江村夏樹
白状しますが、ぼくは小説は好んで読むんですが、詩集を手に入れて愛読する習慣は、小説の場合に較べるとあまりない。たぶん、自分の世界に篭城したくないんだろうな(つまり、自己耽溺にふけりやすく、ややもすればナルシスティックな男の子が「突っ張って」反抗してる、ということになってしまうが…自分で突っ込んでどうする?)。いや、読むのだが、楽しむまでの道のりが長い。好き嫌いも多い。ごつごつした言語の塊を相手取って、親しむ、陶酔するとはちょっと言いにくい、といったたぐいの体験だ。高校の国語の恩師、吉岡又司先生にこの前お会いしてから、もう7年になる。教職のかたわら、現在までに詩集を5冊上梓している先生に、「詩はわからないんですよ」と、強くない酒をなめながら告白すると、ちょっと酔っ払った先生は、にこにこやあやあと元気な声で「わからないからいいんです」とおっしゃた。かつて、教壇では漫談ばかり、生徒の笑いが止まらないような授業だったが、詩作となると、読者は書いてあることを正直に追いかけて、作者と比較してにやにやするものの、いったいこれはなんなのか、わからない。その読後感に反撃を食らわすのが作者ご本人の「わからないからいいんです」というにこにこやあやあ声である。
ボードレールとかランボーといったフランスの詩人たちの世界の退廃が趣味に合わなかったので、こうした人たちの詩には親しまなかった。読んではみたが、あまり好きではない。いつぞや、太宰治の『人間失格』を読んでいて、女子学生の自己嫌悪の独白の中で、いきなり「文学なんかやめてしまえ!」と、これははっきり読者にむかって作者が毒づいている、暴力的な発言があったが、思春期に近代フランスの詩を好むということは、この太宰の啖呵を悦ぶ神経に似て、自分の欲求不満か衝動か、そういうものを代わりに言ってくれる読み物に共感する、という側面が多分にあるんじゃないか。ぼくだってそういう文学を持っている。日本の詩人でとりわけ印象的なのは八木重吉で、「まことに 愛にあふれた家は のきばから 火を吹いてゐるやうだ」という有名な詩(『愛の家』)に出会ったときには、そうだ、その通りと、半分ため息まじりでしたが、ぼくはこの詩が好きで、何かの折に思い出されて、気持を支えてきた。そういう詩歌はぼくにもいくつかある。
作者は好きだが作品はわけがわからない、ということが詩を味わう場合によくある。吉増剛造氏、田村隆一氏、いずれも、ぼくがその世界を大事に思う日本の詩人ですが、両氏の作品がわかるか、ときかれたら、わからんと答える以外にないだろう。そこへ、またしても登場するのが、「わからないからいいんです」という吉岡又司先生のにこにこやあやあ声である。『雪下流水抄』という詩集を先生が出したのは1981年の秋ごろだったと思う。ぼくは高校1年生だった。積もった雪の下を流れる川の水、というイメージは雪国育ちのぼくなどにはぴんと来るのだが、肝心の詩の内容にそのイメージは、直接には用いられていない。なんだか漢字の多用で凸凹した肌触りの、わかるような、いまもってわからないところも多いけれど、先生がやってみたかったのは詩のテクスチュアというものの拡大だったのかな。そういうことは、案外、詩の世界で行われていないような気がする。生理的なテクスチュア。それはざらつきのようなもので、新潟県の中越や上越という場所と関係している。あの詩集は、先生の作品系譜の中で例外的な1冊である。というあたりが読後感。
今日これを書いておこうと思ったのはですね、おそらく詩というものは、イメージの組み換えの可能性を提示するひとつの考案のようなものだと思ったからでした。もちろん、たいていの詩というものは本の中に定着したひとつの形ですが、それは形式というより、いろんな意味づけが可能な相互に異なるイメージの断片を、言葉の組み合わせで重ね合わせて、どうぞと差し出しているある領域と理解できれば、その領域の中で「歩き回る面白さ」ということも体験できるのだろう。それは読者の自由にまかせられている。これから詩を読むときにはこの考えでいってみようと、今日、くぐもる曇り空のした、遅い昼ごはんを食べながら思ったので、備忘のためにここに書いておこうかと思い立った次第。陰気な曇り空だったんですが、これはうれしい発見。吉増剛造さんの詩などは、詩の解釈の可能性を詩として書いている、あれは一種の増殖、そして限定、詩から詩を創っているのだ、と考えると、仕組みがわかるような気がしますが、詩にも批評をする人がいて、ぼくのは鑑賞であって批評ではないが、面白がれればそれでいいだろう。
それにしても、マラルメの詩、サミュエル・ベケットの詩、ああいうものを翻訳で読むのはどうなのか、判断ができませんが、とにかく何度挑戦しても、わからん、と言えば、「わからないからいいんです」というにこにこやあやあの吉岡又司先生の声が聞こえてくる。最近、先生は、音楽と詩の関係についてしきりに考えているそうです。じゅうぶん面白がれる問題だとぼくが思えるのも、そういう興味がぼく以外のひとにもあるからであった。
付記 吉岡又司の詩集は、弥生書房や書肆山田、玄文社から出版されています。興味のある方はご一読ください。
どうやら、現代のおおかたの音楽家の《好み》というのは「私的な」ものらしい。自分が満足するような音の《好み》があり、それに逆らう傾向には賛成票をあげない、というのがその代表的な態度である。何か不愉快な摩擦は、この態度に気がつくことでずいぶん軽減するのではないだろうか。いらないライヴァル競争や虚栄心は、ないに越したことはない。そんなものではない、自分と違う傾向の音に対しては、それなりの接し方があると思う。
ショパンだってサティだってドビュッシーだって、社交と個人性との矛盾をどうするかという問題には気づいていた。わりあいうまくいったか、砂を噛むような結果になったか、いろいろなことはあるだろうけれど、どうにか折り合っていったわけでしょう。折り合っていたからこそ、後世のぼくたちは彼らの音楽を楽しむことが出来るのだ。
日本の有名な作曲家某氏の、とてもおもしろいピアノ曲を弾いた、その某氏の秘蔵っ子ピアニストは、じつは楽譜のなかのある部分で、ト音記号とヘ音記号を読み間違えて、低い音を高く弾いていた。楽譜では、この低音は曲の中間部分で重要な役割になっているのに、お二人とも読み違えたまま気づいていないようすだった。ぼくは、自分のコンサートでこの曲を取り上げたとき、書かれているヘ音記号の高さで弾いた。すると、作曲家某氏は観客席にいて、演奏を非常に気に入ってくれただけでなく、「あの低音、すごいですね!」と喜んだ。ぼくは…もちろんうれしかったが、これは現実だろうか、という半信半疑の気持で、まあ、喜んでくれたんだからと思って、記録テープを後日、某氏にお送りしたら、気に入って持ち歩いて聴いていますという手紙までいただいた。某氏は演奏家とのコラボレーション次第で、自分の曲がどうとでもなると思っていたのだろうか。それにしては、問題の楽譜は精緻で、しかもわかりやすく誰にでも伝わる顔つきで、右手と左手のタテ拍は合っているがリズムも拍子も違うというような、もつれさせるようなことが、いちいち無視できないように書いてある。どうとでも好きに変形してくれ、という偶然性の産物では決してない。
つまり、某氏とぼくとのコミュニケーションは正常な現実だったわけである。彼は、秘蔵っ子ピアニスト氏の結果も、ぼくの結果も、同等に「受け取った」としか考えようがない。これは極端な例なんだろうか。いや、別に極端ではないと思う。ぼくは社交がうまくないほうですが、作曲家としても演奏家としても、こういう実例をいくつか経験しています。相手は、みな断然トップの同輩や先輩です。ぼくなんか問題でない(笑)。
だから、そーゆーことをどう取り扱うかという配慮は、確かに微妙なことがらだけれども、いいかげん神経質になってるのも程度問題なのだ(笑)。某氏のような実例を、頓珍漢な馬鹿っ話だと笑い飛ばせるほど、私どもは頭が秀才なのか。そんな話でもないでしょうよ。彼の陽気な空気であのコンサートはとても和みましたよ。かれはオーディオ的に言えば耳は悪かったのかもしれないが、もっと包括的なあの感覚は、それが断じて彼のマイナスにならない、という種類の、とびきり陽性の何かなんです。それは非合理な感覚かもしれない。しかし、誰の被害にもならないどころか、しっかり、みんなのプラスになったじゃないか(笑)。
