目次

江村夏樹が作曲や演奏で実践していること
(何を考えてやっているか)
そのXVI

江村夏樹


214.
「2010年になりました」

 あけましておめでとうございます。昨年に引き続き、どうぞよろしくお願いします。

昨年12月初旬の風景

 サイクリングでよく通る、ぼくの好きな小道です。画面の奥へ抜けると自宅があり、手前側には図書館と電気店があります。その中間が、この小道と畑、ぼくの近隣でいちばん、宅地開発が進んでいない地域です。

 新春なんだからもっとパ〜ッと明るい写真を掲載しようよ、とも思ったんですが、好きな風景をご紹介することにします。たまには郊外の閑静な風景もいいんじゃないでしょうか。この小道は私道ではありません。ちゃんと車が通ります。

 12月は写真をほとんど撮らなかった。カメラを持って出歩かないことが多かった。持っていたときも、いろんな人としゃべりながら歩いて、会話で盛り上がったまま喫茶店に入ったり、電車に乗り込んだりして、シャッターを押すタイミングなんか忘れてることもありました。年が明けたから、また写真を撮りに出かけようかな。

[2010年1月4日(月)/続きは後日]

215.
「ウェブサイトはHTMLで作ってある」

 去年1年を振り返ると、一口に言ってインドアの1年だった。年が改まって街が回転し始めるころには楽譜を書いていた。小編成の曲でも、20分書こうと思ったら2ヶ月ぐらいかかる。旧作を編曲し、引用し、ほかの作曲家のピアノ曲を練習し、共演の演奏家を集めてリハーサルを繰り返し、1回のコンサートを終えたら夏になっていた。特別に筆が遅いわけでもないし、ピアノの技術が足らないわけでもない。1年の前半は自作がメインのコンサートを作り、年末のコンサートでは、ほかの作曲家のピアノ独奏曲をもう少し増やし、自分の曲はこねくりまわさないことにした。手が空いたタイミングが見つかれば旅行しようと思っていたけど、結局、近場にいた。机の上や、ピアノの前での作業が多かったことになる。そういう時間の過ごし方を反転して、今年はアウトドアにしようと思ってるところです。

さいたま市の「ウェストサイド・ストリート」。撮影は何年か前。JR大宮駅の近く。

 ブログが出回って、HTMLの初歩でもちゃんと覚える人が減っている。ぼくが使っているHTMLはごく初歩で、スタイルシートもジャヴァスクリプトも、基礎がわからないから、ほかのサイトからコピーしてきている。それでもこの程度にはなりますよ。音楽や映像のストリーミング・コンテンツの作り方はまた別にある。ごく最近まで、こういうことはサイトの管理人が手仕事で作るのがあたりまえだった。それが、YouTube のような動画再生専門のサイトができたら、自分のサイトに音源や動画を置く派のほうが少数になった。

 ブログは動く雑誌のようなものなんですかねえ。ネット上で知らない人どうしのコミュニケーションができるから、雑誌より面白いのかもしれない。HTMLでサイトを作るメリットは、過去から現在に至る膨大な資料や情報を、そのまま公開できるというところにあった。ウェブサイトというのは、管理人がそこに何を置こうと自由だが、紙でできた出版物の場合と同様に、誰でも使える情報、つまり、客観性のある情報を無償で提供するということを重々考えて運営されていた。今でもそうだ。それに対して、ブログは完全に私的な交流の場、少なくともそのメタファーになっている。そういう性質の場で、文字によるおしゃべりを展開するのは楽しいし、生産的な場合もあるだろうが、周辺に集まってきた人が作っているコミュニティの単なる座談会、というようなことにはしたくないような気がする。


 少なくとも、ウェブサイトは管理人が“作って”いる。この“作る”ということは、馬鹿にならないんじゃないかと思うけど、どうですか。ブログは自分で作らなくても、借りてきてすぐに書き込んでいる。ブログはウェブサイトの代用品ではなくて、根元から性質の違うメディアである。

 なんでこんなことを持ち出したかというと、本を読む人が減っているように、ウェブサイトを閲覧する人口も減っているからだ。みんなブログで楽しそうに情報交換している。リアルタイムの掲示板のようなものだから、コミュニケーションの場(またはそのメタファー)と言っても、書いてある記号の意味がわかるだけでは不充分だろう。道具は使いようで、その時点での思いつきを書き込むには便利だ、ぐらいに考えたほうがいいような感じがします。重大なことはブログには書いてなさそうである。確かにブログは遊びの要素が大きい。そういう場には、貴重なことや重大なことは、もういらなくなったんだろうか。

 日常生活は、コンピュータの中にしまってある情報だけでは成り立たない。まさかコミュニケーションがコンピュータの中だけで行われているわけではないだろう。やけに単純な締めくくりになりますが、外に出て人や自然や街に触れましょう。

[2010年1月28日(木)/続きは後日]

216.
「過去の自分の作品を破棄しない」

とどるうこき とどるうこき えんえんぺっぺ えんえんぺっぺ ひさびにしんじゅくへまいりー ちきちいたあ えええいこしゃくな きたのうみ ねづせんせい じきよくならし がまんしていたてや ちんちろげ うううきゅうきゅうしゃ ぢぢいくたばっちめ ほうちょういっぽんさがしにまいり そりゃおめー げばげばー みとこんどりあ そうかすきだたのか ぼーぽいーちん まくにゃーにゃーあかんぞねもっしー な そねみたまいそ ふとんかーぺっと おおんとね ぼたもつだんごげ でーすきでー くそくそねま ほれそこんとこええ とってつはでんでん おーえーこじゃこっつさこ われこそばー (後略) 

 これは、ぼくが22才のときに書いた『ぢぢい』という作曲の最後のほうに出てくるアナウンスの出だしです。一読、別に異常なことは書いていない。前後の脈絡はないが、はっきり意味のある単語が書いてあるし、センテンスも読み取れる。音喩は思いつきだが、きわだって新鮮なものかどうかは疑問。デモテープも保存してあるが、たかだかこの程度のことを、ものすごい意気込みでわめいている。挑発のつもりだったんだろう。ブラジル音楽評論家の田中勝則氏に送りつけて呆れられた。むしろ問題はテキストよりも発声の方にあった。テキストも発声法も、統合失調症の患者の談話にちょっと似ているところがある。当時は、ずいぶん行儀の悪い生活をしていたからなあ、などなど、思うところはほかにもあるが省略。

 たまに、過去の作品を廃棄処分する作家がいる。理由はそれぞれだろうが、一種の精神主義ではないだろうか。

 冒頭に引用したテキストが作品として成り立っているかどうかよりも、この段階を踏んだから、その後いろいろなことができるようになった、ということは言えるから、ぼくは捨てない。手痛い失敗だったとしても、消さないでおこう。

*     *    *

 コンサートや演劇に出かけると、逆説的な状況に出くわすことがしばしばだ。ぶっつけ本番だから不完全なもののはずなのに、舞台上のパフォーマンスも、観客の反応も、双方で完結している。映画やテレビと間違えているのではないだろうか。あるいは、のちのちラジオやテレビで放送できるように、会場ぐるみ、収録用のスタジオになっているのではないか。

 初代の高橋竹山のライヴを観た人ならわかると思うけれど、あの演奏会場にいる観客が受ける感動は、CDではまったく味わえないものだった。作家の長部日出雄さんが言っているように、竹山の生演奏は、「はらわたを引っ掻きまわすような」もので、「面白い」とか「感動した」とかいう言葉でくくれない、形容に困るような感覚を喚起することがあった。

 そういう生の空気の感覚を体験しないようなコンサートや演劇は、ライヴといえるのだろうか。

[2010年2月20日(土)/続きは後日]

217.
「"よい音楽"と"うまい音楽"」

 えーと、ぼくが下手な音楽家だから自己正当化しようという論考ではないよ。ぼくにも「うまくなりたい願望」はあります。と言うより、作曲でハッタリを狙わないし、ピアノで超絶技巧の持ち主でもないぼくには、かつて「うまくなりたい願望」はあったが、そういう願望の持ち方に疑問を抱いて、考えが変わってきた、と言ったほうが正確です。ここで言う「うまさ」とは、ピアノの指が速く動くとか、作曲だったら作業効率のいい合奏形態を採用して、演奏がやさしくて聴いて親しめる曲調に仕立てる、つまり要領よく書くとか、そういう物理のことです。

 広く言えば、「うまい音楽」=「よい音楽」なわけで、一般には、これで差し支えない。職人の仕事は元来、そうあるべきです。しかし、その「うまさ」や「よさ」の性質に立ち入って論議し始めると、往々にして両者は合致しない。「うまさ」=「よさ」ではなくなってくる場合が知られている。プロなんだから「うまい」のはあたりまえという意見があるが、音楽や絵の世界では、この種の技術論はいつも慎重に行う必要がある。雑な言い方はできない。如才ない生き方や、学歴崇拝の人生が非難されることがあるのと同じで、プロの技術が打算的なのはたいそうみっともないし、そんな打算的で吝嗇な技術は、誰も買わないや。

 ということを断った上で、作曲でもピアノでも、(あまり大々的にやってみたわけではないが)実際に試した結果から言うと、「うまく」なる限度がある。だから、問題は「いかにうまいか」ではなくて、「どの程度うまいか」ということになる。芸術のほかのジャンルの場合はどうだかわからない。技巧的にうまいほどいい場合もあるのかもしれないが、音楽の場合、技巧はある程度でいいですよ。音楽に求められるスキルには、もっと違った種類のものがあって、たとえば「感覚」というのは、普通思われているよりもはるかに具体的な配慮の産物です。極端な話、コンサート会場にゴキブリが出ないように殺虫剤をまいて芳香剤を置いておく。メーカーはダスキンとか、これだって「感覚」の具体的な実践には違いない。演奏で音が訴える雰囲気や空気感だって、あいまいな想念が浮遊しているわけではない。特定の性質を持った音が、ある程度までその場の性質を決めているわけです。

 たぶん、「どの程度うまいか」という評価は、その人が持っている技術をどれだけ有効に使っているかという評価なのだと思う。それぞれの音楽家が持っているスキルは、質も量も違っている。ひとりの音楽家のスキルの領域の中で、その人が行う音楽の技術を評価するということだから、複数が集まって競うというようなものではなさそうだよ。複数で競うのは、みなさんの技術の質が均一な場合なんじゃないんですか。

 ヨーロッパの音楽で、バッハあたりから採用されている和声の作り方は「機能和声」と呼ばれている。主調があって属調があって、並行短調があって、という規則がある。合理的に作曲ができるようなシステムだが、これを取り外すと、作曲という生産はずいぶんやりづらくなる。音の動きに一定の規則がないわけだから、頼りになるのは耳だけ、ということになる。皮肉っぽく言うと、機能和声による作曲は量産に適しており、規則どおりに音を並べれば誰でも音楽らしいものは作れます。単に「うまい」作曲なら、この方式でいくらでも作れるが、それは「よい」作曲でもなんでもない、ただ「うまい」だけ、ということが往々にしてある。

