江村夏樹
KUROchanというかたの『わんぱくランド』というウェブサイトを拝見して、隣町にハイキングによさそうな公園があることを知り、早速行って来た。とってもいい公園でした。以下はその訪問記ですが、KUROchanさまの記事とは少し違うことも感じたので、紹介文を引用しつつ、ぼくの感想も混ぜていこうと思います。結局ぼくは岩槻公園探訪を充分楽しんだので、決してKUROchanさまを誹謗中傷する意図はないことを念のためここに宣言します。
アクセス
岩槻公園は,東北自動車道の岩槻ICから春日部方面へ向かう国道16号線沿いのおもちゃ屋さん「トイザらス岩槻店」がある城町2丁目交差点を左折して500mほどのところにあります(岩槻市太田3丁目)。
かつての岩槻城趾で,なかなか落ち着いた雰囲気の広い公園なので,我が家のお気に入りスポットの一つです。
特に,春先の日本公園側の桜は素晴らしく,菖蒲池に架かる朱塗りの「八ツ橋」辺り一面を彩る満開の桜は一見の価値ありです。駐車場は無料ですし,年中無休で入園時間に制限がある訳ではないので,お花見シーズンには,たくさんの露天商が軒を連ねて,夜桜見物も賑わいを見せています。
年に数回は,植木市などの催し物も行われていて,天気のいい日や時間帯によっては,駐車場が混み合って,折角出かけても入園を諦めてしまうこともありました。
わんぱく広場
久しぶりに岩槻公園に出かけてみると,古かった遊具が新しく整備されて,アスレチック風の遊具が増えていました。
平日は幼稚園・保育園児の遠足も見られるところで,この辺りは,小学校低学年までの小さなお子さま向けの公園という感じです。
臭くて不衛生ですが(早く綺麗に整備してほしい)トイレも水道も近くにありますし,売店も開いているときがあるので,小さい子供を遊ばせるにはいい場所ですが,親たちがゆっくり腰を下ろすところが少ないのが難点でしょうか。
芝生の広場
わんぱく広場からからくり人形の時計台や特急電車「きぬ号」が展示されている辺りまで,広々と芝生の広場があり,フリスビー,バドミントン,キャッチボール,ボール蹴りに興じ,広場の脇にあるテーブル・ベンチや芝生の上でシートを敷いて,お弁当を広げている家族連れやカップルの姿が多く見られます(時計塔の近くにトイレがあり)。
からくり時計台
この日は,正午になる数分前から,「とおりゃんせ」の音楽が流れて,子供の人形が動いていました。人形の街・岩槻を再確認させてくれる時計台です。
日本庭園〜池〜ふるさと散策路
桜の花の咲くころも絶景ですが,紅葉のころも風情があります。
朱塗りの「八ツ橋」の上から,この池は,水が汚く濁っていて,透明感がないのが残念です。大きな鯉や亀,カモに餌をあげられるように,食パンの耳でも持参すると,お子さんもきっと喜ぶことでしょう。
濠の跡(ふるさと散策路)を枯れ葉を踏みながら歩いていると,江戸時代以前の峠道を歩いているような,まるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。この路が岩槻公園の中で私の一番大好きなスポットです。
KUROchanさまもご指摘のとおりいくつか難はある様子ですが、マムシ以外(ほんとかなあ)は危険はなく、高感度がいい公園です。この記事がきっかけで、近所にまたひとつ、素敵な遊び場が増えて感激しています。ありがとうございました。
NOW ON CONSTRUCTION を日本語に直訳すると「工事中」になるんだから仕方がない。実際に、ただいまいろいろと作業中、複数のプロジェクトが同時進行中です。というわけでまとまった文章が書けませんので、初夏のスライドショーをご覧ください。現在の作業の成果は近い将来必ずご披露することをお約束します。
この2週間ほど、旅行というには小規模だが、しかし散歩にしては長時間で広範囲な、1日の半分から3分の2程度を費やして行なう「庭めぐり」を毎日続けていた。さしあたり埼玉の自宅の近場から、次第に円周を拡げていくように県南や県北へ脚を伸ばし、石庭、公園、寺院をずっとめぐって、今後はさまざまな「庭」を訪ねて旅行する。
