンドール・フォルデスのようなピアニストは、もっと直接的にバルトークの音楽世界を知っていたはずである。それは皮膚感覚の呼吸のようなものだと思う。プロコフィエフをよく知っていたリヒテルの場合も同様だろう。
作曲家本人を知らない場合、あるいは知っていても関係が遠い場合、その作品を演奏するピアニストの態度はいきおい慎重で複雑な様相をとらざるをえないでしょう。でも、逆のメリットもありまして、ある意味無責任というか、気楽で冷静で客観的に作品を検討できるんじゃないかと思う。バルトークの生徒であるジョルジュ・シャンドールがバルトークの曲を弾くのは話がわかりやすいが、なんでプロコフィエフを全部弾いているのか。理由はともかく、その演奏は、最初にも申しましたように、ふだん耳慣れたプロコフィエフ演奏とはマナーがずいぶん違っています。研究といってもいいような気がする。ルドルフ・ゼルキンがバルトークやプロコフィエフを弾く場合、研究的な性質は聴こえて来ず、建築物として自立していて、その徹底した処理はさすがですが、しかし、自国のベートーヴェンを弾くのと同じ調理方法でこれらの20世紀音楽に接してはいないだろうと思う。やはりゼルキンが異国の新しい音楽に挑んだのは、皮膚感覚の呼吸とは違う批評的態度が、積極的にものを言ってみたいような意識が働いた結果ではないだろうか。そしてその触手は、ヨーロッパのピアノつながりで発生した意欲の現れだと思う。さて。
2年前、2003年の11月に『ロマンティック!』という題名のピアノソロコンサートをやった。自分が好きなピアノ曲で、まだ弾いていないものを集めて、順繰りにさばいていこうという企ての出発点だった。場内に寺本実里の油彩画を1枚展示した。それ以外はぼくの出ずっぱりソロ、50人のお客さんに聴いてもらった。
コンサートというと、大ホールで満員の聴衆に演奏を聴いてもらうスタイルが現在でも一般的だ。多くの聴き手を獲得するために、1年中どこかで演奏している人もいる。ぼくはそういう現実に対処するには、適性や能力の至らなさがあるのかもしれない。自分では、会場の制作から演奏まで全工程に何らかの形でかかわっているのが好きだ。きれいな音やまとまった主張も大事だが、その場の雰囲気や気配がよくなければ演奏の出来だって場所柄だって悪くなる。コンサートで楽しむのは耳ばかりではない。まあ、そういうことを考えながらコンサートを作るほうがいいと思う。
2年前の『ロマンティック!』は、思うようにいかないところがたいへん気にかかって、コンサート終了時にはだいぶ気分が参っていました。自分の好きな曲からは距離を置いてきた。もう少し突っぱねてさばけるピアノ曲を選んで弾くほうが、演奏としては成り立ちやすい。あるとき、自分の好みに立ち入って傾向を調べたいと思った。外側から自分の興味をなぞってきて、機会をうかがって中枢に足を踏み入れたようなものである。こういう企ての性質上、ミスがなくきれいに仕上がることなんか期待しないで楽しんで弾いて下さいと、事前に提案してくれる人もいた。その人は、ぼくが自分の好きな曲を集めて弾くコンサートをやるんだと話したとき、大きくため息をついていました。この2年で、彼がなにを考えたのかはわかってきた。提案どおりに、もっと楽しんで弾ければ、演奏の外観は悪くてももっとおもしろいことになったかもしれない。ぼくはそこまで見通せなかった、ということなのだろう。ある種のスタイルをあらかじめ計画することで、ぶざまな失敗を回避する手もあるが、ぼくには向かないし、やめたほうがいいようだ。