 それで、最初からシステムの採用をあきらめて作曲する音楽家もいる。というより、機能和声のようなシステムには、化学式や言語の文法にあるような意味の伝達の機能はないんだから、広く考えると、音楽を全部機能で考えるほうがおかしい。人間の耳が頼りにしやすい音程が四度音程、というような人類の起源に基づく規則は無視できないだろうけれど、これだって感覚と判断の常識の問題で、異常な音程感は聴いてすぐわかる、というような、抜本的な目安と言ったほうがいいと思う。

 だから、「よい音楽」と「うまい音楽」が一致する交差点には、見た目整った様式だとか、さあ、どう言えばいいか、価値の固定のようなものは創られない。ドグマ(独断)も大衆戦略も通用しないところに美しさや面白さがあるんだろうと思います。


 雪の公園 2010年2月 さいたま市 

[2010年3月11日(木)/続きは後日]

218.
「今月はこっちに時間をかけられませんでした」

 ぼくが言わなくても異常気象のことはみんな知っている。ずいぶんひっかきまわされました。月半ばには風邪をひいた。そのほか、コンピュータがおかしくなった。そんなようなことで、ただいま進行中の作曲が今日までに仕上がらない。大型連休のあいだ、楽譜を書いて過ごすことになりそうだ。

 YouTubeに動画をいくつか追加しました。12年も前の記録を改めて観ていると、「コンサートの作り方」に対する自分の考えが変わってきているのが手に取るように分かる。因習的なコンサートの型に自分なりのコンセプトをあてはめて、従来とは違うコンサートを作ろうと企てた時期のあと、ぼく自身のコンポジションの中にピアノ演奏をどう位置づけるかという問題が浮上してきたようだ。ぼくが作曲をやらない人間だったら、ピアノの技術についてよくよく考え直す必要があるなどとは思いもしなかっただろう。作曲を考えるためにピアノを弾く必要がある、とも言えそうだ。

 作曲とピアノを両立させるための条件は、どちらも未完成であること。そんな気がする。どちらかを切り捨てればやりやすくなる、などという単純な問題ではない。一晩のコンサートは完結しない。コンサート会場の性質は、企画内容と切り離せない。今まで以上に、今後はこのことが大事になってくるだろう。

[2010年4月30日(木)/続きは後日]

219.
「今春の作曲で試したこと」

 まだコンサートが終わっていないので、これから発表する作品についてなにかしゃべるのはどうかと思って黙っていたんですが、ほかに書くことがないから、何を企てたか、ちょっとお話ししようと思う。と言って、言葉にするとひどく単純なことになる。このたびはヨーロッパ音楽で「対位法」と呼ばれている作曲技法について考えていました。(だから、以下に出てくる意味とか有機的とかいうことばは、ヨーロッパ音楽の概念で言うそれらのことです。)対位法というのは、調性、ハ長調とかホ短調とかがあって、主要主題をこしらえて楽想を展開させるヨーロッパの芸術音楽上の技術で、作曲理論でもあります。いっそ通念と言ったほうがいいかも知れない。その程度にヨーロッパ音楽の常識です。ぼくは、調性も主題もなくて対位法が成り立つかどうかを試してみたかった。言ってみればそれだけです。他のことはやっていません。いまうるさいバイクがおもてを通り過ぎました。夜10時です。うるさいなあ。

 なーんもなくて対位法、いくつかの楽器の絡みが成り立つか。経験的にぼくたちが知っているのは即興演奏です。4人なら4人集まって、その場で思いついたことを同時にめいめい演奏する場合がそれです。なるほど、違うことが同時に起こっていて、その音の群れはどちらかと言うとでたらめではなく、音楽らしく聴こえる。

 楽譜を書きながら、即興演奏に近いな、と思いました。便宜として、短い単位のリズムの呼びかわしを使ってはいますが、アンサンブルの各楽器はそれぞれが違うことをやっています。有機的な関連付けがない。というか取っ払ってみた。取っ払って、音楽が書けるかどうかやってみた。結果は、演奏してみるまで分かりません。でたらめかも知れないし、いくらか音楽らしいかも知れない。書いてる途中から、こりゃ音楽にこだわっていたら書けないなと思い始めた。何か音楽的に意味のあることを選んで書こうと、最初は思っていました。しかし、音楽的に意味があるということは有機的な構築があるということで、有機的な構築というのは、伝統的な意味で調性があって、主題の展開が可能な対位法がある、ということです。有機的な意味を取っ払って、多声部の絡みを書こうと企てたんだから、当然、その有機性に由来する音楽的な仕組みや意味は、求めるほうがおかしいということになる。それで、何が音楽か、どういう形が音楽か、みたいな問いは極力捨てました。書こうと思ったことを順次、書いてみた。

 ひとつだけルールがあって、それは4拍子の音楽にしよう、ということでした。変拍子は使わない。4拍子で4つの楽器を縛って、4つの楽章を作りました。各曲はおよそ4分で、おのおの4ページあります。別に関係ないけどぼくはいま44歳です。そういうわけで、これは4444444の音楽です。合奏曲がこうして出来上がりました。

 もうひとつの作品は声のための曲です。これも、おおむねはでたらめな文章もどきで成り立っています。文法も無視しているし、第一、知られた単語がほとんど出てこない。あるのはでたらめな思いつきです。定めたルールがあるとすれば、声優さんと聴き手の耳にとって不自然ではなさそうな呼吸の感覚です。よくわかんないけど、そういうことを音楽に仕立ててみたかったのです。これで音楽になるかどうかやってみたかった。

 それだけですよ。3ヶ月ほど、この2曲の制作に時間を割いていました。結果は、さあどうなるかなあ。

 ご承知の通り、今春は天候不順でした。桜の開花状況も読むのが難しく、何度も花見に行って写真を撮ったのに、悪天候だったり、妙な咲き方だったりで、ろくな写真がありません。上に掲載したのは5月上旬の近所の風景です。

[2010年5月19日(水)/続きは後日]

220.
「豆腐の味」

 豆腐がマイブームです。といっても、せいぜいスーパーに並んでいる各種豆腐をとっかえひっかえ味比べしている程度で、1斤1000円の豆腐だとか、そういう専門の味には挑戦してないんだけど、それでも夕食にいままで食べたことがない銘柄の豆腐を出すと、愉しいです。

 男爵豆腐というのがスーパーに並んでいて、195円だからちょっと割高ですが、木綿にくるんだりしてあって、好奇心で買った。うまいです。ところで、そのうまさの基準だが、こんな文章を書き始めておいていまさら何を言うかとしかられそうだが、どういうのが「うまい豆腐」なのか、いまのところわかんないんだ。逆にはっきり、これはまずい豆腐、という基準のほうならあると思う。なんか添加物の味がするとかそういうことです。だが、本当にうまい豆腐って、どんな豆腐だろうかと思いを馳せると、これがナンバーワンである、というような豆腐はまだ食べたことがない。

 豆腐の話ですから、適当な滋養になって、そこそこの満足なら文句はないんですが、これといった理由はないが、ある日、スーパーの豆腐をあれこれ食べ比べてみようと思い立った。なんちゃって、ここ1週間ほどのことですよ。

 だが、ささやかでも野心は野心で、試した甲斐があった、ということをご報告したい。今日久々に、2個で120円ぐらいの「ふつうの」豆腐に戻ってみて、別に愕然とするほどではなくても、やっぱり格の違いというのはあるもんだな、と思わずにはいられなかった。ものがプリンなら問題ないけれど、今晩食べた豆腐はふにゃふにゃでした。なんとなく、情けない感じがした。歯ごたえがない、というか、そもそも箸で小さい四角に切るときの、手ごたえからして心細い感じで、拍子抜けしてしまいました。

 だからと言って、「何だ、この豆腐は。こんなものが食えるか!」なんていきり立ったりしません。しかしながら、人間生活において腰が重要であるのと、問題としてはそう変わりがないような気もします。豆腐にも「コシ」がないと、どうも情けない。なんか情けない感じがしたなあ、今日の豆腐。

 数年前、豆腐の味を題材に取った時代物の映画を観た、という記憶はあるが、さて、なんという映画だったか。題名を忘れていた。最近はこういうことはインターネットですぐ調べられるから、便利といえば便利ですね。「豆腐 角川映画」で検索して、山本一力原作の『あかね空』という映画だと判明しました。傑作ではないけれど、いい映画ですよ。興味のある方はご覧ください。

 ここひと月ほど、写真を撮ってません。代わりに、単なる趣味で描いたアジサイの絵を掲載します。4年前、06年の7月3日に描いたものです。これっきり今日まで、どさくさにまぎれて絵は1枚も描いてません。こんなかたちで皆様にお目にかけたことがきっかけになって、また描き始めることになるかなあ。へただけどお許しください。

[2010年6月28日(日)/続きは後日]

221.
「専門職から少しだけ離れてみるということ」

 なんですか、今年は最初の4ヶ月ほどはやたらに寒く、梅雨前線が近付いてきたら、こんどはバカ暑い。スーパーのレジのお姉さんも、「暑くてたまりませんねえ」なんて話しかけてくる。ご近所はみんな暑いと言っている。

 先般、自作コンサートを終えて、言いたいことは言ってみるもんだと思った次第です。コンサートを開催するにあたって、「その場に不似合いな感じがする発想や思いつきは、普通の場合、出さなかったりしているわけですが」、理屈抜きでこれは出してみたいという欲求が強い要素は、抛り込んでみるのも手ではないか。それは、必ずしも音楽的なことだとは限らない。方角が違うんじゃないかと思うような思いつきが、これから遂行しようと思っている計画の中で小さな一部門を作って、しきりに呼びかけてくる場合がある。ばかばかしいから切り捨てましょうと思い切るには、訴えが案外強い。だが本編とは別に関連がなさそうだから、3年も保留にしてある。今回のコンサートで柴田暦さんの声のパフォーマンスと同時演奏した『小石を移動する行動』は、その3年を経てようやく披露することに決定したものです。

 楽器の演奏がうまくなるということは、もちろん素敵なことだ。だが程度を超えるとその特技が裏目に出ることがある様子です。つまり、楽器がうまいだけだということになる。ぼくはコンサートでピアノ演奏以外の挙動をすることはまれですが、ひとつの楽器に習熟すると、その楽器のことは詳しくても、それ以外の周りの事情について具体的な行動を起こそうと思ったとき、右往左往することになる。体の使い方を少し変えてみるということだが、たかがこれだけのことがどうして難しいか、と思わせられる羽目になる。「思わせられる」って、自分が画策したことではないかと突っ込みを食らいそうですが、ともかく専門職から少し脱線して、離れてみることは、ぱっぱと片付かない場合が多い。

 そうした種類のことの必要や不必要を云々するより、自分の専門にしがみついていることは面白くないのではないか。ピアノという楽器が専門の人だったら、あらゆるアイデアを全部ピアノの内部に繰り込んで、ピアノ専用の仕組みを作り、こんどはそっち方向に熟達するというのは、演奏家も聴き手も、新趣向を眼の色を変えて追い求めることになりはしないか。