というような豪快な馬鹿馬鹿しさだってある。いや、ある種のおおらかさというものは、作曲家の繊細さと背反しているとは限らない。なぜなら、某氏のその曲は、ある意味とても優しくて繊細な音楽で、そのデリカシーを取り扱うために、技術的にも、通常の倍以上の、たくさんの練習が必要な曲だからである。うまくいったからこんなことが書けますが、ありゃ厄介な楽譜だった(笑)。ついに、いくら練習してもこりゃ弾けないわ、というほんの5秒ほどの経過部分は「だいたいこんなかんじ」という近似値を弾いて、感じを出して、というと聞こえはいいが要するにごまかして切り抜けたが…うーん、地道な練習がものを言う、というのが、やっぱり基本なのかなあ。
(クイズ。さて、この作曲家某氏は誰でしょうか。ご本人に、直接そのト音記号とヘ音記号の取り違いを指摘したところ、「あ〜、ぼく、そういう音のことはよくわからなくて」と陽気に笑っていましたから、暗いゴシップにはなりません。こういうのって、実名を出すほうが、出さないよりも陰湿になるって不思議だねえ。)
なんだか、陶酔もいいけれど、音の殻に閉じこもらないでくださいと言いたい気がする。今日の話はこれでおしまい。
10歳ごろ、彼の『春の祭典』の虜になって、20世紀現代音楽に対する興味が本格的に開けたというのに、この作曲家の実像は案外想像しにくい。その根拠にもなっていないひとつの例だが、彼の肖像写真はどれも作曲家らしくない。学者か小説家のようである。そもそも法学部の学生だったそうだから、当然といえば当然ですが、晩年の写真も依然としてどうも音楽家には見えない。どっかの本に川岸で全裸のストラヴィンスキーの写真が出ていました。泳いだのかな。
長いあいだ、ストラヴィンスキーはプロコフィエフの後輩だと思っていたんですが、逆であった。単にぼくの記憶違いだったんですが、なぜプロコフィエフがストラヴィンスキーの先輩に見えたんだろうか。例えば、プロコフィエフの『スキタイ組曲』は、いま頭の中でざっと追っかけて確かめた感想で言えば、基本の曲調はメロディで、至るところでこれらのメロディが刺激の強い動きをするので特色が強いようである。これに対して『春の祭典』は、メロディは断片に過ぎず、基底になっているのはメロディ以外の要素、例えばリズムである。だから、プロコフィエフよりもストラヴィンスキーのほうが新しく聴こえたため、プロコフィエフのほうが年長だという間違った印象が出来上がったのかもしれません。
ストラヴィンスキーは、祖国に帰って社会主義レアリズムという旧ソヴィエトの旗印に組することになったプロコフィエフを批判している。こういう客観的な態度はストラヴィンスキーの音楽を理解するひとつの手がかりになると思う。ショスタコーヴィッチはストラヴィンスキーにひとこと言いたかったようだが、バルトークはそのショスタコーヴィッチが嫌いで、という具合に、こちらを軸にして展開すると政治的イデオロギーの話になり、はなはだ長くなるので、機会を改めましょう。ぼくは、自分の属している社会をあまり皮肉っぽい目線で見たくない。社会病理が常識はずれな場合、それを嫌悪するのは好き好きだけれど、これをからかったり、風刺したり、過小評価したりすることがいつもおもしろいのかどうか。
『春の祭典』のピアノ連弾版をいままで2度演奏している。1回目は1989年だったが、このときはあまりうまくいかなかった。2002年暮れに大須賀かおりさんと組んで演奏したときには、相手がぼくよりピアノがうまいのでずいぶん励みになって、演奏もそれなりだったと思う。
この2回目の準備のときにスコアを点検して初めて気がついたのだが、『春の祭典』はニ調で書いてあって、属和音(イ調)→主和音(ニ調)という古典的なカデンツァを繰り返しているだけだが、複調だったり、変化音を強調したり、ポリリズムだったり、打楽器がたくさんだったりで、古典的な構図が聴こえてきにくいようなことをあちこちに仕掛けてある。多くの場合、基礎低音が主音ニの近所で、ハ→ニ とか、変ホ→ニ とかいう具合に動いているのは、いわゆる機能的な転調ではなくて、同じ調の中での変化と言ったほうが妥当な気がする。具沢山の味噌汁だから味噌が吸収されやすいなどと、関係がねえようなことを何のためにわざわざこじつけているんだろう。
ズビン・メータの2回目の新録音を聴いたのがこの曲との出会いだった。1970年代半ば以降しばらく、『春の祭典』はブームになっていて、いろんな指揮者がこぞって新録音を出した。いちばん話題になったのはコリン・ディヴィス盤だが、当時の新録音はいずれも打楽器が派手に入っていて、演出の仕方を聴き較べるのが楽しかった。あれは多重録音で、マスタリングのときに打楽器のトラックを強調しているのだろうと思う。そういうレコードが『春の祭典』の第一印象を作っていたから、ピエール・モントゥのもっと古い録音をあとで聴いたときには、あまりに印象が違うので、かえって呆気に取られた。
1918年、指揮者のエルネスト・アンセルメがアメリカから帰ってきたとき、ジャズの楽譜をストラヴィンスキーにお土産としてプレゼントした。ストラヴィンスキーはこのアメリカの新音楽を研究して『ラグタイム』とか『兵士の物語』とかを書く。以降、1960年代初頭まで、いわゆる新古典主義の作風の時代になるのだが、どう聴いてもさっぱりおもしろくない曲が目立ちすぎるような気がする。『ダンバートン・オークス』『バーゼルの協奏曲』『カルタ遊び』…ぼくがつまらない作品だけ抜いてきているんだろうか。
『古いイギリスのテキストによるカンタータ』など、声楽が入ると俄然おもしろくなるのだが、それはともかく、新古典主義のストラヴィンスキー音楽のうち、室内編成の作品はどれも、演奏はたやすくはないのだろうが、聴いていると、ほとんど何もしていないような印象があるのはなぜだろうか。
いや、何もしていないのではなく、遠くで何かやっているのだが、どうでもいいようなかんじです。直接刺激してこない。すなわち物足りないのだという向きがあるかもしれないが、夫婦喧嘩は犬も食わぬというではないか(なにを書いているのかねえ)。ストラヴィンスキーが紳士的だという証拠になるのかもしれない。
彼の想像は大胆だった。『春の祭典』のあらすじは、少女を生贄に捧げる未開民族の祭儀である。『ペトルーシュカ』は、人形が繰り広げる三角関係の殺傷沙汰が街の市場に飛び出してくるという二重仕掛けの物語。どちらも、現実には起こるわけがない作り話だ。川上弘美の用語ではないが「ウソ話」ではないだろうか。『兵士の物語』は、悪魔の誘惑でカネに目がくらんだ兵士が、富を得たうえ、自分のヴァイオリン演奏でお嫁さんまで獲得しようと欲張ったところ、音楽を悪魔に乗っ取られ、お嫁さんのほうはどこかへ行ってしまうというお話ですが、これは、感じはずいぶん違うが、骨格は三遊亭円生の十八番だった『死神』と同じつくりの物語だと思う。
よく聴くと、未曾有の大編成オーケストラで演奏される『春の祭典』の場合も、こけおどしな身振りは見当たらない。どこか非現実で、よその世界のイメージを見ているようだ。この印象は、ストラヴィンスキーのどの曲を聴いても感じることで、冷静というのか控えめというのか、熱っぽくない。おそらく、「さっぱりおもしろくない」「おもしろくもなんともない」というような新古典主義の作風も、出来が悪いとかいうよりも、醒めた判断の成果なんじゃないか。これを言い換えると、曲の出来は筆頭の問題ではない、ということにもなるような、なんかケシカラン演繹もできそうな気がするけれど、ぼくが勘違いしていますか。
ストラヴィンスキーは自分のピアノ曲を何曲か、自分で弾いて録音し、大半の管弦楽曲や室内楽を自分が指揮して録音し、自ら監修して市場に出している。『春の祭典』の自作自演もあるが、コロムビア交響楽団は数箇所で混乱していますし、ピアノ曲『イ調のセレナード』や『ピアノ・ラグ・ミュージック』では、ミスをビートでごまかしています。確か作曲の野村誠から聞いた話ですが、来日したストラヴィンスキーがN響を指揮していたら、オケがではなく、指揮者が、どこ振ってるのかわからなくなったらしい。変に作ってないからおもしろい演奏、というところがあるが、技術的にはストラヴィンスキーはあんなことでもよかった、と思われたって仕方がない。