専業の演奏家の人たちのほうがよく知っていることだが、自分の好きな曲というのはやりづらいものである。その曲を捉えている自分の主観と深くかかわることなしに「好きな曲」を弾いていることなんか、ありえない。自分の好みの性質と、その好みにかなったひとつの曲を弾く指の技術とは不可分の関係にある。他人の演奏で聴くぶんには大好きで、ほとんどそらで覚えているのに自分でまだ弾いていない、という種類の曲を、一通り全部弾きこなしてみようと思った。
好きな曲は、名人がうまくさばいた演奏で聴いて楽しむということだって良いが、自分がその曲をどうつかまえているかを知るには、不器用でも、弾けるものなら弾いてみたほうが、「心の耳」の開発には一番の手段である。名人の演奏に親しんできて、その演奏のなにに、どこに魅力を感じたかということが、その名人の演奏マナーに気圧されて見えにくくなっていることがよくある。絵の場合で言ったら、きれいな花に感動して眺めて、絵を描くのは忘れているようなことだろう。感動を形にして表すのが表現なのだが、表現するためには、その感動を何らかの仕方で理解しなければならない。厄介なのはこの接点である。
楽器がピアノだからという先入観があると、自分の気持まで他者の型にはめて、楽器や作品の固定像に合わせることばかり考えがちだ。確かにこうするほうが技術的にきれいに演奏できることが多い。自分の気持をいちいち確認して、その表現のためにベートーヴェンやショパンを利用すれば伝統にそむいていると言われるにきまっている。だが、楽器の演奏というものは演奏者の心や体を離れてはありえないし、体が動くということはその人の素直な気持が生きているということに他ならない。どうも、このあたりで気持が開けていないということに気がついたとき、何をすればいいだろうか。
自分の気持の型にのっとってピアノを弾くということは想像力の勝負です。大作曲家や有名曲がどんな外観であろうと、いざそれを演奏しようと思ったら、気持はウソをつきません。「私の庭」の中に、そのピアノ曲がどうかかわっているかを知ることができないとき、いくら技術練習を重ねても持久力や指の技術が開発されないものです。
2年前の『ロマンティック!』というコンサートではこのことをためして、それがいっぺんには成り立たないことがその後の2年でわかりました。ただ、少しずつでも自分の気持が開けてくると、案外演奏としてまとまったことが言えるようになってくる。この開発はそんなにとんとんと進みません。時間がかかるし、悠長でさえある企てですが、気持の根本を捨ててピアノを弾けば空疎な演奏になっちゃうよ。音楽を作る必要も、聴く必要もなくなってしまう。
このコンサートの観客席に作曲家・ピアニストの高橋悠治がいました。聴きに来てくれたひとりの人です。後日ぼくはこの先輩同業者に電話をかけて話し込んだ。高橋悠治を特別扱いするわけではない、永年人前でピアノを弾いてきて視野が広い、そして独自の領域を持つ作曲家である人には身に備わった勘がある。自分でかけた電話のことを書くのも妙な行動ですが続けましょう。かれはぼくに「詰めが甘い」と言っていた。大きく見ればそういうことも言えるのでしょう。正直な話、もっと聴き栄えのする、あるいは自分がやりやすい演奏マナーや選曲は他にあった。さっきも書いたけれど、演奏後の非常に歯がゆい後味を黙殺して万事めでたく音楽してきているわけではないですよん。わざわざ「自分の好きな曲」などというものを集めて自分らしさを見つけようという企ての端緒は非常に無自覚なところがある。高橋悠治のような批評的精神がその成り足りなさを見逃すわけはない。でもさ、他方で、ここから出発しなければ長期見通しがきかない気持の現実も排斥するわけにはいかないでしょうよ。これは考えようによっては子供っぽい発意だが、どのみち、知らん顔ばかりもしてられないと思うんだけれど。高橋悠治はそんなことにかかずりあわず、観客として自分が満足しないから不服を言っただけなのかなあ(笑;別にけんかを売っているわけではない。他の人が言わない指摘だから検討してみた。この指摘じたいはほとんどドンぴしゃりだ。痛い!と思ったから、気付け薬には充分でした。だからこそ、その基礎部分になにか欠落はないでしょうかという注意の気持が働く。およそこういう方角の話題は馬鹿馬鹿しいことになっているようだ。これは馬鹿げているのですか。べつに揚げ足取ってるわけでもないでしょう。酒飲み話かもしれないし、冷汗一斗ですが、ここに書いておきますね)。
