目次

江村夏樹が作曲や演奏で実践していること
(何を考えてやっているか)
そのXVIII

江村夏樹


264.
「2014年になりました」

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。

 元日はよく晴れて、初詣の神社は例年より人出が多く、気のせいかもしれないけど街が明るく賑わっているようでした。三が日はゆっくり過ごしながら、今年をどう過ごそうか、ゆっくり占っていました。背伸びをせずにやれるだけやりましょう。

[2014年1月3日(金)/続きは後日]
 

265.
「音楽をやる前に」

 楽器の演奏自体は別に美的な行為じゃないという意味のことを、ジョルジ・シャンドールが言っている。音楽の演奏にのめりこんでいると、この醒めた意識を忘れがちだ。醒めた意識を忘れて、どっぷりと自分の趣味世界に浸って恍惚としている音楽家はいませんか。そんなものにつきあわされる観客はいい面の皮ですよ。その恍惚とした音楽家は、じつはとんでもない変態か犯罪者かもしれない。夜な夜な女風呂の覗きをやって、パンティを盗んだりしているかもしれない。観客から入場料を取って舞台の上でそんな変なことしてるんじゃないでしょうね。

 あー、今日はそういう方向に話を持っていきたいんじゃなくて、ひとつの音楽を創るために、その音楽家は、全然音楽的じゃない事務・雑務をとてもたくさん引き受けなければならない、というほうに話を持って行こうと思って、この稿を書きだしたんです。まったく、膨大な労力で、それをこなしていると、自分がいまやっている音楽に陶酔してるひまなんかないわけです。音楽は、全然音楽的でない作業の集積で成り立っている、という一面がある。たまに逆の人がいて、音楽でないものを音楽らしい作業をやることで作っている。奇特な人がいるものですね。

 日常を音楽化しましょうと言ったって、無理に音楽化できない日常茶飯事はいくらでもあるでしょうよ。日常は、音楽を抽出するためにあるのではない。日常を音楽化すれば楽しいなんて、音楽の似非エリートのつけ上がった発想ですよ。それで遊ぶ程度ならいいけど、遊び、ぐらいにとどめておいたほうが安全ですよ。俎板の上にキャベツを置いてせん切りにする。この行動を「音楽化」して、トントンと楽しく「音楽的に」包丁をリズミカルに、愉快に動かしていたら指を切った、イテテテテなんて、冗談では済まない。日常を音楽化したい人たちは、そういう危険がまずない条件を選んで遊ぶようにしているんでしょうか。そんな平和な場所は、どこにあるのかな。

 音楽は善人がやることだと、ある偉い作曲家の先生が言っていました。その先生は、自分が善人だと誰かが保証してくれたんだろうか。そんな絶対安全な保証など、ありはしない。ぼくは、こういうのは「自己欺瞞」だと思うんですが、皆さんどうお考えですか。

 日本の社会で「社会的顔」の力が大きくものを言うということがある。そういうのは結局、問題の事柄を自分の都合のいいように曲げているか、事情が大してわかっていないか、そのどちらかの場合に振り回して使うということじゃないかな。よく観察すれば、そういう「社会的顔」の周りには、どこか不明瞭な空気が漂っているものですよ。ぼくも偉そうなことは言えないが、時代が変わって、思うことは言ったほうがいい空気に入れ替わりつつあります。隠しておくのも、陰湿な感じがしますね。

 1996年、ぼくは31才でした。4月から6月まで、平石博一と共同企画で原宿アコスタディオで『江村夏樹プレイズ平石博一』という、全3回のコンサートシリーズをやった。これは平石さんもご自分のサイトに書いておられる。このときの客演ピアニストが野村誠だったと野村本人があちこちに書いているが、じつは当初、河合拓始が出演予定だったんだけど、彼からぼくのところに電話がかかってきて、別の予定が入ったからコンサートに出られないと言ってきた。野村は、河合さんがぼくに紹介した代役として出たわけです。これは別に変なことではないが、おかしいのは、出ないと断ってきた河合さんと、平石、野村の3人で、ぼくのいないところで相談をやったらしく、3回シリーズのコンサートの続編(?)に河合拓始が出ると言ってきたらしいんだ。なんでぼくをはずして相談したかと平石さんに手紙で訊いたり、電話でけんかしたりしましたが、平石さんは筋の通った説明ができてませんよ。結局河合さんは出演しなかったんだけどね。この一件のあと、現在に至るまで、平石、野村、河合の3人はお友達で、ぼくは皆さんのサークルにはいないことになっている。あれから20年近くたって、3人とも great になられたことだし、江村ごときが当時を回顧しても邪魔にならないでしょう。ぼくが黙ってれば、こういうことは消えてしまうので、覚書を残しておきます。

 「ひとつの音楽を創るために、その音楽家は、全然音楽的じゃない事務・雑務をとてもたくさん引き受けなければならない」ということについて、自分の実例をいくつか並べるつもりで書き始めたこの稿、話がずれてしまった。ちょっと「音楽以外のこと」について考えたい。音楽だけでは、音楽はなりたたないという逆説的な実際について、少し考えたい。しかし今日は気のきいたことが書けないので、思いつくことを並べました。

 新年が明けてひと月、2月に入ったらまた書きます。

[2014年1月31日(金)/続きは後日]
 

266.
 「絵に描いた餅 ― 新垣隆さんのこと、佐村河内守氏のこと」

 題名のとおり、この稿は新垣隆さんと佐村河内守氏について、ぼくなりに思うところを述べたものです。論旨の都合で、少し長い前置きがあります。どの段落から読んでくださってもかまいません。

 日常を対象化して表現すること、多くの芸術はこれによって成り立っています。のっけからこんなことを言われたって、何のことだかわからない人が多いでしょう。でも、誰でもやってることなんです。

 たとえば写真を撮るということは、そこにある風景とか人物とか、ぼくたちの身の回りに実際にあるものごとを、手のひらに載るぐらいのサイズの平面に切り取って保存することです。写真は、実際の風景や人物そのものではない。そのものではなく、実際の風景や人物の「描写」ですよね。風景や人物を見る→写真に撮りたいと思う→カメラのシャッターを押す、という順番で、カメラマンは自分の「対象」を写真という形式でもって具体化していくわけです。これを、ちょっと気取っていえば「表現」ということになる。それだけですよ。絵を描いたって、文章や小説を書いたって、原則このことは変わりません。

 表現には、そのもとになる「対象」があります。ぼくは小説を書いたことはありませんが、「小説は夢想者の行動である」というようなことを、小説の世界では言うようです。書き手の想像力の中に、つまり書く人のアタマの中に、現実と対応する想念=対象があって、それを描写する。だから小説それ自体は現実でも日常でもない、その表現であり、模倣であるというということになります。一見、ぼくたちの身のまわりにはないようなことが書かれていても、それは書き手の想像力の中で抽象化したり、変形したりした現実や日常である。絵でも同じだし、音楽の場合も変わりません。普通に写真を撮るのと同じことなんです。写真を撮る場合だって、よく写るようにカメラアングルとか光線の具合とかを考えて撮るでしょう。現実が主体的に変質する、なんてことはないわけで、それを写し取る行動の中に、簡単に言えば「写し取り方」というものが必ず含まれる。この「写し取る行動」を「描写」とか「表現」とか言っているわけです。

 そこに何もなければ写真に撮ることができない。当たり前ですが、日常、ぼくたちが生きていて目の前に何もないということはなくて、なんかがある。表現の基本的な性質は、その「なんか」を写し取ることなんです。

 音楽の場合、表現の「対象」の性質がたいへん抽象的なため、ある音楽の意味や表現内容、あるいは見た目がわけがわからないということが往々、起こります。しかし第一に、ともかく誰かが音を操って、音でもって形を創らなければ音楽は存在しない。第二に、その「誰か」は、自分が何をしようとしているかが漠然とでもわかっていなければ、音楽でもなんでも創りようがない。芸術音楽が難しいと言われ、敬遠されがちなのは、この二点が案外知られていないからではないかと思います。そこで鳴り響いている音楽そのものは、音が実際に聴こえているように、具体的なものであって、作者の想念を反映してはいますが、それそのものではない。な〜んちゃって、簡単に言うと、いま聴こえている音を聴いて、なんでも好き勝手に思えばいいし、思わなくたっていいんです。

 芸術とかアートとか、難しく言いますが、要するになんかの描写、あるいは模倣であって、現実や日常にある「なんか」を写し取ったものです。どうせ写し取るなら面白くしよう、という私やあなたの気持が、芸術やアートを実際にやるときのきっかけになる。現実を写し取ったものもやはり現実であった、というのはつまらないというか、この場合は私もあなたも何もしていないわけで、そうじゃなくて面白く写し取ろうということじゃないかと思うんです。(「非現実」とか「非日常」とかいう言葉がありますが、ここではそれを言いたいのではないことをお断りしておきます。)

 その意味で、芸術というのは「絵に描いた餅」である。実際に焼いて食べられる餅ではない。亡くなった能役者、人間国宝の観世銕之丞(静雪)が能という芸能について「そもそも木でできた面をかけるということが絶対に嘘なわけです」と言っています。芸術や芸能は、そのような嘘の世界であって、演者も観客も、人が作った嘘だということはわかっている。その嘘が観客の感動を呼び起こすことがある、そういう世界です。

 佐村河内守という人が「現代のベートーヴェン」と言われ、テレビでそれらしい演技らしいことをしてましたが、彼がやったのは、芸術や芸能の世界で行われる嘘とは性質の違う、もっと幼稚で悪質な嘘だ。彼とマスメディアは虚像をホンモノだとぼくたちに信じ込ませようとしたでしょう。そこのところが悪質だと申し上げたい。この一連の捏造は、「絵に描いた餅」をふるまって実際に食べさせました。新垣隆さんの記者会見がなくても、佐村河内という人の顔を見て、交響曲「HIROSHIMA」をちょっと聴けば、その嘘の本性は大体わかるはずなのです。が、有名人を含む多くの専門家や聴き手はそれに気づかなかった。「HIROSHIMA」を聴いて感動したとおっしゃる方も多い。ぼくはそのことを否定しません。いい曲だと思ったって一向にかまいませんが、ほかの管弦楽曲を聴いたって感動することはあります。「HIROSHIMA」でなければならない理由はない。極論を申し上げれば、そこにある曲は「HIROSHIMA」でなくてもよかったのです。

 ぼくは新垣隆さんと友達付き合いがあります。彼はぼくのふたつの曲を演奏してくれたし、ぼくも彼のピアノ曲を弾いたことがあります。知人だからといってひいきにするつもりはないけれど、ああ見えて彼は芯の強いところがある。傑作なところもある。純粋で、面白い人です。それだけにほかから感化されやすい。ぼくは、彼が自分の感性を守るために、もっと俗っぽい人間だったら、今回のようなスキャンダルにはならなかっただろうと想像します。彼は社会的・道義的責任を取ることよりも、自分自身の感性を守るということをやらなければならないと思います。それが作曲家としての彼の公的な職務だと、ぼくは思います。

 新垣さんは現代音楽の世界で、ほかの作曲家と共同制作をたびたび行っています。そういうことを面白がるのが彼のセンスであり、美質のひとつです。この種の作業は、ただ単に自分の感性を押し出すだけでは成り立ちません。共作の相手とうまく意思疎通をしなければ、共同作業はできない。おそらく佐村河内なにがしとのコラボレーションも、同じ感覚で行っていたのだろうと思います。これは作曲家の創作のやりかたとして、別に変なことではありませんが、ぼくは新垣さんのためには、もっと慎重に相手を選んだほうがよかったねと言いたい気持です。公開された佐村河内なにがしの創作指示書を見る限り、この人が持っているイメージは凡庸で、音楽バカ的で、醜悪でさえあります。作曲の「対象」としても「きっかけ」としても質が悪すぎる。新垣さんがどうしてこんなイメージと付き合う気持になったのか、彼に訊いてみないとわからない。ひとつ憶測を言えば、音楽全体に対する彼の愛のほうが先んじて、ほかのことは考慮の埒外に置かれ、犠牲にされた可能性がある。残酷なことを言うようですが、もしそうなら、それは新垣さんの「自己欺瞞」だった。意識している・いないにかかわらず、人がそういう気持になる場合があることは、ぼくも自分の経験に照らして、わかります。

 ぼくは佐村河内守の名前で発表された新垣さんの曲は、関心が全然なくてたいして聴いていないので、作品に対するコメントは控えます。ひとつ申し上げたいのは、作曲という作業は、それなりの技術があれば、言いたい内容はなくても書けるということです。そんなことは巷でいくらでも行われています。音楽としての価値がどうかは、別の論議なのでここでは展開しません。新垣さんはたぶん上質な、アカデミックな作曲技法をよく心得ているのでしょう。それを使って作品を書くということの、技術の喜びや面白さは、ぼくもある時期アカデミックな音楽の現場にいたのでわかります。曲の内容はともかく、よく書けている、ということが高い評価を得る場合もあります。

 でもねえ、ぼくは新垣さんの、「新垣隆の真作」を聴いたり、演奏したりして思うんですが、よく書けました、なんて大学優等生的な曲とは比べ物にならない、ユニークな彼の音楽世界があるんですよ。いいとか悪いとかを言っているのではない。新垣さんの曲は一見、奇妙な形をしているし、ときとして彼は音楽でないような材料も自作に放り込むので、常識的な耳の聴き手には、単に「変なもの」としか聴こえないかもしれない。現代音楽や新しい音楽が一般に、そんな風に聴かれている現実は否定すべくもない。みんな知っています。そんなら、と反問してみましょう。特徴がなくて正しくて模範的な人はいますか。もしいたとして、そういう人と付き合いたいですか。あるいは、ぼくたちが住んでいる街は「正しい」ですか。

 最後に、新垣さんの音楽世界をぼくなりに評価すれば、彼の曲は、彼自身を描いた漫画のようなものです。彼の曲を全部聴いたわけではないから、偉そうなことは言えませんが、なんだか、新垣作品ではいろんなことが起こる。好き嫌いのわかれるところでしょうし、ぼくも彼の曲の仕掛けが全部うまくいっているとは思いませんが、いいとか悪いとかじゃなくて、そういう新垣さんの音楽世界を、ぼくは好ましく思います。

[2014年2月9日(土)/続きは後日]
 