これを聴いてると、いったい何のためにいちいち楽譜に神経を使わなきゃならないのか、だいたいでいいじゃないか、という気持になってくるような気がするから不思議だ。カリカリしたところがなくて大らかでいいような気持にさせるような作用がありそうだ。ぼくとしては、自己弁護のために、演奏技術というものは必要に応じてあればいいというようなことを書いておこう。ストラヴィンスキーはもっとほかのところに関心があったはずだと思う。
本来、ぼくは抽象理論だけまくし立てるのは嫌いで、試してできることならやってみてどうだったかを書くほうが好きです。だから、料理の場合で言えば、ラーメンの話よりも複雑になると自分の想像力が追いつかないというようなことがよく起こります。ラーメンだったら、自分で食する昼飯にときどき作っている。もちろん、プロの板さんがやるようなものではない。せいぜい麺の茹で加減のコツが自分なりにわかるだけです。だけですといっても馬鹿にならない場合があって、過日、この茹で加減がわからないという女性に出くわして少しく幻滅を味わいました。家庭のラーメンぐらい器用にやれないものかねえ。
俳句となると、ラーメンのようには行かないかもしれません。いつぞや、初詣の参拝で、はっとひらめき、
というような、まあ川柳ですが、自分では悪くないと思っているけれど、単なる思いつきで、何か方法があっての創作ではないからあまり誇れるものじゃない。それでもこういうものが折に触れ作れたら乙なものだろうなあという憧れは持ってますが、専門の俳人がやっていることは、憧れなんてセンチメンタルなことではなくてもっと堅牢な造形のようです。
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る 山口誓子(1901-94)
やっぱり、本職は緊張感が全然ちがうぞ、見てることが違う、と思っちゃうよ。
ところで、あとのほうの山口誓子(やまぐち・せいし、念のため)の俳句論を去年初めて読んだ。この俳人は正岡子規の主張に共感して自分が受け継いだ、と言っている。そして、子規は松尾芭蕉の方法を受け継いでいる。高浜虚子によれば、正岡子規が主張したのは「写生」「配合」「客観描写」であるという。とりわけぼくが興味を惹かれたのは最後の「客観描写」でした。以下、非常に大雑把な引用になりますが、山口誓子の言うことには、正岡子規は、
客観に動かされた感情を直接描写しないで、客観の事物だけを描写して、それで読む者に感情を想わしめるといったのです。そして松尾芭蕉は、客観描写をしていると、印象が、イメージがはっきりして、しかも余韻のある句ができるというのです。
つまり写生によって自然を眼でしっかり押さえ込んで、それを言葉で表現せよ、こう言ったのですね。これが、つまり客観描写だという。私は巨大な自然の風物を見て圧倒された、というときに、「私は圧倒された」と直接やるな、「巨大な自然の風物」を描写すべきです、何を見たかを読む者に伝えましょう、というふうに要約できると思う。
つまり、俳句においては「私は〜と思った」という、主語・目的語・述語の構文、意思や意味の伝達の形式イコール句の表現、ということにはならない。なにか客体を提示することが大事だというのは、彫刻みたいなものでしょうね、実体を差し出すということだと思う。当然これをやるには、その俳句の作者の、事物に対する冷静な観察眼が必須だろう。俳句のうえに作者のなまの気持がのさばっていない表現、ということを言っているのなら、よく納得がいきます。
よく考えれば、造形というのは常にそうしたことであって、そこにあるモノを描写・表現するというとき、その実在のモノがそのまま表現であるということには、通常はならないし、モノを見ている「私」なら「私」が描写・表現の眼目になるというのは一種の勘違いで、あくまでもそこにある「モノ」を何かのやり方で写し取らねばならない。
ぼくは音楽の作曲や演奏では、この客観描写の問題はどうなるのかということを考えてみました。作曲というのは音を組み合わせる作業ですが、ただ単に音ならなんでも持って来ればいいとは誰も考えてませんで、いろんな作曲の場合に応じて、しかるべくふさわしい音を選ぶ。楽譜を作る場合でも、録音媒体に記録する場合でも、即興演奏でも、これは変わらないでしょうね。どう考えてもその場にあったらおかしい音、というものは取り除くという作業もやるし、この音はいかにもふさわしいには違いないが、当たり前すぎておもしろくもなんともないようなら、ほかの要素を取り入れるということもやる。これを極力意識的に行なう、というところが要でしょうね。いろんな場合に応じて、音楽を作る人が「どうしたいか」があって、それを実現するのが作曲における「客観描写」ということなのだ、という以外に考えようがない。だってそうでしょう、富士山や、桜の花に感動したからといって、音の造形で富士山や桜の花を表すことはできないのだ。
演奏の場合、その作品の解釈ということをやりますけれども、楽譜に書いてあるいろんな指示を忠実に守って演奏するのがマナーだと思っている人がいるけれど、実際には、楽譜にある情報を読み込んだあと、いちど演奏家が自分の、ある判断の尺度に当てて、そのいろいろな情報をどうしたいか確かめるという段取りを必ず踏んでいる。どうしなければならないということは楽譜のほうからは何も言ってこないから、演奏家が決めなければならない。つまり、これは、従来よく言われる「再現」じゃなくて、楽譜を素材にして造形しなおすようなことなのではないか。だから、楽譜を見て楽器を弾く、という順になっているけれど、楽譜と演奏者の間には、その演奏者の計画という、楽譜に忠実に基づきながら、楽譜そのものではない、演奏家による企てごとがあって、演奏というのは、その企てを順次遂行することではないか。
だから、楽譜を見て演奏するというのは、楽譜にある内容を客観描写するようなことである、と言ったら、強引過ぎますか?作曲家が曲、というか楽譜を作り、演奏家がその楽譜にある音を出す、この道程で、創作過程が、少なくとも2回行なわれる。
山口誓子は、俳句を作るときには「自然」を「客観描写」する、と言っていますが、音楽の場合、この「自然」に当たるものは何かと、しばらく考えていました。まず、たくさんある音の中からいくつか選んで枠を作る人、例えば作曲家がいて、その限定された枠組みを見る人、例えば演奏家がいて、という順番になってるはずだと思います。
俳句の話に戻して締めくくりましょうか。ぶっちゃけたはなし、自然の客観描写というと、動物園の象さんやパンダちゃんみたいに親しみやすい風物を連想しがちで、もちろんそれでも構わないし、そういうことが基本でしょうけれど、山口誓子さんが自選した百の俳句を読んでいると、いったい何を描写したのかしばらく考えるようなものもずいぶんあります。
距離が美しいってどういうこと?その白鷺はどこにいるんだろう?え、蝶ってなに?何か喚起されるものがいちいち問いかけて来るのがおもしろい。その問いかけが全部意外で、想像力に働く引力が強いのが、この句の魅力だと思って、好きになりました。
最近、近所の東武線の駅の上りプラットホームの自動音声の女性アナウンスの音程が低くなった(このセンテンスの主部の「の」がむやみに多いのは、それだけ現実が多様で複雑だという証か、そうでなければぼくの文才がどうしようもないことの証か、どちらかでしょう)。この女性アナウンスは以前ソプラノの声だったのですが、それがアルトに変わった。ぼくの好みでいうと女性の声は低いほうがいいですね。録音機とかデジタルサンプラーとか、コンピュータの合成音声などという技術がなかった以前には、全部、きれいな声の女の人が職業でアナウンスしていたはずだが、ぼくの記憶ではその肉声は、職種によって多少の差はあったが、一体に高い声で、そして職種によってパターンは違うが、民謡の節回しのように、ある定まった抑揚の形式に則っていた。そのー、なんですか、つまり職業で発する女の肉声というものは音程が高いものだという観念があったんですかねえ。鉄道の駅のプラットホームの女性アナウンスが低い声になったのは、ある程度は、いや、かなりの程度は、世の中の男たち、または女たちの一般的な嗜好が、女性の低い声を選ぶようになったということの反映だと思う。