ぼくはわりあい都心に近いところに住んでいるので、「庭めぐり」は人口過密地帯から過疎地域へ移動するのが毎回だ。半時間も電車に乗れば周囲の風景も顔つきもずいぶん変わる。その変わり方をなんとなく見ているのがひとつの楽しさなのだが、いちばんわかりやすい変化は女学生のコスチュームだと思う。ありゃコスチュームが違うと女学生の立ち居振る舞いのマナーも変わってくるのか、このくそ暑いさなかに女学生の行儀が悪いのは、スカートなのに思い切り股を拡げたりして大胆なこともあるが、男の行儀の悪さよりは許してあげてもいいところもあり、何がいいたいかというと、健康的な女性は見ていて悪い気はしない。その野性的な奔放さ加減と、色気を学び始めた花恥らう娘さんぶりとの鮮やかなコントラスト(なに書いてるんですかね)が出かけた先々で趣を異にするとなれば、ぜひ地域ごとの魅力の指標代わりに使ってもいいみたいですよ。
この連休は雨にたたられ、庭めぐりも一段落という感じで、でも一日中家にこもっているのもおもしろくないから、ピアノの練習や作曲に倦んだようなときには、気分を切り替えて近所へ出る。拙宅はさいたま新都心の郊外で、上りの電車で市街地に出る場合は、関東以北の交通の要所に向かって移動することになり、その中心部分だけ、ある時間帯は毎日人ごみでごった返している。最近、そういう人ごみの中で、乗り心地のいい列車に選んで乗るに越したことはないと思うようになった。
うちのすぐちかくに競輪場があるようだ。「ようだ」というのは、ぼくは競輪を全然やったことがないから、月に2回ぐらい、その付近がおじさんだらけになることは知っていても、競輪場じたいはぼくには無縁で、存在感がない。それで、存在が浮き出てくるのはおじさんたちだけということになるのだが、このおじさんたちがすごい雰囲気で、皆さんで電車に乗り込んで懇談してくれると、おじさんだらけの貸しきり電車のようであんまり一緒にいたくない雰囲気なのである。そういうのは、ちかごろでは、無理にご一緒する義理もないと思うようになった。車内暴力や痴漢のことをよく聞くけれど、あのおじさんたちが作るすごい雰囲気もかなり迷惑なシロモノである。
人口密度のことを言えばデパートのほうが混んでいる。扇子を持つのが流行のようで、きれいな扇子がいっぱい並んでいたりすると、受動的ではあるけれど、いっとき気がまぎれる。ほどほど楽しい。それが電車のなかでは魅惑的なアイテムが気を紛らわしてくれないから、だれた空気に我慢がならないとか言ってみたって、ひとむかし前のように、どさくさにまぎれて車内でおしっこをしている人もいなくなったわけだし、どの電車も一様にごった返していると思うのは、やや悲観的な先入見である。なんのことはない、乗り心地のいい乗り物を選べばいい、と思うようになった。自分が気の済むような、快適な電車の利用方法は必ずあるものだ。出かけた先でわざわざ不愉快なことばかり選ぶ趣味もない。
皆さんご承知のように、夏のファッションのねらいは、ぱっと見たところ、貞操観念にさからっているような演出にあります。わざわざ少しパンツが見えていたり、どこかずり落ちていたり、うしろはきれいなのに前はそうでなかったり、そういう隙をつくるのがうまいひとがいる。これを謁見して下ネタやだじゃれを思い出して思わず噴き出したりするのは、すべて想像力のたまもので全然、悪いことでもなんでもない。快適な電車の利用と夏のエロティシズムの相関関係というのはまあそんなようなことだというのが、どうでもいいようでもあるが、ここしばらくの研究の成果でした。
なんか不充分な作文のようだけれども適当に締めくくって出してしまおう。