267.
「新しい音楽と縄文式土器」

 古代から文明は発達して世の中が便利になっている。現代のぼくたちが飯を食うために、食器ひとつでも、山から土を掘ってきていちいち縄文式土器のようなものを作らなければならないとしたら、たまったものではない。食器の形や装飾だって、縄文時代のトレンドをいまだに崇拝しているひとはいない。デパートの食器売り場に縄文式土器が並べてあったら、アタマおかしいんじゃないの?とでも言いたくなるだろう。

 しかし何ですか、テクノロジーなども登場し、ものが豊かになると、逆に人間の感覚器や想像力が退化していくということはないんだろうか。

 ヨーロッパのクラシック音楽の世界は、そもそも作曲家と演奏家の分業がなかった。作曲家の自作自演、それも即興演奏が当たり前の世界だった。ひとりの作曲家の演奏には固有の音色(ねいろ)があり、作品もそうだった。そもそもそういう世界だったんじゃないのかねえ。この音色が失われたのは、作曲家と演奏家の分業が始まってからではないか。作曲家の表現が多様化し、演奏家の技術が向上したのはいいんですが、演奏家が作曲家の創造性を理解しにくくなったのは確かで、ついに演奏家は作曲家の御用聞きのようになり、自分の想像力を働かせることがない、単なる技術職になっちゃったんじゃないでしょうかね。

 十二音技法とか総音列技法というのは、こういう感覚の衰退に歯止めをかけ、音楽が貧しくなるのを防ぐために考案された、調性システムに代わる新しいシステムだった筈だ。ところが実際は、音程・音価・音色(おんしょく)というパラメーターに「分けて考える」ことがそもそもおかしいのではないかという意見がある。それに、これらの要素がそれぞれ複雑化したら、演奏が極度に難しくなり、作品の内容も、なにがいいたいんだか、よくよく考えないとわからんほど複雑になって、結果的には作曲家と演奏家の分業をなおさら助長することになった。あらまし、そういうことでしょう。合理主義を押し進めたら、失うものが多すぎた。だから非合理を見直す動きも出てくるわけです。

 音楽だって進化するから、表現内容やスタイルが300年も変わらんということはないわけですよ。しかし、バロック音楽、古典派、ロマン派、無調、総音列主義、と変遷していくうちに、全体的に何がやりたいのかが見えにくくなって、その時代のトレンド、スタイルに依存するようになった。つまりそういうことですかねー。

 ぼくは単純な音楽がいいと言っているのではないよ。音楽の表現内容だって新しくなります。ただ、なにをやりたいか、始原的な感覚を見失わないようにしようと言いたいんです。それが抜け落ちちゃったら、何の音楽だか。芸術至上主義に対するアイロニー(皮肉)にもなってませんという、笑うべき事態が、そのへんにありはしませんか。

 以上を要するに、新しい音楽というのは、現代のぼくたちが縄文式土器でめしを食っている世界のようなものですよ。色彩にたとえれば、緑が自然を象徴し、赤が危険や警告を象徴するように、新しい音楽は人間なら誰でもわかる太古の感覚を呼び覚ますという、文字で書いてしまえばそう厄介なことではないが、これを実際にやるのははなはだ時代錯誤といっていいほど奇妙な逆説を含んでいるものなんじゃないんですか。

 ですので、新しく音楽をやろうと思ったら、その担い手は自分の感覚の根源にまで降りていって、過去を参照する必要がある。それは、現代の食卓に縄文式土器を持ち込むようなものだというのが、この稿の大意です。おわかりですか。現代のトレンドとは真逆の行為だから、これを実行する人は馬鹿扱いされる場合もあるような世界だが、同時に、取り扱うのが馬鹿扱いされるほど人類普遍の「あたりまえの」感覚世界なのではないかと、じいさんはある日考えたわけです。今日の話はこれでおしまい。

 追記
 月末から1週間ほど軽い風邪と花粉症で、喉と鼻がおかしくなりました。やっと治ってきましたので、このページを更新します。しかしなんですか、今年の桜も不安定な気候にさらされて、拙宅近辺では見ごろは2日間しかありませんでした。もう少しゆっくり見物したかったなー。

[2014年3月30日(日)から4月6日(日)/続きは後日]

268.
「みんなが手軽に映像を撮る時代の話」

 いまはスマホで映像が撮れるから、みんな手軽にウェブ上でお手製の映像を交換したりしています。そっち方面の素人のぼくがわざわざこんなところに書かなくても、みんな使っている。そして、これもあたりまえのことなんですが、映像の撮影で重要なのは、写ってるもの、被写体、内容、そして写し方、技術であって、どういう機材で撮るかは、何でもいいようである。画質の良し悪しはありますけど、メモ程度のことならスマホやケータイでいい。ちょっと本式にやってみたければ、一般向けのヴィデオ・カメラが安価で手に入る。放送局が使っている業務用機器をつかわなくてもいい。

 それで、最近はそうやって撮った映像をDVDに焼いて保存する人もいると思いますが、ここでぼくの体験をちょっと披露したいと思います。断っておきますが、面白いかどうかはわからん話ですよ。

 DVカメラというものが2000年ごろ現れた。ハード・ディスクじゃなくてDVテープというもので撮ってました。プロのカメラマンはみんなよろこんで使ってたよ。それから数年後、DVカメラは小型化・軽量化してご家庭に普及し始めた。ぼくは2005年にビクターの小型機を購入しました。旅行に行って初めて見る風物を撮ってもいいし、自分のコンサートの記録用に使ってもいいし、家族や彼氏彼女を撮ってもいい。映画の製作のプロが仕事に使っていたという例も知人から聞きました。まだアナログ・テレビの頃だったから、画面がほぼ正方形だった。

 いろいろ書くことがありそうだったから書き始めたんだが、そういう便利なカメラで撮った映像をDVDに焼いて、客間のテレビで見たら大しておもしろくないという事態が往々にして起きる。しかしこれは別に特筆するほどのことではなく、要するにコンテンツの内容がもともとその程度のものだった、というだけのことか。なんだ、がっかりだなあと、一応がっかりしておく。しかしそれじゃあ、話として面白くないですよね。くだらん映像だってちまたに氾濫してるわけで、くだらん、のひとことで片付けるには、量が多すぎる。面白いと思ったから撮影してみたら、しょうもないシロモノだった、ということか。ちょっとこれは、話のまとめとしていい加減すぎるような気がする。なにか、気の利いた展開のしかたはありませんかね、と問題提起して、夜も更けたし、考えるのめんどくさいから、どう続けるかは、一晩寝て明日考えよう。どうも、話が退屈きわまる方向へ行ってしまう予感がしますが、たまにはいいだろう。

 翌日の夜です。きのう申したように、2005年(確か3月)にテープ式のDVカメラというものを購入して、これは現在も使ってます。ただ2010年ごろには、もうハード・ディスクに記録するヴィデオ・カメラというものが電気屋さんの店先に現れた。この年、写真を専門に勉強したプロの方に、ぼくの旧式の機材で自分のコンサートの記録撮影をお願いしたところ、プロが使うとこんなに立派に、面白く撮れるのかと吃驚仰天する映像を作ってくださった。しかし世はデジタル・テレビの時代になり、画面が横長になり、ぼくが持ってるカメラは画面がだいたい正方形、アスペクト比が4:3というやつで、買って5年かそこらでもう時代遅れの機材になった。現在、DVカメラ用のDVテープなんてものは、コンビニに行っても売ってない。大型電気店に申し訳程度に置いてあるような感じですよね。

 そこにあるものを映像に撮るとき、撮り方、うまくつかまえる技術というものがある。そして、プロ用機材でなく、家庭用機材でも立派に撮ることができる。道具は使いようなんですよ。あんがい見過ごされやすいポイントだから強調しておきますが、被写体がつまらなければ、立派な技術で映像に撮ってもやはりつまらない。これはだいたい確からしい。だからひとつの映像が大して面白くないということは、写ってる現実のヒトやモノがそもそも、べつにおもしろくないということになる。

 だが、ちょっと待った。たとえばここにぼくの知人がいるとして、ぼくが彼・彼女に向かって、アンタいい人だけど、被写体としてはつまんないね、なんて言って、映像に撮らないということがあるだろうか。こきやがれ、おまえこそどうせ撮るなら上手に撮りやがれ、なんて言いがかりをつけられ、気まずい空気が流れ、散々な目に遭いはしないでしょうか。上手に撮ったところ、現実の彼・彼女とは思えないような、見違える人物像になった、まるで別人になった。これはたぶん可能だが、それじゃ、何のために撮った映像でしょうね。現実とつりあわないではないか。本当の技術というのは、つまらないものを、性質はそのまま保存して、面白く見せるものでなければならない。こっちのほうがたぶん現実に近いですね。撮影したら別人や別物になったなんてことがあたりまえになってしまったら困るでしょう。

 その人の人徳は外見に現れる、だから被写体として魅力がない人は人徳もない、ですか。そういうことを言う場合もあるんでしょうが、そんなら、くだらん映像や写真があふれかえっているぼくたちの現実は、現実そのものがくだらないのか。そうです、くだらん、では、ここで話が終わってしまうから、もうちょっと面白い展望はないもんでしょうかと、さっきから、否定的な方面には行かないことにして、話を延長してるんです。

 話を続けると、つまり、くだらんものも映像メディアに撮るのが現実の本当の姿であって、くだらない映像を見て「くだらん」と思うことも、現実の一部である。さっきから「くだらん」「くだらん」とばかり言っているようだが、もちろん面白い現実だってある。いったいおまえは何が言いたいんだと、長芋かなんかでアタマをぽこっと叩かれそうだが、せっかく映像を撮るなら面白く撮ったほうがいいにきまっている。しかし、なかなかそんなふうにうまくいかないのがぼくたちの現実である。これは認めなければならない。どうも論旨を要約すると、こういうことになりそうです。

 となると、みんなが映像を気軽に撮影してるスマホとかケータイは、現実を面白くするためのツールですか。これは言い方がおかしい。もちろん、撮影機材のマニアさんなどもいらっしゃって、スマホやケータイじゃなくて高級な機材をたくさんコレクションするのを楽しみにしている。しかし、そういう方面の話はちょっと措いておき、凡々たるぼくたちの日常、べつに現実がくだらない、あーくだらないと頭ごなしに決めつけなくてもいいじゃないか。現実は面白いかもしれないし、くだらないかもしれない。嬉しいかもしれないし、悲しいかもしれない。だから映像や写真を撮影する機材は簡単なものでもうまく使って、出来上がった映像や写真を面白い現実の一部に加えてあげよう。本稿の結びはそういうことにしておきます。なんのことはない、平凡な結語になってしまった。しかしぼくたちの日常は、まあここに書いたような関心でもって動いていると言っても、そう的外れではないと思いますが、どうでしょうか。

[2014年5月20日(火)ごろから5月31日(土)/続きは後日]

269.
「ぼくは政治には関心がないよ」

 議会でのヤジとセクハラが物議をかもしていますが、みんなあんなものにかまけていないで自分のことをやろうよ。会議室で強姦や殺人が起こったというのならただごとではないけど、ニュースを見てますと、馬鹿馬鹿しい気分になってくる。声紋を分析して、こいつがならずものだという男性議員が、くだんの女性議員に謝罪する場面が放送された。問題をもみ消すよりはましだろうが、テレビの中ではあんなものはヤラセでしかないように見える。こんなことを書くと「非国民!」となじられ、人非人扱いされるんだろうけど、あの「早く結婚しろ」「子供が産めんのか」というヤジ騒動をめぐる庶民の関心の裏には、そういうものを好奇の目で見る、人の悪いムードがないか、いちおう反省してみる必要ありとぼくなどは思うのですが、いかがですか。

 自分に直接関心がないニュースというのはゴシップとしての性質を持っている。こんな話がある。ある家族が夜遅く、あー今日は疲れたねと言いながら帰宅して、晩飯を始めたところ、突如バリバリと音がして天井板が破れ、屋根裏に隠れていた男がひとり落ちてきた。晩飯を食べていた家のひとたちは吃驚仰天して警察に通報し、男はその場で現行犯逮捕されたんですが、この男は窃盗とか恐喝とか、何か目的があって他人の家に入ったのではなく、ただ単にこの家の家族たちを驚かせたいために屋根裏に忍び込んだ、それだけだったんだって。この椿事の新聞報道を読んで、犯罪には違いないが思わず笑ってしまう、憎めないと、ある著名な作家が書いておりました。

 思うに、「早く結婚しろ」「子供が産めんのか」ときたない、大人げのないヤジを飛ばした馬鹿野郎は、退屈しのぎに、キャバクラ嬢にからむような気分で何の気なしにイチャモンつけたんだろう。気の毒な女性議員は、ぼくが見てもいかにも好感のもてる清楚系美人さんです。ぼくは酒が飲めないクチだからキャバクラとかバーには行ったことがないが、そういうご商売のホステスさんたちにあんなことを言ったら張り飛ばされますぜ。場所が会議室だったから張り飛ばされなくて済んだ、問題の議会の雰囲気じたいがそもそもそんな感じだったんじゃないかと書いたらいかにも不謹慎だが、このだらけたヤジを聞いていると、ヤジを飛ばした馬鹿野郎議員は議会で酒でも飲んでたんじゃないかと揣摩臆測したくなる。これは決して誇張ではなくて、かつてぼくが通院したことがある精神神経科の開業医が、コーラを飲み飴玉をしゃぶりながら診察していたことがあった。「わたしくらいになると」「20000人の患者を診ています」などとうそぶき、患者は「しろうとの人」だと触れまわっていた。アタマから患者を馬鹿にした尊大な態度でしたよ、あの医者は。後日、この人は診察室に入ってきた統合失調症の患者から刺身包丁で刺されて重傷を負いましたがね。今回のヤジ騒動も、これと同じくらい言語道断な醜聞であった。

 ぼくは女性蔑視とか政治不信とかについて、知らん顔していようというつもりはないですよ。厭でも、ろくでもないニュース、悲惨な事故の報道は入ってくるし、そういうものはむしろよく見て、よく聞くほうだと思う。だが、そういう報道に接する自分の心理のどこかに、その事件に自分がかかわっていないから傍観していられるんだという悪趣味、「ざまーみろ」と言わんばかりの人の悪さが自分の中にないと断言できるか。自分は神に誓って悪事は働いておりませんといい切れる根拠が、どこにある?