ところで、上りホームの女性アナウンスの音程が低くなったのに、下りホームの男性アナウンスには変化がない。テノールの声がバスの音程に変わるのは、想像すると、たしかにちょっとやりすぎのような気もする。そもそも、なぜ上りホームが女の声で、下りホームが男の声なのか理由が判然としません。面白がっている場合ではないのかもしれないが、これはいろいろに考えると格好の暇つぶしなのでやってみましょう。街へ出る通勤客のために、色っぽくて低く落ち着いた女のアナウンスをあてがうのは、東武線の心遣い・思いやりのようなもので、これによって男も女もうるわしく出勤(失禁ではない)できるとか、担当係はきっと考えたのだろう。くたびれ切って帰途に着く夕刻の労働者のために、冷静な男のアナウンスの用意をする。これはたぶん男のほうがいいので、清楚な女のアナウンスだったりしたら、車内に必要以上の色気が影響しすぎて、まずいことになるから、帰宅に混雑電車を利用する労働者の車内整理には落ち着いた男がいい、と無理やり理屈をつければつかないこともないようなものかもしれない(どうだっていいんです)。事実、大して長距離乗車でもないのに、夕刻のラッシュでビールを飲んでいるおじさんを見かけるから、そういう場合、色っぽい女の声が聞こえたら、おじさんは陽気になってビールをこぼすかもしれないのだ。この理屈はまあ通りがいいけれど、そんなら、帰宅のラッシュで聞こえてくる、ホストのように優しい男のアナウンスに女性客がうっとり聞き惚れたあまり、はたの人が困るような挙動を行なうことはないのかな。そういう心配が無用な理由の第1として、勤め帰りの女性客はたいてい寝ているか、もしくは半分ぐらい寝ているので、みだらな気持に走らない。理由の第2は、すべての乗客が街から田舎へ帰宅するわけではなく、田舎から街へ移動する乗客もいるから、両方ごたくたになってちょうどいいのである。この程度の考証が出来れば理由に不足はなさそうだ。昼間の電車のことは別の機会に考えることにするけれど、ついでに言えば、電車の乗客のなかに、自ら好んでか、単に無防備にかは知らないが、助べえな肢体を周囲の男子に押し当ててくる女客がたまにいますね。混雑電車ではいっそ格好の余得なのかも知れない。
話が飛ぶんですが、ちょうど10年ぐらい前、MIDIというものが注目されて、一部の作曲家氏などはこの新技術に未来を見出した気でいる。表現の自由とかいうよりも、それは技術主義とロマンチックな妄想と暗い支配欲の権化でしょうね。膨大な量の音符を圧倒的な速度で演奏させたら人間にかなわないと、例えば平石博一は本気で思っていたらしい。1996年に江村夏樹が彼の全ピアノ曲を弾いた事実を、作曲者当人が社会の表面から抹消している。というか、忘れたらしいっすね。けっきょくのところ、彼はピアノ曲の世界では成功していない。なにか根本的な勘違いである。MIDIだったらどうにかなるだろうなどと、おごるのもいい加減にしろ。
MIDIは、ぼくなどにはまことに魅力というか色気のない自動演奏の道具で、作曲にも演奏にも使ったことがない。たいていのことは手弾きで充分なのだ。いま、携帯電話の着メロなんかは、MIDI音源の自動演奏をファイルにしたようなものが入っているのだろう。MIDIというのは Musical Instrument Digital Interface の略で、電子楽器やコンピュータの間で、演奏に関するさまざまな情報をやるとりするための世界共通の規格であると、KORGのシンセサイザーのマニュアルは定義しています。たしかに今の世界からこの技術をなくしてしまったら困ることはいくつか出てくるんでしょうけれど、これですべて出来ると思うのは錯覚か、中毒みたいなもんじゃないか。どうもしっくり来ないのは、その実用性で、効率よく着メロのようなものが作れることにケチをつける理由は別にありませんが、そもそもこのMIDIの規格に合わせて想像力を限定するというのは、人間のまっとうな悟性に照らして不自然きわまることですよ。単に量産が目的だって、四六時中これをやっていたら潜在的な徒労感が反駁してくるだろう。それは自己耽溺のなれの果てのようなものだ。何か間違えた音楽家がいるようすである。
ぼくが持っているノートパソコンには「おしゃべりノート」なるアプリケーションが入ってます。自分が書いた原稿を男や女の自動音声が読みあげてくれる。ある種の好奇心を満たしてくれる場合があり、おもしろくもなんともないが使い方によっては重宝な道具で、実用目的から言ってもMIDIよりましな気がする。こういうことに気がついてくると、どこへ持っていっても通用する音楽の技術としてのテクノロジー、などというばかげた妄想はふっとんでしまうはずではないだろうか。ぼくはMIDIじたいを馬鹿にしているのではなくて、そういうものをふりまわして得意になっている音楽関係者はあほらしいと思う。あほらしさは世界共通にしないほうがいいに決まっている。
さっき夕飯を買ってきた最寄のスーパーで、男の店長が手をパンパン叩きながら、お客のためというよりは自分の労働を鼓舞するような、言い聞かせるような調子で、あまりうまくない売り声をやや心細く連発しながら店中を歩き回り、かえってお客を遠ざけている様子で、一生懸命はわかるんだけれどサマになっていない。どこか職務的で、かえって店の雰囲気にそぐわない。定時に焼きあがる石焼芋を売るために、手をパンパン叩いてお客の注目を集めたい。どうも逆効果のような気がするんですが(笑)。ちょっと遠くの別のスーパーに行くと、厨房のおばさんのような声を吹き込んだエンドレステープが鶏肉を宣伝している。そのしゃがれた声のほうが食品売り場にはふさわしい。こういうところで音楽や演劇のプロがテクノロジーを吹聴したって誰も見向きもしないから、実用の音を作る最新技術、というようなアイデアは専門バカ的な、屈折した取り違えになる可能性が大きい。これは物笑いの種だということも検討したほうがいい事態が、そのへんに垣間見えるようだ。
よく知りませんが、なんか、内容のあることはいま書く気分じゃなくて、時間まかせにものを考えていたい感じがする。こういうときにはでたらめを生産して発表するのがいいとは思うんだけど、そのでたらめに力を注ぐ気分でもなくて、馬鹿ッ話は大好きですが文章書くのめんどくさいから放置しているうちに4月も残り1時間じゃないか。いろんなアイデアを転がしながら、少しずつ頭がまとまってきたらしいというのは、格好をつけて言えばそうなるだけで、その考えている内容がそもそもあまり立派でないので、一文の儲けにもならず、従って考えるだけ時間の浪費ということになれば、いまぼくはまさに、ろくでもないことで頭がいっぱいで、慌しい現実のビジネスに何一つ寄与するところがありません。
あたりまえのことだがぼくはウルトラマンではない。ウルトラマンが地上で戦える制限時間は3分間で、カップラーメンを食う暇もなく、どこかへ去っていかなければならない。というような切羽詰った実情はぼくにはない。この文章を、5月1日になる前にどうしても公表しなければならない理由はどこ探してもないんですが、どうも4月中になんでもいいから出しておきたくてここまで書きました。さしあたりアップデートしておいて、このあと50分ほどで5月になるので、そうしたら、存分にくだらない埋め草的原稿、慌しいビジネスを何も手伝う気がない、頭から尻尾までのんきな、要するにどうでもいいアイデアをいっぱい書いて、皆さんにお目にかけたいという、これはいたずら心以外のなにものでもありません。いたずらとはなにか。上も下もない、例えば、どうせスカートめくりのような愚劣というか幼稚なことなんでしょう。そのへんのことは今後の展開に期待したいと思います。じゃあ、ひとまずここまで。
