江村夏樹
先日、深夜の帰宅でタクシーを拾った。このタクシーの運転手さんがクラシック音楽と印象派美術の大ファンで、ショパンのポロネーズとルノワールの浴女が大好きな話で盛り上がったのはいいが、深夜、80キロで飛ばして(まあ、周りの車も深夜はこのぐらいスピード、出てますけどね)、危うく拙宅を通り過ぎるところだった。お話はおもしろかったがこういうの、「職務に忠実」って言うんですかね。奥さんと一緒に音楽会を聴きに行く予定があるって、喜んでいたけど新種ののろけではないだろうか。この運転手さん、どこかで見かけたことがある、痩せ型、上品でハンサムな初老の紳士だったが、おそらくクラシック音楽と印象派美術のほかに、本職の運転も大好きなのではないか。なんか、ああこわー。
誰かが言っていたことだが、酒が、弱いけど好き、というパターンは最悪なのだそうな。強いけどきらい、というのもあって、こっちのほうがまだいい。ビール1杯でも酔っちゃう、なんてその最悪だということになる。過日、風呂上りに、アルコール度数1パーセント未満のリキュール類をコップに半分ばかり飲んだ。これだったら酔わないだろうと思ったはずが、見事にはずれ。気持ちホワーッとしてそのまま寝ました。酒は、酔わなくちゃあね、という原則を教わったのは15年ぐらい前のこと。ぼくはその後、酒飲みの資格をクリアして成長しているだろうか。酔いつぶれたりからんだりはないみたいです。酒は、酔わなくちゃあね、という原則を教わる以前のことは、まあ…自分から言わなくても目撃者もおりますから、いま言うことはないけれど、こんにちまで基本のところでは元気にやってこれたこと、ひたすら感謝です。
2年前の夏、カナダの知人のアパートに郵便を送った。EMS、国際スピード郵便で、5日ぐらいで届く予定だった。投函から30日後、ぼくが出した郵便は、ここにお見せするような姿で戻ってきた。どうぞ、ご覧くださいませ。 ←ここをクリック。これが最初じゃないぞ、2001年にニュージーランドのオークランドに送った郵便だって、こんな感じで戻ってきたんじゃないか。あいた口がふさがらず、そこらの美術工芸インスタレーションなんかよりよっぽど美を感じさせさえするこの廃物封筒(ためしに、画像を保存し、印刷してご覧ください。そこに「美」をみるのはぼくだけではないはずです。一種の共同制作というか、まあ偶然できたにしては、面白すぎると思います。「やけに気合が入っている」という批評さえあった)に愛着すら感じるので、こちらにもご紹介…って何を、書いているのでしょう。
この太鼓堂サイトは2002年11月に最初のアップロードを行なったから、約2年半の経過があって、現在の形になっている。ひとつのウェブサイトの歴史としてはまだ日が浅いです。んでー、最近、このサイトにときどきジャヴァスクリプトを使うようになって、参考書とか買ってきたりして、自分なりに勉強しているうちに、このサイト上でコンピュータ音楽の公開はできないだろうか、とか考えはじめ、ジャヴァスクリプトだけではなく、いろんなプログラムを調べて、ここしばらくはジャヴァアプレットのきれいなデザインなんかばっかり見て楽しんで、ろくに文章を書いていなかったが、今日はそんなようなことについて何かが書けるかと思った。
ぼくは簡単な数式でもケアレスミスが多かったりするので、コンピュータの複雑なプログラミングはちょっとムリかもしれない。理屈で言ったら、ウェブ上でコンピュータ音楽の発信というアイデアは実現可能だけれど、いまのところそういう例を見かけないのは、コンピュータの普及率や接続環境の優劣の差のせいだけでもないように見える。コンピュータは圧倒的に視覚優位のメディアだが、それを聴覚優位に逆転させることはできるはずじゃないですか。でもこれは、なにか不自然なことなんだと思うな。コンピュータで音楽を創りたいなんて思っている人は、あんがい少ないのかもしれない。では、音楽の未来にとってコンピュータは何の役にも立たない道具かというと、そこまでは言い切れない。どこかに、外界とコンピュータをつなぐ小道があるはずで、それを探すのは面白いのでしょうが、100パーセント、コンピュータのプログラム言語に依存していたらこの小道は見つからない、というか、人間はそこまでプログラム言語に執着がない、ような感じがしますが、どうなんでしょうか。MIDIによる制御でコンピュータなり、キーボードなりを自動演奏するのは音楽業界の常識になったが、それで商売をやるのでない限り、MIDIにこだわる理由はない。手作業でも、MIDIの自動演奏のような結果は作れるから、むしろ手作業のほうが面白いことがいろいろある。MIDIのシーケンス機能を使ったからコンピュータ音楽だ、なんて等式も存在しない。コンピュータ音楽というものが成り立つとして、それは、プログラムがそのまま音楽であるようななにかなのでしょうが、そんな「なにか」があるのかという話は、話としてはおもしろいだろう。自然と人工という二項対立の壁が溶解していくような成り行きの中でコンピュータ音楽がある日、台頭してくるという想像には興味を抑えられないものがあって、ちょうど試験管ベビーのような、あるいは安楽死問題のような、判断に苦しむ話題を提供することになるかもしれない。話が音楽だからといって、人間の生命と切り離して遊んでいるわけにもいかなくなる。だからいまのところは、自然と人工という二項対立の壁の性質についていやというほど考えてみるのも有効ではないか。試験管ベビーや安楽死問題と違うのは、いまのところの保留が、音楽の場合には許されるし、その保留じたいがおもしろいこともあるということだろう。そして、是か非か、という結論を下さなければならないような差し迫った必要は、他に較べて、音楽には少ない。だから音楽も続けていられるんだということになったら、自分がなにを楽しんでいるのかぐらいはわかって、音楽をやったほうがいいに決まっている。というわけで、やみくもになんでもやればいいものではないし、そんなにすぐ、なんでもできるものでもないが、ひととおりの体験はしてみるものだという、あたりまえの結論が出ました。ちょっと休憩しましょう。もちろん話がここで終わるはずはないのだが、コンピュータ音楽について、話がどっち方向へ延長していくのか見定めるには、ここらでコーヒーブレイクぐらい必要なんじゃないの。少しずつ話を進めていくことにしましょう。
どのくらい経っただろう。今日子さんとぼく、それに、この街に残っていた人たちは、同級生や、近所の知っている人がいつか、旅に出たその場所で、あの飛行機の着陸を待っていた。不時着が心配された。今日子さんは飛行機を探しに行った。子供たちははしゃいでいた。ぼくはひとりで、「パストラル」という本屋の前に立っていた。飛行機が飛び立った場所だ。
どのくらい待っただろう、曇り空の向こうから、ぼくをめがけて、飛行機は降りてきた。戻ってきたんだ。機体は、「パストラル」という本屋の前の道路に着陸し、数秒後、爆発した。客席が吹っ飛んで、そこだけ空洞な、奇妙な機体が残った。
近所の子供たちが頼りなさそうに駆けつけてきた。今日子さんも戻ってきた。緑色の服を着た、すこし太った小学生の男の子が落ち着きなく動き回っているのを見て、今日子さんは、みんながふらふら動くから乗客がどこにいるかわからないじゃないの、と怒った。
飛行機に乗っていた、ぼくの同級生や、近所の知っている人たちは、みんなどこへいったのだろう。でも、死んだわけがない。ここに戻ってくるか、わからないけれど、みんなどこかで、きっと、 楽しく過ごしている。