 「ゆとりのない事件や事故」が最近、増えている。腹を抱えて涙が出るほど笑える「面白いニュース」はめったにない。そりゃ、事件や事故はいつだってゆとりのないものだということぐらい、ぼくにもわかる。しかしながら、インターネットを含むマスメディアの報道を見ていると、アナウンサーの声色(こわいろ)や番組の編集のしかた、文章の書き方の、すべてではないが多くは、案外無責任な傍観者のそれであり、大した関心もないくせに、「職務上」不必要に事件や事故を煽って“面白く”作っているように見える。それが仕事なんだから、無責任なのはあたりまえだろうといううがった御仁がおいででしたら、ぼくが世情に疎いだけだということにすれば、それで済むけどね。あなたは天才だ!

 自己正当化だと謗られるのは承知で書くけど、ぼくじしん、日常のモノゴトに対して、全体的にゆとりを持とう、おおらかになろうと思っても、なかなかそうなれない心境を持っています。どうでもいいような瑣末なミスだったら、掘り下げて糾弾するのはやめませんかと言いたい気がするが、こんにち、そんなことも言いにくくなったのかなあ。

[2014年6月29日(日)/続きは後日]

270.
「おばあちゃんが笑った!」

 あのですね、ぼくは世間さまが読んで下さる自分の雑文に親族や身内、家族のことを書くのは極力避けています。うちのことなんか、自分の日常であればいいので、公表するほどのことではないと思うからです。もちろん、そういうことを上手にお書きになる方々を複数知っているし、書いちゃいけないことだとも思わない。書きたければ、好きに書いていいと思う。従来、ぼくは書かなかった。しかし本日は、自分の身内について、ちょっと書きたいことができました。

 ぼくの母方の祖母は現在96才である。認知症が進行しているけど、まだコミュニケーションは充分できる。つい1年半前、94才まで、自宅近所に歩いて出られるほどの健脚だった。その1年半前のある日の昼下がり、祖母はぶらぶら歩いて近所のディスカウント・ショップまで買い物に出かけ、お店のレジでお金を払おうとして、誤ってステッと転び、骨盤を骨折しちゃった。

 多くのお年寄りがそうであるように、祖母も、この転倒と骨盤の骨折がきっかけで、体のあちこちに不具合が出始めた。ちゃんと歩けないのでは仕方がないから、近所の介護施設に入居して、車椅子に乗って生活している。骨盤の治療がその後どうなったかは聞いていないが、痛みがなくなって車椅子で用事が足りているらしい。

 祖母はリンパ腺を悪くしたらしく、今年の6月ごろから足がむくんだ。その治療のため、介護施設の近くにある総合病院の内科に入院している。ぼくは去年の暮れに介護施設に面会に出かけて以来、会いに行っていなかったから、今日、母と連れだって総合病院まで出かけ、顔を見てきた。午後1時半ごろ病室に入った。内科病棟の5人部屋で、患者は全員お年寄りだが、重大な疾病のある人はいない。祖母もこの部屋のベッドのひとつに1ヶ月寝ている。退屈を持てあましている感じだった。

 入院生活というのは、11時半に昼ごはん、午後5時に夕ご飯、そのあいだは、検査や問診がなければ、なーんにもやることがない。昼下がり、夕暮れ時、ただ寝てるだけで、充実感が全然ない時間がだらだらと過ぎていくわけです。経験のある方もおられるかと思います。今日の祖母も、そんな感じだった。1ヶ月の入院生活に「やんなった(厭になった)」。それでも、ぼくが病室に入っていくと、「どうしたの?」と訊いてくる。「会いに来たよ」と答える。祖母は昼ごはんのあとで眠いらしい。ときおり、母と簡単なやり取りをする程度で、大した会話もなく、寝息を立て始めた。そもそも小柄できゃしゃだが、身軽で、運動神経がたいそう発達している。車椅子に乗り始めてからも、介護施設の中を走りまわり(もちろん車椅子に乗って)、自分の部屋は自分で雑巾をかけているそうな。

 久し振りに会ったら、ひとまわり小さくなっていた。筋肉が落ちて、細い手脚がもっと細くなり、腕の骨と血管がどぎつく浮いて見えた。が、両手を組んで、血色のいい指をくるくると器用に動かし、指先を丹念にマッサージしている。足のむくみもすっかりなくなった。

 午後2時過ぎに入浴だそうで、看護師さんが祖母を車椅子に乗せて、浴室へ連れて行く。筋力が衰えても、ベッドから自分で立って車椅子に乗るだけの体力はあり、看護師さんも母もぼくも「ひとりで立てるんだよね、すごいねー!」と褒めては、驚いている。風呂の時間だそうだから、またね、とぼくは言って、祖母の手を握った。すると祖母も、がっしりと、輪郭のはっきりした握力で握り返し、ぼくの顔を見てかがやかしく笑った。おばあちゃんが笑った!年をとって柔和な笑顔なんてものじゃない。そこだけ新しい光が射し込んで、強靭な現実を切り取ったようだった。退屈な時間を過ごしていて、入浴が楽しみなのかもしれないが、ふつうに見ても、生命力が終息している感じがまったくない。「終末医療」なんて気配はどこを探しても見当たらず、満面の笑顔には鋭いものがあった。衰弱の影などない。50年近くも年若いぼくが逆に励まされた気持で、「また来るねー」と手を振って帰ってきた。

 「長生きしすぎた」とこぼしているとのことですが、戦争で旦那さん(つまり、ぼくの祖父)を亡くして70年、祖母は自分の働きだけで生きてきた。そのため主張は芯が強く、何かというとカネのことや、お隣さんのワルクチを言う傾向はある。良くも悪くも気の強い人だ。しかし、病室で見せてくれた満面の笑顔は生気に満ちていた。こんにち、何が不満でぷりぷりしているのか分からない人間が多いじゃないですか。

 しぶとい婆さんだから、もうしばらく人生の最晩年をエンジョイしているだろう。エンジョイしていて下さいよ。

[2014年8月9日(土)/続きは後日]

271.
「たまにはお下劣ネタもいいという話」

 ぼくのこのサイト、レンタルサーヴァーを使っているから、維持費がいくらかかるわけです。ドメインは1年たつと更新するんだけど、「taikodo.infoは2014年9月26日に失効します」という件名のメールが届く。9月26日までに1年分の維持費をドメイン管理会社に払うんですが、このメールの件名ね、「taikodo.infoは2014年9月26日に“しっこをします”」と、ほんの一瞬、読んでしまう(笑)。なんで太鼓堂がしょんべんせにゃならんのだ。

 マルセル・デュシャンの作品に『L.H.O.O.Q.』というのがある。『モナ・リザ』の写真に鼻髭(サルヴァドール・ダリのような)を書き加えただけの作品ですよ。この作品の題名ね、フランス語で続けて読むと「彼女のお尻は熱い (Elle a chaud au cul≒彼女は性的に興奮している)」と同じ発音(エラショオキュ)になるのだそうです。ところで、ぼくはある年の夏、女性の知り合いと炎天下で立ち話をしていて、彼女が「まあまあ、日陰に入りましょ。お尻が熱い」と言ったのを実際に聞いた。いくらか童顔のこの美人さんは、デュシャンの作品のことはたぶん知らなかったと思うんですが、ありゃ無意識に“性的に興奮していた”のですかね。このことはまだ本人には話してませんよ。これは「お下劣ネタ」とは言わないか。この程度のエロティシズムなら、世界平和のために良きことかな。どうですか。 

 ぼくが23歳のときに作曲した『ぢぢい』という曲がある。アルファベットでは『Zizii』なのだが、某日、飲み会の席で「あなた、フランス語で zizi がどういう意味か知ってんの?!」と誰かに詰問された。あとで知ったことだが、「おちんちん」ですよね。亡くなった中島らも氏が、「おまんこ」は上方言葉で、男性器を表す「おちんちん」という標準語はあるが、女性器のそれはまだないから、「おぱんぽん」という言葉を作ったらどうかと著作の中で提案していた。以後、誰も「おぱんぽん」なんて言葉は使っていないじゃないですか。女人がたのあいだで最近使われている言葉はあるのだろうか。どなたか、知ってたら教えてくださいませんか。

 と書いて、ネットで「おぱんぽん」を検索したら、ネット辞書に、同じ意味をあらわす「めちんちん」なる造語が出ておりましたが、実際にこの言葉、皆さん使ってますか。少なくともぼくは聞いたことがない。だいたい、「おちんちん」の「お」は「オス」という意味じゃないだろう。接頭語じゃないですかね。だから「お」の反対に「め」を置くのはちょっと変な気がします。

 イギリスで制作された『サンダーバード』という、人形を使ったSFテレビドラマの傑作をご存知の方も多いと思います。ぼくも大ファンです。ところでこの作品の中に、日本語吹き替えでは「ミンミン」という美人の秘書が出てくるんですが、いつだったか、吹き替えなしの英語で聞いていたら、原作では「Tin-Tin」なんだよね、「ティンティン」。これを「チンチン」などとそのままやったらまずいと、翻訳を担当した方は思ったのでしょうね。

 新潟県の佐渡に伝わる「のろま人形」という人形芝居の幕切れは、悪いことをしでかした木乃助が罰として全裸にさせられ、観客席におちんちんをむけて放尿する。お客さんも心得ていて、幕切れが近づくと「しょんべんしー!」と声がかかるそうです。この伝統芸能を、ある20代の、南国生まれでとてもアタマのいいお嬢さんに話して聞かせたところ、彼女は忍び笑いしながら、小さな声で言いにくそうに「…ほ、放尿??」と訊き返してきましたよ。ぼくは小学校の頃、この「のろま人形」に夢中になったが、それは4人の登場人物のキャラクターが特異で興味深いためで、別に木乃助の全裸だの放尿だのとは関係がないよ。こちらに掲載した写真はその「のろま人形」の4体の人形の首です。どうですか、とても印象が強いでしょう。画面手前がお花、左が長者(この2人は夫婦)、右が仏師、奥が木乃助です。

 言っとくけどさー、ぼくは普段はお下劣ネタはやりませんよ。たまにはいい。テレビや寄席の芸人さんは、お下劣ネタ・下ネタをやらない人もいる。よっぽど巧くないとバカ扱いされますよね。干されることさえある。何回同じネタをやっても飽きられず、笑いを誘うには、よほどの稽古と覚悟が必要だ。要注意(笑)なのである。

 「たまには」で思い出したんだけど、

 たんたんタヌキの金玉は 
 風もないのにぶーらぶら

 という有名な歌があるが、あれは讃美歌の替え歌だそうですね。最近の小学生はこういうのを歌っているのかどうか、ぼくは詳しくなくてよく知りません。

 タマの話と言えば、ぼくが2000年に書いた邦楽合奏のための『獺祭語義(だっさいごぎ)』は、駄洒落のテキストをたくさん使っているんですが、その中にこういうのがある。

「ダスキン」という会社のライトバンには、その販売地区別に、「ダスキン江東」とか「ダスキン城西」とか書いてある。では、多摩地区は、やはり「ダスキン多摩(タマ)」と書いてあるかどうか、見た人は教えてほしい。(八王子市・偉大なバンドマン)

 タネを明かせば、これは井上ひさし『自家製文章読本』からの孫引き(この本、是非お読みください)。拙作『獺祭語義』で使ったテキストは、いちいち紹介すると量が多すぎるので省きますけれども、音楽で哄笑しちゃいけないという法律はない。この曲は、故・高田和子さん主宰の邦楽プロジェクト「糸」が高橋悠治さんのプロデュースで行ったライヴで初演された。皆さんのご尽力でぼくの狙いは実現したから、作者として再演の機会を窺っています。

 『たき火』という童謡の「北風ぴいぷう吹いている」という歌詞ね。インターネットが普及して、いろんな人が指摘してますが「北風 pee poo 吹いている」と聞こえる。人間が考えることは、国境を越えて万国共通なのですね。

 ぼくはスカトロジーとか下ネタは、ひとが書いたりしゃべったりしているのを鑑賞するぶんには、別に拒否反応も起こさないで、おもしろければ面白がっている。いったい何事だろうと思うこともあるけどね(笑)。しかし自分がやるとなると、その方面の話術や筆力はあまり達者でない。周りを白けさせるのも悪いからやらないだけです。スカトロジーや下ネタでなくても、日常、たわけたホラ話、馬鹿話で腹を抱え涙を流して笑うことは大好きなんだけど、そういう場所が身の周りにどうも少ない。作家の筒井康隆氏が、執筆の必要で、ご自身の大便を皿に盛って部屋へ運ぶところを、氏の奥さんが目撃して吃驚仰天し、夫はついに発狂したと思ったという話(筒井氏の随筆にあります。ご一読を)。誰かが自分の1回分の大便の栄養価を測定して日本円に換算したところ、なんと5万円だったという話(実話らしいですよ)。

 くそまじめで不幸の多い昨今の世界情勢をみると、たまにはお下劣ネタもいいじゃないかと、ふと思う。お下劣ネタをアタマから罵る人がいるが、そんなに目くじら立てなくてもいいではないか。そういうのは、ぼくには「さかしらな」人という印象があるんですが、いかがでしょうか。

[2014年8月25日(月)/続きは後日]

272.
「長岡の街に行くこと」

 「まち」という言葉は、幼少年時代のぼくにとって特別な意味を持っていた。「家(うち)」を出て「街(まち)」に出かけることは、とてもうれしいことだった。「うち」から「まち」までは、歩いて20分足らず。ぼくが通った小学校と中学校は「うち」からたった710メートルのところにあった。高等学校までは1キロぐらいだった。生まれて19年のあいだは、基本的に日常、電車に乗るということがなかった。

 新潟県長岡市の「まち」と言えば、駅前繁華街のことだった。長岡市は中央に信濃川が流れて「東側」と「西側」に分かれている。旧国鉄の長岡駅は川の東側、ぼくの「うち」も川の東側で、駅前繁華街は駅の西口の正面の大通り、「大手通り」という名前ですが、まっすぐ5分も歩けば終わってしまう。この繁華街に「丸大」や「大和(だいわ)」という名前のデパートが5件ぐらいあって、本屋さんとかレコード屋さんとか画材屋さんとか、よく通う店もいくつかあった。ほかにもいろんな店がありましたが、列挙するのが面倒なので省略。

 小学校にあがるころまで、「大和」というデパートの屋上に充実したゲームセンターがあった。パチンコとかスーパーボールとか、市街地が一望に見渡せる望遠鏡、ボタン操作で手脚を動かす道化師の糸操り人形、10円を1枚入れると観音開きの扉がカタッと開いて、和服のお姉さんが両手に捧げて持ってくるおみくじ。たかがこの程度のことが実に楽しかった。