 何でも屋になるのがいいと言っているのではない。少し周りを見てみよう。たまに違うことを試してみよう。ひとことで言えばこうなる。音楽に限らず、専門職が増え、専門バカが増え、それだけに街が殺風景になるのがあんまり気分のいい変化ではないことは、日常、誰でも経験しているでしょう。商店街でお勤め先の品物を喧伝すべく、メガフォンで金切り声をあげている男や女の店員さんは、それが職務だから一生懸命なのでしょうけれど、見栄えが良くないです。うるさいです。音楽でも同じ話だということに気付いた。お伝えしたいから拙稿をしたためた次第です。

 今月もあまり写真は撮っていませんで、ちょっと恥ずかしいですが以前趣味で描いたパステル画を掲載しておきます。これは古くて、2000年に描いたパキラの葉っぱです。

[2010年7月27(火)/続きは後日]

222.
「ウェブサイトの手直し」

 気がつけば、このウェブサイト『太鼓堂』を作ってから8年と少し経っている。これからも続けるつもりであちこちのページを見なおすと、手直ししたほうがいいところがいくつかあった。じつは作業はまだ残っているんですが、ちょっと飽きたから骨休めがてら中間報告を書きます。

 ほんの5年ぐらい前まで、音声ファイルや動画ファイルをストリーミング配信するのは手間のかかる作業で、やさしいこととはいえなかった。WindowsとMacとで方式が違っていて、どちらかの人しか観れない・聴けないという厄介な問題もあった。今ではYouTubeなどにアップロードしてしまえば、世界中のだれでも見られる環境が簡単に作れます。これを利用しない手はないと思った。

 いっぽうで、活字離れが問題になっているのと同様のことがインターネットの世界でも起きている。新しいアーカイブを更新しても、閲覧者が集まるとは限らない。ブログを日記のように使うのはその人の自由だし、ぼくも私生活をブログに書いているけれど、趣味で悪い理由はないとしても、趣味のようなものですよ。「お風呂に入りました」と書いてあれば、その女の子はウェブページ上で服を脱ぎ肢体をさらしているんだな、と思う。好色お兄さんのダサい妄想ですかねー。

さいたま市北区へ向かう途中の風景 2010年7月下旬

 ツイッターを使って埼玉とパリの知らない人同士が交信する。こういう、サイトの記事以外の動く情報に人気が集まれば、やっぱり相対的に、サイトのアーカイブの閲覧者は減るでしょうね。それでも、いちどサーヴァーに載った文書や音や動画はかなり長期間、公の場に開かれているから、折に触れ新しい情報を掲載しておくのが賢いかなーと思います。

 サイトを見てもらったら、およそどんな人間が、何をなりわいにしているか輪郭がつかめる程度には、はっきり自分の創作を設置しておいたほうが面白いだろう。

 ぼくは学的にというか、研究的にインターネットの世界をとらえて意味を考えるということは苦手です。それから、ウェブサイトを直接、自分の創作の媒体として使わない。自分のサイトに載せているのは、コンサートの告知やCDの宣伝を除けばほとんど事後報告です。改めてサイトを見なおして、まだ載せていない事後報告の量が増えたから、書き加えやhtmlページの増設をやって、ついでにタグの記述ミスを直したりしました。これだけで結構な作業量です。

 インターネットを情報交換の場と考えて、コミュニケーションを企てようと思うのはいいけれど、ディスプレイやケータイに向かって情報を発信している自分の気持を置き去りにはできない。コミュニケーションは相互のものだから、ネット上のコミュニケーションが成り立っているように見えても、実際に会ってあらかじめ知ってる人同士の補助みたいなものだろう。だからインターネットのコミュニティは閉鎖系で、ウェブページの情報を媒介としてコミュニティが外へ開けていくということは、起こっていないようだ。その意味では、ネット上で起きる出会いというものにあまり期待しないほうがいいと思う。失望的に聞えるかも知れませんが、これはたぶん実際です。

 音も映像も、8年前には想像もしなかった可能性と能率で、しかもかなりいい音、いい画質で情報を切り取ることができるようになった。これをちょっと考えると、そういうことが困難だった時期には、ひたすら文字や画像で意味内容を伝達していた。結局、ものを言うのはコンピュータに情報を打ち込む人の想像力の問題で、コンピュータがいくら進歩しても、人間の手作業に追いつかないところはどうしても残るだろうな。

 ブログが出回ったころから、htmlページを自作する人が目立って減ったと思うんだけど、自分でページを作ってみたいという人は、また増えてくるんじゃないでしょうか。人間がいたら「場」が大切なのと並行して、ウェブページを自分で作りたい人の数はゼロにはならないと思う。

[2010年8月30日(月)/ 続きは後日]

223.
「街の遠近法」

 台風12号。早朝はもはや冬を思わせる低温、雨が降っていた。それが昼になったらやにわに秋晴れ、なんだか雨が止んで残念だというしょげた気持と、晴れた晴れたと手を打って喜ぶ痛快な気持が交互し、自分ながら可笑しかった。それで夕刻、日が沈まないうちにと思って、1時間コースのウォーキングに出かけた。散歩に出たわけです。

 散歩で気持が安らぐのは郊外の緑を目にしたときや、雲の形状がおもしろいときなどである。「雲の表情」は面白い。見ていて飽きない。夕暮れ時は太陽が雲のあいだあいだに見え隠れして、その光線の具合が街にも影響するのを愉しむ。ぼくは弾いたことはないが、一柳慧さんが『雲の表情』というピアノ曲のシリーズを書いている。雲に魅了されるのはぼくだけではないようだ。

 「楽音として特化された楽器の音ではなく」というフレーズが記憶の片隅で主張してくる。いかにも音楽らしく仕立てられた特殊な音ではなく、犬の雄叫びや、ドアの軋りのように、日常と同じ地面で成り立っている音で演奏する器楽曲。こういう微妙な注意を演奏家に促すと、彼らは苦慮して、なおさらわざとらしい騒音を演出することがある。曲を作る人間はよく考えるべきポイントですね。

 いまぼくは自宅の机で作曲を進めている最中で、息抜きと運動不足解消を兼ねてウォーキングに出ているわけです。だから、歩道を歩いていても、想像上の音が頭の中に数種類、鳴っていることがある。しかしそれは現実に聞こえる音ではない。当然、日常音ではないから、散歩をしているとき、戸外の日常音と一緒に現実に聞こえてくることはない。

 深夜ラジオで森林浴のことを言っていたが、確かに緑のあるところに入ると心身がくつろぐような気がします。ときどき、思いついたときにスキップをしてみました。

 街の音がとてもよく聞こえる。そのもつれの中で、聞こえているが注意がそちらへ収斂しない音があった。市民の森という名前の公園の芝生で、フリスビーをやっている家族連れなんかが会話している声は聞こえにくい。文化圏がこちらとあちらでは違うのだろうか。逆に、どこにいてもたいてい聞こえるような音もある。幼児の声には遠近感がない。パトカーや消防車のサイレンや、防犯ベルのように、どこにいてもやかましく聞こえてくる。

 街は平面ではない。空間には自分に近い音もあり、遠い音もある。ときに遠近感を忘れるのは、都会では街を構成するいろんな属性が、ともすると均一化しがちだからだろうと思った。コンクリートだらけ、物音もひたすら、がなりたて、要素の数が途方もなく膨大で、人間の知覚を麻痺させるような場所柄では、遠近法もなにもあったものではない。

 身辺にある物音だが、ぼくが注意を払っていないから聞えてこない、というような音があるだろうか。そう思って、いま聞えている音の群れから注意をそらしてみた。しかし、いま立っている位置で、聞こえる音以外の音は聞こえない。

 その、音が聞こえてこないところにあるのは、ひとつの音の発信地と、別の音の発信地との間に横たわる空間である。そこは空間になっていて、音を発していない。しかし、正確に言えば音がないのではなく、その空間にもさまざまな音は出入りしているが、そこにいる誰かや何かがわざわざ音を立てていないということです。

 「非日常」だの「非現実」だのと、音楽についてさまざまに言われているが、そろそろやめたらどうだろうか。1時間のウォーキングの街並みは、別に音楽の空間ではありませんが、音楽がないからブーブー言い出す人はいないのだ。コンサートホールのステージ上だけを特殊な「非日常空間」だと主張する、まっとうな根拠が見当たらない。特権意識、思い上がり、思い込み、独断ではないだろうか。

 散歩も終わりに近づいて、歩き疲れたころ、ふと思いついた。実在するけれど聞こえてこない音はあるということだ。いくらでもある。街には住宅やアパートや商店がひしめいている。その建物の中はがらんどうではない。人が活動しているはずである。犬や猫もいる。テレビもラジオもある。けれども建物の壁一枚を隔てて、その向こう側の物音は、こちらの立ち位置まで響いてこないのだ。あるいは、ごく微細なレヴェルで空気の振動はあるのだろうが、あまりにも少ないため、何も聞こえていないとか、音がないとか、雑な判断で済ましているのです。

[2010年9月25日(土)/ 続きは後日]

224.
「今月は休載します」

 っていうか、今月はあと3時間しかありません。今月は異常気象とやらに振り回されて半ばまでは風邪でした。風邪が抜けたからコンサートの準備を始めたら、そっちの関連項目がいろいろ出ててきて、落ち着いて文案を練るアタマのスペースを確保できなかった。とかなんとか言い訳していますが、要するにサボったんですね。宿題を怠けるように怠けていました。やっとうちでもデジタルテレビが見られるようになったので、テレビの前に座ってる時間が増えましたとか、そんなの更新をサボった理由にならんでしょう。ならんけれど、理由と言ったらそのくらいしかないです。そういうわけで、随時更新のこのコーナー、ちゃんと続けますが、今月は休載といたします。

 暮れにコンサートをやるので、別のページに告知してあります。五千円、じゃなくてご声援ください。

 ◆書かれた即興 〜 江村夏樹ピアノ独奏+2人の管楽器奏者たち

[2010年10月31日(日)/ 続きは後日]

225.
「ゆっくりおはなししましょう」

 月が明けてからの更新になりました。11月中になんか新しいアーカイブを掲載しようと目論んだんですが、そのたびに別の用事が出来たり、寝ちゃったりしていました。昨晩も居眠りをしているうちに今日になってしまったんですよ。

 そもそもこのコーナーは、月1回更新とか決めて始めたわけじゃなくて、最初は随時更新で、2週に1度くらいのペースで書きたいこと書いていたわけです。サイトを立ち上げてから5年ぐらいはそうやっていた。チャットが全盛の時代だったけれど、ブログもツイッターもなかったから、ひとに読んでもらう媒体と言えば自分のサイトしかなかった。だから、以前の記事をお読み下さればわかりますが、どうだっていいこともずいぶん書いてます。リアルタイムでブログやツイッターに投稿して、読者諸氏とウェブ上のコミュニケーションができるようになったから、こっち(ウェブサイト)のほうには真面目なことを書かなくちゃ、とは考えていません。ただ、相対的に、ツイッターでふざけたら、同じことをサイトの記事で繰り返そうという気持はあまり起きません。かと言ってくそまじめに学問やろうというつもりもなく、結果、何を書いたらいいか考えているうちに寝てしまう、というようなことがよく起きました。