木下順二原作、團伊玖磨作曲のオペラ『夕鶴』を初めて観たときにはかなり感動したし、オペラがきらい、というわけではない。およそ舞台ならたいていのものは見てみたい。『夕鶴』を観たのは小学校時代で、作曲者の指揮、中沢桂、栗林義信ほか、当時、日本の声楽界でいちばん実力があるといわれている人たちが出演していた。専門的な見地から、日本のオペラに異論のある人がいることは知っている。日本のオペラが全部面白いわけでもないことも承知している。知っていてあえて言うけれど、あの『夕鶴』という作品はやっぱり成功作だと思う。台本作者と作曲家の相性がたいへんよく作用しあっている。木下順二という戯曲作家の語感が非常にすぐれていることは、朗読劇『審判』を観たときにもはっきりわかった。あれだけ「よく伝わる」日本語を舞台芸術・芸能の分野できくことは少ない。もちろん実際には、ここで言う語感とは別の価値基準から、ほかの舞台の良し悪しについて語られることのほうがはるかに多い。そうでなければ、アングラ演劇や落語や漫才はみなだめだということになってしまう。木下順二の語感が正しいというときには木下順二の言語創作を評価するわけだから、彼がすぐれた語感の持ち主だからと言って、それを基準にしてほかを見るような態度は、控えめに考えてもばかげている。それに、『夕鶴』が日本のオペラとしては特別に成功したことを考え合わせると、これはむしろ例外なのかもしれない。話がそれますが戯曲作家と言えば、ぼくのきらいな三島由紀夫にも賛否両論、いろいろあるけれど、ミシマの文章を音読してみると、日本語の韻律というのかリズムというのか、声が語る意味がすぐに腑に落ちる文脈になっている。黙読しているぶんにはなんか変な文章だと思われる場合が、三島由紀夫の作物には多々あるが、音読してみるとたいてい何のことかがわかる。それがこの作家の悲劇だったんだ、という話は、また別の問題である。ともかく、舞台芸術や演芸で日本語の語感というものが生きて伝わってくる、その体験が面白いことは確かだ。
ヨーロッパのオペラの歴史でぼくの肌にいちばん合うと思ったのはイタリアのヴェリズモオペラだった(最近まるでご無沙汰である)。プッチーニの『外套』とか、いくつか、今でも好きなものがある。三角関係とか殺人とかヒステリーとか飲んだくれとか、総じて物騒なことで感動できる種類のイタリア・ヴェリズモオペラがある。これは、大衆新聞のゴシップを読んでおもしろがる心理と同じで、どこかで起こったひとさまの悲劇を筆録や再現で伝えていることだから感動できる。こういうからくりのおもしろさがあれば、オペラに限らず、芝居でも話芸でも小説でもテレビドラマでも、映画でも、特にメディアを選ばない。もちろん、そのメディアを担う人の労苦がたいへんなことはぼくが言うまでもない。
いちばん最初に出会った西洋のオペラは、ラヴェルの『子供と魔法』だった。1時間の長さがちょうどいいし、超現実的な童話なので好感を持って、繰り返し聴いた。以後、主だったオペラ鑑賞はほとんど20世紀の作品である。バルトーク『青髭公の城』、ベルク『ヴォツェック』、ストラヴィンスキー『放蕩者の成り行き』、プーランクのモノオペラ『声』、ショスタコーヴィッチ『鼻』、ガーシュウィン『ポギーとベス』、ブリテン『カーリュー・リヴァー』、グラス『浜辺のアインシュタイン』エトセトラ。ワイルの『三文オペラ』のような重要作がいくつか抜けているが、ワイルの場合、ぼくはブレヒトという劇作家があまり好きではないので敬遠していた。ついでに言うと、欧米の現代文学にはいくつかの系譜があるが、結局ぼくが本格的に選んだのは(ちょっと若年ですが)実存主義作家でサルトルの後輩、1960年に自動車事故で夭逝したアルベール・カミュだった。プルースト、ジョイス、カフカ、ミラー、パステルナーク、ヴァージニア・ウルフのなかではカフカをいちばん好んだんですが、そのカフカについていろいろとおもしろい参考意見を述べた職業作家の中にカミュの名が入っている。
自分がドイツ語圏の生まれだったりしたら、モーツァルトやワグナーのオペラをもっと楽しめたのかもしれない。残念ながら、両方ともぼくの好みではない。モーツァルトのオペラのおしゃべりについていけないし、人工的な匂いがしてどうも楽しめない。ワグナーの楽劇にはしらけてしまう。好みと、自分の音楽の方向が一致しているのはバロックオペラで、モンテヴェルディ『オルフェオ』とパーセル『ディドーとイネアス』は最近もよく付き合っています。古典派以降、ヨーロッパのオペラはどこか方向が違ってしまっているように感じますが、いかがでしょうか。
以上、ごくざっと、とりとめなく書きました。もっと粘っこく突っ込んで舞台芸術・芸能について書ければいいんですが、書きたい内容が多すぎて長くなる心配があるし、まだガンチクの足らないところもあるので、追い追い、書き足すことにしましょう。「声」は、ぼくの作曲の主要主題のひとつで、今月公開する『夢』にも2人の役者が出てくるほか、「声の出演」もあります。
だが、しかし、やはり、創意工夫は大事で、誰かが新しいアイデアを、思いついて、新しいものを作り、みんなにウケて、それは、ひとに真似ができないものかもしれないし、一過的な刺激しか与えないかもしれないし、逆に、誰にでもできるが、今まで、誰も思いつかなかったから、今後は永続的に応用がきくような頓知の産物かもしれないし、すでに誰かが考案したアイデアだったが、その、もとのアイデアがまるで知られていなかったり、なんて具合に、いずれにせよ、そのどれかの場合だということになれば、今後はみんながこのやり方を歓迎して(取り入れるということはまた別だ)、新しいものが一般に、すこしずつでも、浸透していくんでしょうね。どの場合にしたって、創意工夫があったから、独自のものが出来たという経緯があり、単なる思いつきだっていいんですが、思いつきだけでものが成り立たなかったり、やっぱり使い捨てにされたり、飽きたり、一部の個人が買い占めたり、奪い合いになったり、大切に持ち運んでいる途上玄関で落として割ったり、家宝にしたいから金閣寺を建てたり、なぜか知りませんがアタマがぼけたり、にやけたり、ほそくほほえんだり、ズボンのジッパーをわざと半分下げるだらしないファッションや、パンツが見えても当人はわからなくてもいい助平な道徳や、がー、ぱっと浮上したり、楽しいからブランコに乗ってみたり、出口しかなかったり…、ばかにもわかるように、この創意工夫を、平たく啓蒙するひともいるが、先人の労苦をわかりやすく説明したかわりに、その先人の労苦じたいが、そもそも誰でもやれなくもなかったことまでばらして、それで、ばらした爽快感をふんだくって、まったく趣味が悪いが、世の中に、そんな、起源をたどれないような、不思議なからくりが、しょっちゅう現れるものでもないと誰でも思っているとすれば、しかじかのからくりを作った当事者が、そのからくりにたどりつくまで、さんざんな目にあっていることは、何も誇張する必要はないが、一般に、さんざんな目にはあわないに越したことはないとみんな思っているが、さんざんな目にあったひとのほうが、さんざんな労苦に共感することが多いような気もするし、さんざんな目にあってでも創案したという、そのからくりは、その後、一般化したり普遍化したり、反対に、飽きられたり伏在していったりというように、ひとりの創案じたいは地味な場所で目立たなくなる可能性があるとしても、儀式なんかやるより、大股を広げて威張らないほうが、いいのでしょうね。大股を広げるとみっともない。