 現在、世界的に有名になっている長岡の大花火、正三尺玉は、毎年8月のアタマに行われる長岡まつりの花火大会で打ち上げられる。信濃川に中洲があるので、そこを使ってこれだけ大規模な打ち上げができる。そういう地理的条件に恵まれなければ、一抱えもある大花火は危なくて打ち上げどころではない。

 ぼくが信濃川の近くまで脚を運んだのは、1年を通じてこの花火大会の日ぐらいで、これ以外は川沿いまで出かけることはめったになかった。長岡市立劇場というコンサートホールが川沿いにあって、年に2回あるかないかのクラシック音楽のコンサートに出かけたのはまれな例外だ。「街」の中心は川の東側で、長生橋を渡って川の向こうに行ってみても、たいして興味を惹くような風物はなかった。中学生のとき、この川の向こうに長岡技術科学大学が出来て、そののちは、次第に川の西側の開発が進んで人が集まるようになり、相対的に駅前通りの過疎化が進み、現在は信濃川のこっち(東側)とむこう(西側)が奇妙な分裂状況をきたしているように見える。

 ぼくは長岡市の花園町に住んでいた。このへんは東山連山の麓で、概ね住宅地だったが、見たところは水田ばかりで、雪解けの春にはフキノトウを採ることができた。こんな辺鄙なところにバイパスが1本通っている。小林孝平元市長の運動で、南北に抜ける高速道路が建設されたが、この小林元市長は田中角栄の越山会と何らかの関係があると噂されていた。

 こんにちの長岡市の街並みが、35年前からどれほど変わったかは、ただ単に、昔の面影はもうないよとひとこと書けば、いちおう充分だ。昔は良かったなどとノスタルジーに浸っているわけではなくて、街の骨格のようなものが作りかえられ、木に竹を接いだような外観を呈していることは否めない。水田ばかりだった東山連山の麓は、今は住宅がひしめいている。

 ぼくの父は新潟県農業試験場に務めていた。この農業試験場も東山連山の麓にあり、父はイネドロオイムシやニカメイチュウなど、稲につく害虫の駆除を研究していた。ぼくは今朝白町(けさじろちょう)の長屋で生まれ、その後両親とともに農業試験場の近所の官舎に移ったが、どちらも木造の掘っ立て小屋だった。昭和40年の初頭、まだ電話が普及しておらず、隣の家まで借りに行ったりした。

 思いつくままに書いてみると、友達と外で泥んこになって遊んだという記憶がほとんどない。花園町に移り住んでからは、なにしろ自宅の周りは田んぼばかりで、あちこちに農業用水が流れていたから、ミズカマキリ、タイコウチ、タガメといった水生昆虫とか、ドジョウとかカエルなんかをつかまえて、しばらく自宅で飼育していた。

 最近、フェイスブックなんかを通じて、ぼくが通った長岡高校の同窓会に出ないかとお誘いがかかります。率直に言って、ぼくは高校時代、あまりいい思い出がない。当時、ぼくは音楽大学受験志望の例外的存在で、みなさまは江村は変わり者だと言って相手にしなかったくせに、現在、都市部でたまさか認められ、地味ながら活動しているぼくを見て、見解をころっと変え、「江村君も活躍してるんだなー」なんて、思っていただかなくて結構である。高校時代、その例外的なぼくを精神的に支えてくださった地理担当の五十嵐威雄先生、現代国語の吉岡又司先生(故人)、古文の加藤孝泰先生(故人)、体育の金沢宏先生、そのほか少数の親友に励まされて、こんにち、どうにかこうにか活動できるようになってきた。ぼくはおよそ5年周期で「再スタート」が訪れる。ですから45才からの人生というものを現在、生きているわけです。おわかりですか。皆様方のように40才過ぎたら社会的にも個人的にも落ち着くという人生をやっていません。生涯現役の世の中です。気を確かに持ってください。

 ぼくが行ったことのあるいちばん遠い場所はブラジルのリオデジャネイロだが、あまり旅行をしない。資金がないという現実問題もあるけど、ここ数年はやることが多くて、特に自宅で机に向かって楽譜を書いている期間などは、長期の空間移動ができない。もうちょっと広く地球上を歩きたいという願望はあるが、なかなか実現しない。

 上越新幹線が開通するまで、長岡市民にとって東京は遠い場所だった。特急ときに乗って長岡から上野まで3時間20分かかった。だけど今は片道1時間です。仮にぼくが北海道とか沖縄の出身だったら、空間移動について、もっと違った体感を持ったかもしれない。ぼくがあまり旅行をしないのも、首都圏に近い、小さな地方都市で長らく過ごした少年時代の記憶が、多少とも関係してるのではないか。そんなことをちらっと考えたから、自分の「記憶の中の長岡」を描写してみた。しかし書き始めてみると、生まれてから19年間の記憶は膨大かつ複雑で、書ききれない。続きはまた後日ということにしましょう。駄文にお付き合いいただいてありがとうございました。

[2014年10月29日(水)/続きは後日]

273.
「モーツァルトは本当に天才か」

 コンピュータのプログラムミスを「虫(bug)」と言うそうで、大型のコンピュータにはたいてい、何かの「虫」がいるんだそうです。亡くなった数学者の森毅氏がこれについて、んじゃあ「虫」がいないのが優れたコンピュータなのか、そうではあるまい、「虫」がいても普通に稼動するコンピュータというものがあるだろうと、著作に書いていた。

 ちょっと話の方向が違うが、これも亡くなった思想家の吉本隆明氏が、「ある事故のようなものを想定して完璧を期すというのは、論として成り立たない」という話をしていた。飛行機を飛ばすのに、絶対に墜ちない飛行機を設計する、という「論」はありえない。

 ノーベル賞を受賞したアメリカの経済学者、ポール・クルーグマンは、「経済学は常に、優れたモデルから出発する」と言っている。まずモデルを組み立て、現実に当てはめてみて、現実と適合しなければモデルのほうを見直す。これも、普通に延長して、「完璧なモデル」なんてものはないと言い換えてもいいだろう。経済学のことはぜんぜん知らないけれど、「論」の一般的な性質がそうだろう。

 音楽というものを理論的に考える場合も同じことだと思う。バッハが基礎を作った平均律、そこから発展した近代ヨーロッパの和声システム、こういうものは、正しいとか誤りだとかの答えはあるが、別に「完璧」かどうかが評価の主眼なのではない。熟さない言い方だけれど見本みたいなものですよ。理論で作品を創っているわけではないが、いちおう基準のようなものを考えておく、ということなんじゃないか。繰り返しますが、これは理論とか論とかいうものの一般的な性質である。

 言語だって、いちおう文法を踏まえてしゃべったり書いたりしなければコミュニケーションができないという現実問題はあるけれど、例えば、詩は「意味の伝達=達意」ということにいちいちこだわってたら書けない。ある普遍的な「塊(かたまり)」のようなものを読み手に感じ取ってもらうからくりとして詩を書く、上手に言えませんが、そういうようなことではないか。

 こんにち、多くのピアニストはモーツァルトをものすごく流麗に、達者にお弾きになる。皆さんに較べると、ぼくは不器用だし、たいした技巧家でもないということは白状しておかなければならない。だけど、モーツァルトその人は、速いパッセージをあんなにすらすらと、ゆっくりした楽章はいかにも耽美的に演奏したんだろうか。どうも違うような気がして仕方がない。現代のモーツァルト演奏は正確すぎ、ロマンティック過ぎるのではないだろうか。

 現代のクラシック音楽の大きな問題のひとつは、音色の均一化ですよ。一人ひとりの演奏家のスタイルは違っていても、みんな似たような響きがする。テクノロジーの発達と音楽の商業化が、音色の均一化を招いた。それは「社会的顔」とでも言いたくなるくらい、広く浸透していて、美の模範のように受け取られているが、はたしてそうだろうか。さしあたりこの問題を打破するには、これ以上演奏や録音の精度を上げないで、少し下げるという、表面的に見れば時代の潮流に逆行するような演奏を試す以外にないんじゃなかろうか。そうすることで、音の粒がそろわない、不均一な演奏が出来上がるわけです。

 こう書いたからといって、ぼくは自分のピアノ演奏技術の不器用さを正当化するつもりはない。だけど、正直に練習していると、バッハとかモーツァルトの曲は全体的に不均一になる、ということがどうしても起きてくるんです。日本には「正直者はバカを見る」ということわざがあるが、ぼくが正直だからバカを見ているのかどうかはともかく、どうしても不均一になる。均一にやろうと思うと指や腕の筋を傷めることがあるので、あるとき、ぼくはバッハやモーツァルトなどの古典音楽を弾く場合、音の粒をそろえて弾く努力をやめてしまった。努力すべきことはほかにある。こうしたトラブルは、自分の曲とか、近代や現代のピアノ曲を弾くときにはほとんど起きない。音の粒がきれいにそろった古典音楽の演奏というのは、理論あるいは論理の誤用から生じた一種の副作用ではないのか。

 実際にモーツァルトのピアノ曲を弾いてみて、その世界は、多数の人たちが言っているように「深い」と、ぼくも思う。ただ、その深さの内容は、全部が倫理的に正しいとか、うっとりほれ込むほど美しいとかいうのとは違う。もちろんそうした要素も含んでいるのだろうが、同時に、不協和な要素、いくつもの矛盾した事柄の衝突、反道徳的ないかがわしさもあるような精神世界ではないか。多くの人は、モーツァルトが構築した音楽を通じて、そういうイケナイというかアブナイ世界をのぞきこむことを楽しんでいるのではないか。

 しかし、モーツァルトその人が、そこまで見通して作曲していたとは、ちょっと考えにくい。彼を「天才」だという現代のアカデミズムの先生たちは、彼の音楽の完成度の高さや美しさ、何よりも独創性を讃えているが、しばしば、それらは表面的な観察で、先生がたにはたいへん失礼だけどお世辞のようなものである。テクノロジーどころか、電気もなかった古いアナログの時代でも、新しい発明品をうまく使いこなす技術の快楽は、現代のぼくたちの場合と変わらなかったにちがいない。複雑きわまるフーガを自在に書いたバッハと同じように、モーツァルトも調性の体系とソナタ形式という新式の音楽技術を巧みに使うことの爽快感を感じていただろう。オルゴールのための作曲は、その極端な例である。そういうわけだから、古い時代にも、現代のコンピュータの場合と同じく、プログラムミスがあったはずで、テクノロジーに頼ることができなければ、それは作曲・演奏する生身の人間のミステイクとしてしか現れようがない。

 その伏在する「深さ」に含まれる不協和な性質が、のちの多くの作曲家のアタマと手によって顕在化し、ついには調性音楽が崩壊したのは自然な成り行きだったと思う。いつまでも隠しておくわけにはいかなかった。先日、モーツァルトのヘ長調ソナタをコンサートで弾いて、まあ、なんでもないところでミスタッチがいくつかあったのはごめんなさい。おそらく意気込み過ぎたのです。それはともかく、この曲は確かに面白いし、好きな曲だけれども、この曲のほかに演奏した現代曲のほうが新鮮で、モーツァルトの曲はいくらか古く感じたというのが、コンサート終了後の率直な気持である。ぼくはこのソナタをくそまじめに演奏したくなかった。深いけれどやや軽い。モーツァルトのソナタについてはそんな気がする。

 ひとりの日本人として、ぼくは特に禅や仏教を深く極めたわけではない。「無明」なんていう仏教の言葉があらわす人間の精神世界をはっきり知っているわけではない。キリスト教の「原罪」や「禁忌」についても、深く研究したことはない。モーツァルトについても、彼のピアノ曲をいくつか弾き、代表作の一部を聴いたに過ぎない。ヨーロッパに由来するクラシック音楽を理解する能力とか努力がそもそも足りないから、お前がやっているクラシック音楽は理解の方向がおかしな単なるまがい物だと批判されてしまえば、恐れ入ります。しかし、国や宗教が違っても、人間の拠って立つところは同じではないかと思う。それに、昔の音楽も大いに参照したい。だから不器用でも日本以外の国の古典音楽を演奏したいし、その必要があるように感じる。宗教で一口にカオスと言っても、単なる混沌ではなく、たぶんその成り立ちがあるのだろうし、何かの秩序と関係があるだろう。

 モーツァルトは本当に天才ですか。

[2014年12月18日(木)/続きは後日]

274.
「謹賀新年2015」

あけましておめでとうございます。昨年はいろいろお世話になりました。皆様のご多幸をお祈りします。今年もどうぞよろしくお引き立てください。

三が日はどう過ごしていますか?ぼくは寝正月です(笑)なーんか、去年はいろいろやることが多くて、自分なりに内容豊富な年でした。今年も引き続き、やれるだけやりますのでご声援ください。

[2015年1月3日(土)/続きは後日]

275.
「霧の向こうから声が呼びかけてくるよ」

 お正月も終わり、現在作曲中で、その作業もたびたび中断して新年会に出たり、友達のライヴを聴きに行ったり、まれに夜遊びなんぞしたりして、「まじめに作曲せんか!」と怒られそうだが、別に誰も怒らないよ。いまやっている作曲と、自分の日常・現実が交わる場所を確かめるには、インターネット・コミュニケーションよりも、外に出て街を歩き回るほうが有効だ。そのぶんくたびれますけれども、普通に考えて、自分の日常生活が音楽だけというのはおかしい。音楽と外界との間を行き来していると、いま書いている曲の位置づけや意味も変わってきますですよ。作曲を途中でやめて友達のライヴに出かけるのは、出かけ際は腰が重いことがありますが、雑踏の中をくぐり抜けていくうちに、どさくさにまぎれて、出かけ際の重さは忘れてしまう。

 今日は雪が降り、さいたま市の拙宅近辺の朝の気温は0.7度でありました。どうせ降るなら、どしゃっと大雪がいいんだけど、今日は午後から雨に変わり、大して降り積もらなかったんです。雪が降ってんのにからっと晴天てことはないよな。うす曇で、なーんだこの程度の積雪なら別に写真に撮っておくほどのこともないかと、気が萎えて、結局撮らなかったんですよ。雪は溶けちゃったんじゃないかな。