ひとが使っているのを聞いて、以前はむっとしたが、最近では至極一般化してきているので、まあいいじゃないかと許せるようになった「すいません」という言葉がある。ぼくは使ったことがないんです。と書いてから気づいたが、いや、違う、あります。自分で覚えていないだけだ。思春期のぼくが使っていたのは、「すいません」ではなく、「すんまへん」だった筈だ。こっちのほうがよほど変である。30才代のある日、「ごめんなさい」と言うほうが自分の気持にしっくり来ると思ったから、「すいません」は使わなくなった。その自覚のはるか以前に「すんまへん」を連発していた時期があったことなんか、無邪気に忘れてるわけです。ひょっとすると「すんまひぇん」などもあったかもしれない(どうだったかよく覚えてないが)。本人はまじめなつもりだったが、はたの人は怒り出すか、噴出すか、どっちかだったらしい。
「すみません」の変形でしょう、「すいません」とか「すんまへん」とか、「すいやせん」とか。「すみません」も「すいません」も、女性の本心から言ってもらうような場合だったら、色気もあり悪い気はしません。何かというと女の声の話題だが、そういう作曲を考えている最中だから、などと言ってみたって、たいして関係がないことをこじつけているだけのような気もする。応援を頼みましょう、つい先日、永六輔の『大往生』というベストセラーを再読していて、次のようなくだりを見つけた。
「みなさんよく聞いて下さい。助平は病気ではありません」☆高齢者の性の問題というのがよく語られるようになった。そこで、「性欲」があるかないかという問題になるのだが、
ここでいう「助平」というのは「性欲」と微妙に違っていることに注意してほしい。
正しくは「好兵衛」「好き者」。欲がなくても好きなものは好きなのである。
男がいて、女がいて人間。「助平」は美徳ですらある。
「すいません」は男女共通言葉で、女だけでなく男もいろいろなニュアンスで使っているが、それをよく聞いていると、へたに「ごめん」を言うよりましな場合がある。とくに男の場合、「ごめん」だけだと逃げ口実で、本格的に「ごめんなさい」を言う必要はないと高をくくっているような軽々しい印象を与えがちではないでしょうか。「斬り捨てすいません」なんて風習は日本にはなかった。江戸時代にサムライに斬られた人には気の毒ですが、「斬り捨てごめん」、つまり「ごめん」だけだったらあやまっているどころか、開き直っているじゃないか。そういうずうずうしいニュアンスは「すいません」にはそもそもなかったように思う。それが、ここ数年の間に意味が変わってきたのではないか。開き直ってずかずか進入してくるのとはアプローチが一応逆方向だけれども、「すいません」と言えばある自己防衛の表現、遮断の合図のような色合いになってきた様子で、言うほうは一歩下がって場所の確保をし、言われたほうはその場所を侵食しないような配慮が要る。つまり「すいません」は、非常に控えめながら、やはりずうずうしいんだと思いますがどうでしょうか。ただ、それでも「ごめん」より座りのいい言葉として使っているぶんには、さほど掘り下げないで、いちおう潤滑剤として作用するらしい。要するにそれは、遠まわしに好意の表現を配慮しているということなんだろう。「ごめんなさい」が誠実の表現だからといって、のべつに「ごめんなさい」を連発してるのも、会話ががちょんがちょんと切れてしまってきまりがわるい。しかし、「ごめんなさい」は、多用しなければセックスアピールに役立つ場合だってある。うれしいことだけれど、わりあい根源的な色合いのある言葉だからといって、悪用するべからず。(敏感な女性は、「ごめん」を言い訳には使わないみたいです。ぼくの偏見でもないような気がする。)
おしゃれをしている女の通行人とすれ違って、おっと思い、期待して顔をみると、なんだかがっかりすることがある。べつに器量の問題ではありません。顔つき、といえば表情のことだとわかってもらえると思う。服も体も、ついでに言えば化粧水の香りだってそそるのに、顔の表情でがっかりすることがあるが、声を聞けば気を取り直すかも知れない。人間の魅力は顔だけではないことぐらいわかっている。人相の話は誤解を招くというなら、姿勢といいましょうか、その人の外見の姿勢がばっと訴えてくるものは、やっぱり気になるじゃない。その、服飾はおしゃれだし体つきもいい感じだが、顔つきでがっかりさせるような女のひとが、しかし、そんならいったいどういう声色でしゃべるのか。どういう「すいません」を言うか。これだって表情です。これで印象がずいぶん変わるかもしれない。かなり変わるでしょう。
こういうことは、いっそ見ず知らずの通行人をみている場合だからこそ、奔放にというか、手前勝手に考えていいわけで、これが、知った仲だったら、勝手に考えるも何も、そこにいる自分の彼女に向かって、
「おい、すいませんと言うてみいっ」
「なによ〜、いきなり…」
「いいから言いなっさい」
「え、す、…すいません。あーばかばかしい。それがどうしたって言うのよぉ」
「《すいません》は、《すみません》が変化して、できているんだ」
「わかるわよ、そのくらい。どうしたの?」
「どうもしない」
こういう馬鹿馬鹿しい会話に付き合ってくれる彼女を持った男の子は幸いではないでしょうか。なぜなら、この場合、彼女が、何のことかさっぱりわからないが、とにかくひとこと「すいません」と言ってくれれば、男の自尊心の研究には充分な材料を提供したことになるだろうからである。それは決して男を悪い気持にはさせない。こんなことで思い上がる男はもともとその程度の技量なのだ。そして、彼女が「すいません」と言うか言わないかは彼女の選択なんである。こういう自由は相互に奪ってはいけない。あたりまえですよ。彼に言わされた、なんて、悪い冗談だ。彼は、悪いと思ったら「ごめんなさい」とひとこと言えばいい。ここはぜひとも「ごめんなさい」なので、「すいません」や「ごめん」じゃあ、ちょっとことばが足りないかなあ。「ごめんなさい」だったら話が済むじゃないか。
「ごめんなさい」の場合には、「すいません」でごたくた考えるような微妙な問題は発生しない。
興味深いことには、近年はもっぱら「すいません」が使われ、「すみません」が目に見えて減少している。「すんまへん」や「すんまひぇん」はあまり聞かない。ところで、こういう風潮のなかで、毅然として、原型の「すみません」を使っている少数もいまして、これは立派な選択で、この人たちの存在は貴重である。彼らが手のひらを返したように「すいません」に鞍替えしたら、軽薄で見ていられないだろう。この一字の違いは大きい。ひとつのバロメーターとして使っていいんじゃないですか。時事評論のようなことを書いていますが、自分では使わなくなった言い回しなので、興味がある。そこで、例えばおしゃれな女の通行人を想定し、彼女に「すいません」と言わせたらどうだろうか、投影してみるとどういうことになるだろうか。どうもそのへんが本稿の趣旨らしいんですが、作文の途上、あっちを刈り取りこっちを付け足ししているうちに、片端から崩れてきて、何が言いたい文章なのかよくわからなくなり、半泣きになって、まとめに苦心惨憺しています。文章を整えていったらこういうことになったんです。
出先のJR駅ビルにせんだって店開きしたパスタとハンバーグとカレーとコーヒーの店に、さっきはじめて入ってみたところ、どういうわけだかそこは、主として女性客の休憩所であった。最近そういう軽飲食店は増えている様子で、わりあい趣味のいい女性が気楽に使える場所になっている。しかし、「女性専用」とも書いていないのに女性ばかりが集まっているのが解せるようでもあるし、解せないようでもある。どっちに解釈してもいいらしい。男の客は少数派で、少し長く店内を観察していて飽きたころに黒い背広のおにいさんが、何しに来たのか、特に理由はない様子で女性客に混じってくつろいでいるところをみると、ある種の男性にとっては、ここはやはり気の置けない場所柄なんだろう。はしたないことをしている人は見当たらないが、女性のおしゃれもこういう場所では、服飾のわずかなたるみなどが案外よく見えるものなので、幻滅を感じる人もいるかもしれないが、それが気楽と言えば気楽で、このくらいの余裕が街のどこかになくちゃあ、せせこましくて、などと同情したくもなってくる。服装倒錯というものがあるが、倒錯してなくても実物がそこにあるような光景があってもいいよ、という話ならば、女性のくつろぎや軽度の油断を責める理由はべつにない。もちろん、女性が好んで集まってくる場所に特有のあの雰囲気というものはたしかにあるけれど、どんな性格の場所であれ、適当にそういうすきまができてくれば、案外、くだらないアイテムの需要も減ってくるのかもしれない。保守でも前衛でもないようなある風潮の街の一角に女がいて、男もいてかまわないという話だったら、これはあんがい妥当な現実ではなかろうかという気持がします。思いやりの空間。苦し紛れですがどうにかまとまったようです。今日はこれでおしまい。