 ぼくは高度経済成長期に生まれ育って、本格的に音楽を考え始めたのはバブル崩壊よりずっとあとです。だから、バブル景気の時代に食べていけた人々、資産を作った人たちを、「あれはバブルだったんだよ」と冷やかす資格はないと思う。ぼくはその時代は学生だったり、短期間でしたが音楽に関係ないバイトをやったりしていた。さあ、そういう時代について何をどの程度お話しできるのか、ちょっと加減がわかりませんね。ぼくは副業でお金を稼ぎながら、作曲やピアノを続ける方法を考えていたけれど、ぼくが当時就いていた仕事の現場は、そんなエレガントな要求にかなうような諸条件からは程遠かったよ、と申し上げておきます。

 その時代に音楽で稼いでいけた人たちのことはよくわかりませんから、発言は控えます。わからないことについては何も言えません。ただ音楽の世界でぼろもうけを試みて、しくじったツケをぼくのところに回してきたアンポンタンは何人かいます。これをお読みの皆さんの中に、自分もそうした被害をこうむりましたという方が複数いらっしゃるにちがいない。ツケをひとに回して偉そうにしているようなアンポンタンはどうせろくなことになりません。しばらくは腹が立つかもしれないが、長い目で見たら、そうしたえげつない人々がいるのに、刃傷沙汰にもしないで、自分の能力で冷静にことを収めて正解だったと、自分を評価すべきです。これは音楽の世界にかぎらず、日常はそうあるべきだし、自然にそういう方向に流れていくことが多い。大きな目で見たらそうだと、信じるだけの気持が持てたらとてもいいことだと思います。

 じつは以上は、皆さんもご存じの大作家の文章を下敷きにして書いたものです。この文豪も、言葉は違うけれど似たことを言っている。一例をあげれば、みんなが飛びつく新刊本を読まなかったことで、周囲から置いてけぼりを食らったような気持になるかもしれないが、実は、逆に得をしているのだ。新刊本をいちはやく読まなかったから損をしたとは考えないほうがいいと、彼は書いているんですよ。これは、はるか以前の提言ですが、現在ぼくたちが置かれている状況で、やはり有効ではないかと思います。というわけで、先達の型を借りて、ぼくも書いてみました。

 最近、全然写真を撮りません。400円で買ったレンズ付きフィルムが部屋の書籍やら紙屑やらに紛れてしまい、なんとなくそのままにしているうちに、写真を撮る習慣を忘れてしまったらしい。しばらく放っておこうと思います。まあ、このコーナーに張り付けるイメージファイルがなくて不自由です。また再開するでしょうが、今日のところは剽窃でご勘弁ください。故・岡本太郎画伯の『森の掟』です。岡本太郎記念館で買った絵葉書をスキャンさせていただきました。来年は岡本太郎生誕100年だそうですね。ぼくは美術ファンで、太郎さんの絵も大好きです。

 なんかさー、掲載しておいてあれですが、これはすげえ面白い絵で、以前出しておいたぼくのパステル画なんか話にならないんだけど、そう言わないで、ぼくの絵も見てやってください。このページを上にスクロールすると2つ、載っています。


 それから、コンサートの宣伝です。ご声援ください。

 ◆書かれた即興 〜 江村夏樹ピアノ独奏+2人の管楽器奏者たち

 追記
 10年経てば10年経つもので、10年前と現在を比較する必要も出てきます。ぼくがボケたわけではないのであしからず!

[2010年12月1日(水)/ 続きは後日]

226.
「儲けるための音楽を作るのはやめたほうがいいと思う」

   いまテレビでボブ・ディランの特集をやっているので流しながらこれを書いています。いろんな人がボブ・ディランについて証言している。ジョン・レノンの場合がそうであるように、社会現象としていろいろ意味付けはできるのだろう。聴きたくないサウンドでもないし、一定の関心はあるからなんとなくテレビをつけっぱなしにしてるんですが、こういう人物や音楽をいわば政治的に語ることには興味がない。社会と音楽はたしかに切れない関係がある場合が多いし、音楽を社会現象としてとらえるジャーナリズムが大勢の人の関心を惹くという構造もわからなくはない。しかしそれは博物学のようなもので、研究的に音楽を煎じつめていく試みは、もし必要ならやるのは自由だけど、なんだかめんどくさそうである。だから正直なところ、音楽ドキュメントには一定以上の興味はありません。

 レコード屋さんが売れる音楽を作るにはどうしたらいいかを考えるのはわかるが、同じことをライフワークにしている作曲家やミュージシャンがいる。ご苦労さまと言いたい。打算と言ってもいいその種の研究から音楽を作るのは自由だが、せっかくの研究の成果はたいてい、どうせ使いものにならない。そんなことにエネルギーを費やすよりも、まず音楽というものを作って、ひとの前でやってみるのが妥当な順序ではないのだろうか。「アート」全般をみても、事情は同じである。

 今晩は録画しておいた映画を観るつもりだったが、たまたまボブ・ディランが映っていたのでつい見てしまった。音楽はいいんですが、いや、繰り返しになるからやめましょう。日頃ポップスを聴く習慣のない野郎にもアピールする要素は確かにあります。だが、こういうアメリカのプロパガンダをあまり信奉しないほうがいいと思う。番組がカッコいいのは制作や編集技術が作りだした誇張で、事実以上に面白くなっている場合が往々にしてあると思いますが、いかがでしょうか。

 詩人の田村隆一が言っているように、社会はタテマエでできている。「私は本音で生きている」なんて、かなり甘いよなとまで、田村さんは書いてます。ぼくがアメリカのプロパガンダに違和感を感じるのは、日本で同じことをやろうとすると、それはタテマエではなくて社会的体面として働き、一般市民やインテリの顔や態度が笑いもゆとりも失って硬直してくるからだ。そういうのは、いっそ言い訳だと言ってもよさそうな気がする。戦っているんじゃなくて、戦う顔つきをしながら、アメリカを慰安の材料として消費していることになる。福田恒存の言う「感傷的精神主義」というものは、こういうことと関係がないだろうか。

 NHKが衛星放送を始めて今年で10年だそうですが、拙宅は今年9月にデジタルテレビを買ったばかりです。2004年秋、広島に旅行したとき、ホテルのテレビで衛星放送を初めて見た。夜の時間帯で、シタール奏者、ラヴィ・シャンカールのドキュメントだった。ジョン・コルトレーンとの交友に関するトーク、ヴァイオリニストのユーディ・メニューインとの即興セッションの録画など、とてもエキサイティングな内容でした。ぼくはテレビドラマがつまらなくなってきたころからテレビと疎遠になり、威張ってふてくされた日本の政治家の顔も見るのが嫌になって、ここ数年、まったく見なかった。インターネットの動画サイトが現れ、もっぱらそっちで楽しんでいたから、テレビに対するイメージは憎悪に近かったですよ。

 しかし、BS放送の音楽や映画を見始めたら、すっかりはまってしまった。コンサートの実況録画は、実演の雰囲気や気配をかなり伝えてくれるし、めったに見ることができない古い映画もやっている。自分が聴きに出かけたコンサートに再会することもある。現実の肌触りが、テレビを媒介にしていくらかでも戻ってきそうだと言えば、おめでたすぎると鼻白む人がいるかも知れませんが、ぼくは興味がある。公共放送だから幅広くいろんな番組があるが、どうしようもないお笑いやガキのアートは、最小限にしてください。お願いします。

 秋口ごろ、使っていたレンズ付きフィルムが見当たらなくなって、しばらく写真を撮っていませんでしたが、数日前、出てきたよ。なんとジャケットのポケットに入れて毎日持ち歩いていた。そのことを忘れていたのだから、自分ながらあきれています。そういうわけで、また下手な絵で恐縮ですが、久しぶりに描いたのでお見せしますよ。8月に描きました。くたばりそうな暑さでしたね。今年はアウトドアの1年にしようと言って、春と秋に旅行するつもりでいた。春は韓国に行ってきましたが、秋はへばってしまって動く気になりませんでした。また出かけましょう。

[2010年12月27日(月)/続きは後日]

227.
「2011年になりました」

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくご指導ください。

 三が日が明けて街が動き出しましたか。ぼくは、年末にひと騒ぎしたら、お正月はだらだらと過ごしました。軽症の風邪である。元日からくしゃみをして、のどがいがらっぽく、アタマがボケっぽいです。去年の成果を延長すると今年はどうなるか、読んでいます。

 拙宅の近所では、今年はどこの住宅も松飾りがとても質素で、なにも飾ってない玄関もずいぶん多く見かけました。景気が悪いからあまりお金をかけなかったのかなと思っていましたが、むしろ、気合を入れて新春を迎える、というような力みがなくて拍子抜けした感じもあるなと思いなおしました。それはそれでひとつのやりかたかなあ。街が暗いからと言って、盛大な馬鹿話やてんこ盛りのご馳走でムリに笑ってみても、笑う努力がからまわりしてむなしさだけが残りますと言われればわからなくもない。でも、やっぱり面白く笑っていたいなあ。ユーモアを欠いた現実というのは潤いがないと思うんですよ。潤わなければ、痛いじゃありませんか。

 ぼくは30才を越えたころから白髪がありました。旧友や親友に会うたびに「増えたよ」なんてね、言われました。こういう旧友や親友は、若白髪が福白髪であることを忘れております。吉行淳之介という小説家は色事をよく知っていたそうで、バーのマダムの肩に手をまわして、ひとこと「苦労したんだね」と言う。言われたほうはほろりとするんだそうです。飲みながら女給さんのお尻を触るのに8年の修業が必要だとも、どこかに書いてあった。いま、ぼくの白髪に手を触れて「苦労したんだね」と言う人が現れないということは、実際、大した苦労はしてないということか。バーにもパブにも出かけたことがなくて、いや、白髪をなでられたりしたくないとかそういう理由からではなく、タラちゃんに(「ただ単に」)バーに行って飲むほど酒が強くないという、現実的な理由があるだけです。

 その気になれば体は必要なだけ動くということは、年末に確認しました。忘年会の帰り、東京メトロ日比谷線の上野駅で下車して、JR上野駅の京浜東北線のプラットホームまで、7分で走りました。ご存じのない方に説明すると、日比谷線のホームはいちばん低い地下3階で、JR京浜東北線のホームはいちばん高い地上3階で、ひたすら昇り階段です。24時半の終列車に乗り遅れたら、どこかに1泊しないといけない。駆け足で階段を昇って間に合いました。もっとも、膝が馬鹿になるということはあった。カクン、カクンと音がして関節がはずれそうな感じでしたが、それでも両脚はちゃんと働いてくれました。

 例年、世の中の仕事始めの時期とほぼ同期して作曲やピアノの練習を始めています。今年の場合、作曲のアイデア自体は去年の秋に思いついたことがあって、それをどう具体化するのか、考える時間が例年よりも少しだけ長くかかりそうです。作曲とピアノの練習の両立ということもたびたび考えますが、両方同時にはできない。順序を言うと、やっぱり作曲の邪魔にならないようにピアノを練習するということになります。両方が競合を起こして、あぶはち取らずにならんとも限らないから、注意が要ります。