現実は、ある種の技術主義でしのいでいかなければ情報伝播が追いつかないようなビジネスを抱える一方で、もっとリラックスして気持の交流を楽しみたいという欲求不満の面倒を見なければならない。現在の社会では、この両方の時差が大きすぎやしませんか。この分裂はあまり幸福な事態ではない。ひとりの人間がどうにかこのふたつを統合できなければ日常だって音楽だって続いていかない。どちらかというと、ビジネスの暴走に対してひとりひとりがどういう対策を取るかということでしょう。だから、ここに打つ手を考えるということも、やっておいたほうがいいと思います。
こういう種類のことを個人の生き方の選択の問題ということで括ってしまうと、状況の中で全員が孤立するようなことになりかねないと思うのは、ぼくの考えが狭い証拠なのだろうか。集団の営み、音楽の世界で言ったら、みんながさかんにやっている即興演奏なども、この孤立問題に対する補償というより、個人の孤立を招く危険性に対する反動ではないだろうか。とにかく現実的に行動を起こし、集団の中で舵をとっていく必要はあるのでしょうが、ぼくはこの集団の動きに是だとか否だとか言うよりは、自分だって現実の中にいるわけだから、自分の能力を実践してみたいと思う。これは集団の営為とは違って、まるで目立たない。しかし、いずれどこかに起点がなければ展開もありえない。だから、そのために友達ともつきあうんだというのは、別に利己主義でも打算でもないと思うけどねえ。
付記 誰かが言っているように、文章を書くのはほんとうに厄介ですねえ。この雑文にいくらか信憑性があったらうれしい。ぼくの文章力では、どうしてもこの程度の長さになっちゃうよ。最低、何が言いたいのか、わかる文章にしたつもりなので、長たらしいところはお許しください。
ここしばらく、アコーディオン奏者の御喜美江(みき・みえ)さんのブログにときどきコメントを書き込んで、オランダに住んでドイツの大学で教えている御喜さんと対話してました。ひとのサーヴァーに行ってばかりで、自分のウェブサイトは管理がいい加減です。2002年に御喜さんからの委嘱でアコーディオン・ソロ作品を書いた。2003年に国内外でたしか5回かな、演奏してもらいました。ぼくが臨席したのは、神奈川県・大倉山記念館と東京文化会館小ホール。海外ではフィンランドのトホランピ。この『太鼓堂』サイトには、大倉山でのパフォーマンスの資料録音がありますので、よかったら聴いて下さい。こちらから、そのページに飛ぶことができます。
御喜さんのブログ『道の途中で』、こちらです。
年末年始はしばらく充電、準備期間という感じですね。2月になると友達があれこれコンサートをやるので、久しぶりに会いに行こうと思う。3月には、知ってる俳優がやってる劇団の公演があるそうで、出かけようかな。自分のほうは目下、ピアノを練習しています。それについて詳細に報告してもいいんですが、ひどく回りくどくなるので、やめます。成果が出たら今春あたりにコンサートをやりますので、案内をご希望の方はこちらから住所とかお名前とかお報せくだされば、日時会場が決まり次第ご案内のはがき、パンフレットをお送りします。太鼓堂は、どこかの大手企業と違って、いただいた情報をほかへまわすようなことは一切やりませんのでご安心ください。
残りは画像で楽しんでね!