ひとりで考えていてもわからないことは普通に転がっているし、複数の違う意見が交わることでことの成り行きがおもしろくなっていくこともあるが、べつに、必ずおもしろくなるなんて、誰も保障していない。一方で、複数集まってもいっこうに展開しないことが、ひとりずつで考えるとそれなりの立体感が出てくるような集団の問題というものがあるのだが、みんなこれをあまりやりたがらないのは、めんどくさいからだけではないでしょう。ワンパターンに陥るのを避けるためには、はじめから集団で意見交換のほうが有効だという前提を信じているから、複数で考える型ができているのだろう。複数で考える型ができているのだろう。複数が最初にあって、その中にいるところから発想の展開が始まると、ひとりの人間がどうしても捨てられない、その人の生まれつきのなかで自然に、または、考えたあげく思いつくはずのことが、どこかへ行ってしまう。それは、集団に適応するには、人前で矢庭にパンツを脱がないとか、必要以上にがに股で歩かないとか、非常時でもないのに叫ばないとか、携帯電話をマナーモードに切り替えるとか、四畳半が寒いからといって薪を燃やさないとか、テレビのサスペンスドラマやちゃんばらものが好きだからといって一緒になって拳銃や真剣を振り回さないとか、一般に男女の混浴は皆がためらうとか、ひとの飯までぶんどって祈らないとか、モノレールに逆さに乗らないとか、いろいろ、押さえ込んでいるから、複数から離れてひとりになったとき、行動の規範がわからないんですか。そんなことは、ありえないはずだが、実際のところ、逆になっていて、ひとりだとどうしていいかわからないから、複数の中にいる、そして複数の中でできた文化の中では、人前で矢庭にパンツを脱いでもいいし、四畳半で薪を焚いても楽しいし、モノレールに逆さに乗るのも個性的でウケちゃったり、こういう文化圏が世界中にある、貧しくても自由だっていうのなら、だが、しかし、やっぱり、どう努力してもこの文章の主題にたどり着かない。日本の女性が内股で歩くという昔の習慣、あんな不自然な歩き方が日常の生理的な生活習慣の中にあるわけがない、あれは、歌舞伎なんかが作ったひとつの流行だった、歴史のある時点で、女性のあいだで流行になったものがあとまで残った、というところまで話を持っていきたかったのが本意で、創意工夫やら集団やら文化圏やらは前置きのはずでした。残念です。
(この章に掲載した写真の転載は、念のため、ご遠慮ください。)
文法を習うには、ことばの初歩を知っていなければならない。ことばが使えないのに文法だけ知っているというのは、考えただけでも奇怪な事態ではないか。ぼくたちは、ことばがわかり、ものが考えられる授かり物を持って、この世に生を享ける。このことを、胎児の学校は母体である、なんて言ったら、比喩だとしても不自然に過ぎるし、現実には、母体イコール育ての親でない場合があり、この話題はあまり軽率には扱えない。一般の場合を考えると、生まれてきたあとなら、乳幼児と母親とのコミュニケーションは重大で、それは、母親が乳幼児をモノではなく、ひとだと思うからだろう。
では…乳幼児のことばの世界にはさまざまな要素が入り込んでいる、だから文法について考えることは必要だ、と考えるとき、その文法にかなっていない日常の事物、つまり、書き言葉や話し言葉で説明のつかないことがらは、理由を問わず取り扱うほかにないもので、ただ受け取る以外、付き合う手だてのないものなのか。
わからないことに対して多数の考え方があるとき、みんなで集まって話し合って大きくひとつの考え方を導くというやりかたは、実験恋愛に似ている。音楽の創作にこの方法を取り入れる態度は、どうしたらエキサイティングな性行為ができるか、とっかえひっかえあれこれ試してみるようなものだ。文法が言語や音楽を規定しているというのは錯覚のようである。何かが抜け落ちているのは、それがゲームだから当たり前、という考え方には、それなりのいいぶんがあるらしい。ひとつの考えにみんなが従うということは、そこにいる人の数だけ、「ひとつの考え」が量産できるという前提に基づく、というのがそれで、「ひとつの考え」が量産できるのなら、平和な社会でいいじゃないか。……。
実験は大勢が被験者にならないと結果がわからない、というのは話が転倒している。実際はそうではなくて、ひとりでいるときからわからないことは、大勢集まってもわからないのだ。だからひとが集まるとおもしろいという、これは優柔不断にみえて、そのじつ、少なくとも実験恋愛よりは論理的だし、それに、こっちのほうは空き部屋が多くて、美男美女が多い(らしいですよ)。当然、むつまじく交わる場合の数にともない、色気もすごいことになれば、すごいことになる可能性がある。
『夢』江村夏樹作品コンサートが終わりました。写真は、終演後の会場です。
べつに用事がないのに大勢で集まって、話題も決めないで雑談を半日もやるようなことは、多忙な現代人には無益なことか、有益でもせいぜい暇つぶしにすぎないか、とにかく仲間うちで飲み会やお茶や企てごとを計画する、という場合でない限り、複数が集まって単なる雑談会というのはないようだ。それでは、多忙な現代人を、すこし多忙でなくしたら、時間の枠がゆるんでみんな雑談に興じる時間も増えるかな。仕事ひとつとっても、雑談の余地もないくらい流れ作業に追われていたら、じつは死んじゃうのではないだろうか。
今年、初めて隅田川の花火を見に行った。200万の人出とか報道していますね。これは、日本一の大花火といわれる新潟県長岡市の長岡花火大会(毎年8月2日、3日)の見物人の10倍量ぐらいなのだが、実際に現場に出向いてみると、群衆にはある心得があって、街が広いからだけではない、見物客が予想よりずっと落ち着いて、場所柄が居心地がいい。こういうとき、たまに考えるのは、この花火会場から花火を無くしちゃったら見物客だけが残る、ということだ。何もないのに200万人もひとつところに集まってきてどうするんだろう。それと、その200万人は、花火見物としても、ひたすら花火だけ見に集まってくるということよりも、焼そばやビールもあるから楽しいのだ。このさい花火は添え物に過ぎないかもしれないが、焼そばやビールの出店だけで200万人も集まることはない。それは、たとえ添え物でも花火をやっていてくれると、こんな人ごみにもそれなり、美しさや秩序のようなものが立ち現れて、そこに参加していることが不愉快でなくなるため、焼そばやビールが売れて、楽しいばかりでなく、美味しいから、そこへ花火が打ちあがれば、じつは、花火があるのはムーディーで都合がいいから彼女をデートに連れ出すなどした結果、200万人で集っているのも自然なことになる。こういう話は春の桜見物も、根本のところが同じで、要は場の性質が花火や桜だけに規定されないで、余計なものが横から入ってきて花火や桜をさえぎるから趣があっていいというたぐいで、そもそも花火も桜も、焼そばもビールも、なくても済むことか、いっそビジネスのためにはどうだっていいことで、地元有志がやってくれるから繰り出していく身勝手が重大とでも言えばいくらか当たっているような、200万人かそこらの実際のマナーであって、仕事に忙殺されている日常から解放されて花火会場にいる、桜見物に行く、というようなつながりには必ずしもなっていないところが肝心といえば肝心かも知れないような、だいぶ間の抜けた空気が、こういう群集の醍醐味だということになっていないと、花火も桜もないようなものなのでしょう。群集心理が働かない群集も、一部に存在する。その好例が隅田川の花火だった。