2002年にリリースしたぼくのCD『云々』について、いまさらここに発売当時の批評記事を掲載するのは、べつに計略でも邪念でもない。この記事の執筆者が白石美雪さんで、本格的な批評なのに、バレエの専門新聞に出たため、たぶんほとんど読まれていないと思うから、という、それだけの理由である。往々にして、ぼくたちのような小さな業界で新譜CDが出たときには、制作者の取り巻きや、近くにいる人などが主観的に持ち上げて賛美を書き、リスナーの購買意欲をあおる。これに反して、白石さんとぼくは今のところ直接会ったことがないし、批評は冷静かつ客観的になされて、好意的ですが江村をえこひいきしていない書き方です。どちらにしてもぼくたちのCDはヒット歌謡のようなミリオンセラーにはならないもんですが、このCDを聴いて安眠できた人がいるらしいし、褒めてるのかけなしてるのか「おなかにどすんと来たとしか言えない」という感想を持ってきてくれた東京都北区王子にお住まいの匿名希望ペンネーム少女HKさん、ホントかウソか、回し聴きしているよーとメールしてくれたニュージーランドのジャック・ボディさん、などなど、おりおり各方面からのご意見ご感想ありがとうございました。評価は人それぞれでしょうが、発売から3年以上も経ったCDは、ほかの新譜に気おされたりして、表向き見えにくくなってます。まだ入手可能なので宣伝を打っておきましょう。とにかく発売当初、白石さんによるこのCDの批評はほとんど人目に触れなかったに違いない。CD自体の出来栄えはお聴きくださるリスナーの皆さんが判断する問題で、ぼくは自分のCDの批評記事を誇大に触れ回ってえらくなろうというロマンチックな魂胆はないけれど、この批評文のほうは、誰も読まないのはもったいないよ。白石さんは打算抜きで書いている。聴いて感じたことをそのまま書いているようだ。この記事は、2002年10月4日発行の「週間オンステージ新聞」に掲載されました。以下全文です。どうぞ、お読みください。(誤植と思われる数箇所がありますが、そのまま転載します。)
理屈ぬきで浸れる心地よさ
異色のCD『江村夏樹<云々>』試聴記
白石美雪CD一枚分に掠め取られて分散され、継ぎ接ぎされた音の風景。巧みな話芸を聴かせる断章、ミニマル風の反復、ひたすら木をこするノイズといった具合に、ここにはひとつのスタイルはない。しかしながら、どの一曲にも濃厚に「江村夏樹」という人物の空気が漂っている。
まず最初に白状しておかなければならないのは、みごとなセンスで編集されたコンピレーション・アルバムのように、このCDは最初に再生したときから一度も停止ボタンを押さないまま、聴き通してしまったことだ。まったく理屈抜きで、少しも身構えることなく浸れる心地よさがここにはある。
「作品」というほど作りこまれてはいない。しかし、波音や小川のせせらぎのように「無作為」でもない。ガラクタの楽しさとでも言ったらいいのだろうか。相性がいいから電子キーボードのための《タブラトーク》と、テープによる《木をこすって作る音楽》を組み合わせたという気安さと独特のこだわりに、江村の個性が感じられる。
二十のバンドには単独の曲もあればシリーズもあり、また、テープ作品の部分的な切り取りも含まれていて、自由な順番で入れかわりたちかわり、響いてくる。《ドキュメント・ぐヴぉおろぢ、》から抜粋された《プロムナード》は、落語やコントのノリで、ユーモラスなことばの絡み合いが繰り広げられる。語られている内容ももちろん、おいしいが、話しぶりの、どこか、とぼけた味わいに、「くすっ」と笑いたくなる瞬間がある。
不規則なリズムで楽想がめぐってくる電子キーボードによる《三つの音楽》は、小気味よいテンポの刻みが手回しオルガン風のなつかしさを醸し出しながら、音響にはそれをどこか裏切る軋みが感じられる。追分節のようなフレーズののびやかな動きと旋法風の音組織が特徴の《云々》(任意の楽器による、このCDではフルート、クラリネット、ヴァイオリン、ピアノで演奏)や、ちょっと野暮な感じのする《三つの曲》のシリーズ(電子キーボード)には土臭さがある。そして対極的に都会の無菌空間を思わせるのが、《飛べ飛べ天まで飛べ》の反復音楽。
筆者の特選はやはり《タブラトーク》+《木をこすって作る音楽》だ。《習作b》の電子音も気持いい。《モンタージュ》はおびただしいポルタメントが表情細やかだが、音楽全体はやや饒舌で重い。
多面的な「江村夏樹」の紹介、あるいは《云々》という作品ができた背景の再構成といったプロデューサーたち(江村、三橋圭介)の企みをよそに、CD一枚をまるごと聴いても、とくに「江村」像が浮かび上がるわけではない。しかし、聴くものまで巻き込みながら醸成されていく音楽の空気感が、「江村の音作りなら信頼して身を任せてもいいな」と実感させる。
完成された作品像よりも、音作りの現場がそのまま、現出するような曲を志向する、近年の思潮ともあい通じるところがあるのだろう。フルートの木ノ脇道元、クラリネットの菊地秀夫をはじめ、それぞれのプレーヤーたちの自在な呼吸感も聴きものである。
この1年半ほど、自分のピアノコンサートでは、小さいころから聴いて親しんできた有名ピアノ曲の中で比較的大規模なものをいくつか弾いて、いちおう一区切り、というところです。
去年の暮れに弾いたプロコフィエフの『ソナタ第6番“戦争”』にはじめて挑戦したのは高校1年のときでしたが、その時点では弾けなかった。どうしたら弾けるのか見当がつかなかったし、当時のぼくのピアノの教師も半分あきれた顔で、今はやめておけ、企てが大きすぎる、と言っていた。今年の3月にゲオルク・フリードリッヒ・シェンクさんに会ったとき、『戦争ソナタ』をとにかく弾いてみた、と話したら、当年53歳、アンドレ・ワッツに習い、たいへん独自のベートーヴェン解釈が魅力のこのピアニストも、あれは難しいね、と言っていました。
ピアノと作曲と並行して学んできて、ヨーロッパ・クラシック音楽の、特にロマン派から20世紀中ごろまでの大曲は、ある意味手がけにくい。同じ大曲でも、例えばケージの『チープ・イミテーション』のようなものは、もちろん周到な準備は必要だが、重大なのはコンセプトの研究で、ロマン派の大曲のように、指の技術を鍛錬しなければどうしてみようもない種類の曲とちがって、弾くことそのものは単純な場合がある。もっともこちらはこちらで別の問題があり、同じくケージの『ソナタとインタリュ―ド』の準備に結局12年ぐらいかかった、なんてのは、ただ不器用なだけなのかもしれないが、演奏の時期と場所と、演奏家の気持のコンディションをざっとそろえるのがこういう種類の曲ではたいへんなのだ。いつでもどこでも、というわけには行かないらしい。
どんな曲でも、あるコツが飲み込めれば、弾くことじたいはひととおり弾けるようにはなる。ぼくは指があまり器用ではないが、それなりに楽譜を読み込んでさばけるようにはなってくる。しかし問題はその先で、ただ弾いてもおもしろくもなんともないのだ。多少のミスは出てもいいから、演奏としておもしろいもののほうがいいということになると、ほかの人がどう弾いているかではなくて自分はどうするかで、かなりじたばた準備を重ねることになる。
今春弾いたショパンの『葬送ソナタ』にしても、1年半前に弾いたムソルグスキーの『展覧会の絵』にしても、専門のピアニストの人ならレパートリーに入れて年中持ち歩いている種類の曲で、もちろん、だからと言って演奏が容易な曲だということにはならないが、それにしても彼らの技術の冴えは、ぼくなどにはちょっと真似ができない。作曲をやっている人間がクラシックのピアノ名曲を弾くのは、少し意味が違ってくるようだ。それは言葉にしにくい感覚ですが、ひとことでいうと、指の技術からではなくてコンセプトから入るため、意味の組み立てのようなものにどうしても独自のくせが出てくる、ということらしい。どうやら、仕上げの首尾よさを期待するなら、ある程度は指ならしから入るのが賢明のようだし、ぼくだって練習しているんですが、歌わせ方、間の取り方、音色やリズムの解釈などが専業のピアニストの方々とはどこか違ってくる。自分ではべつに奇抜なことなんかやってるつもりはないけれど、ときどき観客の方々からそういう感想をいただく。いい悪いの問題とは別だろう、アプローチの方向が違うということなのだろう。