お庭を巡ってちょっと遠出をしてわかったのは、この鬱陶しい曇り空は日本全国共通だという、新聞やテレビでくどいほど繰り返している天気概況がほんとうだということでした。信州(長野)木曽福島に行ってきたんですが、当地は長雨で、さきごろJRが3日間ストップし、道路も閉鎖されたため、住民の方々は動きが取れなかったということでした。ぼくのたった2日の滞在中にも大雨洪水警報が出て、夏祭りは中断した様子だし、旅館のおかみさんが言うことには、早めに行動して、街に閉じ込められないうちに帰ったほうがよいとのこと。長野でこんなことは前例がないそうで、地元の人たちは皆さん心配していました。それでも、木曽路は素敵な街で、豪雨とは言わないまでもかなり本格的な降りでしたが、その雨音を聞いているのも心安らぐことだったし、目当てだった興禅寺の枯山水に着いたら、あー、来てよかったと本当に思いました。この枯山水『看雲庭』は、昭和38年に重森三玲(しげもり・みれい)が作庭したのだそうですが、これはあとからわかったことで、今回はそういう予備知識をまったく持たずに、ただ電車を乗り継いでいればいずれ着くだろうという手持ちの地理感覚で実物を訪ねて正解だったと思います。もちろん、少し調べておいたほうがいい旅行もあるけれど、このたびはお散歩の延長で少し遠出をしたという感覚でした。
首都圏に戻ってきたら、相変わらず曇り空で、いっそう暑く、さすがに日中、庭園を歩き回るのに好都合な天候とは言えない。いまは自宅でこのように近況報告を書いていますが、うちに閉じこもりっきりではいい加減気分がむさ苦しいし、かと言って市街地に出れば人いきれでくつろぐ場所を探すのもめんどうです。
この夏場はひとつの作曲を仕上げる調べごとの量がちょっと多くて、ぱっぱとはかどらない。めんどくさい。いいかげんうざい。とは思うけれど、ちょっとづつやっていって、いずれなにかの形で落ち着くところまで作業を進めるほかにありますまい。観念して、ムリは避けて精進しましょう。近い将来披露いたします。
信州上田に在住の知人の話から推測すると、長野新幹線沿線の住民には、木曽福島というところは感覚的に近いとは言えないようです。むしろ東京に出るほうが日常らしい。ぼくも地方都市出身なのでその感覚は、漠然とですがわかります。新潟県長岡市で生まれましたが、自分で出かけて滞在したことがあるのは県庁所在地の新潟市と、長岡市のすぐ隣の小千谷市ぐらいです。そういう感覚では、出身県をくまなくまわってみようという発想は出てきにくい。長野市街地にある善光寺も、その近辺の人たちには、自分の街にあるからそんなにしょっちゅう出かけてみないので、運営がどうなっているか細かいことはあまり知らないという感覚のようです。京都出身だけれど、地元の寺院や庭園をあまりめぐったことがないという人も知っています。自分が京都出身だから、金閣寺のようなものを特別にみないというのですね。そういう人たちに初めて出合った時には違和感がありましたが、よく見渡せば自分だって同じではないか。ぼくは「自分たちの手持ちの文化をろくに知らないで」などと不平を述べているのではなくて、その地域の自分の手持ちの文化を異化しないで生活している人たちの気持や表情に好感を持ちます。素敵だなあと思うのです。この作文はそういうことにしておきましょう。
インドに行ったことがないので、ガンジス川の沐浴のことはわからないが、テレビや、遠藤周作の『深い河』という小説などから連想すると、現在の日本の首都圏の都市の混雑は、なんか、ガンジス川の沐浴と似てませんか。きれいとはいえない川の水流のまわりに人が大勢集まる、というひとつの流れである。繰り返しますが、インドのことはまだよく知らない。映像などで見た光景から想像して、あれは宗教的ななにかには違いないと推理している。地理学者が言うには、川のある街は文明が発達するのだそうです。しかし、この学説は現実を裏付けているのかどうか。チグリス・ユーフラテス川の流域にメソポタミア文明が発達した史実を踏まえての発言ですが、荒川の流域にぬきんでた文明があらかわ?(暑いのに、また、ひとを疲れさせるだじゃれを言い出して、あいた口がふさがらない、と言われるかな。)