見どころ、聴きどころ、オススメ、一押し、ご利用など、商業が売り出す目玉があるが、花火や桜はこれとはかけ離れている。では、どこを見たらいいのかというとき、焼そばやビールがあったり、おまわりがいたりすると、全体としては何かを体験した気分になるし、なにか体験しているに違いはないが、実際に何を見たかがあまりにはっきりしすぎると、このたぐいの見物は興ざめてしまうようだ。もちろん、いろんな地方の花火はその街の商業が繁栄するように、花火大会に協賛していて、花火師はこれがあるから制作ができ、見物人もこれがあるから花火が見られる、というように自治共同体のまとまりで花火も成り立っている。ですが見物客のほうはそういうことを気にしないで、あの花火にはいくらお金がかかっているか、なんてことは素通りして、ある種、まとまらない環境の中にいる。複数の人が、少しずつ違うことを考えながら群れているのに、多忙な現代社会だからといって花火会場や花見会場の中で孤立していないのは、言ってしまえば、そこに焦点が複数あって、かつ、それぞれがさほど全体を意識していないからである。しばらくこの、複数の焦点について、まとまらなくてもいいから雑談を施すことは案外おもしろそうだから、今日はマクラを振っておいて、うまくことが運んだ場合、近々、数人がこのページで雑談することになる予定です。雑談の予定だから、ことはぜんぜん団結しないで、行きがかり上の発言やら欠席やらもありえますが、ひとまずご期待ください。夏休み雑談特集かなんかするか(ぜんぜん覇気の感じられない文体だからこそ、こういう場合にはいいんです)。
なお、江村夏樹のコメントがまだありませんが、健康管理の理由からで、ちょっと格好がつかないな。まもなく追加アップデートします。お待ちください。うえのお二人のほかに、今後、原稿をいただいたら、それも随時アップデートということで、どうぞよろしく。
非常に目立たないことだが、人間の喜怒哀楽が全部詰まっているような気持ちの瞬間で、自分でも気付かないうちにそこを通過していることもある。忘れてはいけない。
『夢』について雑談してくださいと数人に依頼してみて、今後も寄稿の予定はあるが、締め切りを決めていないのでいつ誰が書いてくれるかわからない。公の場所には書かないという人もいた。そういうわけで、 今日はぼくのコメントです。
まだ残暑と言うには早く、暑さの厳しい折柄、くれぐれもご自愛ください。
今日はこれでおしまい。
昨日の夜、『夢』演奏会場の観客だった青柳聡さんから雑談が届きました。途中からの入場だったそうなので、記録DVDを渡して舞台のはじめのほうを補ってもらいました。
ひとつお断りします。演奏会場に脚を運べないという理由から、今回のコンサートの記録映像をご希望の方がいらっしゃって、非商用DVDのかたちですが、有料でお譲りしました。いっぽう、青柳さんは当日、観客席に座っていて、江村夏樹と以前から個人的に接触があり、今回、雑談をやってもらうためにDVDを素材としてお渡ししたという経緯です。
このDVDは一般のCD屋さんや書店などには置きませんが、もしご希望の方がいらっしゃればこちらからお申し出ください。送料、制作実費込みで7000円の公開資料として、代引き(着払い)郵便にてお送りいたします。資料としては音質、画質ともに大丈夫な性質のDVDです。
もろもろ、ご理解ください。
んじゃまたね。
夏風邪にご用心ください。私事で恐縮ですが今日あたりやっと復調したところで、医者が処方してくれた漢方薬で治ったんですが、しばらくおとなしくしていたほうがよさそうかな。今年の夏風邪はどうも怖ろしいようなので、健康な方も大事をとってください。しかし漢方薬ってばかになりませんね。気がついたころには前よりラクになっている、の繰り返しで、あるとき、エンジンがかかって何かしたくなり、病み上がりで何かやってみたってろくに形にならないんだが、それでも、ありゃ不思議ですね、ひとりでに体が動き出す自立感覚。外に出たくなり、かるく散歩すれば近隣の草花が可愛く見え、「こんにちはー」かなんか挨拶して、タバコ屋のカウンターには犬がいて、「こんにちはー」かなんか挨拶して、素直に眠くなるし、いいことづくめです。いいことづくめですが、遺憾ながら復調途上のため、今週はこのエッセイ、短めに切り上げなければなりません。ちょっと文案をひねるところまでアタマが働ききらないので、物足りないでしょうけれどご勘弁ください。季節の病にはなにとぞご注意ください。
なんかね、目下、作曲家・ピアニストとしてぼくがやろうとしていることは、音楽を売る世界の中では使い物にならない、みてくれがおかしいシロモノだといわれれば恐れ入るよりほかはない。ぼくは自分の音楽の出発点を失いたくない。それを実行しているだけ、と言えばそれまでだが、現在、専門家も愛好家もみなさんで検討したほうがいいと思うのは、個人個人の音楽の源泉はそれぞれに違う、その違いについて、なのではないだろうか。べつに話はむつかしくない、好みについて話ができることが大事なのだ。音楽のひとつの大きな流れを作るにしても、話は、この個人差の問題のあと、なんじゃないか。結局、だれでも、それぞれに、音楽への好みを徐々に深めているはずだ。その途上、ちょっとまずいことがあったら、それももんだいにする、ということがなければ、世の中単位でも個人単位でも、音楽は熟さない。
その時代の流行になった音楽、主流と考えられていた音楽、異端と思われていた音楽があった。時がたって古くなったから、もう聴くのも野暮だ、次は何が出てくるか、なんて了見で風見鶏を気取る耳とアタマ、ライフスタイルは、さぞ退屈なことでしょう。次に台頭してくるかもしれない音楽だって、前の時代のスタイルの何らかのつくりかえなのだ。そういうところばかり見て、またおなじことをやっている、などとぼやいていれば、結局、英雄崇拝のように名曲崇拝したまま固まってるのと同じだ。なんかおもしろいことないの、という疲れたマニア目線で営業している音楽家がいれば、同じように疲れた音楽ファンが共振すること請け合いだ。専門家の耳が専門化したあげく、退化してしまうという妙なことが現実に起こっている。ぼくが個人の好みを問題にしたいのはなぜかというと、この手の退化した専門家の耳が求めているのは、実際には、それほど洗練されていないマニアックな趣味、という場合が往々にしてあるからだ。それでいて、外向けには、突然変異やビッグバンを言う。過去の作曲や演奏のスタイルが古くなったからと言って、消えてなくなるわけではない。ないことにするわけにもいかない。ありえないよ。
むかしなじんだ音楽を忘れてしまって、いま新しい音に取り囲まれて楽しいと思うのはボケと退行でしかない。その、むかしなじんだ音楽に戻れなくなったから、あたりかまわず拾ってきた音を散らかして代償満足していることに気がつかない場合も、ときとしてあることは、筆者も経験済みでおま。基本的人権を尊重して、そういう音の遊びを「オツな遊び」とか言って難をしのぐこともありますが、しまりなく、だらしないのが楽しいようなそういうのに限って、自分と違う意見は耳に入らないのが相場になっている。切り捨て御免がいまも通用する武家社会。この武家社会が、じつは善意と本気で信じ込んでいる「精霊信仰の保護機能」の本態で、音楽の伝統もここに根ざしているとみんな当たり前のように了解しているが、この事実は知られていないので、報告しておきます。