15年前、初めてピアノ独奏をやったとき、第1曲目はストラヴィンスキーの『イ調のセレナード』だった。当時も今も、弾くのがかんたんだとは思わないが、ある意味とっつきやすいというか、自分の趣味に合っているというか、わりあい感覚的に入りやすかった。じつはこのあいだ、この曲を久しぶりに弾いてみたら、ぼくの好きな曲で、感覚的に入りやすいには違いないが、なにやら入り組んだ曲調をてなづけるのは存外厄介だと思い直した次第。でも、取っ組み合いしなくてもどうにかさばけるようになっている様子。
作曲しながらピアノも弾いている場合、どうもピアニストとして固定レパートリーをほうぼうへ持って歩く演奏旅行はやりづらい。毎回の作曲で同じ趣向の曲を量産している場合は別だろうが、新しい曲を作るごとに以前と違う計画を考えていると、もう片方でひとつのピアノ名曲を固定イメージでは弾けない。時間や空間の中で演奏マナーも解釈も、毎回ごとに変わってくる。どっちにしても人間ですから完璧ということはない。実際問題、自分の想像力を生かさなければ指が動いてくれないのは事実である。
この項、もう少し続けるかもしれないし、ここでおわりかもしれませんが、さしあたりアップデートします。作曲について、もう少し書きたいという気持があります。
作曲家は演奏がうまいとは限らないし、演奏家は作曲できない場合がある。おのおのが得意なことを持っているが、苦手も抱えているわけで、苦手とどう付き合うかも考えたほうがいいのではないだろうか。
一般に、表現というのは、自分の言いたいことを、ある手段を使ってしかるべく形にして、人に示すことだから、そのもとになっている「言いたいこと」は、表現の手段や媒体に“隠される”ことになる、というのが、詩人・田村隆一が晩年の著作『詩人からの伝言』の中で言いたかったことなんでしょう。いまこの本が手許にないので記憶で抜粋すると、「表現は感情を表す場所ではなく、隠す場所なんだよ。感情豊かな人の表情をよく観察してみるといい。かれらはあらゆる意味で感情的ではない」というようなことが書いてあったと思います。
演奏家の表現の自由というものは、その演奏家が、自分に属さない・外側の、ほかの人が作った型に則ることでかえって発揮される。これは逆説的なことで、江村夏樹はこの曲を弾きたい、ひとが作ってくれた造型を見聞して魅力を感じたから、自分のものにしたい。曲は必ずしも自分の思惑通りの形をしていない。しかし、極力自分に有利なようにその曲を扱いたい。という話なのだろうと思う。
これは作曲でも似たようなことだろう。作曲をやっていて、ぜんぶ自分の思うように書けたら、むしろ変なのではないか。もちろん、自分のこうしたい、ああしたい、という意向は持っているけれど、全部その通りに書けるかというとそうではない。書き始めると、自分の思っていたことから作業の展開が逸れていく。こういうメロディーが書きたい、と思って楽譜に書くと、結果は、もとの思いつきと少し違うのだ。そして、完成した楽譜を楽器の演奏で確かめてみると、この段階でもまた、自分の思っていたことといくらか違う音のイメージが現れる。そうじゃない人もいるだろうけれど、ぼくの作曲ではこれは毎回のことです。
この、各作業段階のあいだのイメージのずれは、しかるべく必要な距離ではないだろうか。いちばん最初の想像、イメージと、その表現とのあいだには一定の距離がある。「思ったことをそのまま書いている」わけではないのだ。第一、いちばん最初に何かやりたいことがぜんぶ見えていたら、紙の上でわざわざ構築する必要はない。紙の上に音を書くことで、自分のイメージを確かめるというフィードバックが必ず入ってくる。
だから、想像力を楽譜に定着する作曲という作業は、演奏とは違って、非常に意識的に造型することは確かだが、だからといってもとのイメージを忠実に複写しているわけでもない点は、演奏と共通したところがある。つまり、作曲のどの段階でも、取り扱っているイメージは固定的なものではない。この、イメージの巾を念頭に置かないで、入念に組み立てた自分のシステムにこだわっている人はいないだろうか。
ロベルト・シューマンが『音楽と音楽家』という本の中で、作曲するときには、頭の中で曲を完全に作ってしまってから楽譜に書くこと、と言っていますが、これは比喩的な言い方だと考えたほうが安全だという気がする。せいぜい、なにがやりたいか、方向をまとめておいたほうが作曲がやりやすいという提案ぐらいに受け止めたほうが話がわかるし、この方向を定めることだって簡単ではないのだ。
偶然性の作曲技法というものがある。あれは、演奏をやり間違えても大丈夫な許容範囲を書いているんだ、なんて言ったらだれかに叱られるかな。叱られるかもしれないけれども、しかしながら、偶然性の作曲というものは、ああいうことでもこういうことでも良いような可能性の範囲を提案するために考えられた。それは、例えばアルトゥール・シュナーベルのような表現主義時代のピアニストがブラームスを弾いて、あちこちで膨大なミスをやっているけれど、全体として、ブラームスの造型をしっかり踏まえた、なにかのおもしろさである、というのと同じ感覚の産物ではないだろうか。基本の感覚は同じではないかと思うのです。
「間違っても大丈夫」なように、最初から楽譜の中に脱線を許可しておくなんて、作曲家の怠慢で、演奏家を甘やかしもするし、いいことじゃないよという戒めみたいな、非難の声はぼくの中にもあり、ぼくの曲を引き受けてくれる演奏家の友達も、作曲家とのそういう馴れ合いや、『恐るべき子供たち』の世界、または例のジョルジュ・バタイユの変態エロスの泥沼にはまり込むことを非常に警戒している。しかし、警戒はしているけれど、こうした世界を人間からぜんぶ消してしまうわけにもいかないのであって、信頼できる演奏家はこの問題をなにか奥行きのあるおもしろさに展開しようという覇気を持っていると思う。どうにかしようという気力のある演奏家の友達を複数知っている。
演奏家の人たちの心配はもっともなことで、彼や彼女は作曲家のわがままな実現欲求を引き受けて受け入れ、希望に添うようにしかるべく演じ、立ち回るのが職業、社会的役割だ、ということにしておかないと食べていけないし、信用もなくなるかもしれない。それが演奏家の現実問題である。いっそ、ことの始まりから、誰でも持っている個人的でグロテスクな心象なんか、分別ゴミのようによりわけ、葬って、表沙汰にしないほうが、作曲家と演奏家の駆け引きは片付けやすい。そういう配慮でもしなければとてもじゃないがやっていられないような変な境遇もあるのだろう。しかし、それだけでことが全部すむのだろうか。
ぼくも、曲を作る自分のエゴイズムにはかなり自覚的なつもりで、それでも、作曲家固有の好みを知らず知らず演奏家に押し付けていることがある。しかし、作曲家が気に入る演奏がすべていいとは限らないよ。そういう短絡は成り立ちません。それは、演奏家が自己陶酔のためにコンサートを開くわけではないのと同じである。例えばクセナキスの楽譜とか、コーネリウス・カーデューの楽譜などは、それに基づく演奏の結果を説明するものでもなければ、演奏の信憑性を保護する枠組みでもない。この場合、楽譜は演奏の道しるべのようなもので、進む方向を提案する役割ではあっても、演奏結果を評価する物差しでは決してないはずだ。楽譜どおりに演奏できたから優秀だということにはならないし、作曲家は成績通知表のような段階評定の基準を作ったわけでもない。そして、楽譜を作るということは、作曲家の思いのままを紙の上に並べることでもない。
では、楽譜を作ることとは何か。このことについて思い当たるのは、演奏家は自分の思いのたけを楽譜や音楽に投影するということだ。なんだ、あたりまえじゃないかと思うものの、これは案外見えにくい。楽譜はそのためにあるのではないか。楽譜は、悶々とした、つかみどころがなさそうな演奏家の実現欲求を怒喝する一枚岩の役割も果たすことがあるのではないか。