 ぼくのこの新年の特徴はいくつかあって、例年より寝坊が多いこと、例年より外出が多いこと、気合を入れて読もうという本がないこと。夕飯を食べたあとは、寝転がって、インターネットでじつにくだらないひまつぶしをしております。作曲は、長くて1日4時間程度ですが、2秒ぐらい書いたらゴミを捨てに外に出る、ちょっと休んで、コーヒーを飲んだりなんかして、また机に戻る、というようなことを繰り返しており、1日に延べ4時間と言っても、作業が終わると日が暮れている。

 三が日が明けて作曲に取り掛かってしばらくの間、ヤル気があるんだかないんだか、よくわからんが、どうやらストライクゾーンには入っているらしい、というところを模索しながら、様子を見ていました。昨年暮れぐらいから「集団の非組織化」ということを考えていたので、あたりまえのことかもしれない。複数人数が一丸となって迫力をぶつけてくるような曲ではないということが、次第にわかってまいりました。しかしひとつの曲としての訴えかけ・力は持たなければならない。およそのところでアンサンブルがまあまあ合っているが、きちんと縛ってなくて、もつれたり、ほぐれたりするようなものを書いています。

 話の途中ですが、いま夕方6時半ですんで、夕飯の食材を買いに行ってきます。

 近所のスーパー、歩いて2分なんですよ。ちょうどいいところにスーパーがあります。今日は野菜と鳥の胸肉を焼いて食います。いまなべを熱しているところなんです。豆腐も忘れずに食膳に供します。

 なにか、金字塔とか、頂点とか、そういうたぐいの発想が、今回の作曲にはない。日常や現実との往復をやっていると、なにが「頂点」なのかというような発想は特権主義のように見えてきます。そうではなくて、物事をまとめるよりは散らかす、その散らかり具合の特徴のようなものが書けないかな、と思った。さあ、思ったように出来るか、ということを、いまやっております。かつて、「価値のある自分」を求めて、必死で自分を探していたこともある。そんなところに自分はいなかったんだな、あれは捏造だったんだなと、今なら言えそうな気がします。もっとも、未だに未熟者ゆえ、偉そうなこと言えないんですけどね(笑)

 いつか偶然の出会いのように、すべては霧の向こうから呼びかけてくる、と教えてくれた恩師は、東日本大震災の年の5月に亡くなりました。そんなこともあるもんですかねと、ながいあいだ半信半疑でしたが、自分が出来ることをやれるだけやっていると、ある日、その「やりたいこと」が、自分の計画からではなくて、ひょんなタイミングで“外から”訴えてくることがあることを先日、知りました。そういうことが起こらないような日常とか音楽の場は面白くないですよ。モノゴトが計画通りにいって気分がいい。そういうこともあるんだろうけど、そうじゃない方向から、嬉しいことが訴えてくる、そういう種類のことに先日、出会いました。出会ったら、受け入れましょう。罠を仕掛けておいて、かかった獲物を捕まえるというのとはまったく別の体験でした。最初はほんの少し戸惑いましたが、愉しく受け入れることにしましたよ。

[2016年1月30日(金)/続きは後日]

276.
「日常の隙間に − 人前でスマホをいじるなよ」

 昨晩(2015年2月26日、木曜日)、高橋悠治のピアノ・リサイタルを聴いた(築地、浜離宮朝日ホール)。2012年6月のぼくのコンサートで悠治さんの『なびかひ』というピアノ曲を弾いたとき、観客席に来てくださった。コンサートの準備期間中に、『なびかひ』を弾きますという電話をご自宅にかけたときの雑談の中で、クセナキスみたいなハードなものはもう弾かない、だけどモンポウは大丈夫だよ、とおっしゃっていた。フェデリコ・モンポウは83才のとき、自作のピアノ曲を全部、自分で弾いて録音しており、市販のCDは4枚もの量だ。現在、高橋悠治は76才で、ぼくは自分が70才を越えたときのことを想像しながら、悠治さんやモンポウの実例を重ね合わせている。大病しなければ、ぼくも70才を過ぎてもピアノを弾いているんだろうな。

 今年に入ってから、まだ本を読んでいない。ぼくはクラシック系の作曲とピアノをひととおり勉強したんだけど、ロマン派のオペラが苦手です。ヴェルディとかプッチーニとか、あんまし聴いていない。理由はいろいろあるが、一番大きいのは歌手の方々の発声法、あれがどうしても好きになれない。しかし、業務上の必要で、どんな世界なのか、ひととおり知っておいたほうがいいというわけで、去年、オペラの舞台ではなく原作をいくつか読んだ。それはそれなりに面白かったんだけど、どれも同じようなあらすじで、アタマの中で登場人物がごっちゃになって、そのうちに読むのがめんどくさくなって抛り出してしまいました。文学作品としても面白い原作は、たぶんそれほど多くない。

 高橋悠治のリサイタルを聴いて1日後ですが、1日前のあの2時間20分を体験してきましたという「見返り」がしっかりある。これって、すごくね?ふつう、24時間たったら忘れてますよ、あのときの臨場感は。バッハの『フランス組曲』の第5番、ハイドンのソナタ、ジェズアルドの複雑な『王のフランスの歌』、クリスチャン・ウルフの演奏が厄介な偶然性音楽『ピアニスト/小曲集』、富山妙子の絵(スクリーンに映す)に付けたフクシマ3.11に寄せる高橋悠治の新曲『海からの黙示』、再びバッハ『フランス組曲』第2番、決してわかりやすいコンセプトではない。これは理解するものというより、体験するものなのだ。高橋悠治が50年かかって獲得した、言ってみればクセのあるピアノ演奏法はそのためのツールではないか。体験すれば、ある程度疲れますよ。カタルシスは適度の疲労を伴うものです。疲れるのがいやだからエンターテインメントにしちゃおうという近年の潮流に、穏やかな語り口で反逆する“身体性”を「古臭い」などと言って避けていれば、人はみんな、自分が生きていることも忘れてしまう。

 みんなスマートフォン(以下スマホ)を片手に街を歩いている。電車に乗っている。いつぞや、わりと混んでる帰宅ラッシュの電車の中で、おじさんがやっぱしスマホの画面を覗き込んでいたから、なにを見てるのかと思ってぼくもそーっと覗き込んだら、デリヘル嬢のカタログをおじさんは見ていたんですねえ。冬寒き隣はなにをする人ぞと思っていれば、何をしているか、知れたものではない。こうなると安部公房の『箱男』の世界だよな。箱の中から世の中を覗き見て生きる人ばかりが街を歩いている。日常はスマホの向こうにしかない。スマホのそとにある風物はノスタルジーかメランコリーですか。スマホで自分の環境を規定しなければ、日常は死んじゃうっていうわけ?

 いったい誰が「おやぢギャグ」などという差別用語を使い出したんだろう。駄洒落を言えば、すぐに「おやぢギャグ」のレッテルを貼られ、島流しの刑に遭う。

 日常性。ふつうピアノ・リサイタルと言うと、観客席より1段高いところからピアニストが演奏を聴かせるというヒエラルキーが感じられるものだが、高橋悠治はそれを取っ払った。聴き手は受動的にサーヴィスを受けるほうが気分的にラクなんでしょうが、悠治さんのコンサートの場合、聴き手と演じ手は目線が同じ高さなのだ。受身に慣れてしまっている観客は、演じ手が発するメッセージに応答するすべを知らない。クリスチャン・ウルフの曲のどこが面白いのかわからず居眠りしていた女の子もいました(笑)このウルフの曲こそ、客間のオーディオでは良さが半分も伝わらない。演奏者と書かれた曲の関係がじかに観察できる生演奏のほうが、俄然面白い。

 日ごろ、歩いたり自転車に乗ったりというような軽い運動をこまめにやっているほうが、よく眠れるのかな。人間は体が疲れると自然に眠くなるように出来ているのかな。古本屋や書店が次々につぶれたら、散歩をする目印がなくなって、ただ街をぶらつくということが以前よりやりにくくなった。寒い冬が4ヶ月近く続き、家にこもることが多かったが、いい加減飽きてきた。

 高橋悠治が弾くピアノは、そもそもあまり音が大きくない。1998年に悠治さんと連弾をやったとき、練習中の雑談で、自分が弾くピアノの音がうるさいとおっしゃっていた。現代音楽をバリバリ弾く人から想像しにくいデリケートな耳を持っている。確かモーツァルトも、大きな音を聞くと体調が悪くなった。昨晩のコンサートでも、特に最後に演奏されたバッハの『フランス組曲』第2番は、ささやきと言っていいほど、鍵盤を少し触って出すような音量・音色だった。たぶん意図的にそういう奏法を採用しているように思われた。自作『海からの黙示』では“普通の”音量だったから、ひょっとするとバッハの曲を弾くときの悠治さんの念頭には、クラヴィコードの音量のことがあったのかも知れない。

 さっきから、何か書きたいことがあってコンピュータに向かうが、その書きたいことがなんだったか、霧消してしまう。まさかボケではないだろう。中心にあるように見えたその主題が周辺に拡散して、実際に書くのは別のこと。ぼくたちの日常は、おおむねその拡散していってしまうことから成り立っているのかもしれない。

 いつも見ている街並みが、前とはちょっと違う。改築工事をしました、なんてのじゃなくて、以前見たことと現在見ていることは、同じではない。その微細な変化を切り落としてしまったら、街はひどく殺風景に見えることでしょう。あるとき、その見落としがちな変化の性質に気づく。気づいたことを拒否しない。

 思いついて、高橋悠治が1999年にさいたま芸術劇場で弾いたぼくの『ファンファーレ集』(1997)のCDを聴いてみた。あのコンサートは曲目を当日発表という宣伝で、ぼくには電話で「ほかでは絶対にやらない」プログラムだとおっしゃっていた。いま聴くと、CD全体はどちらかというとゆっくり、静かな曲が並んでいて、その中でぼくの曲は派手なほうに属する。悠治さんはぼくの曲の跳躍音程をさばくのが難しかったという意味のことを、コンサート終了後、楽屋でぼくに話していた。コンサート全体・CD全体は「音楽的アプローチ」で統一されている。あの高橋悠治が意外に「音楽外的アプローチ」には積極的でなかったように聴こえるのは、やはりヨーロッパで修行した教養の現われだろうと思う。それだけヨーロッパの比重が大きかったのではないか。15年経って、ぼくたちの世代が音楽を作るようになったが、「とらわれ」から“逃げて”、安定や固定観念を避け、新しい創作を続けることは簡単ではないことがよくわかる。

 2月中に更新しようと思ってましたが、早く寝てしまったので月が変わってからになりました。

[2015年2月27日(金)−3月7日(土)/続きは後日]

277.
「モノが曲がる話」

 近頃、飛行機や電車の事故が多いけれども、それはちょっと脇に措いておくことにする。交通安全に越したことはないから、みんなで気をつけましょう。

 作曲家とか画家、小説家など、いわゆる芸術家たちは、想像の中でモノを曲げるという働きがなかったら、創作が成り立たないわけですよ。もちろんね、この「曲げる」という操作に、芸術家が常に意識的であるとは限らない。限りませんが、モノを作るときに、その素材を曲げるという作業は意識・無意識に皆さんがやっていると思う。場合によっては、曲げることにずいぶんエネルギーを使う。あらんかぎりの力で曲げることもある。

 現実にぼくたちのまわりにある「まっすぐなもの」、例えば物干し竿を絵に描こうと、例えばパブロ・ピカソが思い、描画する。このときピカソは、現実通りまっすぐではなくて、ぐにゃっと曲がった線を描いた。こういうのをふつうデフォルメと言って、現実にあるオブジェやモティーフを意識的に歪曲するこの手法は、絵や音楽の世界では別に珍しくない。小説の世界は話がちょっと別で、少なくとも何が言いたいか、文章の意味がわかるように書く必要があるから、だいたい、小説というものは文法にかなった文体で書いてありますよね。なんかの規則にのっとっている。しかし詩となると、文法を無視して想像の世界を表現している作品のほうが多いのじゃないですか。ぼくは前衛詩のことはよくわからないけれど、ともかく複数のセンテンスの間の関係がよくわからない、ということはひんぱんに見かけるでしょう。わりとふつうにあります。それゆえ、詩というものは理解が難しいということがよく起こります。

 イメージ、想像力の中では、モノが曲がる、モノを曲げるということは珍しくないんですが、想像の中でモノが曲がったからと言って、現実も一緒になって曲がるってことは、ふつうはなさそうにみえる。でもほんとにないのかな、というところで立ち止まって、この稿を書いております。実際、絵や音楽の中の曲がった描線は、言葉で説明できないことがあるけれど、あえて言葉で説明しようと思えば、説明も曲がる、というか、変な説明になる場合がある。この「変な説明」は論理的なのかどうか。これがこの稿の主題なんです。

 例えばお散歩に出るとします。家−仮にA地点としましょう−を出て、いちおうB地点まで着いたら引き返してくることにする。A地点からB地点まで、直線距離で2キロ、往復4キロ。まっすぐ往復すればいちばん速いわけです。が、ぼくたちは気まぐれにC地点やD地点を設定して、あっちゃこっちゃ蛇行して、そのへんの畑の菜の花を眺めたり、図書館に寄ったり、コンビニや呉服店や公園の便所に入ったり、いろいろ道草を食っている。直線で往復4キロよりも面白いから、わざわざ寄り道するんでしょうね。公園の便所が面白いかどうかは知らないが、こういうのも、何かを「曲げる」ことの一種ですよ。

 そもそもぼくたちの住環境というのは少し曲がっています。そのことに異を立てて、「曲がってる!」なんて文句をつけるのは、だいたいそのじいさんの虫の居所が悪いからではないか。曲がっているけど、普段は問題にしない。電信柱や民家の壁を少し注意してみれば、いや、別に注意してみなくても、そのすべてが地面に対して全部垂直に立っているということはない。ぼくたちはそういう現実の中を無頓着に歩き回っている。走っている人もいますよ。電信柱や民家の壁が傾いていたって、倒れなければそれでいいわけです。こういうのは想像力の働きで意識的に曲げたのではなく、老朽化したとか、地面が陥没したとか、そのほかいろんな物理的な力でだんだん曲がったのでしょう。先だって、東京の山手線の線路脇の柱が倒れ、9時間にわたって電車が止まりました。これは一大事で、柱は倒れないほうがいいに決まっていますが、今はその話をしているのではなくて、想像力の中でモノが曲がるということと、現実に物理的に鉄板やガラスやコンクリートなんかが曲がるということのあいだに、なんか関係があるのかどうか、という話題なんです。