テクノロジーの進化も一役買っている。ぼくは録音に非常に興味があって新しいもの好きですが、現場でカセットテープレコーダーをバカにする録音技師がいるのはどういうわけだろう。録音物一般の性質をつかまえていない。市販のCDというものは一連のプロジェクトの成果で、もとになっている演奏記録とはまったく別のものだ。その、もとの演奏記録が実際の演奏現場の真相を伝えている場合が、テクノロジーの進化とともにどんどん減っている。鈍器で殴り殺す場合もある。新しい音楽のありかたとその楽しみを言うなら、このへんの微細な変化に愚鈍な神経がいいわけがない。専門家の耳だけがヴァイタリティを失っていくという妙な現象が現実に起きている。じつはその専門家当人が、テクノロジーの進化に逆らって古きよき時代への憧憬を趣味にしている場合がある。これじゃ、生演奏だって新しい音楽だって歪んでいきますよ。おかしくならないほうがどうかしている。
前作『夢』は、あちこちのテキストを引用しながら、まとまったストーリー展開が行なわれないまま1時間近くを費やす、音とことばのイヴェントの集合体だった(“散乱体”という言葉があれば、使ってもいい。とにかく、楽譜上で組織しなかった)。順序からいえば、音楽の創作にことばが必要になったとき、まず、ことばの整合性を確立して、しかるべく物語を作り、それから、あるいはその中で、物語の破調、脱線など、「おはなしにならないこと」を考えるのが筋ではないかとぼくも考えている。だがしかし、それは可能なことかどうか。作って壊す、というのは建設的な段取りで、「はじめから成り立たないこと」、または「作らなくても成り立っていること」が音楽にもことばにも、あるはずだ。それらはおそらく、建設的な段取りを講じるやりかたでは、徐々に取り除かれていく。その、取り除いた地平で、もともと成り立たないことや、わざと作らなくてもいいことが生きてくるのが理想的だが、これはできることなのか。『夢』では、ここのところを「できない」と仮定してあきらめて、できないことも提示した。
角度を変えましょう。演奏や演技はどれもハプニング、一回性の要素を含んでいる。まともな演奏家の場合なら、自分の計画通りにいかなかったとしても、その脱線に魅力があるとき、演奏が面白くなることのほうが多い。というより、まともな演奏ほど、部分は不完全なものである。これをだめな演奏だとかへたな演奏だとか、なってない作品だとか言わないのは、作品や演奏の成立に、よくうなづける事情がかかわっているためである。意識的に構築するにせよ、そういう構成意識を捨ててかかるにせよ、自然な感覚でものを作れば、美点も弱点もよくわかり、一貫性が生じるというのは、ふんぞりかえった「いいわけ」なのだろうか。ぼくが「壊れた言語」について考えたいのは、どんなに建設的なことばでも、誰にも通じるということはありえないはずだと思うからである。言い方を変えると、誰にも通じることば、そんなものはない。この感覚がおわかりだろうか。では、音楽のコミュニケーションにことばが必要なとき、どういう仕方でことばを取り入れるのが自然か。または、音楽のコミュニケーションに必要な音の性質というものがあるはずだから、それは、どういう音なのか。
こんなの言語の遊戯だぜ、なんて鼻白まないでもらいたいな。しらけないでくださーい。口に出して言ってみるだけでもむだじゃない、はっきりした答えが見つかるかどうかはわからないが、というのは、おしゃべりの効能だ。おもわず浴衣の帯が解けて。しどけなくみえてしまいました。問答無用、言語道断、切り捨て御免。秋深し隣はなにをする人ぞ。
1.ちょっとアタマがこんがらかった。
2.コンピュータのキーボードを打っていたら、右手中指の第二関節の筋が炎症を起こした。
3.ウェブサイトを継続するとはどういうことか、哲学的思索にふけっていた(うそですよ)。
4.手書き文字や画像のほうが好きだという主観がつのり、ひとり郷愁に涙していた(あほとちゃうか)。
秋雨前線の影響でここ数日雨である。もう10月、秋だというのに非常に強い台風22号が日本列島を縦断中である。ピアノを練習しすぎたらちょっと飽きたりする。秋に、飽きるとは、なにかの因縁に違いない。季節感に同調して気分が左右されるのはわりあい健康的なことなのだそうで、ことしはまったく、気象が異常だから、いっとき、寝起きのリズムが狂い、起床が異常になった。起床が異常になった以上、秋に飽きっぽい気分なのも無理はない。
じつは、しばらくパソコンにまじめに向かうのに飽きちゃったんです。パソコンでやってることは、こういう文章を書くことだけではないじゃないですか。メール出したりさ、あちこちの情報見たり、CD焼いたり、いろんなことをやっています。ある日、なにかパソコンアレルギーのようなものにかかって、建設的な用事でパソコンのディスプレイを見るのがいやになっちゃった。いや正確に言うとそうではなくて、見るのがいやになったのはパソコンだけではなくて、行き掛かり上でもなければ、テレビも文庫本も風景も、目に飛び込んでくるものは、ポルノを例外として、いやになった。だから、マリア・シャラポワがニュースに出てればさっと目が行っちゃう。註;彼女のフェロモンはエロスである、美人とポルノをイコールでつなげるこの薄ぺらい趣味!でもあのひと、試合中はかっこいいけど、顔が大写しになると、特にぼくの好みじゃないな。とにかくポルノ以外はいやになった。これを、2004年の異常気象でいいかげん気分がおかしくなったから、天気にかこつけてしまいましょうというのが、本稿の論旨ですわっはっは。たまにはこういうことがあったっていいじゃなーい。
天気から来る気分の変調(悪い変化とは限らない)と音楽の活動と、なにか積極的な、取るに足る意味はあるのか、今日の午前中、ピアノを弾きながら考えていた。雨が土砂降りだからとか、抜けるような青空だからとかいう理由で、煮ても焼いても食えない駄作が傑作に豹変することはないだろう。でも、同じピアニストが曲を弾く場合、2年前と現在とでは、環境も体調も違うんだから同じ演奏にはならない。違う演奏になる。質の違う音楽になる。内容も変わる可能性がある。ということになれば、今年のような異常気象のもとで、演奏の態度を、いつもよりもっと見直したほうがよく、そうすることで音楽も生きてくるということはバカにならないファクターなのじゃないか。このようなことに気付いたので書き記します。ゼラチン質のような業務報告でした。
アルトゥール・ルービンシュタインという20世紀の大ピアニストに、誰かが「あがらずにうまく弾く秘訣はなんですか」とかいうことを尋ねたところ、ルービンシュタインは「そんな便利なものがあったら、ピアノを弾かずに、それを売って暮らしますよ」と答えたという有名な逸話がある。このピアニストは、40歳ごろ、確かスイスの山奥かどこかにおんぼろのアップライトピアノを持ち込んで、ピアノ演奏法の立て直しを図った。彼はストラヴィンスキーにいくつか作曲してもらっているが、そのひとつ、『ペトルーシュカからの3楽章』がついに弾けなかったという話は本当なのかな。もうひとり、ブラジルのヴィラロボスという作曲家と親交があって、ヴィラロボスはルービンシュタインに『野生の詩』という猛烈なピアノ曲を書いているが、この曲のレコーディングは残っていないようだ。ルービンシュタインによるヴィラロボス演奏のレコードは何種類かあるそうで、ぼくはまだ聴いていませんが、必ずしも出来のいいものとは限らない様子である。「あんなに才能のある作曲家がこんなに貧乏だなんて」という同情から、ルービンシュタインはヴィラロボスの室内楽の直筆原稿を、演奏すると言って、作曲家に直接お金を払って買い取り、実際には演奏しないで、自室の机の引き出しに保管しておいた。ある日、ヴィラロボスがルービンシュタインの自宅に遊びに来たとき、机の引き出しが開いていて、これがばれてしまった。