 さて、「いっちょやりますか」ではない。ゆっくり始動しましょう。いつも健康でありたいですね。

[2011年1月4日(火)/続きは後日]

228.
「ムダが省けないかな」

 買い物がてら、夕暮れの街をぶらぶら散歩していると、街並みが夕日に映えておもしろく見える。山口誓子さんなら「配合」という正岡子規の用語でもって、この雑多な風物も説明して、うたをひとつ詠むでしょうが、ぼくにはそういう言語の才能がなさそうで、俳句も短歌も駄目みたいですね。小学何年生のころだったか、詩を創る課題が出て、なにか書きなさいと言うので、短い詩のようなものを4つ並べた。あの原稿用紙は無くしてしまったが、最後の1篇だけ覚えている。


      日も暮れる夕がたの夕日
      今日の終わりだ
      この詩もおしまい
      さようなら

 これじゃ、小学生の作とは言え、使えないだろうねえ。

 そういうわけで、出先で面白い風景に出会うと写真を撮る。これはみんなやってることでしょうが、ぼくは今でも400円の27枚撮りのレンズ付きフィルムを携帯して、役立てております。最近はみなさんデジカメか携帯電話をお持ちで、ぼくがレンズ付きフィルムを上着のポケットから取り出すと、まわりの人が驚く場合がある。時代錯誤なんだろうか。いちどデジカメを買ってしまえば、500枚とか1000枚とか撮りだめできるし、写したものがすぐ見れるし、簡単にコンピュータに取り込めるし、現像代もプリント代もかからず、いろいろ効率がいいんだろうと思います。

 たまに、デジカメ買おうかなと検討してみることはあるが、デジカメを買うほどの必要はないよ、というのが毎度の結論で、購入は延ばし延ばしにしている。ぼくは、レンズ付きフィルムに愛着があるからデジカメに切り替えないとか、そういうロマンチックな理由は持っていない。デジカメに限らず、新型の機械はどれでも、「持つメリット」のほかに「持たないメリット」というものもあると思うんですよ。

公園で遊ぶ子供たち 2009年9月撮影

 経済を考えると、レンズ付きフィルムで1年、写真を撮ったら、現像代とプリント代、それにカメラ本体を買うお金を合わせると、中級のデジタルカメラが買える計算になることはなる。だけど、こういう計算で「経済を切り詰めること」がなにかの得になると考えるくらいなら、写真なんかやめてしまえばいいのだ。まあ、その程度の趣味なら、デジカメのほうが安上がりではないかと、気のきいた人が提案がてら切り返してくれる場合がある。ですが、これはちょっとみみっちい気がしませんか。

 デジカメを買わない理由として大きなものは、万が一、カメラ本体を紛失したら大打撃である。これは、お金の話よりもっと現実的かつ切実ですね。ぼくはものをなくしやすくて、そのため荷物はなるべく持って出歩かないようにしている。財布も持たない。その日必要な現金をポケットに入れている。ほかに必要なのは身分を証明する保険証とか、病院に行くときには診察券、銀行に用があったら通帳と印鑑、その程度しか持ち歩かない。それでも自宅で、あれが出てこない、これが出てこないと騒いでいる。ここ数日も、ふたつあるストップウォッチのひとつが見えなくなって捜索中です。

 そんなことやあんなことを合計すると、デジカメは当分、買わないと思う。写真という趣味は、(いくわよ!)「ムダなことなのである」。

[2011年2月25日(金)/続きは後日]

229.
「2011年3月11日(金)、東日本大震災」

 ぼくは地震が起きてからずっと、さいたま市におります。幸い無事です。けがをしたり、健康を損ねたり、家を失ったりした方、事態が少しでも良くなることを祈ります。亡くなった方、ご冥福をお祈りします。

 現段階では、この地震についてまとまったことが書けませんので、地震発生以後、ぼくがツイッターに書きこんだツイートを列挙しておきます。あれは流すもので、本来、保存しておくようなものではないと思いますが、未曾有の大災害なので、念のため残しておきましょう。個人的なやり取りは省いてあります。



◆3月11日(金)◆


テレビの情報によると、マグニチュード7を訂正して、8.4程度の非常に強い地震だそうです。こちらはさいたま市の2階建て民家です。2階は揺れが強く、1階に降りました。最寄りのスーパーは一時閉鎖しました。震度5程度だと思います。小生、無事です。余震に注意しておちいついて行動しましょう。

去年の神宮の花火大会なんかがそうでしたが、都市の人混みってそもそも注意を要する事態です。災害が起こってマスコミが集中して報道すればデマも飛びやすいです。いまぼくは静かな地域にいますが、余震や二次災害は冷静に判断したいと思います。さいたま市近郊住宅地から。

まだ揺れています。恐ろしいです。ぼくは「気を確かに持つ」という言葉を取り出して役立てています。無理をしないで大災害をしのぎましょう。

揺れてると寝にくいね。



◆3月12日(土)◆


阪神大地震のときも言われたことですが、心のケアは大事だと思います。混乱の中、大変ですが、過去の大惨事を教訓にしましょう。

そりゃ、異常事態、報道は不真面目じゃいけないけど、ぎすぎすしたアナウンスがいつも気になる。

24時間近く経ってもまだ揺れてる。大惨事だな。ぼくは物質の被害があまりない地区にいて、余震の中、幸いよく眠れましたが、避難してる皆さんはよく眠れたでしょうか。(さいたま市)

PTSDって、阪神大震災のとき注目されたあと、表面的な流行語になり、5年もしたら「あ、心的外傷後ストレス障害かよ」みたいに粗雑に扱われることがあった。しかしPTSDの症状は非常につらいものなので、人間の心や気持は大切に扱いましょう。

テレビもいいけどラジオも役に立ちますよ。

耳掃除でもしよう。

これだけ大きい地震は生まれて初めて経験するなー。

揺れが1日以上続くと、さすがに疲れる。今日のところは、1月下旬から続けている作業を中断して休んでいました。気持をしっかり持って自分を信じて、といっても、疲れたら休むのが原則ですよ。(さいたま市)

いま「被災地」というと、物的損傷がひどく、大勢の人が亡くなった東北の地域を指すことが多いようです。確かに異常事態ですが、今回の地震は東日本全域で起こった自然災害です。たまたま被害が少なかった地域の住民はまだぼけっと過ごしていられる、という差があるのだと思います。

まあ。趣味で描いた下手な絵ですがどうぞ。パステル画(鉢植え)です。http://bit.ly/dNpvAK 歌舞音曲は騒々しいから、しばらく控えるべきだと思いました。

津波は、高さよりも、陸へあがったときのスピードが問題だと、いまラジオで専門家が言っています。数十センチの津波が秒速80メートルということがあるから、甘く見ないでくださいとのこと。



◆3月13日(日)◆


非常事態、異常事態の中で多くの人は笑うことをしばらく忘れますが、だからといって、「笑おう」みたいに気持に拍車をかけるのは無理というものです。でも笑いを忘れないでください。ぼくもそうします。

作業に戻ろうと思うが、机に向かうと気持があっちゃこっちゃでまとまらない。無理しないで時間薬に任せたほうが得策ということもあります。

先ほど(13日7時半ごろ)の菅首相の声明はわかりやすかったが、政治家の記者会見を見ていると、日本語の婉曲表現がまわりくどい。わかりづらいから普通の言葉を使ったほうがいいと思う。くだけた言い回しでも構わないと思う。

NHKはなぜ『ラジオ深夜便』を放送しないのだろう。いつでも安心を届ける番組だと言っていたのに。

自分をマナイタに載せるのは変だけどね、まさかの事態に直面して、性欲って我慢しがちなものだと思う。公然わいせつをやれと言うんじゃなくて、色気、うるおいと言い換えてもいい、そういうのはコミュニケーションの潤滑油になりえると思う。

地震が来なくても、そもそもぼくの部屋は紙くずだらけで、ちょっと困るレヴェルになってきましたw

何かひとつ欠けたとき大慌てする、って、自分ながら可笑しいことがありますよ。そもそも大したもの持ってません(笑)



◆3月14日(月)◆


さしあたって必要なものが足りればいいわけでしょう?びくびくするなと言うほうが無理ですが、「なんかあったらどうする」ってばっかり言っててもあんまり意味ないと思います。地震の恐ろしさを認めて、いまやれるだけのことをやっておくしかないと思うよ。

作業に戻る。アタマも体もどうにか使い物になってくれてるけど、事態が事態だけに疲れるなあ。また余震。休み休み取り戻していこうよー。

難破しそうな船…と思ったら、収録スタジオに船のセットを置いて、カメラを縦横に動かしているだけでした、っていう加藤茶のコントがあった。笑えるウソって、こういうとき無力なんですか?

被害の少ないものは極力普通にしていようと思ったら、その普通にしていることの難しさに気がつき、思わず噴き出してしまいました。

けんかしてる場合じゃないでしょう。

いかんな、俺カリカリしてる。

異常な事態の中で超然としてる人は、地位名声関係なく、かえって変ですよ。落ち着くこと、冷静になることとはちがう。

なんかー…やれやれだw

【専門家ではありませんが】いちど打撃を受けた気持をたてなおすのは時間も手間も忍耐もいることですので、いきなり奮い立たないほうがいいと思います。心に負荷がかかりすぎます。じれったいけど、焦らないほうがいいと思います。

状況次第だけどポルノ映画とかエロ本とか、案外ばかにならないんじゃないかなあ。www

【NHKラジオ深夜便放送再開】テレビよりくつろげるんじゃないかなあ。

やることないけど動きがとれない、ひまだしいらいらする、というようなときは写経かなんかどうなんだろう。ぼく、不幸に遭ったときやりましたよ。「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」って、信仰はどうでもいいんで、書いてると気が紛れたw

お寺の墓石、倒れなかったかなあ。(埼玉県蓮田市)



◆3月15日(火)◆


いまの強かったな。

さっきの余震(朝5時頃)でたたき起こされてしまったから、NHKBSでボッケリーニとモーツァルトの室内楽を観ていたが、まるでよそのことのようで、なんかほかのことに気をとられている。

石原都知事はたぶん「業」だとかエゴイズムのことを比喩的にでも言いたいんだと思う。論旨滅茶苦茶でぼくは擁護しないけど、騒いでも仕方がないでしょう。

震災以来初めて、1時間ほど散歩に出た。余震に適応したせいか、船が揺れているような感じがちょっとする。売れ残りのパンを明日の朝食用にひとり分確保し、図書館の喫茶店でコーヒーを飲んで帰宅。節電や閉店、本屋の窓ガラスに「くじけないで」の手書きの張り紙。(さいたま市)

スーパーの肉と魚が、震災の翌日と翌々日、この界隈では全部なくなったんだけど、今日は大して売れてない。もうみんな充分買ったということなのか、どうなのか。…ぁw (さいたま市)