中学校のときは美術部に所属して油絵を制作していた。あれ、以前にも書いたっけ?林勇次郎先生はお元気だろうか。当時の美術の教官で、美術部顧問だった。先生は…親切な読者の皆さんにはまるで関係のない思い出話ですみません。続けましょう。生徒の中に悪ガキがいて、先生を呼ぶのに「林ブー蔵」というあだ名を発明した。容姿も性格も風貌も実力も「ブー蔵」を思わせるようなことはないのであるが、このあだ名は地下で流行し、独り歩きを始め、関係なさそうなところで妙なイメージが膨らみ、なんだか知らないが先生の根強い人気を助けた。断るまでもなく、林先生は、ちかごろ問題になる教師の汚職や、おとなげないいたずらとはなんにも縁がない。ふだん優しくて物静かな美術教師がなぜ「ブー蔵」なのか、誰も知らなかったが、ともかく、この痩躯の先生は冷静な判断と情熱を備え、力強さと漫画的ユーモアが同居して、生徒からの評価は高かった。
林先生の絵画作品には鋭角的なところがあった。これを、いまのぼく流に解釈させていただけば、絵画的イメージの誤用がどれだけ危険か、先生は知っていたのだと思う。だから、生徒が相手でも、美術の素材や技法のいいかげんな取り扱いに対しては、日ごろは穏便な先生も容赦はしなかった。いま思うと、夢みたいに思われがちな美術の世界を支える力学は、そんなやわなものではない、そのことを踏まえてこそ、絵画や彫刻のおもしろさがあるのだという1本柱がこの先生の価値だったと思う。相手がコドモや年寄りだからといってなおざりにしていいものではない、ということが身についている、すぐれた教師だった。
結局、ぼくの美術好きは趣味の範疇にとどまっていますが、いい絵を観て、真似して描いた経験は無駄にならなかったどころか、この経験がなければ、ぼくの音楽はふくらみのないつまらぬ模造品のようなものになっていただろう。もっとも、絵を知らなければ知らなかったで、今より少しは真摯に、そしていくらか能率よく音楽の創造領域に踏み込めたかもしれないんだよ。なまじ絵をかじったために、音楽の勉強に関係のないことが邪魔して、道を阻み、脱線がときにはなはだしいことを白状したほうがいいですか?しかし、ぼくは抽象画まがいを描かなかった。賢明な選択だった(であろう)。抽象画はやはり理解が面倒です。制作するとなるともっと込み入った段取りが必要だろう。それに、絵を本格的に学んだと言っている人たちの中にも、ろくすっぽ抽象画の本質を理解していないやつがたまにいるんだよ。だから、こういう厄介なことは力のある本職に任せて、趣味の絵画制作としては、現実にあるものを選んで描く。常識的だが基本をなぞったのは、後々のためにはよかったんでしょう。この場を借りて、林勇次郎先生に御礼申し上げます。念のため申し添えておきますが、ぼくは「林ブー蔵」という呼び方は使いませんでした。ただ、同級の悪ガキが創案したこのあだ名は、悪意からではなく印象的で、そのため記憶に鮮明で、幾十年を経た今、「林ブー蔵」について思うことを、いくらか書き留めておこうと考えた次第である。いったい、なんという作文なのだろう。
かなり専門のピアニストでも、ピアノという楽器の物理的な属性について、現場に即応して対策できる人は少ないのではないだろうか。それは、ピアノのコンディションの管理はピアニスト本人ではなくて調律師が行うからで、ピアニストの仕事のひとつに、自分のやりたいことをよく理解してくれる調律師を探すことが入ってくるのも、まず例外なく、ピアニストはピアノ調律の技能を持たないし、調律師のほうでも、ピアノ調律をピアニストが自分で行うような職業訓練は勧めない、という人さえいるという、現場の実情があるからだ。
しかし、ぼくが言いたいのはそういう、職業の細分化というようなことではなくて、ピアノという楽器の管理は、全世界的に、ずさんと言ってもまあかまわないような現実があるということだ。そりゃあ、コンサートホールのピアノはどれも、たいていどうにか弾ける程度のメンテナンスが定期的に入っている。だが、むしろこちらのほうが例外なのであって、コンサートホールを出てしまうと、ピアノが引き受けている取り扱いはかなり大雑把なことであり、この大雑把なことが、ときと場合によっては悲惨なことにもなる。