都市に川がない場合、うるさいものやきたないもの、つまり宗教性のある側面、うさんくささや汚わいな生理的現実をわざわざ、好んで体験するために、都市生活者はくそ暑くむさ苦しい街の中心に出かけるのだ、と理屈を並べるのは構わないが、あたまでっかちに過ぎますよ。ぶらっと街に行きたいのに、うるさかったり、きたなかったりするため、ぶらっと出かけるのはオックウだというような気分のほうが支配的だ。街がうるさかったり、きたなかったりは承知で、そのうるささ・きたならしさを体験するのが独立した目的になる場合というのもあるようですが、これが(すべての場合とはいわないが)ある場合いささか変態的なのは、「痴漢は犯罪です」という張り紙警告によって、衆目の一致するところだ。まあ、皆さんご期待の猥談の種は尽きないけれど、眠くなってきたので自分でやってください。
このうるさい街で商売の人がモーツァルトを流行らせていたりする。CDショップに行くと、モーツァルトのCDが、安っぽいパッケージに入って、とってつけたように、いかにも投げやりに並んでいる。こういう商業を見ていると、「私たちに必要な文化は」というような宣伝で売りさばいている街の音楽の大半が、木に竹を接ぐように、不自然に思考をこじつけて、その街にはどうといって縁のない舶来の異物をごてごて陳列しているだけだという気持にもなる。しかし、目を皿のようにしてショッピングをする客のほうは、憩いとかくつろぎとか、そういうものを「求めて」、あるいは「探して」、わざわざ人工の作為的なもの、売らんかなの物品のかずかずを、金を払ってぶんどるような意識が働くから消費生活をおこなう。世界の街のどこででも、みんなそういうことはふつうにやっている。街の喧騒を言語道断だといって、アタマから全面否定したようなことを言うのは自由だとしても、理屈は通っているのかもしれないが、どこか感覚的にずれてますね。そういう商業がうるさければ避けるし、喧騒にくたびれれば寝ています。
ポール・ヴァレリーの美術館否定論のようなことを書いていますが、街というもののつまらん方面だけを拡大して書けばこんな御託がひととおり続くことになる。
文明都市の喧騒が、時節柄なにかの潮流のように見えたって、それをガンジス川だとか宗教だとかとじかに結びつけるのはいくらなんでも強引な連想だし、だいたい、粗雑な学問である。あまりかしこくない。都市の喧騒にはいろいろな側面があって、そのため、年頃の女のパンチラ流も観察できるのだ(またですか)。「善」とか「悪」とかいう尺度で十把一絡げに片付ければ済むほど単純ではない。というか、あたりまえのことだが、世界の都市が全部ガンジス川であるわけがない。つまり、見たところは、ガンジス川流域の神聖な喧騒にいちおう似ている(?理屈にもなってませんね)が、ぜんぜん別のもので、いささか過剰なことは誰も認めているにしても、上も下もない日常で、身の回りにそういう現実が広がっていることを疎んじて、打ち消して生活しようなどという発想は出てこない。ぼくには出てこない。
なんか主張するに足ることのような気がして話を始めたが、書いているうちに、その主張が、本人が言い立てているほど力強いものではないことに気づいた。結局、せまいところにやかましいものがたくさんあるのはどうも好ましくないから、くそ暑い季節でもあり、うるさければ避けてるし、くたびれたら寝ているという、まったくありきたりの話なのだ。とりたてて書くことがなくなってしまいました。「喧騒」とか「雑音」とか「空間密度の凝縮」とかいうのは、例えば社会学などでは考え材料に妥当かつ必要な都市の主要な属性ですが、だれも、好き好んでそういうどさくさを蒐集してるわけではない。まあ、避暑地も温泉もごった返しているから、近場にある、似たような(じつは全然似ていない)環境で疑似体験して代用満足するんだという心持なら、話は別なんでしょうが、それにしても、温泉や避暑地や海外に行けないから近場の街に繰り出すというのは、なんか勘違いではないかと、思う人は思っているでしょうが、立ち入って書く人もいなさそうだからわざわざ書いた。そういうことにしかならなかったけれど、まあいいや。