 現実的に考えて、家を普請するにあたり、描いた設計図がゆがんでいたから、工事が終わってみたら2階の床が斜めになって、住民は歯を食いしばってこれに抗い続けなければならない。こんなバカげた話はあまり聞きませんが、例えばお化け屋敷なんかで、わざわざ床を斜めに作っておいて、その通路を通るお客さんはバランスを崩してうまく歩けない。そういう通路なら、ぼくも歩いたことがあります。うまく歩けないからキャッキャと面白がる。これなんか、「想像力」と「現実」の交点と言ってもいいのかもしれない。だけど、“特殊な”現実だから、一般の住宅には取り入れないほうがいいなんて、いつまでもバカなことを書いておりますが、こういう上下転倒のようなものに着目し、逆用すれば面白いことにもなる。漫画やコントの世界なら、そういうことの応用でモノを作るというのは、珍しいことでもなんでもないと思います。

 ですが、ぼくがこの稿で問題にしたいのは、もう少し込み入ったことです。人が想像力の中でモノを曲げたら、現実・日常も曲がる、という順接の関係が成り立つことはあるのかどうか。今日現在のぼくにはよくわからないので、馬鹿ッ話かどうかは脇に置いて、問題を文章で書いてみることにした次第です。いかがでしょうか。

 追記  うちの近所の桜は、今年はわりあい好天に恵まれ、4月アタマに嬉しく花見をしたんですが、翌日から風邪をひいて、1週間ほど調子が出ませんでした。だいたい治りましたのでご心配なく。体調にご留意ください。

[2015年4月22日(水)/続きは後日]

278.
「ユジャ・ワンという中国のピアニストのこと」

 テレビで中国出身のピアニスト、ユジャ・ワン嬢のコンサートの録画を観た。2年ほど前の来日公演だ。ラヴェル『ラ・ヴァルス』、1961年生まれのリバーマンという作曲家の『ガーゴイル』という小品集、ラフマニノフのソナタ第2番、アンコールにはリスト編のシューベルト『糸をつむぐグレートヒェン』とプロコフィエフ『トッカータ』。

 この人のいいところは、とにかく屈託がない。かわいい女の子が難技巧のピアノ曲を楽しそうに弾いている。あなたも一緒に音楽をやりましょうよ、と言いたそうなパフォーマンスだ。ぼくはこんなに器用にピアノが弾けないし、素直にうらやましいと思う。「内容がない」とか「指のサーカスだ」とか偉そうに言う前に、ともかく元気に上手に楽譜をさばいている中国の女の子を見てて、悪い気はしないよ。ピアニストが若いストリッパーで、観客はストーカーじゃないかとか、悪い冗談を書くのは止しましょう(笑)音楽の生演奏というのは、見た目も大事だから、とんでもないブスやゲスが舞台にいるのでは観客も面白くないだろう。

 ピアニストの容姿の話が出たから、かねがねぼくが不審に思っていることを書く。ピアニストというのは舞台芸人だから、繰り返すけど見た目も大事だと、ぼくは思う。20代、30代のころ、細身でナイーヴ、女の子たちにもてそうな外見で、ものすごいテクニックで会場を圧倒した男性ピアニストのみなさんが、たいへん失礼な物言いですが、いつのまにかムツカシイ顔つきの老醜なおじいさんになっている場合がある。年をとるというのはこういうことなのか。いくらかはしょうがないとしても、もう少しきれいに年をとりませんかと言いたくなる人たちがいる。女性ピアニストも同じだ。ただピアノが弾ければいいというものでもないだろうと思うのだが。

 若さ爆発のユジャ・ワン嬢におねだりしたいんですよ。やっぱりもっと突っ込んだところが聴きたいな、というのが全体的な感想だった。この人のように、生まれつきピアノがじゃんじゃか弾ける能力の持ち主には、逆に「下手のよさ」は想像しにくいかもしれない。ぼくはひがんで言っているのではない。ユジャ・ワン嬢の演奏を聴いていると、ひとつの音と次の音のあいだの関係が聴こえてこないと思った。だから、小品を弾いているうちはそういう欠点が聴こえにくいけど、ラフマニノフのソナタのような、音の本質が問われる規模の大きな曲を構築する段になると、総合的なまとまりを欠いてしまう。

 このテレビ番組は毎朝5時からNHK・BSでやっているもので、今朝はたまたま早く起きたから観ることができたんだけど、いつもは朝6時からNHK・FMで『古楽の楽しみ』を聴くのを毎日の楽しみにしている。今日はユジャ・ワン嬢のパフォーマンスをテレビで観たあと、FMに切り替えてバッハの合唱曲を聴いたんだけど、白状すると、全然耳に入らなかった。テレビでかわいいユジャ・ワン嬢を観て、完全に視覚優位になってしまいー、FM放送を聴く聴覚への切り替えができなかったんです。まあ、ぼくは合唱曲はとくに好きではないこともありますが、テレビで観たユジャ・ワン嬢のはねっかえりぶりがアタマから離れなかった。まったく、俺もエッチだなあと認識を新たにした次第である。

 (余談。エッチということを言えば、色気というものはやはり大事であって、みなさんの色気で街がどれだけ潤うか、ぼくがいまさら強調するまでもないだろう。勘違いしないでくださいよ、街を潤すために一肌脱ぐと言って、そのへんの舗道や歩行者天国で女や男の有志が全裸になるとか、そういうことが言いたいのではないのだ。全裸と色気は別に関係がないというか、醜悪なハダカ写真のたぐいがそのへんの書店やネット上に多くないですか?)

 しかしそんなことでは困る。ぼくが困るんじゃなくて、音楽のためにはすこしばかり困る。ぼくがエッチなのかどうかは、みなさんで協議してくださいよ。ピアノの内部構造のことはよく知りませんが、最近は「弾きやすさ」を追及して楽器の開発がなされているようだ。だからピアニストは腕の力を節約して、効率のいい弾き方を習得すれば、かなり難しい曲も器用にさばける、という現実になってきている。そうすれば、きらびやかなパッセージを含むロマンティックな大曲も比較的ラクに弾きこなせるということになるが、問題は、現代では音楽とロマンティシズムは必ずしも関係がないし、クラシック音楽界のロマンティシズムはとうのむかしに終わってます。50年や100年前のピアニズムを再現することは不可能だし、仮に再現できたところで、あまり意味はないんじゃないか。ピアニストは個々の曲の意味内容を今日的によく検討しなおすという課題がある。それがどこまでできるかという話なのじゃないかな。

 ピアノの「リサイタル」という公開演奏会が行われるようになったのは1700年よりもあとのことだが、当時、「ピアノ・リサイタル」という名前に専門家たちは嗤った。ピアノでどうやって「recite=朗誦する」ことができるのか、というわけ。現代のぼくたちから見ると、この揶揄には一理ある。20世紀以降のピアノ音楽には打楽器的奏法が事実多い。それは音楽のロマンティックな表現が行き詰ったときに現れた、新しい演奏方法だった。いくらキーボード上で「カンタービレ」で歌うように弾いたって、人間の声ではない。ピアノ音楽のいろいろな表現技術が有効なのは、聴き手がその表現意図をうまく理解してくれればの話であり、ピアニストは、わかってもらわなければならない。

 そういう努力をしないと、技巧曲をさばく演奏行為は、だんだんしらけたものになってしまう。2時間のコンサートに音がいっぱいある、というだけでは良くないという事態も出来することになる。ユジャ・ワン嬢のコンサートがこのハードルをどこまでクリアしているか、生演奏に接する機会をつかまえてみようかな。

[2015年5月31日(日)/続きは後日]

279.
「祖母の介護生活続報」

 去年の8月8日に、介護生活中の祖母のことを書いた。そのときお断りしたように、この話はぼくの身内のことで、このたびは人様に読んでいただくに値する出来事があったから、普段は書かないけれども敢えてとりあげた。以下はその続報で、10ヶ月前と同じく祖母の容態の報告です。お含みください。

   金曜日(6月12日)に自分のコンサートが終わって体が空いたので、6月14日、「みんなの家」という介護施設で暮らしている祖母を10ヶ月振りに訪ねた。祖母は今年98才だが、とくに病気がなく、検査の数値も優良だという。

 食堂に20人ほどの人がいて、祖母は車椅子の背もたれを半分倒して横になっていた。1週間前は元気でご機嫌だったそうですが、その後、食が細くなった。以前よりさらに小さくなって、あごの骨が浮き出し、両脚は長芋かゴボウのようだ。ときどき何かしゃべっているようだが、声が聞こえない。それでも、「おばあちゃん!」とぼくが声をかけると、目を見開いて頷く。

 「エンシュア」という点滴代わりの250mlの缶詰がある。水分は含んでいないと医師は説明しているそうですが、見たところは牛乳のようなもので、コップに注いで飲むようなものです。祖母が摂っているのはコーヒー味がついている。その250mlの「エンシュア」一缶が、1日の祖母の体力維持に必要で、つい1週間前は元気に全部摂っていた。それがここ数日、なかなか減らない。そのせいで前よりまたやせた。介護師さんたちが手伝って口に運ぶのだが、1日に30mlかそこらが限度だという。

 しかしこの祖母、確かにやせたし、口数も少なくなったが、ぼくたち親族や周りの人たちが話すことは全部聞いている。筋肉が落ちて骨格がはっきりわかる。そもそも体重が30キロかそこらのきゃしゃな体で、介護生活を送るようになってからさらに痩せたんだけど、骨太で丈夫そうで、人相もやつれておらず、どう見ても危ない状態ではない。ただ口で浅い呼吸をしていて、胸の動きが少し大変そうに見えた。

 食堂で体操の時間が始まった。足のつま先を上下に動かす。肛門を緊張させて締める。腕の上げ下ろし。そういうことを20分ぐらいやっていた。祖母も、脚をばたばたさせて加わっていた。ばかにならない運動量だろう。

 続いて「歌の時間」になり、食堂の全員で歌の本を見ながら歌ったんですが、老人だから易しい歌なんて配慮はないんですね。『茶摘』や『夏は来ぬ』『富士山』あたりは小学校で習うけれども、中田喜直作曲の『夏の思い出』などは、実際に歌ってみるとかなり高度な技術が必要である。しかしこういう歌をそらで覚えているお年寄りがいて、何曲も続けてひとりで歌っている。食堂のあちこちから「おー、リサイタルだな」と声があがった。祖母は歌が歌えない状態だったが、それでもみなさんと和して口を動かしている。ぼくもあわせて歌っているうちに、おもわずこみ上げてくるものがあった。歩けなくなっても、声が出なくても、人生を抛り出すようなことはしないのだ。

 祖母は以前からぼくの音楽活動を応援してくれている。今日の様子ではコミュニケーションが取れないかなと、あごの骨が浮き出た祖母の顔を見て思っていた。しかしぼくが「コンサート、やってきたよ」と言うと、眠そうな目が急にぱっちり開いて、両手でピアノを弾くしぐさをするではないか。これには驚いた。ひとの話はちゃんとわかるのだ。

 祖母が「エンシュア」を摂らず、やせて、呼吸が浅く心拍数も普段より少し速いので、翌日、母に付き添われて、救急車に乗って担当の医師の診察を受けに行った。医師は祖母をひとめ見るなり、「ああー、脱水症状だ、まずいな、可哀想なことしちゃったな」とおっしゃったそうで、即刻入院となった。

 あと3日遅ければ命取りだったと医師は説明したそうですが、すぐに点滴を受けたところ、もう回復の兆しが見え、少しラクそうになったと、付き添った母が伝えてきた。入院の翌日、様子を見に行くと、たしかに2日前よりも落ち着いていて、ラクそうだった。いまより回復しても、車椅子で走りまわるのはもうムリかもしれない。が、つい1週間前まで人と話をしていたように、おしゃべりが好きで、よけいなこともずいぶん多く口にする婆さんのことだから、自分の思ったことが声で人に伝えられる程度丈夫になったら、本人も周りも万歳だ。

 『富士山』の歌ではないが、祖母は70才を超えてから何度目かの富士登山に出かけており、体のきく人だということはわかっている。わかっているけれど、いったいこの生命力は、どうなっているのだろう。

 ちなみに記す。老人ホームでお年寄りと共同作曲を企ててマスメディアの注目を浴びた如才ない作曲家さんよ、ひとつ、浪曲が大好きなうちの祖母と一緒に作曲を企ててくれますまいか。そしてそれを売って儲けて臭い飯でも食ってください。

[2015年6月18日(木)/続きは後日]

280.
「無駄使いの楽しみをなぜ教えないのか」

   しばらく更新をお休みしていました。6月のコンサートのあと、しばらく休暇をとりたかったし、休暇のあとは作曲に取りかかったから、サイトの更新がルーズになりました。以下「今夜」とあるのは7月30日のことです。夏ですねえ。

*   *   *

 今夜はここら近所で花火大会があるはずだったんだけど、夕方いきなり豪雨になり、順延になった様子です。そういうわけで食後の時間が空いたので、この稿をしたためております。あした晴れてたら、花火は明日やるでしょう。と思っていたら、窓の外で花火の爆発音が聞こえたので、見に行ってきましたよ。雨が止んだから打ち上げることにしたらしい。風もなく、直前に雨が降ったせいか人出も例年より少なく、まことに結構な花火見物であった。ぼくは「日本一の大花火」と言われる例の長岡花火の、新潟県長岡市の出身で、あの壮大なスケールに較べると、こちらさいたま市の花火は可愛いものですが、でも夏はやっぱり花火ですねえ。

 いいタイミングで北陸新幹線ができたので、7月の連休は石川県の金沢に行ってきました。東日本大震災以後、公私の両方にわたりいろいろ難しい状況で、旅行に出かける気分じゃなかったんだけど、まあひと段落着いたと思ったから出かけてきたよ。出かけてきたが、梅雨明け直前の猛暑で、兼六園なんかはかんかん照りの中、とても優雅に散策というわけにいかず、さっと見て出てきました。以前は旅行に出ると、どれだけ多くのものを取り込み自分のものにするかと意気込んでいたんですが、そういう勉強はやめることにしたんです。知らない街をぶらぶらしたい。新しい風景が通り過ぎてゆく。金沢21世紀美術館は面白かったよ。新しい知識を自分の中にため込もうというような気分でいると、旅行の終わりはいつも欲求不満が残ることになる。もっと楽に、ぞろっぺいに、知らない街を見に行っていいんですよ。こちらの写真は、北陸新幹線の車窓から見えた新潟県柏崎市の海岸です。海は広いな、大きいなー。