ピアノの性能を評価するひとつの大きな尺度は、必要程度のアクションの機敏さです。アクションとは、梃子の原理で作動する鍵盤とハンマーの動きの働きそのほかの、ピアノが音をだすメカニズムのことである。これがある程度自然だということがピアノという楽器の性能を測る目安になるはずだ。しかし現実には、音が狂っていないかとか、音量が大きいとか小さいとか、鍵盤が重いとか軽いとか、いわば見てくれで楽器を評価するピアニストが多いのだろう。アクションが必要程度にでも正確でブレや無駄がないなどということは問題の埒外になっているので、打鍵や打弦の繊細さが無視され、ひどいときには、ピアノはピアニストおよび調律師の共同事業で強姦されていることもある。
ひとつ、地方出身者として言いたい。少なくとも日本国内では、都心と地方とでは、ピアノに対する評価基準がぜんぜん違うのですよ。これは、楽器として優秀か、あるいは使用に耐えるかどうか、とかいうこと以前の問題だ。ヨーロッパやアメリカや、どこでもいいがとにかく一流という肩書きのあるピアニストは、お金さえ払えば自分の好きなように会場のピアノを取り扱うことができる。言いすぎもあれですが、コンサートホールは、一種の政治的な世界である。地方のホールの調律師は、都市から仕事に来たピアニストに怒鳴られっぱなしである。こういうドグマでも持ってこなければ、このホールのピアノに対する評価基準はないといっても誇張にはあたらないだろう。つまり地方では、多くの場合、ピアニストは、鍵盤を叩けば無事に音が出るということで、一切を了解し、その範囲でできることをやり、あとのことは問題にしない程度の太い神経がなければ、しのげたものではない。
これを枝葉末節だとけっぽってしまえるのは都会のピアニストの育ちのよさである。地方出身のピアニストも、はじめのうちは悪いピアノで下積みをして、えらくなったらいいピアノが弾けるというような序列で自分の音楽を考えるだろう。これでは、ピアノを道具として取り扱う気持の下地が身につかぬなど、あたりまえじゃないか。
自分の少ない経験で言うと、ピアノが弾けるかどうか、その場その場の音楽がやれるかどうかというのは、別にピアノの性能云々の問題ではない。お粗末きわまるピアノでも面白い音楽はできる。ただこれは、音楽の側から言えばそうなるということなので、もっと広い現実のなかでは、全部が全部こうなるわけではない。ヨーロッパのクラシック音楽に対してひとが持っているイメージは、なんか妄想的な要素を含んでいるとでも思いたいほどだ。そのイメージは、ピアノ音楽の現在は世界的なひとつの管理社会だと皮肉が言えるほどに固定的な現実を作っている。この図式を知っていて、なおかつそれを逆手に取る形でピアノのよさを引き出す、というようなことは、相当な技術には違いないが、目下のところ例外的な行為だと言われても仕方がない。こんなところになにか「標準の」ピアノの性能や演奏法を考えるほうがどうかしていると笑われそうだが、ひとつのお話として、このさきを正直に演繹してみると、ピアノの現在の別の側面が見えてくる様子です。
地方の場合だけでなく、たいていのピアノは、常識はずれの力学を負担しすぎていないだろうか。ピアノが道具なら、必要に応じて適当な性能を持っているべきだと思う。確かに、特殊な意図でもなければコンサートでアップライトピアノは使わない。クラシック音楽以外のジャンルでは、ピアノの性能をとやかく言わなくても、そのときどきではどうにかなっている場合もある。肝心なのは、いざ道具だとなればアップライトピアノ、あるいは性能がどうも今ひとつのピアノでどれだけの音が出せるか、どれだけの技が使えるかという、そのピアニストの技術だ。一般の家庭でおんぼろのアップライトピアノを弾いて、その場の雰囲気の中で音楽の楽しみができる人たちのほうが、一握りのプロよりもずっと多いという現実を少しよく見たほうがいい。それで間に合うかどうかの問題だと思う。間に合えば悪い理由は何もないことも、もっと知られていいのではないか。公のコンサートで使うグランドピアノという道具についてまわっている先入観を、見直したほうがいいと思う。グランドピアノの利点はたしかにいろいろあるが、だからと言ってグランドピアノはメートル原器のような絶対的な基準にはならないし、あろうことか王冠か勲章みたいな地位・権力の象徴でもない。そんなふうに思うのはおかしい。