香辛料の入ったからい料理は好きで、カレーはもちろん、麻婆豆腐とか、キムチ鍋とか、そういうものですね、それから、ざるそば食べるときに山椒とか唐辛子とかを使う。これもいいですね。
いわゆる日本風のカレーライスの食べ方で、からすぎるときは醤油をたらし、逆に甘いときにはソースをちょっとかけるという流儀が、今はどうだか知らないけれど、平成に入る前にはありました。ぼくにはこの流儀が、わかったようで、わからなかったぞ。醤油は甘いから、カレーのからさを中和し、ソースはからいから、いわば薬味の増強というような感覚なんだろう。和食風のカレーライスはカレーのほうにメリケン粉(ちがってますか?カレー粉の内容がよくわからない)を入れるせいで、インドやタイの品物に較べて粘り気がある。そこに醤油だのソースだのをかけると見てくれもみっともないし、食べてみても、なんか余計な材料が不協和で、おもしろくない。
カレーを応用した料理でどうも好きになれないのは、いわゆるカレー南蛮という、つまりうどんにカレーをぶっかけたやつで、きわめてさっぱりしないのどごし、それに、うどんのスープとカレーが変な具合に混ざって、よくわからない味になって、これが「南蛮」なのか、調べたことがないけれど食後がどうもちぐはぐだ。似たアイデアでも、とんこつラーメンに麻婆豆腐をかけるほうが気が利いていると思う。もっともこのほうはずいぶん量があって、ぼくの感覚だと昼飯にはちょっと多い。どっちかというと夕飯の感覚かなあ。
激辛ブームというのは去ったようですが、さっき「激辛茶漬」というものを仕込んできたので、この原稿を書き終わったら夕飯に一膳やってみますね。もう知ってる人もいると思うけれど、楽しみです。食後感想はいずれ報告するのでご期待ください。
新潟県の上越地方に、「かんずり」という名前の香辛料が伝わっている。唐辛子そのほかを味噌で漬け込んだようなもので、上杉謙信という大名が旅行するときに持ち歩いたのだそうです。ざるそばのめんつゆなんかに入れて使う。非常に乙な味がします。ぼくは大好きだが、じつはゴミのような匂いがする。まあいいでしょう。これは知名度が低いと思うので紹介しておきます。食べ慣れると病み付きになること請け合いです。
今年の夏はバテ対策にからいものをわりあい多く摂っている。からいものについて、先日メールで届いた「毎日20問!」という漢字の書き取りと数学の計算のドリルの中の問題文では次のようなことになる。「 」内のひらがなを漢字で書きなさい。
1.唐辛子の辛味の「しゅせいぶん」をカプサイシンという。
2.唐辛子の「げんさんち」は南米だが、コロンブスによってスペインに持ち帰られヨーロッパに広がった。
3.シルクロードを渡って中国、「とよとみひでよし」の時代に日本へやってきた。
4.カプサイシンは、胃や小腸で吸収されると血液によって脳に運ばれたあと、「ないぞう」感覚神経に働きかけ、副腎にホルモン(アドレナリン)の分泌を促す。
5.ホルモンによってエネルギーの「たいしゃ」が高まり、脂肪が燃焼され血行が良くなる。
6.カプサイシンにより冷えやむくみなどが「かいぜん」される。
7.運動による効果とは異なり、カプサイシンは食後すぐに脂肪の「ねんしょう」が始まることからダイエットにも有効である。
8.多くのビタミン類を含み、減塩効果や「めんえきりょく」の向上(白血球の活発化)などの効果がある。
9.昨夜の夕飯はキムチ「なべ」だった。
10.残り汁にご飯をいれて「ぞうすい」を作った。
以前、カレーに胡椒とかタバスコとかを振りかけて食べていた時期があった。今で言う「エスニック」の感覚を先取りしたものでしょうか。タバスコなんかかけると、もとの料理の味がわからなくなるから、あまりマナーがよくないんだよ、と苦笑した人がいて、老婆心かどうかはよく知りませんが、なんとなく、料理を作る人に悪い気がして、遠ざかった。からいものばかり食っているとガンになるとかいう俗説もあったぞ。佐藤栄作というだみ声の首相は、昼飯が毎食カレーライスだった。カレーの食べすぎでかどうかは知らないけれど、ガンにかかってなくなった、という、團伊玖磨のエッセイがあったっけ(ちなみに團氏は、ニンニクを生でかじるのが好きだったそうです。わー)。最近では唐辛子のことが漢字書き取り問題にも出てくるようになり、食欲の刺激やバテの回復にはいいらしいし、カレーについて今日書こうと思ったことは書いたので、晩飯に一杯やりながら「激辛茶漬」なるものを試すことにしようと思います。残暑厳しき折柄、体調を整えて過ごしましょう。