さいたま市見沼区、商店は節電してますが、民家はまだ電気つけてます。

こっちの停電はいつかなーと、じつは思ってたりするんですよw

すでに提案されていることですが、情報の発信者を実名でツイートしたらどうでしょうか。それから、発信している地域も書いてあると、どこで何が起こっているかがわかると思います。どうでしょうか。

本日の作業は予定通り終えたので、夜は休んでいます。

あ、またきてる 弱い揺れ(さいたま市)

地震をあきらめて「や〜めたっ!いちぬけたっ!」ってわけにいかないじゃん。忍耐か。(でも疲れるねえw  さいたま市)

「悟りとは何でしょうか」「お皿を洗っておきなさい」か。うちの台所、いま散らかってるぞ。

ぼく軽い花粉症なんだけど、キンチョーしてるとくしゃみ出ないんだよね。くつろぐと出やすいんですよ。なんでだろう。

「ある事故のようなものを踏まえて完璧を期すっていうのは論として成り立たないんでさあ」というようなことを言ってる思想家がいるよ。今回みたいな巨大地震は400年間起こっていない。どの分野の専門家もこれじゃ対処に困る。[註;福島の原発事故に関する論議の中で]

「日本は美しいなあ、と思いました」(安藤忠雄)

気持ちいいツボを探して押すと気持ちいいですw



◆3月16日(水)◆


「癒しの根本は、そのことによる悲しみ、怒り、痛み、などを心のできるかぎり深いところの中心に据え、それはそれとして、日常のしなくてはならぬことを、がっちりと行うことである」(河合隼雄、5年ぐらい前の朝日新聞の記事から)

「なぜ略奪ないの?」http://bit.ly/gyCPaR (米国の反応)

マスメディアや人気商売の人は普段から一般大衆を煽って、知名度なり視聴率なりを上げていますよ。それはその人やメディアの重要性とは別に関係ないことです。この大災害の中で、煽ることが近所迷惑ならやめたほうがいいと思います。

そうか、今日は3月16日水曜日。「17日水曜日」じゃなかった、と気づいて、1日得した気分です。明日までに1ページ書けばいいのだ。

今日は余震が頻発したけど、ぼくは昨日動いてくたびれて、今日は昼過ぎまで寝てましたよ。余震が来れば目は覚めるし、畜生また来やがったという気持で警戒態勢に入るけど、揺れが止んだらまた寝てしまいました。とにかく気疲れしますから休めるときは休んでおきます。

近所のローソン。停電してないけど暖房を使わず、灯りを消し、品薄なんだけど、その理由を黒板に手書きで説明しています。入荷は3〜4日に1度だったりします、暗くて寒くてものがないけど、いずれ復旧します、ご理解ください、というように。さいたま市見沼区堀崎町。

地震に気を取られて、そのへんで転んで怪我するなよー。

バルトークの『ピアノ協奏曲第3番』。

[2011年3月17日(木)/続きは後日]

230.
「自粛の問題をぼくなりに」

 震災から半月経過しました。ぼくは1月末から作曲中で、25分ほどの室内楽の楽譜を作っている最中に今度の災害を体験した。机に向かって楽譜を書いているぶんには、舞台で大きな音を出すわけでもなく、お客さんが大勢集まることもないので、いま時点では自分の活動を「自粛」するかしないか、急いで検討しなければならない状況を抱えていません。

   これに反して、『うたのエリア-3』の公演間近に大地震に遭った時々自動などは、公演を決行するか、取りやめにするか、関係者さんたちの間で相談したそうです。結局このステージは3月24日に幕を開け、今日現在公開中です。ぼくは3月27日、日曜日の夜の舞台を見ました。

 ぼく自身は、繰り返しますが自分の営みの中で自粛したほうがいいような材料を持っていません。ただ『うたのエリア-3』をいつ観に行くかという問題がありました。歌や踊りを自粛したほうがいいとは特別考えません。災害時でなくても近所迷惑な音声や行動はやめたほうがいいのは、ふつうに知られていることです。物理的に、JRや東京の地下鉄がどの程度動いているかとか、東京の街はまだ混乱しているかとか、さいたま市に住んでいるぶんには状況がつかみにくかったから、出かけるタイミングが分からなかった。そんなんで愚図愚図していたら、友達に誘われて、これで出かけるタイミングが設定できたわけです。

 いまさら「自粛」を言わなくても、その場にふさわしくないような音楽を大音量で公開したら、あまり歓迎されない。大勢の人が憩えるような、刺激が少なそうな曲調で「書かなければならない」風潮になったら、ぼくは自作の発表を慎むのかもしれない。だけど、よそから強いられて行動・言動を取り止めるのは「自粛」ではなく「謹慎」だ。共産主義の国で国家が芸術家に謹慎処分を言い渡すことがある。現在もある。

 今日はあまり音楽聴くって気分じゃないな、なんてことはぼくにもあるし、誰にもあります。たまたま、まれにみる大災害で、ふだん音楽が好きな人や音楽をやりたい人が、こういう時節には音楽はふさわしくないのかどうか、考えたくもなる。特に変な感情ではないと思います。

 まあ、非常時に派手な催し物をやると影響力が大きいことは確かだ。時々自動の『うたのエリア-3』でもなんでも、観に行ってまったく無感動ということはない。感動の余韻というのは適度の疲労を伴うから、うちに帰ったら一杯ひっかけるとか、風呂に入って寝るとか。その程度の刺激や振幅なら、地震が起こらなかったらみんな許している。だから、今度のような巨大な災害時に、これから始まるフェスティヴァルに関係がない人や興味がない人をむやみに煽らない程度の配慮は、まともな判断ができる主催者なら考えるでしょう。この種の配慮ができないような主催者なら、その興業は歌でも踊りでもない。単にから騒ぎして、わめいているだけですよ。

 主催者の知能指数しだいで、高級な判断も低俗な判断もある。その区別を問わず「やめておきましょう」という全体の雰囲気が支配的な場合、全員が「自粛」していますとは言わないんじゃないか。前にも書いたけどこういうのは、おおもとはひとりひとりの気持とか気分でしょう。元気な人はやっててもいいけど、しょげているときに半泣きで音楽なんかやりたくないことだってあるよ。というか、そういう状況や気分のときには、そもそも「歌舞音曲」なんか成り立たない。そんなこと企ててもはじまらないような状況があります。それでもうたを歌い、楽器を奏でるのがプロである。正論ですが、どうですか、これも程度問題で、このたびのようなまれに見る巨大災害の最中あるいは直後に、平静時と同じ準備ができているようなプロが、世界に何人いるんだろう。そんな気がします。

 もっとも、儀式とか大衆戦略なら別で、そこには歌も音楽も踊りもいらない。形式さえあればいいんだと思う。

 なんか人目につくことを実行しないと行動したことにならないというのは正しくない。ついでに言うと、見たところ派手でも何もしていないことはけっこう多いですよ。ぼくは地震が起きた時点では作曲を継続中だったから、それがぼくにできる行動だと思って、できるだけ続けたし、時々自動は『うたのエリア-3』の上演を準備して決行したのでしょう。一日に規定量の制作をしたら、くたびれるから、ご飯を食べて寝ます。この一連の流れの中に「自粛」ということばは入ってこないんじゃないでしょうか。  

 「不謹慎」ということばもかなり取り沙汰されたが、今晩はこれ以上立ち入るのはめんどうになったので、ここでひとまず筆を擱きます。今日は、自分の気質を書きとめておきたいと思いました。

 追記
 ツイッターの続きはこちらです。

[2011年3月30日(水)/続きは後日]

231.
「楽譜を掲載します」

 以前、楽譜を掲載したのはいつのことだったかな。この1年は楽譜のアップロードはしていないと思います。今晩は以下の2作品。


 ◆江村夏樹:4つの情景(2つのトロンボーン;2009)
 ◆      :四角い4つの楽章(クラリネット、ソプラノサックス、トランペット、ピアノ;2010)


 2年前にぼくの『3つの音楽』を演奏したという人に会ったんですよ。楽譜は作品表に置いてあって、ダウンロードして演奏してくれたんですね。素直にうれしかったから、んじゃあ、もうちょっと楽譜を追加しておこうか、と思った次第です。もう少し掲載したい楽譜はありますが、近々、改めてアップロードすることにします。

 (出版社から出さないで、インターネット・サーヴァーに置いておくこのやり方は高橋悠治の発案です。ぼくはこれを真似して自作の公表の手段にしている。ヤフーかグーグルで検索すると、「どうも高橋悠治のパクリっぽい」と言っている莫迦がいると思います。この評者はどこの国に住んでいて、彼の目と耳はどこについているのでしょうか。拙作やこのサイトが高橋悠治氏の二番煎じでないことすらわからないらしい。)

 今日はこれだけなんですよ。晩飯を済ませてから作業しようと思いましたが、昨日、ゴールデン・ウィークの初日に風邪の症状が出まして、今日は治りかけなんだけど、まだ体がしゃんとしませんで、ビールを飲んだら寝たくなりました。

 東日本大震災でいろいろ社会が厄介なことになっています。それを、自分が怠ける口実にするつもりはないが、災害が起こったら、うまく言葉にならない気持がとても多いのは事実です。やれるだけやりますので今後もよろしくどうぞ。 

[2011年4月30日(土)/続きは後日]

232.
「作曲家とピアニストについて」

 今年1月に来日して華やかな演奏を披露してくれた美貌のピアニスト、エレーヌ・グリモーは、モーツァルトのソナタイ短調、ベルクのソナタ、リストのソナタ、バルトークのルーマニア民族舞曲とピアノ協奏曲第3番、ラヴェルのピアノ協奏曲、ほかにもレパートリーはあるが、このあたりを毎月何回か、コンサートでさばいている。専業の演奏家はみんなそうやっている。グリモーさんには狼の研究という別の仕事があるから、ほかの演奏家とは少し音楽家としての性質、あるいは体質が違うかもしれない。と、断ったうえで、同じ曲を何回も、よく弾くなあと思う。ぼくは自分が作曲をやっているし、ピアニストとしては現代曲のほうが得意だが、それにしても、同じ曲をそうしょっちゅう弾く気にはならない。

 そもそも作曲が本業だ、などと言うと、ピアニストとして技術が不十分な場合があることの言い訳になってしまうが、いいわけついでに弁明しちゃおうか。作曲をやる人間が考えることは、専業の演奏家のアイデアと性質が全然違うんですよ。「うまく」さばけない場合があるのはそのためです。 もちろん、お客さんに聴いてもらう演奏は、何かの意味で「うまい」ことが条件だから、日々尽力して面白い演奏ができるように用意します。ただ、ぶっちゃけた話、テクニックが達者な専業ピアニストに変装するわけにはいかない。だから、作曲家でピアニストでもある人たちは、専業ピアニストとは別枠に分類されることが多い。

 それじゃあ、不器用なピアノ演奏をなんで公開するの、ということになる。ぼくなりの答えは、この曲は普通こう弾くものだろうという外的規範にとらわれない演奏を、作曲の視点から実行することができる。そういうものを自分の発言として問うてみたい。もうひとつの答えは、作曲というのは人間が演奏する音楽を創ることで、そのためには作曲家本人が何かひとつの楽器を操る能力を持っていたほうが、演奏家の心理や生理がよくわかる。ひとの曲を演奏することで、自分の作曲の場合とはちがうコンセプトに触れることができる。そう頻繁にではなくても、折に触れ、コンサートで弾いたほうが、趣味のピアノにならず、客観的な視野が持てる。そういう次第で、作曲家がピアノを弾くメリットはたくさんあるから、ちょっと不器用でも、変わった演奏でも、よくよく研究して出しているんです。