ぼくは中学3年生の夏休み以後はグランドピアノで練習している。当時、自分のお金でピアノが買えるわけはないから、家庭環境には恵まれていた。だが、この楽器は使い方によっては単なる騒音器具なのでしてね、グランドピアノにしたからマシに弾けるようになったのかどうか。ちょっと疑問がある。騒音器具なら、ピアノでなくてもいい。ぼくが作る盛大な騒音は、周り中、田んぼだらけの田舎町では迷惑もいいところだったんじゃないか。当時のぼくに、自分の音が騒音かそうでないかの区別ができたらよかった。残念ながらそういうまっとうな耳と気持がそろっていたとは考えにくいですね。ここはウソつかないで、自分の能力がたかだかその範囲だったこと、それから、いい道具や環境とピアノの上達とは短絡できないことを白状したほうがよさそうだ。だから、「グランドピアノは大きな音が出せる。いいなあ」などと言っている人を見ると、気持がちょっと痛むのです。後悔先に立たず、ですね。
ぼくは大学を辞めてしばらくの間、渋谷のレストランでアップライトピアノを弾かせてもらっていた。友達と組んでシューベルトの『冬の旅』全曲や、モーツァルトの交響曲の連弾もやった。それで夕ご飯(おいしかったよ)とギャラがいくらかもらえる仕組みだった。ぼくはこの過去においても、いわゆる苦労人ではない。第一、音大に入れてもらった。その音大を辞めて、アカデミックと言われる芸術音楽の世界を抜け出したところでピアノを弾き、作曲するということが現実にはどういうことなのか、ちゃんと把握していたとは申せません。東京で自分なりの作曲をやってピアノを弾く。それが生活と陸続きになる。おそらく本気でそう思っていたが、いま思うとどこか違っていましたね。当時の一般的な考え方で見てもちょっと無茶だったと思う。思い込みとか、馬鹿げた想念に駆られていたかもしれない。ぼくのやりたい音のイメージが音大では全部例外になってしまい、ここにいたら自分の判断基準がわからないじゃないかというのが、そのときの気持でした。音大にいて感じた矛盾がぼくのその後の判断を左右したという次第です。自分のアイデアを押し殺すには限度があった。
その渋谷のレストランでピアノを弾いていたときには、厨房の湿気をたっぷり吸い込んだ鈍いアップライトピアノでなにができるか、かなり存分に工夫しました。これは面白い経験でした。貧弱なピアノをどのくらいよく弾くか、ということは、客観的な評価はどうか知らないけれどトリッキーなことで、装備がじゅうぶんでないのに、いい演奏だなと思ってもらえることが嬉しかった。ピアノが良くても悪くても、使えるピアノなら使いました。今だってそういう需要があれば、よほど変な場所でもない限り引き受けるだろう。こういう現場では場所柄が大事だ。演奏のいい悪いという判断のほかに、もっと別な基準がある。だから道具と場所は必要程度に選んだほうがいいと思う。それは、都会のど真ん中にはまったく似合わない、ローカルな音楽現場でした。コンサートホールから出て5分も歩けばこういう現場もある。いわゆる専門以外の視線で見た音楽の必要の水準がどういうものかがわかる。ぼくは自分の経験が若干お話しできるまでです。えらそうなことは言えません(笑)。苦労ののち立身出世しました、というお話は、現に、別に出世していないし、ぼくにはできない。
現在でも、たいていのライヴハウスのピアノの性能はそんなところであって(最近、ぼくが渋谷・公園通りクラシックスで小規模なコンサートをやる主要な理由は、この会場にはたいへんまともなグランドピアノが備えてあるから、です)、これでなにができるか、いちいち曲目を考えなおす。こんなとんでもないピアノで現代音楽もないだろうという場合に、ビジネスで弾いてしまう人の気持がぼくには引っかかる。往々にしてこういうときのピアニストの気分はいっそ気楽なもので、気楽が悪いわけじゃないし、演奏の良し悪しを問わないコンサートだってあっていいという話はできる。ただこういう話は下手すると無茶苦茶になるものです。物理的にムリで、成り立たないことを真ん中に持ってきてトータルな評価の基準を作ろうと思っても、そうもいかないと思います。いかがでしょうか。
ピアノを弾くという行為には、単純にピアノの性能だけでは片付かない問題があるし、さればといって、コンセプトだけで成り立つものでもない。ちゃちな会場やピアノは知らない、で問題が片付くような現実だけでもなさそうだ。ピアノは爆音を作ってウサ晴らしする道具ではないと思う。
ピアノについて書こうと思ったのに、いままで自分がピアノをどう扱ってきたか、今後はどうしたいか、などと考え材料をべたべた並べ、こりゃイカンと思っていますが、しょうがないなあ。片付けていきましょう。相変わらず愚考ですが、ぼく以外のどなたかの、何らかの参考になれば幸いです。
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