追記
「口吻の楽しみ」という表現がある。食べる楽しみというほどの意味だが、これを「興奮の楽しみ」とやると、書き取りの成績が間違いなく落ちるだけでなく、品性が疑われるので、やめたほうがよい。
ぼくは北陸の出なので、いわゆる標準語と方言の区別には関心があるほうだ。方言は、ぼくの三代前ぐらいにさかのぼるとようやく方言らしいものが聞かれる、というように、平たく言えば全体的に標準化して、いまでは大半の人が、地方訛りと標準語を使い分けている。
首都圏の出身者の中には、NHKが規格化した言語が日本の標準語だ、などと言い出す人もいる。そんなわかりきったことなら中央集権の図式はとっくに崩れている。「方言」と言ったとたんに、それは地方の言葉に対する差別を含む、という都会の知識層の理屈は、いちおうのところつじつまは合っているようにみえるが、この種の概念や観念は、言い出されると角が立つもので、やかましく感じられる。これは一種の分類法、博物学で、実際に行なわれているコミュニケーションとは関係がない。
そういう分類法だけでは、自分の出身地の「ミソ」のようなものはわからない。ぼくだってよくわからん。普通一般に、田舎と都会、という対立概念で、ぼくならば、北陸と首都圏、というふうに、いちど考える。だから、上京していろんな知識を摂取するというような「勉強」は、例えば大学進学希望の人はかならずひととおり通るというように、試験勉強に過ぎないにしてもひとつの経過点で、そういう意味の勉強法の応用と展開でいろんな情報を知っていて得をすることも無視は出来ない。
しかしやはり、自分の出身地の地方性は、知識と分類では割れない。割れないから、ふるさとにセンチメンタルな郷愁を感じるというのは、そのほうが面倒が少ないし、むかし育った思い出を懐かしむだけでいいなら、好き好んで七面倒にあれこれ考える必要なんかないというのは、いちおう本当らしく見える。が、いったいどのくらいの人数が本気でそう思っているのでしょうか。
ぼくが育った自然の環境は一面の水田だった。地元にも首都圏にも、なにを勘違いしてるんだか「農業をやれば食うに困らない」のような空想を、真顔で言う人がいる。本気かねえ。本気らしいんだ。無邪気に過ぎませんか。短絡できるんだったら、やってみたらいい。
最近わかったんですが、ぼくは秋になると想像力の働きが活発になり、そのぶん、仕事の能率が落ちるらしい。いろんなオモシロイことを思いつくため、読書なんか身が入らないから漫画ばかり読みます。「読書の秋」じゃなくて「読書の飽き」だよ、こりゃあ。そういやあ、去年もそんな感じでした。言われてみりゃあ、おととしもこんなかんじでした。
芸術の秋なんて言うけど、自分の思いつきのほうがオモシロイのに何が芸術だ。深夜の電車で帰宅中、眠気がさしたアタマのなかで「月がとっても青いからァ/遠回りして帰ろォ〜」と素っ頓狂な古い演歌が流れている。加藤茶も出てきてこんにちは。「ちかごろのわけぇもんは饒舌らねェ」なんて、半分夢心地のわたくすのアタマの中で、酔っ払って愚痴ってるそこのオッサン、あれから15年経ちますが、差し押さえ物品が戻って所得税が払えるようになりましたか?「ちかごろのわけぇもんは」ンなこと言ってると誰も相手にしてくれないよ。久々に見た幕張の海はすてきだったなあ。「磯の香りがするやろ」海苔の佃煮のコマーシャルじゃないって。参考のため、本裁判の被告、野坂昭如さんに意見を求めたところ、苦笑いして「この本を読んでいると癪にさわりますな」と呟きました。野坂さんは、かつてプレイボーイとして世に喧伝された人物であります。この人にしてこの言あることは、なんかの有力な証拠になるといって丸谷才一さんは法廷を爆笑の渦に巻き込んだんですが、何の証拠、だったっけ。「な〜んちゃって。気にしない気にしない」。なに、江守徹?江守徹、磯の香りがしるてえ(酒井夕子っていうクラスメートがいたぞ)。あー、黒柳徹子さん…(眠り込んでしまう。続きは後日)。