 ぼくは街に出て「生理活動」がしたいと、心の中でしきりにつぶやいている。日本はいまは夏で昨日は名古屋と京都で39度を超える猛暑だった。熱中症でくたばらないように気をつけながら、日照りの街をちょっと歩けば汗かきのぼくは汗だくになるし、出先で腹が減ったら食堂に入ってなんか食う、便所にも行く、人いきれの雑踏で美人を見ればむらむら来ちゃうとか、逆に風体の悪いオッサンがいてむっとするとか、いいことも悪いこともいろいろごたまぜになって街がある、そういう外界に出て、「人としてあったりまえのこと」がやりたかったんですよ。年に2回か3回そういうことをやりに、知らない街をぶらつきに行けばいいんじゃないかと思ってます。

 6月のコンサートでプロコフィエフの第6ソナタを10年ぶりに弾いた。プロコフィエフは調性音楽の作曲家だが、そのバーバリズムに見られる反抗精神は、第二次大戦後の前衛音楽の場合とほとんど変わらないか、むしろそれをしのぐほど過激なものだった可能性がある、と思った。巨匠を含む多くのピアニストがこの曲を手がけて、たいていどこかですっ転ぶのは、プロコフィエフがヨーロッパの音楽伝統を乗り越えようとして、調性やソナタ形式の枠におさまらない内容を盛り込んだため、形式と内容が一致しないところがあるからではないか。10年前は行儀よく、メロディーと伴奏のヒエラルキーをバランスよく保って楽譜どおりに弾いた。この曲は無調や複調を志向しながら、結局、主調のイ長調に戻る。プロコフィエフ自身はこの曲を「楽譜どおりに」弾いたんだと思う。しかしこのソナタは、アカデミックに楽譜どおりに弾いても面白くないようなところがある。このことを極端に推し進めれば、クセナキスの音楽の場合のように、最初から楽譜どおりには弾けるわけがない企てになり、両者はこの点で共通している、などと推理して、いくらかの技術的な脱線は許すことにしようと考えて弾きとおしたんですが、仮定が飛躍しすぎたかな。お客さんは喜んでくれたからたぶんいい結果だったのだろう。かなり大音量で、音符の数も多く、専業ピアニストではないぼくとしてはちょっとピアノを弾きすぎた感があり、次のコンサートでは音符の少ない曲を弾こうと思っている。

 どうも街が「武装している」ような印象をぬぐえない。世の中がマニュアル化すると商店街の売り子さんの顔つきやしゃべり方までロボットのようになるものなのですかね。街に出て「生理活動」がしたいと言ったって、ぼくにも人並みの常識はあるよ。銀座の歩行者天国で公然セックスがしたいとか、おしっこは誰でもするものだから男や女の舗道での立小便を合法化すべきだとか、無茶苦茶なことを言い出す気はない。そんなんじゃなくてさ、スーパーのレジのお姉さんの「顔つきがエロティックで、たいへん結構である」ということは現実に、拙宅近所のスーパーで毎日体験してます。あのお姉ちゃんは、人間の顔とか体つき、声の出し方が、何も房事のときでなくても、なんだかほんわか色っぽくて結構ですという、実物見本のような方ですよ。みんな真似したらいいですよ。そういう色気が、武装した街、マニュアル化した街によっていたるところでぶった切れている。街にだって「色」はあるんであって、そういうものをがーっと平らにならして「国際化」とかなんとか言うのが、現代のグローバリゼーションのひとつの特徴だろう。かわいい顔をして、心の中ではどんな冷酷残忍なことを考えているかわかったものではないというような、女の怨念は、現代化する社会の副作用なのではないですか。

 必要があって、いま書いている楽譜をキーボードの多重録音でシミュレートしてみたんですが、電子楽器と録音機の多重録音はじつに9年ぶりだということに気がついた。2006年に『なんかのためにではなくて』という録音作品をつくったのが最後で、ここしばらくはもっぱらアコースティックな曲を書いたり、弾いたりしていた。そのあいだに曲の書き方やピアノの弾き方が変わって、電子楽器のシミュレーションでは実現できないことをやるようになった。だから、必要とはいえ、いまさらキーボードの多重録音で、楽譜に何が書いてあるかシミュレートしてみて、およそどういうことかはわかったが、実際に人が演奏する場合を想像して聴き較べると、こーんな窮屈なサウンドじゃないはずだという不満がつのり、オーディオ装置の前で、ひとりでいきどおっているのも、なんだかバカみたいな話ですねえ。

 思いつくままに書きました。アップロードしますね。

[2015年8月14日(金)/続きは後日]

281.
「残暑お見舞い申し上げます」

 こんばんは。夕飯を食べたあとで、ちょっとほろ酔いです。

 このコーナーで2回、ぼくの祖母、内田ヨキノの介護生活について皆さんにご報告しました。その祖母は今月の終戦記念日、8月15日土曜日の早朝02時48分、さいたま市の至誠堂冨田病院で、老衰のため、97年の長い生涯を閉じました。生前お世話になった皆様のご厚誼に感謝します。静かな永眠で、周囲の家族も病院の看護婦さんたちも、気がついたら本人はいなくなっていた、という臨終でした。葬儀は8月17日、ぼくの満50才の誕生日に(笑)、親族ならびにお世話になった近所の方々、合計10人ほどでささやかに営みました。さいたま市のセレモニー大宮センターのスタッフさんたちが、申し分のない葬儀を出してくださいました。感謝申し上げます。

 この祖母、頭の回転が速く、運動神経が発達し、浪曲を好み、チョコレートなど甘いものが大好きで、少しうるさい人だったです。90才を過ぎた頃は元気で旅行にも行ったし、東日本大震災も体験し、「長生きしすぎた」と母にこぼしていたそうです。8月11日に意識がなくなるまで、ぼくが会いに行くと目を大きく見開いて笑い、ハイタッチしたり、がっしと握手を交わしたり、「わかる、わかる」なんて言って頷いたりしてました。だからぼくとしては、死んじゃったら楽しみがひとつ減ったという空虚な気持がある。いままで、この祖母の容態をめぐって、日常の一角が何かと気ぜわしかった、その騒ぎがピタッとやんで、あたりまえですがしーんと静かです。

 どうも今年の夏は亡くなる方が多かったようです。7月から続いた異常な猛暑でいいかげん消耗して亡くなった、というケースが相次ぎ、葬祭センターの遺体安置所がいっぱいになってしまい、入りきれないという事態が続いたそうです。

 生前の祖母は世間さまから好かれた人だったけど、特別な人徳者ではなかったよ(笑) いまさら故人を美化するつもりは、ぼくにはない。しかし美化するつもりはなくても、山ほどあったはずの祖母とのもめごとは、さしあたりどうでもいいことで、意識の背後に遠のいている。この心の働きに注意しましょう。亡くなった家族や親友、同僚をアラーの神のごとく崇拝する人たちがいるが、そういうのは亡くなった人の供養とは全然別のことである。故人の欠点ばかりを並べ立てて、自分や周囲が気分の悪い思いをわざわざ反芻する必要もない。そういうことじゃないかな(笑)

 このたびの祖母の逝去は、何しろ高齢ゆえ、いずれ遠からずやってくる予定の出来事で、周囲の家族や知人の方々に大きな動揺は見られません。ぼくも、決してノスタルジーでこの稿を書いているわけではない。本人が亡くなってから2週間経って、半世紀あまり可愛がってもらった記憶や、申し分のない葬儀の雰囲気に浸っているのも、正直言ってちょっとずつ飽きてきたよ。ぼくは7月下旬から作曲を続けていて、途中で祖母が亡くなり、葬儀のあと、すぐに作業に戻って、8月22日に曲を書き終えました。そこへ、ここしばらく日本列島は台風に見舞われ、冷たい雨、急に涼しくなり、猛暑のときよりも体はラクですが、少し疲れが出たかなという体調で、次の作業に取り掛かるにしてはエネルギーが足りねえなという感じなので、昨日今日は怠けて過ごしています。

 その「怠け方」を書き付けておくかと思い立ってパソコンに向かったんだけど、どうも、ひとさまにお見せするほど面白い話題はなさそうに思えてきました。遠藤周作氏はぼくが好きな小説家ですが、「下着だって文化なんです」と書き残しておられる。ふと、これを思い出して、Amazon では「紐パン」だって売っているだろうけれど、調べたことがないなと思い、検索してみた。見てみると、確かにこれは文化の名に値すると思わずにはいられないほどヴァラエティに富んだ品揃えで、ちょっと驚きました。中には男性用の紐パンまであり、よく見てみたが、これを着用した男性モデルの写真を一瞥して、おれは要らないよと思った。やだよ、あんなの。やはり女性が可愛く着用すべきものであるという気持が強い。なんか、エッチな下着やアダルトグッズを集める趣味をお持ちの HIROKO さんという方がお書きになったレヴューが充実(?)してまして、紐パンを含むいろんな種類の下着や超ミニスカート、ディルドに至るまで41項目もあるがその中のひとつ。


デルタゾーンがとてもセクシーです

投稿者 HIROKO 2015年1月6日
Amazonで購入

開封した時、こんな小さな布で
私の土手高のデルタゾーンを隠せるのかなと思いました。

穿いてみると、デルタゾーンをギリギリに隠しています。

花柄レースから陰毛が透け
私の土手高のデルタゾーンが
とても、いやらしくセクシーに見えます。
隠すより、見せるTバックです!

また、股下デルタも綺麗に出て
私のショーツのローライズの中では、
セクシー度bPです。



 こーんなことばかり書いておられますが、この HIROKO さんも、引用者のぼくも、決してふざけているのではない。いいじゃありませんか、この程度のエロ趣味は。音楽もいい、文学もいい、絵画も演劇も映画もいいけれど、そういう芸術や芸能になんの興味もない代わり、エッチな下着でカレを悩殺し、鼻血が出たら困るけどね、自分も楽しむという「文化」の享受の仕方だって、あっていいですよ。

 ついでだから書くけどさ、ハタチを過ぎたばかりの“おばはん”に時折お目にかかります。これは、はっきりいってがっかりする。失望極まりない。高校や大学を卒業して社会に出たばかりの女の子が“おばはん”では、ぼくのように人並みに性欲もある男には困ります。奮い立つ元気もなくなってしまう。我々野郎たちに甲斐性がないと攻撃するのは勝手だけど、もっとチャーミングなレディになってください。あんたがたに甲斐性のなさを咎められたら、むしろ光栄の至りです。

 こういう、どうでもいいようなことを考えて、やたら忙しかった今年の8月の疲れを癒している。イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』を読んでる最中なんですが、葬式と作曲が終わったからまた読もうと思ったって、ちょっと休みたいときにイタリアの前衛文学なんて、まるでアタマに入らない。だから Amazon で紐パンを検索した次第。亡くなった祖母は湿っぽいことが大嫌いだったから、このたぐいの話はきっと天国でバカ笑いしていることでしょう。また会おうねー!

 ほかに書くことを思いつかなかったので書いた、という拙稿にお付き合いいただきました。今日の話は、これでおしまい。

[2015年8月30日(日)/続きは後日]

282.
「そりゃまあ、オトナになればやることは増えるけれども」

 サックスの松本健一さんが声をかけてくれて、9月に即興セッションをやってきた。松本さん、マリンバの山田あずささん、ピアノの江村の3人で、ただし3人一緒にやるセッションというのはなくて、「松本×山田」「松本×江村」「江村×山田」の3組のデュオセッションをやった。ぼくにとってはじつに13年ぶりの即興演奏でした。まったく、何の準備もなくて、思いついたことを弾いたんだけど、かなりアタマ使いますね。即興演奏については評価の基準がわからないという理由で、ぼくは即興演奏から遠ざかった。だけどこないだやってみて、面白かったから、ときどき即興をやるのもいいかもなと、ちょっと思った。次回はいつになるかなあ。

 50才になったから、40代は何をしていたか、ときどき振り返ってみています。褒めて言えば、自分の「味噌」のようなところをしっかり考え始めた。というか、そういうところに気づいたというほうが当たっている。自分の「味噌」ってなんですかといぶかる方もおいででしょう。まあ、蟹味噌みたいなもんだと思ってください。蟹味噌、つまり蟹の甲羅の中身はじつに旨いものですが、脚の肉ばかり食べて味噌は捨てる御仁がおいでだそうで、もったいないから、味噌もぜひご賞味くださいよ。ぼくは新潟県出身だから、日本海でとれるベニズワイガニをしばしば食べました。もちろん蟹味噌も全部いただきました。じつにうまいです。手の指で(足の指じゃないよ)すくって食べるから、いろんなところがかなり汚れるから、食卓に古新聞かなんかを広げて、その上に蟹を置いて、ゆっくりご賞味ください。

 ついでだから、新潟県上越市に伝わる「かんずり」という香辛料も紹介しておこうか。上杉謙信が常備していたと伝えられる、唐辛子を味噌に漬けて寝かせた(だったと思います)もので、当然、たいへん辛いです。それから、腐ったゴミのようなにおいがするので、これを嫌う人もいるかと思いますが、食べなれると病み付きになります。蕎麦の薬味として使うと良いです。こういうものも、いまはAmazonで簡単に買えますよ。便利というか、無風流というか。

 ぼくが即興演奏をやめたのは、あれは自分のやっていることがはっきりわかっていないと、そのときのなんとなくのムード・雰囲気に呑まれてしまう危険性があると思ったからです。いまも、このことと完全に折り合いがついたわけではないので、そう頻繁に即興をやろうという気持はない。ただ、楽譜に書く作曲も、ルーツは即興演奏だったわけだから、たまに体験してみるのも一案かと思った。

 ぼくたちの日常では、アバウトにものを考えるということがどうしても必要なんだけど、このアバウトさ加減を保障してくれるような社会の仕組みがどんどん切り落とされている。ちょっとした古本屋さんとかCD屋さん、ホビーショップが街から消える。こういうお店があると、散歩がてら街をぶらつこう(註;「散歩」っていうのは街をぶらつくことです)という気分に誘われたもんです。そういう雰囲気が街から消えた、消えたからといって、そのことによって人間がころころ変わるものでもないよ。代わりの何かを探すことになるんだろうね。そういうものは、目の色を変えて探しまわらなくても、五感に訴えてくるんじゃないかな。