 作曲家のピアノ演奏とは本来そういうものである。音楽市場で売り物になるかならないかという判断の埒外にあるのが本来だから、「売り物になるように面白く弾く」というのは、話が違う。その作曲家の創作意欲や特質が、彼のピアノ演奏にはどうしても現れる。あなた変わり者ね、で片付けられてしまう場合もあるのだろう。なるべくこういう悲観論は出さないようにしましょうね。

 変わり種ピアニストという人たちもいる。グレン・グールドを筆頭として、その多くはピアニストとして達者な技術を持っている。それを駆使して、かなり変な演奏を展開するわけです。ヴラディミール・フェルツマンのように超絶技巧の持ち主もいる。フェルツマンの場合は、きわだって「変な」演奏マナーは見られないが、普通一般のピアニストと違うことは、聴けばすぐわかる。最初に書いたエレーヌ・グリモーもこの場合に属するだろう。こういう人たちは、変わったマナーを売り物にするタイプとは一線を画する。「売り物になるように面白く弾く」タイプの人たちについて、あまりたくさんしゃべるつもりはありません。そういう企ては長続きしないもんなんです。

 作曲家だって、別に意識的に変な演奏がしたいわけではないよ。結果が風変わりなことになるのは、その作曲家の資質の表れで、売り物にならないから捨てておしまいなさい、と言って没にするのは、差別のようなものである。むしろ、ひとつの曲の最良の演奏の形を目指して、100人のピアニストが眼の色を変えて猪突猛進している様子のほうがおかしいと思う。ぼくが言う資格があるかどうかわからないが、そういう風潮が最近エスカレートしすぎているのではありませんか。

 今日の雨は台風2号でしょうか、それとも梅雨でしょうか。

[2011年5月30日(月)/続きは後日]

233.
「夕焼けが美しい街々 吉岡又司さんを偲んで」

 30年前、長岡高校で現代国語を教わった恩師で詩人の吉岡又司さんが5月31日、亡くなった。1934年生まれだから、今年で77歳ということになる。高校を卒業してからは、1度しかお会いしていないが、毎年何通も手紙のやり取りがあって、いつの間にか25年が経過した。

 離人神経症の妻の病状を報告する先生のふたつの詩『冬の手紙 I』と『 II 』を使って作曲したのは1993年。最近、この曲を演奏した。2009年7月、東京渋谷で行ったぼくのコンサートで、柴田暦さんが詩の朗読を担当し、ぼくがピアノを弾いた。又司先生にはコンサートの録音とか録画とかを折々お送りして観ていただいていた。いつも励ましの手紙をいただき、いつかコンサートに参上したいと望んでおられましたが、先生は会場ではなく、天国に行ってしまわれました。恩師ですけれども、又さんというあだ名のほうがしっくりきます。高校での授業の半分は漫談で、独特のだみ声で教室を笑いの渦に巻き込んだ。

 5月28日に先生直筆の手紙をいただいたので、お元気にしていらっしゃるとばかり思っていたら、6月3日にKさんという方がメールをくださった。つい先日、先生は亡くなったのですよと書いてあって、こう言ったらあれですが、いつもお元気な又さんのイメージと釣り合わず、ご逝去を確認してからも、どうも信じられない。でも、今後は先生から手紙は来ない。それを思うと、悲しいとか寂しいとかよりも、残念だなあという気持が大きい。

 生前に先生が上梓した詩集は6冊。さっき書いた『冬の手紙』は第3詩集の表題作で、詩集『冬の手紙』は書肆山田から出ています。自分のことで恐縮ですがこの詩集の中に『粥の煮えるまで ナツキ・エムラくんへ』という1篇があり、1990年代初頭、あることを患っていた「ナツキ・エムラくん」に苦言を呈しておられます。叱咤激励してくださいました。

 又司先生は2年前、2009年初頭に『夢分小舟』という第6詩集を玄文社から出しているが、インターネット上でこの詩集に言及している人がいないようだ。これでは、ネット上ではこの詩集は存在しないことになってしまう。先生から送っていただいて、いま手元にあるので、ご紹介しておきます。

 これと夕焼けと、別に関係ありませんが、ぼくはそこらの住宅街に反射する夕暮れの光線が作りだす、いろいろな色彩が大好きなので、いずれそのことを書こうと思っていた。でも、これも文章で描写するには限度があって、やはり実物を見ないとよさが伝わらない。下手な写真を掲載して、様子だけでもお伝えするのがせいぜいです。

[2011年6月30日(金)/続きは後日]

234.
「夏のコンサートを終えて」

 7月29日、つまり一昨日、渋谷で主催したコンサート『川が流れる村』、無事終了しました。ご来場下さった皆さん、それから、いろいろな形で協力・応援して下さった方々に感謝します。

 なにしろ2日前に終わったばかりで、あと片づけ中、しばし休息中なんですが、やり終わって気付いたことが今回もかなりあります。現段階では、まだいろいろのアイデアをまとめる段階ではなく、ぼーっと余韻に浸りながら、反省したり、今後を展望したりしています。

 そもそもこのコンサートは、名曲の名演奏を披露するリサイタルとは成り立ちが違います。だから、プログラムに加えた20世紀クラシックの代表作2曲、ベルクとバルトークのピアノソナタをどう弾くかは、ピアノ独奏のリサイタルの場合とは別の配慮が必要でした。これら2曲が演奏としてよかったかどうかは、ぼくはやれるだけやりましたが、聴いて下さった皆さんのご批評を仰ぎたいところです。

 自分が思う通りにやってみようと思っても、なかなかその通りに行かない。しかし、やりたいことは提案してみる。言葉で書けばこれだけですが、今後も継続しようと思います。

 今月はこのコンサートの準備があったので、こちらの更新に時間を割けませんでした。無事終了したこと、それなりの成果を収めたことをご報告する次第です。

[2011年7月31日(日)/続きは後日]
 

235.
「ジェノ・タカーチという作曲家」

 2006年、東京銀座の王子ホールで、レオン・フライシャーのピアノ・コンサートを聴いた。治療法がわからないジストマを患って右手が使えなくなり、20年ほどのあいだ左手のピアニストとして活動してきたフライシャーは、よく知られているように最近、新しい治療を受け、ふたたび両手のピアニストとして活動し始めた。『Two Hands』というCDの中で、彼はストラヴィンスキーの『イ調のセレナード』を弾いている。5年前、ぼくはその実演に接することができたが、右手が不自由なピアニストが弾くには、この曲は技術的にかなり意地が悪い。そもそも、「どの程度弾けるようになったのか」という関心も手伝って聴きに出かけたが、案の定、70歳を超えたフライシャーさんはかなりミスタッチをして、ぼくは観客席でハラハラし通しだった。

 そのフライシャーさんが、左手のピアニストとしてどれほど優れていたかは周知のとおりで、CDでも、息を呑むような圧倒的な名演奏を聴くことができる。

 そのCDの収録曲の中で、ぼくが面白いと思ったひとつが、ジェノ・タカーチという、1902年生まれでウィーンで教鞭をとっているという作曲家の『左手のための前奏曲とフーガ』である。楽譜がほしいと思い、インターネットで調べたら、注文制作で安価で手に入った。

 このタカーチ氏の活動歴が知りたいと思った。だが、インターネットでいくら検索してもなにも情報が引っかかってこない。例の輸入楽譜専門店(以下A社)に、詳しい人がいるのではないかと思って、A社に電話をかけてみた。対応してくれたのはやさしい低い声の女の人(以下Bさん)で、10点ほど、作品の出版が確認できたが、手に入るかどうかはわからない、グローヴの音楽事典か、ぼくは初めて聴く名前だったがMGG(エム・ゲー・ゲー)というドイツの辞典に載っているかもしれないということで、わざわざ調べてくれた。グローヴの辞典は、おそらくぼくの近場の図書館には置いてないだろうと思うので、ご厚意に甘えて調べてもらった。

 A社のBさんと電話で話しているうちに、インターネットの検索で「Jeno Takacs」を探すと、ウィキペディアに英文の記事があることが分かった。そもそもぼくが知りたかったのは、タカーチさんは1902年の生まれで、亡くなったという報せが入ってこないから、もし存命なら今年109歳になっているはずなんですが、いま、いるんですか、いないんですか、ということだ。ウィキペディアの記事は記述の量は多くないが、ともかくそれを見ると、2005年9月に亡くなったと書いてある。103歳の大往生だったことになる。

 グローヴの音楽事典も、半ページほどタカーチさんを紹介していて、ウィキペディアに書いてあることと少し違うので、pdfファイルにしてメールでお送りしましょう。図書館の資料は複写禁止ですから、作品を紹介しているところは省いて、社のほかの者にはナイショでお送りしますよと、電話の向こうのA社のBさんはくすくす笑った。

 その、送ってもらったグローヴの辞典の英文を読むと、タカーチさんはハンガリーに生まれ、ウィーンで学び、カイロ音楽院で教え、アラブの音楽に興味を持ち、1932年にはバルトークに会い、フィリピンのマニラ音楽院で2年間教え(1932年から34年まで)、北ルソンに行っている。中東アジアや東アジアを訪れ、日本のラジオ番組のために自作のピアノ協奏曲を演奏、これはおそらく1930年代だと思います。その後アメリカで一連のコンサートを開き、ヨーロッパに戻って教え、1952年にシンシナティ大学に赴いてからは、アメリカを拠点に自作自演のピアニストとして、たびたびヨーロッパへ演奏旅行に出かけた、等々。

 このようなタカーチさんの行動は、シェーンベルクの十二音音楽や、ホセ・マセダが「音楽上のシュルレアリスム」と呼んだ、ヨーロッパの1950年代の前衛運動とは反対方向を向いている。そのためかどうかはわからないが、理由が何にせよ、日本ではほとんど知られていない作曲家である。

 ぼくは現在の芸術音楽のトレンドよりも、タカーチさんのようなやり方に興味があって、ピアノ曲も室内楽もいろいろ書いているから、いくつか弾いてみようと思っています。

[2011年8月31日(水)/続きは後日]
 

236.
「なんか月末に更新するのが習慣になっちゃってるな」

 月が変わるから、なんか書かなきゃ!というつもりはないんだけど、今月のことを言えば、のろのろ作曲をやっていたらひと月すぎてしまいました。ここしばらく、月末になってからサイトの更新をやっています。以前書いたかもしれないけれど、このサイトを立ち上げて5年ほどは、思いついたことをなんでもかんでも書いて出しておりました。以前のアーカイブをお読みくださればよくわかります。現在、文章を書く分量が減ったのは、成熟を心がけて日々推敲を重ねているわけではありません。といって、すっかりあほになったわけでもない。作曲を、以前よりも慎重に進めるようになったから、バランス上あれもこれもと欲張れなくなったということは言えると思います。