これは最近ある本に書いたのですが、私の主張を申しあげますと、作者は自然と出会って自然と一体になったときの感動を詠う。俳句は自然から受けた感動を詠う詩である。次にその感動は、自然の物と物がかりそめならず、結びつくのを見て、起ったのだ。このかりそめならず結びついているということが大事です。ただ自然の物が並んでいたからそれを意味なしに結びつけるのではなくて、かりそめならず結びついているのを見て感動が起ったのだ。その結びつきが配合である。
率直に申してぼくはこういう自然の獰猛が得意ではないほうですが、ほほぉーと、眼を凝らして見ているうちに、いまぼくがやっている、この、眼を凝らして見ているということは、俳句の世界ならば、山口誓子氏が言っている「つまり写生によって自然を眼でしっかり押さえ込んで、それを言葉でしっかり表現せよ、(松尾芭蕉は)こう言ったのですね」というところと関係があるだろうと思ったから、この山口氏の『子規の主張』という方法論をもういちど読み直してみました。冒頭の引用はその中の後半の一節です。
わりかし、これは冷静な科学者の観察などと似たところがあるのではないか、などと想像するが、ぼくは科学者ではなくて、そりゃあ、カラスだって生きてるんだから、腹が減ったら餌を探して食うに決まっている、人間だってそういうことは毎日やっていますよ。『どっちの料理ショー』で、「どうです、この元気な黒牛、おいしそうでしょう」。次のコマではすでに、一塊にスライスされた牛肉が皿の上にどかんと置いてあり、「どうぞ!食べてください!」みんなテレビで観ているでしょう。屠殺の実際なんかブラウン管には出てこない。職人さんでもないと、あれはちょっと見ていて気の毒だと、ぼくが習った中学の社会科の先生から聞きました。スペインの闘牛もぼくは見たことがないが、ピカソが描いてますよ。闘牛も描いているし、ダイニングテーブルの上に牛の頭部がどかんと置いてある静物も描いている。スペイン人はああいうの平気なのかね。新潟中部の虫亀という村落に闘牛祭が残っていて、いまもやってるんじゃないかな。科学者だってそういう意味の、自然をじっと見ているものですが、いろいろの実験をやったりということになると、もうその道の専門の人に任せておいたほうがいい。というか、哲学と技術がないとそういうことはできません。
オーギュスト・ロダンという彫刻家の作品があまりに実際の人間をよく表しているので、これは人間の遺体にブロンズを被せたのではないかという疑惑の声が上がったそうですが、そんなことありはしない。ロマン主義というのは、最近ぼくが理解したところでは、人間感情を非常によく表した精巧な模造品を作ろうとする傾向であって、あくまでもぼくの想像ですが、これは古典主義、悪口を言えばアナクロニズム(時代錯誤)の産物だという話になる。
ヘルマン・ヘッセの、確か祖父の時代に蒸気機関車が走り始めたが、こんな無趣味な乗り物は開通させるわけにいかん、と憤慨した議員や貴族が少数いたそうです。かれらは旧弊の耄碌爺とみなされた。もしこの少数派のじいさんたちの意見が通っていたら、のちのヘッセは、またしても1時間半の汽車旅行、などという鬱陶しい体験はせずに済んだのになあと告白してますが、ちょっとオーヴァーじゃありませんか。というかようするにヘルマン・ヘッセは自分が旧弊のじいさんのクチですよとユーモアを言っているわけだから、ヨーロッパのロマン主義というのは、流行現象などとは程遠い、何か頑迷な、少し笑止な、フーゴー・ヴォルフに言わせれば「思想を欠いた作曲術がどういうものかを知りたければ、ブラームスに絶好の見本がある」ということになるような、その意味での古典的な発想の産物なんですが、ブラームス自身は自分は古典主義者だと公言し、誇りにもしていたそうだから、「思想を欠いた作曲術」というヴォルフの批評は、見た目ほどおもしろくない。本気にするなと言いたくなるが、そう言いながら、「思想を欠いた作曲術」はほんとうにある(笑)。おまえがそうなんだよ、って、メガフォンでぽこっとアタマ叩かれたりして。