誰が見ても、どう解釈されてもかまわない楽譜なんてものは、もし技術的に制作可能だとしても、企てるべきではないと思う。そういうシロモノは、なにか後ろめたいいやなものだ。ひとりの作曲家のなにかの気持が出ていない楽譜というのは、なにかおかしなものだと思う。楽譜は尊重されることを望むほうがいいと思う。しかし、だからといって、演奏家が楽譜を尊重することと、作曲家のエゴイズムのいいなりになることは、同じではない。
つまりそのあたりの、ある感覚について、いま考えています。この周辺で言いたいことを書きました。白状しますが、この稿をまとめるのにかなり時間がかかってしまいました。なかなか言葉でここらへんの気持を言いにくいことがわかりました。最低、ぼくの堂々巡りや独り言のたぐいではないつもりですが、伝わっているでしょうか。さしあたりアップします。
昼になって腹が減った。そろそろ昼飯の時間である。午前中、ぼくは作曲をしていた。1ページ書いて、腹が減ったし、一息入れたい。
ラーメンを作る気にはならなかった。おととい買った野菜が冷蔵庫に少し残っていたが、見てみると茶色くなりかかっていたし、きのうもラーメンだった。いくら安上がりでうまくても、連日ラーメンを食べている気にもならない。それで近くまで買いに出ることにした。
空きっ腹でスーパーに行ってみると、選択肢は限られていた。だいたい、あると思っているとなかったりする。いつかの夜、コントラバスの吉野弘志さんが拙宅にリハーサルに来たとき、食べるものを買い出しに同じスーパーに出たが、閉店まぎわだったからか、おにぎりコーナーもお弁当コーナーもがら空きで、「うまそうだ」「うまそうだ」とくちまかせに景気をつけながら、あるものを拾い集めて買った。それと似た感覚で、いつでもどこにでもあるような弁当やお惣菜の、大して幅広くない選択肢の中から、適当に取り出してレジへ持っていくつもりだったが、食い物を前にして迷ってるうちに心の戦いになってしまった。
好物のカレーは品切れ。そばうどんのたぐいはうちで作ればいいから、弁当になっているものを買うことはないし、それに、ざるそばやざるうどんは好きでよく茹でるけれど、ああいうものはわりあい腹にたまらない。そこで蕎麦湯や茹で湯を飲む。このスタイルでしたら、ラーメンのスープのような場合に懸念される塩分過多の心配もないし、とくに蕎麦湯というのはじつにうまいもので、体にいいそうだし、そういうことで量的に満足できる昼飯になるんですが、毎日ざるそば、ざるうどんも芸がない。このあいだ冷麦で昼飯を済ませたら、日が暮れる前に腹が空いてしまい、夕飯の前になんかつまんでもいいが、バナナ2本食べたぐらいでは虫押さえにならないし、夕飯の前になにか食べると、そのあとの夕飯の頃合が中途半端になる。
そう言えば、柴田暦さんという歌手の女の子のコンサートに呼ばれてピアノの伴奏をつとめたとき、「空腹を我慢する快感」とかいうものを彼女が、拙宅でのリハーサルの休憩中に雑談していたことがあった。女の子が数人集まると、仲間内でたまにそういうことをやって、目の前にあるコンビニに誰が最後まで行かないかを競うのだそうな。おなかが空いてもすぐには食べない、ということはぼくにもあるが、暦さんの話の眼目は「女の子」がそれを意識的にやるというところで、初耳だったのでおもしろがって、なにそれ、と訊くと、「男の人にはなかなかわかってもらえない気持かもな」ということでした。ちらと連想されるような悲愴な集団行動と違って、もっとコケティッシュな感覚の産物なのだろう。その証拠なんか示さなくても、彼女は現在でも飢えないで元気です。ご安心ください。確かあの日の夕ご飯は、バーミヤンのねぎラーメンを二人で食べた。本日のまことにむしむし鬱陶しい梅雨のように、やっぱり雨が降っていたと記憶しています。
続き。冷凍食品のパスタ、たまにやるけど、あれ安直だよね。三角おにぎり、よく選ぶのは明太子、赤飯、昆布、このほかにもいろんな種類が控えているが、理由はいろいろあるらしいがとにかくなんだかうざったくてめんどくさくなって、手に取った三種類を棚に戻した。いきおい、いつも買ったことがない食材に気が移って、しかし具沢山の天丼は昼飯には重そうだし、カツ丼はかつて学生時代にさんざん、下宿の近所にある大衆食堂で安くてうまいから食べて、その反動でその後ずっと、最近になっても、もういいという感じだし、牛丼も、吉野家全盛時代に便利だからという理由でけっこう利用して、同じような弁当の顔を見ると、またかという気になる。なぜか目に止まるのは丼もの。だいたい、昼飯に丼ものを食うことが最近はあまり嗜好ではなく、昼飯に肉類がメインというのもしっくり来ない。なにが食べたいのかイメージがバクゼンとしているときに、スーパーの弁当売り場の顔つきも、たいした主張を持たなかった。そういう両者がかち合ったときの話をしているようである。
何を選んでも、誰も非難しない。好きなもの選んでいいです。たとえ、いま目に止まった「味わい弁当(発芽玄米)」というものを選んだところで、何も問題はない。そんなところに何も問題はない。398円払う甲斐があるだろうか。単なるけちではないのか。弁当の中身は、半分が発芽玄米をちょっと混ぜたご飯、残り半分は野菜の煮物と甘納豆である。野菜の煮物はともかく、どうも、この「半分が発芽玄米をちょっと混ぜたご飯」ということに気持が引っかかる。胡麻が振りかけてあるが、味がどうかではなくて、「半分が発芽玄米をちょっと混ぜたご飯」の視覚レイアウトにこだわっているようだ。いや、「発芽玄米」と大きく書いてあるのに、中身は単なる白米にしか見えないことがちらちら引っかかっているのか。好きな生野菜が入っていないことが気がかりなのか。これを買って試しに食べてみたものだろうか。これを買って、レジのおねえさんにいぶかしがられないだろうか。んなわけないじゃないかよ。自分の決断が半分定まらぬまま、この弁当ひとつ、そろそろとレジへ運んで、えい、少し抵抗はあるがレジに運んで、この弁当を選んで、腹のたしになるだろうか、法隆寺の近くで食べた茶粥(要するにお茶の葉で煮たおかゆ一膳ですよ)、日光国立公園で食べた湯葉ときのこのフェットチーネ(食品衛生法に抵触しなきゃいいけど)、幼稚園のときには苦くて、ゲーしそうで嫌いだったほうれん草(その後大好きになった)、小学校時代の家族旅行の旅先で栄養のあるもの食べなくちゃと親から言われて断念した山菜そば(スタミナがないように見えたのかね)、「1日のエネルギーはお米のご飯から」、という、そりゃそういう人の意見はそうかもしれないところは確かにあるが、三食「お米のご飯から」ですか、そんなにこだわることないんじゃないですかとか、たまには麺類もいいんじゃないですかとか、でも今日は麺類ではないことにしたくてこのスーパーにいる、この「味わい弁当(発芽玄米)」の野菜の煮物の味付けは薄味なのか、濃すぎたらやだなとか、昔の彼女はこれについてどう意見しただろうかとか、いまここで全然考えなくていいことがなんだとかかんだとかもう面倒だ!こんなばかばかしい杞憂でくたくたになって、そもそも空腹だからなんか買ってなんか食えばいいじゃないか。そのうえでうまかったかまずかったか、あとで思えばいいじゃないか。
コンパクトで食べやすいお弁当。腹八分でいいことにする。最近、煮物は味付けに気を遣ってもらってるのかな、大丈夫、濃すぎてない。「発芽玄米をちょっと混ぜたご飯」正直なところ、白米がところどころ汚れたようなかんじに見えるし、この玄米入り白米がなんだかしらけた感じだがまあいいか。これが果たして「味わい弁当」なのかという問題はしばらく措く。同じものをこれからうちでこしらえていたら明日の朝になってしまう。材料費もバカにはならないだろう。スーパーの厨房で作ってくれたお弁当。同じようなものでも旅先の駅弁って、やっぱりよく作ってあるよね。しかし、どれを選んでも、何も悪いところはない。どこも変なことはない。
これが日常のゆとりの現実、選択の自由の余地。実践心得とかいう名前をつけておきましょうか。なにも抜き差しならないことはないとわかっているが、飢えないことは大事なので記念に文章にしておこう。そういう次第です。お読み捨てください。
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