ピアノが上手な作曲家はたくさんいるが、ひとの曲を幅広くレパートリーに加えている場合はほんの一握りで、特に古典曲を弾く場合は特殊な例である。指が早く回らない、まちがえちゃうというような理由が割 合多いんですが、アルトゥール・シュナーベルとか、アルフレッド・コルトーのような20世紀前半の指導的大ピアニストの録音の多くは、悲惨なミスをしでかしているのに聴いて面白いし、何より解釈に一本筋が通っている。彼らの演奏を聴くたびに、こういうことは現代ではもう通用しないのか、という気持にいつもなる。そのかわり、シュナーベルはじつは作曲家だったはずなのだが、現在、彼の交響曲なんか誰も演奏しないし、シュナーベルがほかの現代作家のピアノ曲を弾いたという話も聞かない。シュナーベルさんの作品はほとんど聞いたことがありませんが、彼はシェーンベルク流の十二音主義者である。20世紀の世界楽壇は、それまでの伝統的な調性と、無調や十二音技法とが対立し、例えばエルネスト・アンセルメのような指揮者は調性音楽しか取り扱わず、ストラヴィンスキーが後年、ヴェーベルンの影響を受けて十二音音楽を書いたことに批判的だった。今日に至るまで、ヨーロッパの調性音楽が支配的な潮流だとすれば、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやロブロフォン・マタチッチの交響曲のレコードが手に入るのに、シュナーベルの交響曲は無理だという現実は、妥当と言えば妥当だが、どこか話が変だと思う。
ルーカス・フォスはアメリカの前衛音楽の作曲家でピアノの名手、レナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」のピアノ独奏パートを受け持つことがあった。でも彼はピアノ・ソロコンサートを開かない。バーンスタインも、作曲(伝統に即しているが、聴けばすぐバーンスタインの曲だとわかる強烈なオリジナリティを発揮する作曲)と指揮の両面に秀でていたが、ピアノソロリサイタルもやらなかったし、初期の若干の例外を除いて、ピアノソロのレコーディングがない。フレデリック・ジェフスキはケージ派の作曲家でピアノの達人、ショパンなど古典もたびたび弾いている。しかしピアニストとしての評価はむしろ低い。高橋悠治は、欧米に住んでいたころは辣腕のピアニストとして活躍した。しかし帰国してからは日本国外ではピアノをほとんど弾いていない。日本の作曲家でピアニストとしても活動している人はほかにたくさんいるけれども、作曲家ならではの発言が聞こえてくる場合はまれである。作曲家が専門のピアニストのように振舞って、特別のメリットがあるというのなら話は別だが、専門のピアニストに出来ないことを作曲家がやるのが筋ではないか。
日本のご近所から出発して、ヨーロッパの伝統を踏まえながら独自のピアノ演奏を目指す道標はあるはずなのだ。日本の作曲家でピアノを弾く者がこの道を歩くのはナンセンスでしかないのか。グローバリゼーションというなら、このことを考えたほうがいいはずである。試してみるだけの価値はありそうに思っていることが、ぼくがピアノを弾き続けている原動力です。けっこう多くの人口がここらへんでいじけているようだ。なにより、私がいじけているから、インターネットの地下ケーブルと無線LANを通じて世界のみんなに発信しちゃえば、とか思ったんだー。今日はこれでおしまいです。提供はご近所の森永ハムでお送りしました。
(あちゃー。おつかれさまでした。)
ちょうど自分の出身地でとんでもない地震が起こりました。ぼくは長岡市の生まれで、19年間育ちました。いまは首都圏に住んでいるので被害には遭いませんでした。被災地では事態が混乱して音楽どころではないでしょう。現場に行けないので実際がどういうことになっているか、現地の友人の情報やマスコミの報道を手がかりに推測しています。以下、不謹慎を承知で書くんですが、揺れている地面の上で日常生活も音楽もあったものではない。心の問題に関係することで被災者の方々や、幸運にも被害に遭わなかったほかの地域の人びとに出来ることは、ことがらを極力悲劇的にあおらないことではないでしょうか。甚大な被害状況という現実が立ちふさがっていては、そんな気持の配慮も簡単に持てないかもしれないけれど、ご承知のとおり、人間には心と気持があるんです。豪雪地帯にあっては、その地域特有の知恵があり、生活の表情があります(マスコミの報道ではこういう、現地の人たちの生きた知恵を取り扱わないので、こちらに申し添えておきます)。災害時だからといってこれがなくなるわけはありません。この領域では出来ることを出来る順番にやっていくより手立てがなく、また結局それが、長い目で見た場合役に立つ、ということになると思うのです。災害の渦中にあって、話はそんなに簡単にいかないかもしれません。でも、気持の用意はひとりひとりが準備して蓄えておくとやがて意味を持つような財産だと思います。これが体の健康を促進する場合もあれば、物質の豊かさを裏付けることもあります。ぼくの仕事は音楽の訴えかけでコミュニケーションをつなぐことです。まえにも申しましたが、揺れ続けている地面の上では、どんな音楽の実践も出来ないばかりか、ひとの感情を逆撫でする場合があります。それに、10万人もの被災者の方々のために全体的に平和な音楽など、娯楽としても馬鹿さ加減が過ぎて状況と不相応です。しかし、音楽に限らず、ひとりひとりが何か物質のほかにすこし余分な心を持っていることは、常日頃考えている以上におもしろく、有益なことだと思います。余分というのはつまり無駄なもので、わけのわからないものを含みます。ぼくの音楽などが日用品や食料のように直接、即効、役立つということはないでしょう。今回の災害の情報に接して、こういう限界を体感しておりますので、すでに知られた事柄と重複していますが、思い上がりも棚に上げて、このページで愚考を述べ、心から被災者の方々のご無事をお祈り申し上げます。
ついこのあいだNHK・FMで聴いたブラームスの『クラリネット五重奏曲』。吉田秀和が「秋になるとやっぱり、心にずーっと染み入る室内楽が聴きたくなりますね。ぼくは室内楽大好きです」と案内したあと、ウィーンフィルのメンバーによるCDでこの曲を最後まで放送した。ブラームスの室内楽曲は久しく聴いていなかったし、ブラームスはぼくも好きだからチェックすることにした。…この曲はブラームスの晩年、58歳の時に書かれ、傑作と言われている(彼は64歳で亡くなった)。言われるだけのことはある充実した曲だということはぼくにだってわかる。しかし、聴きながら浮かんだことばは「心に老人を」である。ぼくがいま39歳だから、えらそうなこと言って顰蹙を買ったら厭だなとは思うけれど、このさい書き付けてしまうことにすると、自分が50代半ばを過ぎたとき、このFM放送で聴かれるブラームスのようなあまりに爺むさい作曲をやっているだろうか。その「爺むさい」ことのおもしろさも承知しているつもりだし、ブラームスの生きた時代には、58歳という年齢はひとによってはすでに充分おじいさんだったのかもしれないが、ちょっと、楽しむ以前に考えちゃったなあ。いや、別にこの文章はNHKや吉田秀和氏や、ブラームスやウィーンフィルを非難するアジテーションではない。そういうつもりは毛頭ありません。率直な感想を書いてるだけである。この曲だけだったら、文章を書こうとは思わなかっただろう。しかし、1時間番組の余った時間に放送された、同じブラームスの『チェロソナタ第1番』第1楽章。これは作曲家31歳の作で、ぼくのお気に入りの上位10番までに入っているかもしれない曲だから大いに期待した。だが、引き続き、やはり爺むさいのだ。朝の1時間番組が全部、爺むさくなってしまった。曲のせいではなく、そういう演奏(誰だったかは忘れました)だということは、往年の名演奏と言われたフルニエのLPや、古楽のチェリスト、アネル・ビルスマが1996年に来日したときの圧倒的な実演と比較すればすぐわかることで、ブラームスが31歳の時点から崇高な諦念の境地に到達したあげく、思わず爺むさくなったわけではないのだ。