 作曲に対して少し慎重になった理由は、文章にしにくいこともあり、書くのが煩わしいからいちいち列挙しませんが、作曲やピアノ演奏でもって言いたいことが少し複雑になったんだろうな、ぐらいのことならお伝えできると思います。それにですね、ぼくならぼくの、日常の中の音楽の位置づけを考えていたら、そんなにぱっぱと作業を片付けるわけにいかなくなったし、ちょっと待つ時間を持ったり、つまり、「まったりもったり」なわけです。わー。

 日頃そんな感じですので、昨晩のように、近所のビールフェア会場にいるから、よかったら来ない?なんてお誘いがかかると、ほかをほっぽり出して出かけていく。ここ2週ほどのあいだにそういうことが2回ありました。「作曲中である。遊んではイカン」とは考えなかったのです。ぼくは酒豪じゃないけど、ちょっとたしなむと楽しいお酒になります。んで、飲んだ翌日は、しゃべり疲れてたりして、あんまり作曲むきの心理コンディションではなかったりするわけです。そういう次第で、だけどね、音楽に溺れるよりは、適量のお酒を愛でるほうがよほど精神の衛生に適っていると思います。もっとも、これでは作曲がなかなかはかどらないんです。

 今年も健康診断を受けて、ありがたいことにぼくの検査結果はとてもいいそうです。看護師さんから「何か心がけていらっしゃることはありますか?」と訊かれたけど、そんな大それたことはやってません。去年の検査では血糖値がやや高いと指摘されたんだけど、フード・サディズム、いわゆる「健康病」になるのはやだから、そういうこだわりを持たないことにした、そのうえで、砂糖の摂取をほとんど控えて、たまにアイス食べたりするけど、たいていはバナナ食べてますよ。意識的に生活習慣を変えたことはその程度で、ほかは以前と変わりないんですと答えておきました。不思議なもので、カフェオレや麦茶に砂糖が入っていると、飲まないことはないが不快な感じがするようになった。看護師さんがおっしゃるのは、中年男性の多くは検査結果に注意項目がたくさん並ぶため、どの項目から指導したらいいか、とても困るのだそうです。ぼくは検査結果は優良だそうですが、健康を過信しないで日々元気に過ごそうと思います。

 以上、書けることを書いて埋めてみたけれど、これね、ツイッターやフェイスブックもいちおうやって、そっちに思いつきの断片を書いてるから、サイトに載せる材料がない、ということではないと思います。深刻ぶるつもりはないけど、例えば10年前と比べて、ちょっと複雑なことをやるようになった、それは文章では説明しにくいこともありますよ、という気持でおります。しかしながら、折に触れ、思ったことを文章にしてアップロードしておきますので、気が向いたらぜひお立ち寄りください。  

[2011年9月30日(金)/続きは後日]
 

237.
「わけがわからないこと」

 歌手の小椋佳さんが故郷の小学校を訪問し、生徒たちに自己紹介の絵(だったと思う)を描いてもらい、何を描いたか説明させる、という場面を、以前、NHKの『課外授業 ようこそ』という番組で見た。そのなかで、ある男子生徒が、自分の特徴を描いているつもりが、途中でよくわからなくなったから、適当なことを描いて埋めました、というようなことを言った。ぼくは、そのときの小椋さんの印象的な反応をよく覚えている。「わからなくなった、それ大事なことだよ」と、ひとことだけ、彼は言ったのです。

 心当たりのある人も多いと思うが、ぼくたちはいろんな教育の現場で、わからないことがあったら調べたり勉強したりして、わかって説明できるように方向づけられたことが多いはずである。わからない、というと叱られたりした。ものがよくわかることが優秀、というひとつの価値だったことは多いのではないか。

 もちろん、ある事象について筋の通った説明ができること、筋道に従って論理的に物事を理解する能力はどうしても必要ですよ。見渡す限り不可解な世の中ではたまったものじゃない。しかし、だからこそ、わからないということに対する一定の理解が必要なのだと、あえて言いたい気がする。

 これで思い出したことがある。「非文」というのは論理言語学の用語で、いかにも文章のように文字が並んでいるが、読んでみると意味がわからない、つまり文章になっていない文字の列、のことだそうです。ある文字列が文章でないことは、感覚的には容易にわかる。正しい言語感覚の持ち主なら、その文字列の意味するところがわからないということがわかるわけです。しかし、「ある文字列が非文であることは証明できない」ことがすでに証明されている、のだそうで、つまり、その文字列が非文かそうでないかは、理論的に判別することができないということです。

 もし、その非文を使ってコミュニケーションができるような集団があったら、ほかの集団とは意思の疎通ができないことは容易に想像できる。わけがわからないことは、わけがわからない。つまりそういうことになります。

 しっかりした言語感覚は、筋の通った論理に裏打ちされている。しかし、現実には「わからないこと」が複数存在するので、ぼくたちはときどきアタマが混乱したりしますね。そんなとき、その「わからないこと」を分析して理解しようと思ったって、そもそもわからないことは分析できない。「理解しにくい」と言ってもいいかもしれない。小椋佳さんは、その、わからないことの世界があることは大事だと、小学生に入れ知恵したんですね。

 この主題をめぐっていろんな話ができるが、今日は、これに対するぼくの興味を提示するにとどめて、この雑文を締めくくることにします。

[2011年10月17日(月)/続きは後日]
 

238.
「画像でお楽しみください」

 ホントは「背徳的ということ」という雑文をまとめようと思っていました。しかし、取り組んでみると、この主題を展開できるような文章力がぼくにはまだないことを思い知らされた。そういう次第で、背徳的なことに関する言及は先延ばしにしました。代わりに何を書いたらいいかわからんので、画像で誤魔化しますね。どうぞお楽しみください。

 

 蛇足ですが、月半ばに軽い風邪を患いました。どうも流行っている様子です。風邪をひかないようにお気をつけください。

 背徳的ということについて、ちょっと展開したいことがあるのですが、これはむしろ文学の領域ではないかと思ったんですよ。もちろん、音楽の領域に背徳的な要素がないなどとしらを切るつもりはない。それどころか、次世代の音楽に必要なのは背徳性、本式の背徳性じゃないのかと思う今日この頃ですが、折悪しく風邪を患ったため、ゆっくりこちらでお話しするタイミングを逸したという言いわけを申し添えます。また今度ね! 

[2011年11月30日(水)/続きは後日]
 

239.
「気付いたことを拒否しない」

 これは「犬も歩けば棒に当たる」ようなもんだと、いつ頃からか思うようになった。ある女友達は、この「当たる」という動詞を聞くと色っぽい気持になるのだそうですが、女でない、そして彼女でないぼくにはこの感覚がさっぱりわかりません。ひょっとするとこの人は変態でしょうか。とにかく、棒に当たるそうだから、ちょっと外に出て実際に歩いてみると、うちで寝ころんでいるときには思いつかなかったようなアイデアに行きあたることがある。

 外を出歩くことを思索の手段にするとか、創作の手がかりにするとかいうのはやりたくない。なんかのために散歩に出るのは、窮屈でおもしろくないですよ。ひとそれぞれでしょうけれど、ぼくの場合は、3年ぐらい前にちょっと気持が落ち込んだとき、「何をやって悪いということがない」と提言してくれた人がいました。以来、法に触れることでなければ、思いついたらやってみることにした。やりたいことを実際にやってみようと思うと、心理抵抗がある場合がある。でもその方向でやってかまわないということなので、拒否しないことにしてみたんです。大きく言って、それでいいらしいんですよ。どうもそうらしいんです。

 これを覚悟とか、意地とかいう言葉で説明する人がいるが、ぼくはそういう言葉に含まれる精神主義の匂いが好きではありません。精神主義というのは、自分や仲間以外の価値を拒むものです。言葉づらの問題ではないことを承知で言うと、やっぱり「意志」なんだろうと思う。んで、実行してみていくらかやり損ねても、苦笑ぐらいで済みます。きのうスーパーでタイ産のチキンレッグを買って食べてみた。まずくはなかったけれど、あまりうまくもなかった。でも、まあいいじゃありませんか、苦笑、となるわけです。

 地獄を知って初めて天国を知ると、四ツ谷のレストランの三國清三さんがかつてテレビに出て話していました。なんかの人生経験で、無理してまずいものを食うとかいうことが地獄かどうか、ぼくはわかりません。アコーディオン奏者の御喜美江さんがひとんちで「ダチョウのステーキ」だったかをふるまわれ、これが「本当にまずくて」、残すのも悪いから無理して全部食べたら帯状疱疹が出たという話も、すくなくとも御喜さんは「地獄であった」とは書いてなかった。でも地獄っぽいよね、これは。ぼくも東武日光駅前で食べた「湯葉とキノコのフェットチーネ」の印象の悪さは、13年経っても変わらない。

 ここ数ヶ月、自分のコンサートの準備でたびたび池袋に出かけたんですが、昼飯を食べて、30分ぐらいそのへんで休憩してからリハーサル、というパターンが多かった。それで、昼飯は某中華屋さんでとることにしていましたが、この店で出している「餃子定食」は、かなり人気があるようで、たくさんの客が注文していた。巷のスーパーで売ってる餃子の3倍、あるいは4倍ぐらいの大きさの巨大餃子が3つ、これに白いめしと味噌汁かなんかがついて1人前。110円で巨大餃子をひとつ追加してくれるそうです。ぼくがこの餃子定食をまだ食べていないのは餃子の大きさのせいじゃなくて、白いめしはいらないという好みのせいです。なんとなく、巨大餃子というアイデアも、わき目で見ている程度であった。しかし最近、餃子のうまさに目覚めたような気分になって、ときどき買って晩飯にしているのは、あの巨大餃子の影響かもしれない。

 視界とか、視野が開けるという言い方がある。さんよんぷんちん、じゃなくて「新天地」というように、新しい地平に立った人が、新鮮な驚きや喜びを感じるということが、まさか地上から消えてなくなったわけではないだろう。大それたことでなくていい、いつもの散歩道でいいんですが、太陽光線の変化が作る影とか、四季折々の植物の赤や緑のような、みんなが喜ばしいと思うこともあるけれど、それだけじゃなくて、単なる窮屈な立方体だったはずのマンションや、耳うるさいだけだった子供の泣き声のような、以前は迷惑に過ぎなかったことごとが、うまく言えないが迷惑とはちょっと違うものとして見えてくる・聞こえてくる。おもしろいです。

   視点を変えてみるとか、少し違うことを考えてみるとかいうのは、意識的にやろうと思うと簡単にいかないことがある。熱を帯びた分厚い空気の壁が視界を遮って、時間の流れが止まったような感じがする。壁に突き当たって動きが取れないような気がしているけれど、待ちながら少しずつ動いていると、いつの間にか壁の向こう側に立っている。そんな気がするんです。なんかわかったから鬼の首を取ったように広告しているわけではなく、そういう時間を過ごすことがあるのは確かだから、描写してみようと思いました。

[2011年12月25日(日)/続きは後日]
 

240.

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