 音楽学校では音楽というものを教わることになっているから、ともかく音楽的ななにごとかができるように学生を仕立てるのが先生方のお役目なのだろう。だけど、ぼくたちの住環境が音楽だらけというのはずいぶん暑苦しいもので、一晩のコンサートを考えても、会場が音楽で充満していると、息が抜きたくならないか。などと思うんですが、国民の大多数はそんなふうには思わないんでしょうね。音楽が過剰なコンサート空間を見ていると、ここは湯気だらけの大衆浴場ではないかと思えてくる。のぼせあがり、換気扇まわしたくなりませんか。

 音楽だって、いちおう(いちおうだよ)論理性の裏づけが必要で、感覚オンリーで音楽をやってもいいんだろうけれど、「それが音楽か、音楽でないか」という判断は、論理性の所産で、論理、すなわち批評を欠いた音楽は往々、危険な場合がある。過日、灰野敬二というひとが東京青山の草月ホールで行った『奇跡』というイヴェントなんかは、私ごときに言わせれば通報ものですよ。このイヴェントの下敷きになったジョン・ケージの『4分33秒』は、灰野さんが誤解か曲解かしているような「無音の」作品ではないことぐらい、もう常識になっている。そういう初歩的な理解もわすれて、100人も集めて『奇跡』を遂行したとは、音楽馬鹿と言うしかない。見てくれとは裏腹に、それはくそまじめな参加者の一致協力の産物でありました。欧米の音楽シーンには、さぞ受けのいい見世物だったでしょうね。え?あー、ぼくは見に行かなかったよ。上に書いたのは、イヴェント終了後、騒いでいる人がいるので、情報を総合して意見を書いたのです。ご了承ください。ものめずらしいことに弱い女子供たちをそそのかして、何が面白い。

 ぼくは縦穴式住居にもぐっている縄文人ではないが、周りの友達を見ていると、人間本来の純朴な感情を大事にしていると思われる人たちがいる。そのあたりの感覚を信じる、という意味で「グローバリゼーション」というのなら、同意もしましょう。が、現実はそうではなく、なんかとんでもない勘違いをしているようにしか見えないのだが、どうですか。

[2015年10月22日(木)/続きは後日]

283.
「耳をくすぐる姉ちゃんの声」

 実は、テレビに出ているある女人の声がイイので、彼女の声について少しく論じてみようと、晩飯後、奮い立ってパソコンに向かったのだが、さて、どう論じたものか、文章の進め方がわからないから、無理に進めないで、少し考えますね。お待ちください。

 で、少し考えて思いついたのは、なんのことはない単なるおやぢギャグで、「“論じる”は“豚汁(とんじる)”」とは違うし、ましてや「疎んじる(うとんじる)」とも「うどん汁(うどんじる)」とも全然異なるというような、これを書いているぼくじしんは内心クスクス笑っているけれども、社会的にみれば愚の骨頂というか、重要な社内会議で突如、こんな発言をしたら、成績が下がって僻地に飛ばされかねないような、まあそんなことはどうだっていいんですが、ともかく、耳をくすぐる姉ちゃんの声の論じ方について、まだ何も思いついておりません。

 ぼくはテレビの歌謡番組なんか見ないんですが、さっき、晩飯のあと、NHKで古賀政男特集が始まって、劈頭、森進一が『影を慕いて』(昭和7年、つまり80年以上前の歌ですね)を歌いだし、思わず聴いてしまった。ぼくは歌謡曲は別に好きじゃないんですが、この森進一の歌唱は、さすが、森進一と言いたくなる歌でした。古賀政男なら、義務教育の音楽の教科書に載せていい歌だって作っているはずだが、今のところ載ってないみたいですね。『柔(やわら)』のようなものはいいとしても、『悲しい酒』なんか、教育によくないから載せられないとかいう配慮があるんだろうか。

 リーマンショック以来、物価の高騰、消費税の引き上げなんかで、衣食住にいちいち高い金を払っている日本の庶民は、いいかげんこの手の日常に麻痺してしまった感があるが、ビール業界はいったい、何をしているのだろう。いや、べつに怒って言うわけじゃないんです、新製品を出したり、出したと思ったら引っ込めたりを繰り返していますが、いったい、何をやっているのだろう。

 自分が作曲をやっているから言うわけではないが、音に対する好き嫌いは強いほうです(だからと言って、好きな音だけ並べて作曲しているわけではないよ)。最近、巷に「聴きたくない音」が増えたような気がして、そういうものを避けていたら、ちょっと耳が狭くなったかもしれない。朝早く起きたときにはNHK・FMで朝7時のニュースを聞くことがあるが、アナウンサーの声に愛嬌がなく、甲高くて、こわばっている。娯楽番組ではないからそれで用は足りるという人もいるでしょうが、ぼくに言わせれば、あれはやや不自然な声だよ。もう少し聞きやすい声にならないかなあ。

 これに対して、同じNHKのテレビの夜のニュースに、最近、声美人が出ておりまして、「おっ」と思った。画面を見ないで音だけ聞きながらめし食ってたんですが、その声は耳に飛び込んできた。桑子真帆さんというアナウンサーで、土曜日の夜7時30分からやってる『ブラタモリ』で、タモリさんと一緒に案内役をやっている女性です。この人の声は、いわゆる美声とはちょっと違う。なんか勘違いしてヒステリックな金切り声や、どすの利いたおばはん口調で脅してくる女人、何が気に食わないのか知らないがそういう女人が多い世相にあって、桑子さんの声は全然感情的でなく、そう、「耳をくすぐる姉ちゃんの声」ですよ(笑)聞くことを強要する声ではなく、聞こえてくるというか、耳に「引っかかってくる」声。微妙にエロティック、という形容が言いすぎなら、「色気」を感じる、と言えばいいかな。『ブラタモリ』のときとは対照的に、真顔で報道している。そのギャップが興味深い、なんて言ったら良くないですか。いわば成長株の女性アナウンサー。こういう人がテレビに映るだけで、庶民の日常は明るくなるもんですよ。彼女だって人間だ、恋もするし、仕事が終われば家に帰ってシャワーを浴びてご飯を食べるでしょう、素顔の桑子さんはどういう人か、などと茶の間で想像をたくましくしている一視聴者が、ここにいますよ。最近の日本は犯罪も多いから、ぼくがこんなことを書いたからといって、桑子アナウンサーに変なストーカーがたからないように、NHKさんはしかるべく配慮してあげてください。ファンとしてお願い申し上げます。

 用事があったので、東武線に乗って大宮繁華街に出て、いま戻ってきました。今朝は眠い。外に出て街を歩いていると、騒音や雑音は廃棄音になって、耳に引っかからずに通り過ぎてゆく。耳は、信号のシグナルや、電車のプラットホームに響くアナウンスのような「何かのしるし」は拾う。これが普通の日常だから、20世紀前半の音楽の世界で「騒音」に注目したヴァレーズとかヘンリー・カウエル、ジョン・ケージのような人たちの発想力は、やっぱり尊敬に値すると思うね。ひょっとしたら、これは当時、音楽の世界で「楽音」が過剰だと、芸術家の直感で気づいたのではないだろうか。ジョン・ケージのプリペアド・ピアノは、その「楽音」の塊であるピアノという道具を内側から壊した。それでも、1台のピアノが出す音は「騒音」ではなくて「楽音」には違いないが、ピアノの内部に日常の一部を投げ込むという独自の工夫は、それまでどの作曲家も気づかなかった。

 「一日の仕事の終わりには / 一杯の黒麦酒(くろビール) / 鍬を立てかけ籠を置き / 男も女も大きなジョッキをかたむける」(茨城のり子『6月』)やっぱりそうでしょう。ロベルト・シューマンは、音楽の勉強に疲れたら詩人の本を読んでせっせと休むこと、とかなんとか言ってるが、そういうことをするから、頭がおかしくなる。詩人の金子光晴は、深刻なことはポルノ鑑賞で誤魔化していたと、随筆集『人よ、寛かなれ(ゆるやかなれ)』の中で白状しているから、これも、多くの(すべてではない)野郎たちのあいだでは、また真実なんです。ポルノでなくても、NHKの桑子アナウンサーの声の色気で、その日の疲れが取れそうだよー。

 なお、この「姉ちゃん」という言葉ですが、きたない言葉だねと評する向きがあることはわかっています。飛行機の中で日本人のフライト・アテンダントさんに「ね〜ちゃん」なんて声をかけたら一発で嫌われるぞ。と警告する漫画家もいます。ぼくはそういうことは承知しておりますので、世の美人さん、美声のお姉さん達は怒らないでね。

[2015年11月17日(火)/続きは後日]

284.
 「自分は正しいというウソ」

 ある「正しい道」を歩き始めたと思ったら、その道を進むのは止して、他をあたったほうがいいみたいですよ。「正しい人間」というのは、どこかズレているのじゃなかろうか。

 年末の自分のコンサートのためにピアノの練習をしていて、ある理由から、技術的に、楽譜どおりにきっちり弾く意識の使い方を放擲してしまった。そして、本番では自分が弾きたいように弾いてみることにした。その「ある理由」のほうが、ぼくには大事だった。

 日常から「おかしいもの」を全部追放したら、ぼくたち地球の住民のアタマのほうがおかしくなりますよ。もちろん「正常」と「異常」の区別はある。これは音楽で言えば楽器のチューニングで、聴いていて変な感じがする音程の感覚が基礎部分にあると、どうも落ち着かなかったり、不安な感じを覚えたりする。自然な感じがするか、不自然な感じがするか、ということだろうな。

 しかし、ぼくたちの日常は、さまざまな単位のバランスとアンバランスとのあいだを絶えず行き来しているもので、バランスだけ、というのはおかしいですよ。自転車に乗る練習をしなくても転ばずに始めから自転車に乗れるということになる。

 ぼくがここに書いているのは一応の論理性で、ヒトは変なことも想像・連想する、想像や連想ができる以上、それだって論理にかなっている。論理というのはいつも正しいわけではない。論理というのは、いつもつじつまが合っているわけじゃないですよ。「倫理的に」正しいとか、おかしいとかいうのは、「論理」の正誤とは別のものです。

 そうかといって感覚だけで生きているわけでもないでしょう。感覚だけでは絵や音楽は創れない。空気に絵を描こうと思ったってムリであって、だから絵を描くためにカンヴァスを用意して、何を描くか、どう描くか、考えるじゃないですか。この場合は逆のことも言えるみたいですね。何を、いかにして描くかが決まっていても、カンヴァスがなければ絵の創りようがない。で、普通カンヴァスは四角い形をしている平面ですけれども、画家がそこに描こうと思っている対象は、別に四角いとは限らないし、平面とも限らんでしょう。ぼくは当たり前のことを書いているようですが、創作の対象、フォルムやイメージがどういう「形」をしているかとなると、問題はややこしくなってくる。同じことは音楽の場合にも言えるので、ある音楽の「形」とは、そもそもどういうものだろうか、ということになりますね。目に見える形がないから、その実体は何かという問題は、絵画の場合よりも厄介な問題になってきます。

 楽譜、文明国では五線記譜の場合が多いですが、これは垂直に交わるタテ軸とヨコ軸で規定された「四角い」グラフで、複数の音イヴェントの、それぞれの性質を書き込んだものです。この記譜を演奏家が音に起こして、それを聴く聴き手を得て、演奏家が演奏する音と、聴き手の五感のあいだに生じる「関係」が、普段ぼくたちが「音楽」と呼んでいるものの実体です。記述方法が四角いから、その音楽は四角いものだと思いがちだ。だけど音楽は、べつに四角くなくていいんだよ。

 どうも五線記譜された音楽の生演奏のミスというのは、演奏家の側の問題だけだと思われがちで、例えばピアニストの練習不足とか、技術不足とか言われることが多い。けれども、五線記譜じたいが包含している理論的な矛盾に由来する場合があるんじゃなかろうか。とくにピアノの場合は、ロマン派のピアノ曲を弾くアルフレッド・コルトーの、アルトゥール・シュナーベルの、エドウィン・フィッシャーのミスタッチは、単に技術不足なのではなくて、例えばシュナーベルが言うように音楽を「生きたもの」として捉えていれば、それは自律的に動くわけだから、自宅で練習しておいても、生演奏で予測不能なミスが出ることだってあったんじゃないでしょうかね。

 その「四角い」形式、ユークリッド幾何学に規定された作曲技法の産物としての音楽は、同じく「四角い」平面の中に描写される絵画や写真と相似しているという気がする。この形式と内容の関係を全然疑わなければ、音楽も美術も動きを失って、ある固定した価値を持つ「モノ」になる、と、思っている人が多いらしい。この考え方は合理的で結構ですが、残念なことに、ここで話が終わってしまうのだ。合理的で結構じゃありませんかという御仁がおいででしたら、もう論じる必要なんかありませんから、この拙稿を読むのは、ここでやめて、冬景色でも眺めましょうか。

 歴史が教えるところに従えば、続きがありました。音楽の場合、ヨーロッパではクセナキスが、アメリカではケージが、同じ時期にこの形式に関する固定観念を打破した。前衛芸術というのはそういうものじゃなかったんですかね。完結したと見える形式や作曲技術は、表現内容の内部緊張が大きくなって壊れた。その姿が前衛芸術だったんじゃないかという気がします。

 だとすれば、そんなふうに変化を遂げた音楽の形式や技法を、新たな別のシステムで統一しようとするのは、筋が通らない。「壊れた」から「修復する」というふうに進まないのではないか。あくまでも創作の技術について言ってるんです。音楽上のコミュニケーションが壊れて、音楽が機能しなくなったという話なら、その「回復」を試みるのが妥当な筋でしょう。しかし実際は、調性システムの働きでは表現できない意味内容が現れたから、その表現にふさわしい形式や技法を必要としたという話で、音楽のコミュニケーションそのものが壊れたというのとは違うんじゃないですかね。

 財産を守るように音楽を守るという態度が支配的になれば、失うことが怖くなる。毎日食べていけるようにお金や食物を必要程度蓄えておくのと違うところは、なくてもいいものかどうか、という点だけで、どんなモノゴトでも考え方はおおむね同じなんじゃないかな。音楽や絵画を「蓄える」というのは心の閉塞状況であって、他を排斥する。蓄えたから安定していると思っているんだったら、それは芸術の場合でも何の場合でも、違うんじゃないですか。それは「正しい」とは、言わないんじゃないですか。

 この論議に結論はなさそうですから、ムリに結語を書きつけるのは諦めて、ここまでアップロードしましょう。

[2015年12月27日(日)/続きは後日]

285.



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