もちろんこの二作のあいだには「なにかこんがらかった気難しさ」という共通の性質があって、『クラリネット五重奏曲』に至っては、夢見る少女的趣味、またはそういう少女を妄想する趣味でもあるんじゃないか(別に、あったって個人の自由ですが)と邪推したくなるほど、なんか一種すごい世界であって、吉田氏が言っていたように「心にしみいる」かどうか、その前にちょっと待った!と思わずにはいられませんでした。いま書いてることからあれこれ理屈を引っ張り出して、こじつけて論文らしいものをでっちあげることはできるし、いたずらでそういうものを書いてみたい衝動は山々ですが、もと(=この文章)が雑談だけに、これ以上要らぬことを加えても読者・訪問者の皆さんには迷惑が過ぎると思われますので、今回はこの辺で切り上げて、書いてみたいこと、またはこの拙文の読者(ありがたや)が限度以上に期待してるんじゃないかと察しられるあれやこれやは、お互い、勝手にイマジネーションを膨らますなり、実際行動に出るなり、気の済むように処置することにしませんか。ブラームスが爺むさい作曲家かどうか、夢見る少女を妄想する癖があったかどうかをここで論じたって、何の足しにもなりゃしない…別に、足しにならなくたっていいんだけれど。
※付記。もしぼくの記憶に間違いがなければ、吉田秀和氏は番組の中で、「ブラームスは58年生きた」と解説していた。人間は間違える動物です。この解説を鵜呑みにして、たいして資料文献にも当たらずに上の文章を書いてアップデートしたあとで、ブラームスの年譜を読んで、実際には64年生きたことが分り、いそいで一部を訂正しました。
ディックラン・アタミアンというピアニストをご存知だろうか。アメリカ人、男性である。アメリカ国内での演奏活動は活発な人らしいし、ニューヨーク・タイムズの批評が誉めているから評価もあるのだが、CDの数は多くない。ぼくが確認した限りでは代表的なものは2枚。ストラヴィンスキー『春の祭典』のピアノ独奏用編曲版全曲(編曲はアメリカの作曲家、サム・ラフリング)、それからハチャトゥリアンのピアノ協奏曲とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の抱き合わせで1枚。ぼくは1988年にリオデジャネイロに行ったことがあるが、そのとき出会ったアメリカ人のピアノ教師の情報を信頼すると、当時のアタミアンはジョン・ケージを弾いているということだった。いずれにせよ、アメリカ国内でも、このピアニストは必ずしも有名ではない。日本での知名度は皆無に等しいのじゃないだろうか。いま、このピアニストのCD、ハチャトゥリアン『ピアノ協奏曲』を聴きながら書いています。アタミアンの持ち味は、とにかく自由奔放で歯切れがいいということだ。テンポ・ルバートに独特の表情があり、これにはまるとクセになりますよ(笑)。いや、本当である。1981年、高校1年生のぼくは前述の『春の祭典』のLPを買い込んで、脱線とさえ聞こえるような大胆なアプローチと、なにより打鍵の強さに、最初は当惑した。キワモノとか言われたって仕方がないようなところがあるのは確かだが、理屈ぬきに面白いですよ。この人のピアノ演奏技術は驚異的で、ある意味でホロヴィッツのピアニズムと似ている。音が無類に美しく、ミスタッチは少なくないのに傷にならず、ときに恣意的といっていいほど速度やアーティキュレーションを極端に変えていく。2人のいちばんの相違点は、演奏表現で言っていることが「重い」(ホロヴィッツ)か「軽い」(アタミアン)か、というところだろう。まったく、アタミアンの演奏は、ちょっと聞きかじって単なるスリルやムードか、さっきも書いたけれど一種のキワモノか、要するに総合的に見て欠点が多すぎる、などと言われてしまえばそれまでなのかも知れない。が、それだけでは済まない主張をアタミアンがやっていることも事実である。
アタミアンのアプローチはひとことで言ってアメリカ的である。演奏から聴こえてくる開放感は、ヨーロッパ育ちのピアニストにはできない意味内容を含んでいる。聴いていて、気持ちがのびのびしてくるんです。その「アメリカ的な」感覚でハチャトゥリアンをやられると、たとえばニコライ・ペトロフがハチャトゥリアン自身の指揮で同じ曲を演奏した場合なんかと較べたら、なにか本格的でないような、正統的でないような印象が強いと感じる人もいるだろう。しかし、探してみればこのたぐいの変格的な性質を持ち味にしているピアニストは、あんがい多く、しかも彼らは国際的なスターダムにのし上がる出世タイプではない代わりに、音を聴けばこの人だという独自性が強烈な場合が多い。南米チリ生まれのピアニストで、第7回ワルシャワ・ショパンコンクールではアルゲリッチに次いで第2位だったアルトゥール・モレイラ・リマなども、このタイプに加えていいかも知れない。
ムソルグスキー『展覧会の絵』は、最近ちょっと流行しているようだ。その波に乗るような形になったが、ぼくも自分の小規模なピアノコンサートで先週、弾いてきた。近年の傾向として、この曲を非常に遅く演奏するピアニストが増えている。ポゴレリッチとアファナシエフがその例で、ふたりとも確実な技巧の持ち主だが、通常30分程度の演奏時間を45分にも引き延ばして弾く。その結果は、確かにどちらの場合も面白いには違いないのだが、ちょっとやりすぎではないだろうか。飽きてこないか。それと、素直に思うんですが、指さばきのむつかしいところを安全な技術で一音の抜かりもなくやってくれると、この曲独特の野性味が殺がれてしまうようで、彼らほどテクニックに専念しなかった江村夏樹は、別にひがんで言っているわけではないが、むしろ必要な破調が職人技術で手際よく整理されてしまっていることに不満を覚えないでもないそうである。ぼくの知る限り、この曲の難所のひとつ、「リモージュの市場(大ニュース)」で左手の16分音符の数がそろっていないのは、飛行機事故で早世した(享年31歳)アメリカのピアニスト、ウィリアム・カペルが1953年にニューヨークで行なったライヴである(余談だが、カペルのピアニズムは、前述のアタミアンと一脈通じるものがある。同じくアメリカ人だからか)。実際問題として、この部分ではピアニスティックな正確さはそれほど重要な条件ではないような気がする。第9曲「ババ・ヤガー」も、辣腕のピアニストが手を焼く難関だが、往年のリヒテルやホロヴィッツの演奏でも、ここはどうにか通過している感じで、やはり左手が難しくて、技術本位に徹しないうちはどうしても左手が外れがちになる。一体に『展覧会の絵』では、左手の拍を正しく取ることが、どういうわけだかやりにくい。これはこの曲の遅い部分でも同じことで、縦に割って規則正しく刻めばいいものでもないので厄介なのだ。
クラシック音楽の演奏には多かれ少なかれついて回る技術や表現の問題の一例でしたが、クラシック音楽がきらいな人に理由を訊ねると、とにかく「眠くなる」「長時間、興味がもたない」という意見が多い。外国人に尋ねてみると“エニグマティック(=謎みたい)”なんていう人がいる。音楽の伝統や継承のあり方をめぐって、曲の演奏時間がどんどん長くなっていくのは理由のあることには違いないが、逆に言えば、伝統や継承への問いかけ方を検証することも、折々、必要に思われる。