最後にちょっと苦言を呈しますが、現代の俳句に、自然の写生を怠っている句が多いのです。自然が欠けておりますので、その自然の穴を言葉で埋めて俳句を作っているのです。自然がなく、言葉だけある句が多いのです。そういう俳句を子規は「心の作はよし」、心で作った作はよい、「言葉の作、好むべからず」、言葉で作った作は好ましくないといっております。ですから自然を写生して、感動で作った句はいいが、言葉で作った句はいけないというのです。
(山口誓子『子規の主張』から。国書刊行会『現代の俳人 山口誓子』に収録されています。)
尻切れトンボですが、今日はカラスの餌の話から始まって造型について思うところを雑談しました。すこしまとまりが悪いけど、雑談ですから見逃してやってください。ほかにも、ポール・デルヴォーの絵のこととか、平出隆の詩のこととか、話題にしたいことが残っているので、今日はここまでにして、次回にお話しましょうか。
この詩集が上梓されたとき、ぼくは高校生だった。現代国語の吉岡又司という担当教師が詩集を出したりしていたので、感化されていちじ詩に凝った。そうとうめんどうな専門書も置いてある書店には、ちゃんと現代詩の棚があった。『現代詩手帖』という月刊誌を読むと、わかったような、わからないような、詩のような詩でないようなものがたくさん並んでいて、平出隆の詩もその中にあったが、このひとの『胡桃の戦意のために』という新詩集を思いきって買ったのはなぜだったのか、いま考えると輪郭のはっきりした理由はなかったようだ。その詩集の装丁はかっこよかった。象牙色をしたハードカヴァーにタイトルが彫り刻んであり、覗いてみると白い1ページに数行ずつのフラグメントが全部で111、どれもみなページの真ん中に四角くおさまった散文詩だ。それがかっこよくて、というか、その日本語は硬質で、岩とか鉱物のようで、そのありようが気に入って、買ったんだと思う。しかし本式に読もうと思うと歯が立たなかった。言語、日本語が書いてあることはわかるが、なにが言いたい日本語なのか読んでもちんぷんかんぷんだった。大学を辞めるころまで、渋谷道玄坂の古書店で買った寺山修司の『暴力としての言語』という評論集(これもなにやらよくわからなさそう)とともに、よく読みこなせないまま、ずっと持っていたが、引越しを重ねているうちに、どこかへまぎれてしまった。
しかしずっと気になっている、というような本、あるでしょう。25年も、ろくに読めないままその存在がなんとなく、でもあんがい根強く、気にかかっていた。んでー、つい何週間か前、文庫版でこの詩集が読めることがわかって、近所の本屋で買って、いま鑑賞している最中です。ムリに読むもんじゃない。ぼくには、詩はそういう性質のものだ。どんなに見た目のはっきりしている詩でも、「読む」という体験とは違う、なんかほかの体験ができるような日本語の集まり。ねじ込むもんじゃない。
「続きは後日」(え〜っ、これだけですかぁ?) なにぶん、ゆっくりゆっくり読書中につき、まとまった詩論や感想なんか書けるわけがないんですが、なにか、ぼくはこの詩集について言いたそうだったから、とりあえずなんか書いてみた。なにしろ『胡桃の戦意のために』は、戦後詩の中でも難解で知られているから、一般の読者が理解や鑑賞に要する時間は非常に長いのだと思う。今しばらく、おりおりページをひも解いて読み進めてみます。
◆そもそも太鼓堂とは何か ◆音が聴けるページ ◆CD『江村夏樹 云々』 ◆太鼓堂 CDR屋さん ◆太鼓堂 DVDR屋さん
◆No Sound(このページには音がありません) ◆江村夏樹 作品表 ◆太鼓堂資料室 ◆太鼓堂 第二号館 出入り口
◆いろいろなサイト ◆江村夏樹『どきゅめんと・グヴォおろぢI/II 』