前回、ディックラン・アタミアンというピアニストを「アメリカ人」と紹介したんですが、サイト検索で引っかかったある文献にはアルメニア人と書いてあった。ディックラン・アタミアンの公式サイトには生年も出身地も記載がないが、ともあれ、主要なキャリアはアメリカ合衆国を拠点として築かれている模様。ぼくはついさっきまで知らなかったが、「ウィリアム・カペル・ピアノコンクール」というものがあって、アタミアンはこのコンクールで賞を取っている。アタミアンの演奏マナーがカペルのそれと非常に似たところがあるのはそのせいなのかどうか、影響関係を調べる材料がいま、手許にないが、2人が多くの点で共通しているのは確かである。とか言ったって、べつにこの雑文はアタミアンの芸術的な信憑性を裏付けようという学術論文のたぐいでもなんでもなく、日本ではほとんど知られていないが、おもしろいことをやっているピアニストとして彼の名を挙げたに過ぎない。だから、アタミアンがアルメニア人なら、同じアルメニア出身のハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を得意のレパートリーに加えているのはむしろ当然で、しかも、ハチャトゥリアンが存命中の旧ソ連邦では、おそらく、アタミアンの破天荒なアプローチは受け入れられにくかったのだろう、だから彼の拠点はアメリカなのだ、とかいう憶測は好きにやっていていいとしても、純然たるアメリカ人のウィリアム・カペルの十八番のなかにやはりハチャトゥリアンの協奏曲が入っていたことと、少なくとも直接の関係はないはずだ。あったとしても影響関係というより共感程度のものだろう。しかし、にもかかわらず、カペルの演奏マナーとアタミアンのそれと、やっぱり似ているなあ。ところで、ここで思い出す文章の一節がある。ちょっと気になる発言である。
優れた作曲は、時代を経て崇敬嘆賞されているうちに、生き生きとしたところを失い、巨大な枯木になってしまう危険に曝されている。「演奏家[アンテルプレート]」の名を恥ずかしめない者は、かような放漫な賞賛の隠然たる脅威に対し、自分の個性の熱烈な反応を突きつけることによってこそ、無気力な伝統の摩滅作用を防ぐことが出来るのである。アルフレッド・コルトー「演奏家の態度」の一節だが、だめな性格の演奏家にはろくな演奏ができず、すぐれた性格の演奏家がいい演奏をする可能性を重々承知で、でも、演奏には演奏家の性格を投影するべきだと言い切っている、ヨーロッパの演奏家だったからこういう発言が許された、とか、いろんなことは言えるでしょう。ただ、上の引用文の要は「これは大胆な馴々しい態度であって」というところである。「大胆な」に文句をつける人は少ないと思うが、「馴々しい態度」とやられると、きゃっと逃げる人や、なにをする?!と色を変える人が出てくるかもしれない。「その人の性格によっては、往々問題ある行き過ぎを産まないでもない」ということになれば、警察が出動しかねない社会問題である。しかし、こういう危険な経過があってこそ、古い音楽作品は蘇生もすれば絶滅もする、とコルトーは言っているのだろう。いや、たぶん言っている。ほかでもないコルトーじしんがこの危険を担ってピアノを弾いていた。だからといって、コルトーは危険人物だったということにはならんでしょう。 この態度でコルトーがショパン演奏に挑み、特徴的なミスタッチの累積が膨大だったとしても、結果がイアニス・クセナキスの作曲のように聞こえることはまずない。一方、同じく大胆なアプローチでも、「自分の個性の熱烈な反応」を突きつけた結果として聴いた場合、ディックラン・アタミアンのピアノ演奏には、クセナキスの作曲や、クセナキス作品の演奏と類似のコンポジションが伝わってくるような気がするのは、ぼくのえこひいきや個人的な趣味のせいだけではないはずだ。いや、ぼくがここで言いたいのは、みんながコルトーを賞嘆するのに、アタミアンを必ずしも賞嘆せず判断を保留しているとか、そういう評判の優劣のことではない。そうではなくて、アタミアンの演奏には、コルトーの場合と違って、取り扱う作品を部分的にデフォルメするようなアプローチがあり、これを、このピアニストの創造性の表れと聴くことは可能である。ただ、この創造性はそれ自体では創造しない。あくまでも作品を取り扱うためのひとつの態度として特徴的で、ひとの曲で自分の創造性を行使している限りは特殊なアプローチと言える。だから、この特殊な態度がコルトーの言う「問題ある行き過ぎ」にあたるかどうかということが、ぼくの関心であり、ここで書きたいことなのです。
これは大胆な馴々しい態度であって、その人の性格によっては、往々問題ある行き過ぎを産まないでもない。しかし新しい作品がその誕生に際し誇っていたスケールや形式の大胆さを、救い難い退廃に陥らぬように護るには、この態度以外に何ものもないのである。
ひとの曲を自分流に解釈するだけなら、いくら既成の名曲を演奏し続けたって、それは一種の模倣で、ある説得力を持たない限りは解釈したという水準に達しないし、かと言って独自の創作行為でもないというような、どっちつかずの結果に終わってしまう。この「どっちつかず」は、流動的だから創造的で、あるステロタイプにみられるような停滞を嫌って前に進もうとする性質があるから、人の興味を惹くだけの意味を持っている。それはひとつの可能性には違いない、だから尊重されるべきものだということになるが、問題は、この流動的な可能性を専門に研究していくと、いずれひとつのステロタイプに落ち着いてしまうという妙な事実である。こんにちの作曲の世界では、前述のクセナキスや、アタミアンがときどき弾いているというジョン・ケージが大幅に展開した作曲や演奏上の偶然性の要素が、ある創作行為をステロタイプからの逃亡へ導いていくきっかけ提供しうる。というか、クセナキスとケージは二人とも、そういう脱出の経路を経験的に創作し得た作曲家だった。こういう創作の姿勢には、理論や観念はあとからついてくるのが普通で、シュトックハウゼンのような理論肌の作曲家の作品が、演奏家の極度の名人芸を、結論から言えば必要としている事実と、いわゆる音楽の偶然性とは基本的に相容れない。だとすれば、アタミアンのように、他人の作への共感がその作品の枠を部分的にでも乗り越えてしまうことはむしろ自然の成り行きで、そこに作曲家のような造型の意志が働ききっていないからと言って、すぐさま例外扱いするのは、ちょっと気が早すぎる。あるいはコルトーの発言も、作曲が本来的に持っている即興の要素を、人格を媒介として逆に保護することで、音楽伝統が途切れてしまう危機を乗り越えようとする意思だったのではないか。ということになると、音楽の偶発性を発揮する枠組みとしてならば、いわゆるフリーミュージックなどより、既成の伝統音楽のほうがよくその役割を果たすということになるから、伝統を継承する営みは、在来の音楽形式と上下逆の対立関係のまま共存し、両者の間の必要な緊張のためには、機械による演奏ではなく人間の演奏が必要だと考えられます。以上を要約すると、演奏家は演奏中にでも作曲したいし、作曲家は自分の曲よりは他人の作を演奏したい欲がある、ということになりそうです。
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